第七章
印象に残る風呂場の場面である。
画工は風呂に入る。
余は湯槽のふちに仰向の頭を支えて、透き徹る湯のなかの軽き身体を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わして見た。ふわり、ふわりと魂がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。分別の錠前を開けて、執着の栓張をはずす。どうともせよと、湯泉のなかで、湯泉と同化してしまう。
前章の漠然とした恍惚感を風呂の中で味わっているようにも見える。湯気が漂う中、湯に体を浮かせれば、体も心も宙に浮いたような感覚になるのであろう。画工はここでもミレーのオフェリアが頭に浮かぶ。そういえば、画工が茶店の婆さんに那美のことを初めて聞いた時に頭に浮かんだのも、オフェリアだった。やはり那美はオフェリアを想像させ、画工に「私に同化しなさい」と迫って来るのである。
案の定、那美が風呂に入って来る。那美が入ってきたのは偶然かもしれない。しかし画工にとっても、読者にとっても必然であろう。
しかもこの姿は普通の裸体のごとく露骨に、余が眼の前に突きつけられてはおらぬ。すべてのものを幽玄に化する一種の霊氛のなかに髣髴として、十分の美を奥床しくもほのめかしているに過ぎぬ。
画工が部屋で考えていた恍惚とした情景がそこに出現したのである。那美はあきらかにこの出来事を楽しんでいる。恥ずかしさとは無縁な態度で消えていくのだ。那美の態度は画工に対して「私に同化しなさい」と言っているように感じられる。エロチックであり、恍惚感が極まる。
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