ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

新宮ダム

2018-04-09 17:00:45 | 愛媛県
2018年3月24日 新宮ダム
 
新宮ダムは愛媛県四国中央市新宮町馬立の吉野川水系銅山川にある水資源機構が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
四国は四国山脈を挟んで多雨地域と少雨地域に分かれ、吉野川流域や太平洋側では洪水被害が頻発する一方、瀬戸内海沿岸では慢性的な水不足に悩まされてきました。
宇摩地域と呼ばれる愛媛県東部、現在の四国中央市も長く水不足に悩み、法皇山脈南側を流れる吉野川水系銅山川の水を導水するいわゆる『銅山川分水』が悲願となっていました。
1953年(昭和28年)の柳瀬ダム完成によりようやく銅山川分水が実現しますが、その後の瀬戸内海臨海工業地帯の発展による水需要増加により新たな水源確保に迫られることになりました。
そこで建設省は柳瀬ダムの下流5キロ地点に新たな多目的ダム建設に着手しますが、吉野川水系水資源開発基本計画(フルプラン)採択により事業は水資源開発公団に移管され、1975年(昭和50年)に竣工したのが新宮ダムです。
新宮ダムは水資源公団法(現水資源機構法)によって建設された多目的ダムで、富郷ダム柳瀬ダムと連携した銅山川及び吉野川中下流を対象とした洪水調節、四国中央市川之江地区への灌漑用水の供給、新宮工業用水道による四国中央市川之江地区および伊予三島地区への工業用水の供給、新宮工業用水道を利用した愛媛県公営企業局銅山川第三発電所での水力発電を目的としています。
 
下流から
堤高42メートルとさほど高さはありませんが、4門の赤いラジアルゲートが映えます。
 
左岸のハウエルバンガーバルブ
低水位放流管です。
 
国道319号から俯瞰
対岸右手はインクライン。
 
左岸から。
 
天端は車両の通行ができます。
それにしても管理事務所はずいぶんと高台にあります。
 
上流面。
 
『和』の文字が書かれたモニュメント
銅山川分水については長く下流の徳島県の反対が障害となっていました。
永年の恩讐を乗り越えてダムが竣工したことについて『和』の文字を用いていると勝手に考えます。
 
ゲート越しの減勢工
 
解体された予備ゲート。
 
ダム湖は総貯水容量1300万立米。
特に名前はない。
 
追記
新宮ダムには500万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに107万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2267 新宮ダム(1294)
愛媛県四国中央市新宮町馬立
吉野川水系銅山川
FAIP
42メートル
138メートル
13000千㎥/11700千㎥
水資源機構
1975年
◎治水協定が締結されたダム

新池

2018-04-09 12:47:21 | 愛媛県
2018年3月24日 新池
 
新池は愛媛県四国中央市上分町の金生川水系左支流にある工業用水目的の重力式コンクリートダムです。
もともと当地には新池という灌漑溜池がありましたが、新宮ダムとともに建設が進められた新宮工業用水道の調整池として1975年(昭和50年)に竣工しました。
同水道途中にある銅山川第三発電所の出力調整による流量変動を平準化するための逆調整池となっています。
当初は銅山川工業用水道企業団が管理していましたが、市町村合併により四国中央市が誕生したことで、現在は四国中央市水道局が管理を行い1日あたり28万3000立米の水を臨海工業地帯へ供給しています。
 
新宮工業用水同士絶概要図(四国中央市水道局HPより)
 
 
ダム下は小さな児童公園になっていますが、高齢化のせいか子供たちの姿はありません。
 
天端左岸にある小さな石碑
ダムの諸元が書かれています。
 
竣工プレート
事業者は当時の銅山川工業用水道企業団となっています。
 
天端
車は軽自動車のみ通行可。
 
左岸の取水設備。
 
右岸の洪水吐
初めて見るタイプ
発電所の取水口みたい
 
総貯水容量は19万8000立米、
一日の供給水量の60%程度の貯水量になります。
貯留が目的ではなく、調整が主目的。
 
上流から。
 
新宮工業用水道の放水口
新宮ダムから銅山川第三発電所経由で導水されます。
 
アングルを変えて
一日あたり28万3000立米の水が送られてきます。
 
新池と言うのでてっきり灌漑用溜池かと思ったら工業用水の調整池でした。
 
3661 新池(1293
愛媛県四国中央市上分町
金生川水系左支流
17.8メートル
110メートル
198千㎥/198千㎥
四国中央市水道局
1975年

皇子池

2018-04-09 11:52:46 | 愛媛県
2018年3月24日 皇子池
 
皇子池は愛媛県西条市飯岡の渦井川水系左支流(河川名未確認)源流部にある灌漑用目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1951年(昭和26年)にダム事業者である西条市飯岡土地改良区の事業により竣工と記されており、農林省(現農水省)と県の補助を受けた団体営事業で建設されたものと思われます。
現在池の管理はる西条市飯岡土地改良区が行っています。
池の名称である皇子は、隣接する熊野神社が熊野権現の子神である若一皇子を祀っていることが由来のようです。
ダム便覧では堤高が17.6メートルとなっている一方、ため池データベースでは9.9メートルとなっており、ダム基準にはるかに及びません。
国土地理院地形図で見た限り、下池の湖面を基準にすると20メートル近い標高差があり、ダム便覧の数字のほうが現実に近いように思われます。
 
池に隣接する熊野神社の参道前に皇子池の竣工記念碑が建っています。
石碑の裏に池の由来が書かれていたかもしれませんが写真だけ撮って裏は見ず終いでした。
 
皇子池のすぐ下にも池があります。
下池越しの皇子池の堤体。
 
皇子池まで車道が通じていますが、関係者以外通行禁止なので歩いて登ります。
 
天端。
右手は熊野神社の森です。
 
天端から
下池の先にいよ西条インターへの取り付け道路が通っています。
 
総貯水容量7万5000立米の小さな溜池。
 
上流面はコンクリートで護岸されています。
 
左岸の洪水吐
この奥に取水設備があるようですが柵があり立ち入りできません。
 
洪水吐導流部はトンネル式でここが吐口。
 
左派洪水吐からの導流路、
右手は取水設備からの底樋。
 
2242 皇子池(1292)
ため池コード
愛媛県西条市飯岡
DamMaps
渦井川水系渦井川
17.6メートル
112メートル
50千㎥/50千㎥
西条市飯岡土地改良区
1951年

朝倉ダム

2018-04-09 01:16:58 | 愛媛県
2018年3月23日 朝倉ダム
 
朝倉ダムは左岸が愛媛県西条市黒谷、右岸が愛媛県今治市朝倉上の頓田川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
高縄半島北西部では斜面や丘陵地を利用した果樹園が広がり愛媛県を代表する柑橘生産地となっていますが、水利に乏しく度々干ばつ被害を被ってきました。
特に1967年(昭和42年)の大干ばつは愛媛県全土に甚大な被害をもたらし、これを機に県は各地で灌漑施設の整備を進めます。
頓田川流域地域でも農林省(現農水省)の補助を受けかんがい排水事業に着手され、その水源として1981年(昭和56年)に竣工したのが朝倉ダムです。
完成後は今治市頓田川土地改良区が受託管理を行い、延長28.4キロのパイプラインや水路を通じて1016haの田畑・樹園地に灌漑・防除用水を供給しています。
愛媛県にはは堤高40メートル以上のアースフィルダムが4基ありますが、朝倉ダムもその一つで47メートルは全国のアースフィルダムの中で第6位の高さとなります。
 
ダム下は朝倉ダム湖畔緑地公園として整備され、芝生が張られた広場や水辺空間、キャンプ場などが整備されています。
無料で使えるキャンプ場としてキャンパーには人気が高いようです。
堤体には『あさくらダム』の植栽が施されています。
 
堤体から地山を挟んだ右岸側に洪水吐があります。
美しい転波越流。
 
天端は車両の通行が可能。
 
上流面はロックフィルとコンクリートで護岸されています。
 
天端からみたダム下公園
 
天端からは来島海峡越しに芸予諸島が望めます。
 
右岸の管理事務所に併設された取水設備。
 
右岸の横越流式洪水吐
訪問直前の大雨で水位が上昇し大量の流木が引っ掛かっています。
 
アングルを変えて。
 
洪水吐導流部
この下が上から2枚目の写真となります。
 
2272 朝倉ダム(1291)
左岸 愛媛県西条市黒谷
右岸 愛媛県今治市朝倉上
頓田川水系黒谷川
47メートル
253メートル
1400千㎥/1300千㎥
今治市頓田川土地改良区
1981年