とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『英雄の証明』を見ました。

2022-05-02 15:42:18 | 映画
 イランの映画『英雄の証明』を見ました。ちょっとしたことが悲劇を生み出すということは誰もに経験がある。あそこをきちんとしていれば何の問題もなかったのにという後悔である。誰もに起こりうる悲劇を描いた名作だった。

【あらすじ】
 イランの都市。ラヒムは借金の罪で投獄され、服役している。仮釈放で街に戻り婚約者と会う。婚約者が偶然金貨を拾い、ラヒムは、その金貨を現金に換え借金を返そうと考える。借金さえ返すことができれば出所できるからだ。しかし、罪悪感にさいなまれたラヒムは、金貨を落とし主に返すことを決意する。そのささやかな善行がメディアに報じられると大きな反響を呼び、ラヒムは「正直者の囚人」という美談とともに祭り上げられていく。ところが、 ラヒムは周りの人々のアドバイスもあり、悪意のない小さな嘘をついていた。SNSを介して広まったある噂をきっかけに、状況は一変する。しかし小さな嘘のせいで、ラヒムは説明がつかなくなり、逆に大悪人のように扱われるようになる。罪のない吃音症の幼い息子をも巻き込んだ、大きな騒動へと発展していく。

 そもそもの原因は貧富の差である。貧富の差が借金を生み出し、それが犯罪となる。貧富の差なんて生まれついてのものだ。社会は理不尽だ。しかしそういう国なんて世界中にはたくさんあるのだろう。一億総中流と言われた日本でも今やそうなりつつある。

 格差社会の中では底辺の人々は生きていくことだけでも精一杯だ。正しい生き方なんてあるのだろうか。生きていくことが正しいのであり、清廉潔白に生きていくことなんて考えなくなる。

 それでもラヒムは自分なりに正しい生き方をしようと努力した。努力が中途半端だったために、逆に自分が追い詰められる。彼はあきらめるしかない。あきらめることだけが彼の人生だったからだ。

 ラヒムが最後まで守ろうとしたのは息子である。その姿が胸にせまる。彼の正義はそこにあったことがわかる。自分の息子のプライドを守ることである。自分のプライドをずたずたにしても息子のプライドは守らなければならない。そうしなければ自分の人生で学んだことを、息子に教えてあげられないからだ。

 ラヒムのその姿は哀れでありながら、感動的である。いい映画だった。

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