世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

ブログ掲載500回記念・魅了する大壺の彷徨える焼成地論・その3

2016-07-25 06:27:12 | 北タイ陶磁
<続き>


今回は、さまよえる焼成地論の2点目を紹介する。前回記事と同じような大壺の話しである。
当該シリーズ「魅了する大壺の彷徨える焼成地論」その1とその2で、アデレード大学東南アジア陶磁研究センターのドン・ハイン教授は、拙速な結論を出したであろうことを紹介してきた。
かつてバンコク大学東南アジア陶磁博物館のダイレクターを務めた故ロクサナ・ブラウン女史(Dr. Roxanna M. Brown)と、アデレード大学東南アジア研究センターには接点があり、バンコク大学東南アジア陶磁博物館・展示陶磁の焼成地鑑定に、その影響を見ることができる。先ず、その展示品を御覧願いたい。
写真が見にくく恐縮である。下の写真は肩部の装飾を拡大して撮影したものである。
この大壺をバンコク大学東南アジア陶磁美術館では、次のようにラオス産の可能性と表示している。その根拠は、先に示したニュース・レターFig-7の陶片やその他の所見であろう。
この壺は、巻貝耳の掛分け釉両耳壺である。先ず文様であるが、その巻貝耳の段は巻貝の印花文で覆われている。その下の段は象の印花文、その下の肩に当たる部分で段付きになり、その下が縦のジグザグ印花文である。
似たような大壺を前回紹介した。それはナーン・ボスアックのジャーマナス古窯址の敷地に建つ私設博物館の展示品である。それを以下に再掲する。


バンコク大学東南アジア陶磁美術館とジャーマナス私設博物館の双方の壺を比較すると、姿形はほぼ同じである。東南アジア陶磁美術館の耳は巻貝だが、ジャーマナス私設博物館の耳は蛙で、これについては違いを見る。しかし巻貝の印花文は同じような意匠であり、象の印花文は全く同一ではないが、意匠は同じである。また縦筋のジグザグ印花文も同じである。
これらを比較し、御覧の各位の感想はどうであろうか? 当該ブロガーは、バンコク大学東南アジアで展示されている、ラオス産の可能性と指摘する壺は、70-80%程度の確率でナーン・ボスアック産であると考えている。
ナーン・ボスアックのタオ・スーナン古窯址の発掘調査は1999年10月、同タオ・ジャーマナス古窯址の発掘調査は2006年10月に、いずれもタイ国考古局のサーヤン・プライチャンチット教授を頭に行われ、上掲の壺が発掘されている。当該ブロガーのように民間の会社を退職した者には考えられないが、上記のようにタイ・考古局とバンコク大学東南アジア陶磁美術館との連携は無いものと思われる。つまりボスアック発掘調査の知見はバンコク大学東南アジア陶磁美術館に伝えられたであろうか? それとも伝えられたが無視であろうか?
今回は、さまよえる焼成地論の2点目を紹介した。次回は、その3点目を紹介したい。




                                  <続く>



ブログ掲載500回記念・魅了する大壺の彷徨える焼成地論・その2

2016-07-23 07:34:35 | 北タイ陶磁
<続き>


前回のSoutheast Asian Ceramics Meuseum Newsletter Vol.4 No.3 MayーJun 2007の末尾に、下の写真が掲載されている。
これはドン・ハイン教授によれば、ウドムサイ県のムアン・パークベンにて出会った。その壺はメコンの北側の丘の墳墓跡から発見されたものだから、バン・サンハイで焼成された、もしくはメコン流域の他の窯であろう・・・との結論である。
その根拠を教授は記載していない。以下推測になるが、Fig7のバン・サンハイで採取した陶片によるものと思われる。解像度が低く明言はできないが、Fig7と同じような印花文はFig6の壺で見かけないことから、教授のそうあって欲しいとの願望に過ぎないと思われる。
このFig6の壺は、バン・サンハイやその他のラオスではなく、北タイの匂いがする。下の壺はナーン・ボスアックのジャー・マナス古窯址敷地に建つ、私設陶磁資料館の出土品の大壺である。

壺全体の姿は双方で似ているが、頸部から口縁にかけての形状に部分的な相違がある。しかし釉調やカエルの耳の形状は似ており、印花文の形状も似ているように感じる。
これをもって、Fig6の壺はバン・サンハイではなく、ナーン・ボスアックと断言するつもりはないが、Fig6の形状の頸部陶片もジャーマナス古窯址から出土しており、その可能性は高いと考えている。それにしてもFig6の土味と底、べた底なのか高台つきなのか?べたなら静止糸切痕なのか回転糸切痕なのか?・・・である程度ナーン・ボスアックの可能性を補強できるのだが。

・・・以上、さまよえる焼成地論の1点目を紹介した。次回は、その2点目を紹介したい。




                               <続く>










ブログ掲載500回記念・魅了する大壺の彷徨える焼成地論・その1

2016-07-22 06:18:54 | 北タイ陶磁
ブログ掲載500回記念と銘打って、”北タイ名刹巡礼”シリーズを中断して連載したい。当該ブロガーにとって、それはSoutheast Asian Ceramics Meuseum Newsletter Vol.4 No.3 MayーJun 2007から始まった。寄稿者はアデレード大学東南アジア陶磁研究センターのドン・ハイン教授である。長くはないので以下、全文紹介する。
「1990年台初頭、中径でスカートのようなラッパ状の口縁をもつ壺が、骨董品市場に登場した。これらは北タイ陶磁であろうとされてきたが、ドン・ハイン教授は幾つかの理由でその一部、もしくは全てがラオス国内のいくつかの窯で焼成されたと信じている。」


注)掲載写真の説明はないが、Fig1、2a、 2b、3、4、5がそれらの壺に相当する。以下、ドン・ハイン教授の寄稿文の続きである。
「その頃、タイの田舎(当該ブロガー注:チェンマイを指す)のディーラーは、多くは口縁が損傷を受けたそれらを購入し、高い技術水準で補修して、バンコク市場に送り込んだ。
ドン・ハイン教授に信頼できる情報を提供していたディーラーによると、それらはラオスからメコンを渡り、チェンコーンに運び込まれた。1991年、それらの出来事に突き動かされたドン・ハイン教授は、ルアンプラバーンに近いメコン左岸のバン・サンハイの古窯址と、その表層から陶片を採取した(Fig7)。
次の年、メコン沿いのルアンプラバーンからフェーサイの間で、それらの壺の兆候である陶磁にウドムサイ県のムアン・パークベンにて出会った(6a、6b)。その壺はメコンの北側の丘で発見されたと聞いた。ドン・ハイン教授は、壺の幾つかは、バン・サンハイで焼成された、もしくはメコン流域の他の窯であろう。
最後に、かなり大規模な調査にもかかわらず、ボーケーオ県のバン・ペーンやルアンナムター県山中のプー・カーでは、その生産の兆候を発見することはできなかった。」
・・・以上が全文である。
何のことなのか?当該ブロガーには全く分からない。バン・サンハイで採取した陶片とFig1-6までの壺の印花文はいずれもダイレクトに繋がりは認められない。


いずれも写真の解像度が低く見づらいが、Fig-7に示すバン・サンハイ採取陶片との関連は認められない。つまり、ドン・ハイン教授の見解は論拠がなく、そうであって欲しいとの期待でしかない。
この話は延々と続く。今回は序論としてここまでとする。従来当該ブログでも「魅惑の北タイ諸窯の壺」、「北タイ陶磁の謎が解けない・その1-その3」で触れてきた内容を集大成したものである。




                                  <続く>



北タイ名刹巡礼#17:ワット・ポンサヌックヌーア

2016-07-21 06:57:06 | 北タイの寺院
<Wat Ponsanuk Nua:ワット・ポンサヌックヌーア  ランパーン>


特に名刹とも思えないが、次の写真の堂の中に涅槃仏が祀られている。この姿が実によい。






ユネスコから何かの保存活動で表彰されたようである。2010年に参拝したときは、写真のように涅槃仏の化粧直し中であった。若い職人さんの腕は相当のようで、仏足裏の絵付けは乱れがなく、その文様も緻密である。ここにも須弥山が描かれ曼荼羅世界がみられる。釈迦の尊顔はなんと慈悲に溢れていることか。一発で気にいった。2015年のランパーン再訪時に、真っ先に参拝した。





北タイ名刹巡礼#16:ワット・プラケーオ・ドンタオ

2016-07-20 06:58:46 | 北タイの寺院
<Wat Phrakeo Dongthao:ワット・プラケーオ・ドンタオ  ランパーン>

この寺はビルマ様式で著名である。そのビルマ様式の何層もの屋根をもつ塔は、須弥山を表しており、独特の宇宙観に彩られている。




ランナー様式とは異なる色彩感覚であるが、なんとなく落ち着きを感じる。バンコクのワット・プラケーオに安置されているエメラルド仏は一時期、ここワット・プラケーオ・ドンタオに奉納されていた。
博物館が併設されているとのことだが、見学した経験がなく、一度見学したいものである。