中世のタイには日本人街がアユタヤに在ったという。山田長政のそれであろう。現代ではバンコクのタニヤが該当するであろう。本年9月末にシラチャーで4泊したが、タニヤどころではない、本格的な日本人街でびっくりした・・・どうでもいいと云えば、どうでもいい噺であるが・・・。
OHAYOと呼ぶ日本語フリーペーパーがある。日本の各地にあるタウン紙のようなものである。当然として広告でなりいたっている。このOHAYOUも飲食店の広告満載である。
これらの飲食店はロビンソンの西側(海側)でパヤタイ病院の南側(下写真の記号が多く描きこまれた地点)に集中している。行けば日本語看板が氾濫している。
シラチャーの近年の人口は20万人を超すようだが、日本人は約1万人が暮らすと云う。近郊の日系企業の出向者とその家族である。
1万人と云えば、ちょっとした田舎町である。おまけにイオン・モールやJモールもあり、生活するに不便さは感じない。従って、それなりの金を使う日本人相手の、日本人経営、タイ人経営の日本語看板のショップだらけである。
スコータイとピサヌロークの宿泊先を手配する必要があったので、HISへ行って手配することにした。接客は日本人のお嬢さんだった。聞くと、最近はタイ人の日本への旅行手配が増えてきたという。以下、日本人街ぶりを写真にて紹介する。
上の2葉の写真はイオン・モール内の紀伊国屋書店。バンコクに出かけなくて済むのは、在住者には重宝であろう。
まだまだ写真があるが、貼り付け容量が大きいので今回はここまで。タイにあって日本語の氾濫の一端をご理解頂けたと思います。
<続く>
OHAYOと呼ぶ日本語フリーペーパーがある。日本の各地にあるタウン紙のようなものである。当然として広告でなりいたっている。このOHAYOUも飲食店の広告満載である。
これらの飲食店はロビンソンの西側(海側)でパヤタイ病院の南側(下写真の記号が多く描きこまれた地点)に集中している。行けば日本語看板が氾濫している。
シラチャーの近年の人口は20万人を超すようだが、日本人は約1万人が暮らすと云う。近郊の日系企業の出向者とその家族である。
1万人と云えば、ちょっとした田舎町である。おまけにイオン・モールやJモールもあり、生活するに不便さは感じない。従って、それなりの金を使う日本人相手の、日本人経営、タイ人経営の日本語看板のショップだらけである。
スコータイとピサヌロークの宿泊先を手配する必要があったので、HISへ行って手配することにした。接客は日本人のお嬢さんだった。聞くと、最近はタイ人の日本への旅行手配が増えてきたという。以下、日本人街ぶりを写真にて紹介する。
上の2葉の写真はイオン・モール内の紀伊国屋書店。バンコクに出かけなくて済むのは、在住者には重宝であろう。
まだまだ写真があるが、貼り付け容量が大きいので今回はここまで。タイにあって日本語の氾濫の一端をご理解頂けたと思います。
<続く>