1年前のブログを振り返るシリーズ。いよいよ高大接続改革のデタラメさが、一般にも広まってきた。高校生の立場になってこのひどい改革をやめさせてほしい。なんども言っているが、高大接続改革の基本理念はいい。しかし現実はベネッセなどの癒着企業の利益のための「改悪」であり、この改革によって現在の高校2年生以下の生徒は理不尽な思いしかしないのだ。
「高大接続改革」が進んでおり、大学入試が大きく変わろうとしている。私はこの改革の必要性については賛成する。しかし現実にはこの改革は大きな問題がある。理由は3つある。
1つ目は生徒にとっては英語の民間外部試験の導入や、「高校生のための学びの基礎診断」、ポートフォリオの導入など(ポートフォリオ自体は無料であるが、ベネッセはポートフォリオのためには「クラッシー」という自社製品が必要であるかのような誘導営業をおこなっていた)、どんどん生徒の経済的な負担が増えていく点である。これでは教育格差は広がるだけである。これは改革の名のもとに企業がぼろもうけし、官僚の天下り先を増やすだけの改革になっており大きな問題があると考えている。
2つ目は改革の具体的内容がよく議論されていないがために、見切り発車の状態でのスタートになることが明らかである点である。英語の外部試験の導入に関して不公平が生じないのかという疑念にまだ明確には答えられていない。また、国語の記述式問題の処理の仕方がいまだにはっきりしていない。前回申し上げたが、段階化して点数化するというのはあまりにナンセンスだ。
3つ目は、そもそもこの改革の目的がどこにあったのかがはっきりしなくなってきている点である。大学入試改革は思考力を試す試験に変化することが一番の目的である。ところが現状では思考力ではなく、情報処理能力や会話力などの実用的な力だけが試されるような試験に変化しているように考えられるのだ。
最近よくPDCAサイクルという言葉を聞く。これは大雑把に言えば常に改善しながら前進するという意味であろう。しかし、PDCAサイクルという言葉を使うことによって「見切り発車」でも許されるという拡大解釈がなされているようだ。小さな事ならばそれも許されるかもしれないが、「高大接続改革」は国家規模の大きな事業である。こんな「見切り発車」でいいはずがない。
「働き方改革」もそうだが、「改革」という名のもとに結局は一部の人のもうけになるものを作ろうとしているようにしか見えない。そして犠牲になるのは弱い立場の人なのだ。見える議論をしてもらいたいものだ。
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