ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

布喜川ダム(布喜川調整池)

2018-04-12 17:42:58 | 愛媛県
2018年3月25日 布喜川ダム(布喜川調整池)
 
布喜川ダム(布喜川調整池)は愛媛県八幡浜市布喜川の千丈川水系流田川にある灌漑および上水道用水を目的とする重力式コンクリートダムです。
大河がない愛媛県南予地方では古くから用水確保は困難を極め慢性的に水不足に悩まされてきました。
これを打開するため農水省は建設省(現国交省)による肘川上流部への野村ダム建設事業に参加し、同ダムを水源とした南予地方全般にわたる南予用水農業水利事業に着手します。
布喜川ダムは同事業の一環として1985年(昭和60年)に建設された調整池で、野村ダムから導水された灌漑用水・上水道用水の需給ギャップを調整しています。
事業全体は1996年(平成8年)に竣工し、当ダムを含む施設全般は南予用水土地改良区連合が受託管理を行っています。
また南予用水中央管理所もここに置かれ、南予用水全体の管制が行われています。
なおダム便覧では布喜川調整池で掲載されていますが、ここでは現地案内板に従い布喜川ダムと記すことにします。
 
南予用水概要図(農水省HPより)
 
ダム下から
クレストに自由越流式洪水吐が1門、オリフィスゲート1門装備。
 
ダム左岸を県道が通りダムサイトには駐車場もあります。
駐車場わきの布喜川ダムの説明板。
 
下流面。
いかにも農業ダムといったつくり。
 
ダムの規模に比べて大きな取水設備。
 
総貯水容量は19万7000立米。
貯留の大半は野村ダムからの導水によります。
 
左手はこの調整池から分かれる5号支線向け揚水機場。
 
数日前までの雨で水位が上がり美しい転波越流が見られました。
 
天端は市道で車両通行可能。
 
左岸から下流面。
ダム管理所と併せて南予用水中央管理所が置かれています。
 
左岸から上流面。
 
2276 布喜川ダム(布喜川調整池)(1309
愛媛県八幡浜市布喜川
千丈川水系流田川
AW
33.7.1メートル
110メートル
197千㎥/150千㎥
南予用水土地改良区連合
1985年

八代ダム

2018-04-12 16:45:01 | 愛媛県
2018年3月25日 八代ダム
 
八代ダムは愛媛県八幡浜市八代の千丈川水系八代川源流部にある灌漑用目的のアースフィルダムです。
八幡浜を含む南予地方はリアス式海岸特有の傾斜地と温暖な気候を生かして愛媛県有数のミカン生産地となっていますが、灌漑用水の確保が長年の懸案事項でした。
1967年(昭和42年)の大干ばつをきっかけに愛媛県内各地で灌漑用水源の整備が進みましたが、八代ダムもその一つで農林省(現農水省)の補助を受けた県の事業により1975年(昭和50年)に建設されました。
管理は八幡浜土地改良区が行っています。
 
八幡浜市中心から国道378号線を南下し県道28号を分けると、横峠という小さな峠手前で左手に市道が分かれます。
この道を辿り、最初の三叉路を左折するとあとは果樹園の中を数多く分岐する枝道には目もくれずひたすら進みます。
走ること10分も経たずに八代ダムのダム下に到着します。
 
堤高は24.2メートル
右岸(向かって左手)に洪水吐導流部があります。
 
取水設備からの底樋
愛媛県ではよく見られる扁額の入った立派な樋門です。
 
下流面
犬走りを挟んで2段構成。
 
天端には轍があります。
 
上流面はコンクリートで護岸、総貯水容量2万6000立米の小さな溜池です。
 
右岸の横越流式洪水吐。
 
洪水吐導流部。
 
天端からの眺め
回りは一面ミカン畑、海は見えそうで見えない。
 
右岸の斜樋。
 
ほぼミカン山の頂上に位置する八代ダム。
小さな溜池ですが、周辺の果樹園にとってはほんとに貴重な水源です。
 
3365 八代ダム(1308)
ため池コード
愛媛県八幡浜市八代
千丈川水系八代川
24.2メートル
93.2メートル
26.3千㎥/26.3千㎥
八幡浜市土地改良区
1975年

伊方ダム(伊方調整池)

2018-04-12 15:12:19 | 愛媛県
2018年3月25日 伊方ダム(伊方調整池)
 
伊方ダム(伊方調整池)は愛媛県西宇和郡伊方町川永田の伊方新川上流にある灌漑および上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
大河がない愛媛県南予地方では古くから用水確保は困難を極め慢性的に水不足に悩まされてきました。
これを打開するため農水省は建設省(現国交省)による肘川上流部への野村ダム建設事業に参加し、同ダムを水源とした南予地方全般にわたる南予用水農業水利事業に着手します。
伊方ダムはは同事業の一環として1989年(平成2年)に建設された調整池で、ここまでトンネルで来た南予用水北幹線水路は、調整池に併設された揚水機場からポンプアップされ佐田岬半島先端までパイプラインで導水されます。
ダム及び灌漑用諸施設は南予用水土地改良区連合が受託管理しています。
 
南予用水概要図(農水省HPより)
 
八幡浜から国道197号線を西進、川永田トンネルの先で左手の旧道に入ると伊方ダムが見えてきます。
農業用ダムではよく見られる自由越流式洪水吐1門だけのシンプルな構造。
 
転波越流で鱗が現れています。
 
天端は立ち入り禁止ですが、左岸の道路から俯瞰できます。
左手は伊方揚水機場でダムで貯留された水は揚水機場からポンプアップされ、佐田岬半島先端までパイプラインで送水されます。
 
手前が取水設備、右奥が低水位放流設備のバルブ、対岸は管理事務所になります。
 
上流から
貯水池は総貯水容量10万4000立米と小さな溜池なみ。
 
ダム左岸高台の道路から海が見えます。
天端は立ち入り禁止の為確認できませんが、間違いなく天端からも海が見えるでしょう。 
ここまでトンネルだった南予用水が、この先はパイプラインに変わります。
鉄道でいえば複線が単線に変わるための接続ポイント、それが伊方ダムです。
 
2278 伊方ダム(伊方調整池)(1307
愛媛県西宇和郡伊方町川永田
伊方新川水系伊方新川
AW
29.1メートル
108メートル
104千㎥/89千㎥
南予用水土地改良区連合
1989年

渕ヶ谷池

2018-04-12 14:19:29 | 愛媛県
2018年3月25日 渕ヶ谷池
 
渕ヶ谷池は愛媛県八幡浜市保内町宮内の喜木川水系宮内川右支流(河川名未確認)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1952年(昭和27年)に土地改良区の事業により竣工と記されている一方、渕ヶ谷ダム記念碑では昭和25年完工となっています。
いずれにしても土地改良区による団体営事業、もしくは受益農家の持ち出しで建設されたと思われます。
現在の管理者は保内町土地改良区です。
 
八幡浜市宮内の国道378号線から枇杷谷集落を抜け、ダートの林道を500メートルほど進むと渕ヶ谷池に到着します。
池の左岸に記念碑があります。
 
天端は林道が通り道はさらに奥へと続いています。
 
上流面。
 
左岸の洪水吐
コンクリートで水路が切ってあります。
 
洪水吐の側壁は緑色片岩の石積。
 
導流部の両壁もやはり緑色片岩の石積で、導流部には石が張られています。
 
下から見上げると
右手石積の間から木が生え相応に成長しています。
この石積は竣工当時のものとみていいのではないでしょうか?
 
下流面
草がきれいに刈られておりいまだ貴重な水源であることが伺えます。
 
総貯水容量3万4000立米の小さな溜池です。
 
右岸の取水設備
水位が高く水没していますが階段式の池栓です。
 
通常割れやすい結晶片岩は石積みや石垣では使われないのですが、池のある佐田岬半島は三波川変成帯に属し結晶片岩しかないのでやむを得ずこの石を使ったということでしょう。
同様に片岩が使われている溜池としては福岡県八女市の金堀谷溜池がありますが、非常に珍しい溜池であることは間違いありません。
 
2239 渕ヶ谷池(1306)
ため池コード
愛媛県八幡浜市保内町宮内
喜木川水系宮内川右支流
16メートル
37メートル
34千㎥/34千㎥
保内町土地改良区
1952年(ダム便覧)1950年(現地記念碑)

大谷池

2018-04-12 12:26:47 | 愛媛県
2018年3月25日 大谷池
 
大谷池は左岸が愛媛県伊予市上三谷、右岸が愛媛県伊予郡砥部町七折の大谷川本流上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
大谷川下流域は天井川のため干ばつや洪水被害が頻発していました。
1925年(大正14年)に中、当時南伊予村村長であった武智惣五郎は私財を投じて耕地整理組合を設立し、大谷池築造事業に着手しました。
その後事業は県営に移管されますが、地盤の脆さや台風被害、さらには戦争突入による資金・人員不足の中、村民・組合員の奉仕的働により終戦間際の1945年(昭和20年)3月にようやく大谷池は完成し、流域住民の悲願が達成されました。
1967年(昭和42年)から道前道後平野農業水利事業からの補給がスタート、2000年(平成12年)~2005年(平成17年)にかけての県営ため池等整備事業により大規模改修が行われ現在に至っています。
管理は大谷池土地改良区が行い838ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
大谷池は総貯水容量175万9000立米と愛媛県内最大のため池で2010年(平成22年)には農水省のため池百選に選ばれています。
一方で、大谷池は松山周辺では知らぬものがないほどのミステリースポットとなっています。この根拠は定かではありませんが、築堤に際して多数の殉職者を出していることが主因ではないかと推察されます。
 
ダム下は工事のため立ち入りできませんでした。
 
下流面
堤高39メートル、堤頂長190メートルとアースダムとしては立派な堤体です。
 
右岸ダムサイトには10基近い記念碑や顕彰碑が並びます。
手前は池建設に尽力した武智惣五郎氏の顕彰碑。
 
右岸にある斜樋の操作室
六角形の洒落た建屋です。
 
総貯水容量179万立米は県下溜池としては最大。
この日は黄砂の影響もあり猛烈な春霞、こんな写真しか撮れませんでした。
 
天端は車両通行可。
 
左岸の洪水吐導流部。
 
横越流式洪水吐。
 
上流面は石で護岸されています。
 
左岸には築堤殉職者供養のための社と供養塔があります。
これがミステリースポットになった主因か?
 
池完成までに幾多の困難を乗り越えた大谷池、なによりも10基近い記念碑や顕彰碑が先人たちへの感謝と悲願達成の喜びを物語っていると思います。
一方で中予では知らぬものがないといわれるミステリースポット。それはそれで悪くはないかと思います。
なお天端から微かに海が見えるようですがこの日は猛烈な霞みのため確認できず、よって海が見えるダム認定は保留とします。
 
2237 大谷池(1305)
ため池コード
ため池百選
左岸 愛媛県伊予市上三谷
右岸 愛媛県伊予郡砥部町七折
大谷川水系大谷川
37メートル
190メートル
1759千㎥/1759千㎥
大谷池土地改良区
1944年

銚子ダム

2018-04-12 10:56:41 | 愛媛県
2018年3月25日 銚子ダム
 
銚子ダムは愛媛県伊予郡砥部町川澄の重信川水系砥部川左支流銚子川源流部にある灌漑目的のロックフィルダムです。
砥部町一帯は砥部川両岸に開けた斜面を利用して果樹園が広がり中予地区屈指の柑橘生産地となっていますが、水利に乏しく度々干ばつ被害を被ってきました。
特に1967年(昭和42年)の大干ばつは愛媛県全土に甚大な被害をもたらし、これを機に県は各地で灌漑施設の整備を進めます。砥部町でも農林省(現農水省)の補助を受けた県営かんがい排水事業が着手され、その水源として1977年(昭和52年)に竣工したのが銚子ダムです。
かんがい排水事業全体も1991年(平成3年)に完了し、ダムを含むかんがい排水施設は伊予郡砥部町土地改良区が受託し、当ダムで貯留された水は砥部町内472haの樹園地に灌漑用水と防除用水として供給されます。
 
国道379号線から銚子川の渓谷の奥に銚子ダムの堤体を遠望できます。
国道からの標高差は約150メートル、恰も谷間を埋め尽くす城壁のようです。
 
ロックフィルの堤体をズームアップ。
 
国道379号線に銚子ダム公園を示す案内板があり、これに従うとダムサイトに到着します。
安山岩が並ぶ下流面。
 
天端は車両通行可能。
 
ダム竣工記念碑とかんがい排水事業竣工記念碑が並びます。
 
右岸の洪水吐導流部
導流部はこの先で途切れ自然の岩盤を流下します。
 
円形越流式洪水吐。
 
上流面。
 
ダム下を望遠で切り取ると
砂防ダムか副ダムかはわかりませんが、洪水吐から流下した水はここで減勢されるようです。
 
トップの写真を撮った国道379号線が遠望できます。
 
よくこんなところにダムをつくったなというのが印象ですが、ここに作らざるを得ないほど砥部町樹園地の用水確保は困難を極めていたということなんでしょう。
松山市の立岩ダム、今治の朝倉ダム、そしてこの銚子ダムといい1967年(昭和42年)の干ばつが契機となって愛媛県内では規模の大きな灌漑用フィルダムが各地に建設されました。
 
追記
銚子ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに10万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
2269 銚子ダム(1304)
愛媛県伊予郡砥部町川澄
重信川水系銚子川
47.2メートル
142メートル
780千㎥/770千㎥
伊予郡砥部町土地改良区
1977年 
◎治水協定が締結されたダム