東京老人Tokyorojin

こごとじじい増山静男のブログです。

被災地の今

2015年10月07日 11時51分42秒 | 国内旅行
10月5日、日帰りで行きました、仙台から2時間近くかかります、


南三陸町 志津川中学校

ここは高台に建設されており津波はありませんでした、設備も整っておりとても立派な学校です、たまたま試験中だったのですが、試験後、コンサートが予定されており、文化度も高く、体育系の水準も優れているようでした、何よりおどろいたのが生徒が礼儀正しく私達に挨拶する態度でした、ここでの用件を済ませました







災害地の視察・防災総合庁舎

テレビでよく見る三階建ての、鉄骨が残った、防災庁舎です、ここの2階では最後まで残って高台への避難を呼びかけた女子職員も犠牲になっています、屋上ではアンテナの周りにかたまっていた40人のかたもなくなっています、

合掌








旧市街地

中学校の上にいくと、旧市街地の写真とともに今の姿が見えます、中央にJR気仙沼線が走っていましたが築土はほとんどが壊れており、周囲のトンネル入り口が鉄道のあったことを教えています、旧市街地には、10メートルの盛り土が築かれ道路も持ち上げられますが半分も出来ておらず、建物は一軒も立っておりません、震災後5年もたつのに、すむところは応急住宅ではたいへんお気の毒です、建物家財の残骸を片付けるだけで、2年以上かかったとのこと、











ここからは私見ですが、

残骸は片付けないでそのまま周辺の高台を削った土て埋めてしまえばよかったのです、高台を削った場所には直ちに住宅地などが出来ます、残骸を埋めた土地はふわふわで使い道は余りありませんから、全国からの花の種、果樹などを植え、一応国立公園にする、このようにすれば1年で住民が元に戻り、広大な花の国立公園には周辺や全国から観光客をまねけるでしょう、この花の公園は時が立てば田んぼや畑に出来るでしょう、100年後にほりだせば、平成の遺跡となります。


と、いうことを4年前に書いたのですがこの通りやっておればずいぶんうまくいったでしょう、

残土に土をかぶせるなど法律で出来ませんから、災害特別法を作らないといけません。



災害は、今までの経験では計られない規模で起こってきます、防災総合庁舎に残っていた人たちも早めに高台に逃げておけばよかったのですが、本当にお気の毒です。