話題の映画『カメラを止めるな!』を見てきた。最初はつらかったが、後半はそのつらさが報われたような展開になり楽しむことができた。さて見終わって帰ってくるとインターネット上で盗作疑惑が話題になっていた。この作品はアイディア勝負のところがあるので、基本的なアイディアを使われてしまえば原作者側が「盗作だ」と訴える気持ちはよくわかる。一方では、基本的なアイディアは借用しても、台本などをすべて自分で書いているのだとすれば、「盗作にはあたらない」という映画製作者側も主張も理解できる。私にはどっちも悪いとは思えないのである。
そもそもこの作品の基本的なアイディアは三谷幸喜の『ショーマストゴーオン』などでも使われているものである。これを2部構成にしたというアイディアは面白いし、発明だと思う。だからすばらしいアイディアであるのは当然認めるが、原作者側としてもどこまでが自分のアイディアで、どこからがアイディアの借用なのかはわからないはずである。だから悩みながらの訴えであったのではなかろうか。映画製作者側としても同様である。どこまでが自分のアイディアで、どこからがアイディアの借用なのかはわからないはずである。だから、両者のどちらかを悪者にするような報道の仕方は絶対にやめてもらいたい。
両者が善人であるという前提にたって解決をはかってもらいたい。日本では裁判は嫌われるが、このような問題における裁判は悪いものではない。できれば今後のために司法の判断をあおいでもらいたい。著作権がどこから認められるのかきちんと線引きできるようにしておくことも大切なことである。いい機会なのではないかと考える。
そもそもこの作品の基本的なアイディアは三谷幸喜の『ショーマストゴーオン』などでも使われているものである。これを2部構成にしたというアイディアは面白いし、発明だと思う。だからすばらしいアイディアであるのは当然認めるが、原作者側としてもどこまでが自分のアイディアで、どこからがアイディアの借用なのかはわからないはずである。だから悩みながらの訴えであったのではなかろうか。映画製作者側としても同様である。どこまでが自分のアイディアで、どこからがアイディアの借用なのかはわからないはずである。だから、両者のどちらかを悪者にするような報道の仕方は絶対にやめてもらいたい。
両者が善人であるという前提にたって解決をはかってもらいたい。日本では裁判は嫌われるが、このような問題における裁判は悪いものではない。できれば今後のために司法の判断をあおいでもらいたい。著作権がどこから認められるのかきちんと線引きできるようにしておくことも大切なことである。いい機会なのではないかと考える。
ー和田氏は「アイデアを盗んだから訴える」と言っているわけではありません。ー
では、どういう主旨で訴えているのでしょう?
和田氏の擁護?(とは、違うと思うのですが、言葉が見つかりません)をされるのであれば
「こう、言っているんだよ」ということも
書いていただかないと、
コメントの「検討違い」が通じないと思うのですが?
他の人間も読むという、前提の上で
論点を明らかにしてほしいと思います。