あけまして おめでとうございます
不定期なブログは、まだまだ続きます。
今年の三が日は、メールと電話が騒がしかった。
母校が優勝したからだ。
私も大昔、その大学の陸上部に籍を置いていたから、OBの知り合いが少々いる。
その少々のものたちの興奮が、半端ではなかった。
「祝杯をあげようぜ」
いや、おれは禁酒中だから、おまえら勝手にやってくれ。
そのあとで、私は相手を白けさせることを言うのだ。
「俺、箱根駅伝には興味がないんだよね」
大学陸上部OBとは思えない無神経な言い草だ。
ただ、友人たちは怒らない。
それは、私が昔から首尾一貫して言っていることだったからだ。
私には、主催新聞社、テレビ局が大げさに扱う箱根駅伝の意義がよくわからない。
たとえ、全国の高校から優秀な選手をかき集めて「駅伝エリート大学」を構成したからといって、所詮は関東圏ローカルの大会でしかない。
それをまるで日本一を決める「頂上決戦」のごとく扱って未熟な選手をスター扱いするシステムが、私は好きではない。
高校野球もそうだ。
主催新聞社(朝日、毎日)が、高校野球を必要以上に高潔な競技扱いして、NHKも含めて、球児や監督をもてはやす様は、綺麗ごと過ぎて興ざめする。
未熟だからこそアマチュアスポーツは面白いのかもしれないが、その未熟さを大人がいいように扱って使い捨てにしているようにしか、私には思えないのである。
要するに、読賣、朝日、毎日、NHKが、自己の都合のいいように、アマチュアスポーツを食い散らかしているような気がするのだ。
スポーツのドラマは、選手たちが作るもので、主催者が無理矢理作るものではない。
アマチュアスポーツにヒーローは必要かもしれないが、利害関係のある主催者が作るものには、本物が感じられない。
一時だけヒーロー扱いして、期限が過ぎれば、次のヒーローをまた作るの繰り返しのなかでは、選手は消耗品でしかない。
報酬を得ているプロなら利害関係が双方一致するだろう。
しかし、アマチュアの世界では、ほとんどの場合、利害関係のある大人たちだけが得をするシステムになっている。
ダルビッシュ有氏や本田圭祐氏などは、アマチュア時代から確固たるスタイルを持っていたから、プロになってからもブレないポジションを確立している。
しかし、誰もが彼らのように自己のスタイルを持ちつつ確実に成長していけるわけではない。
そして、一番重要なのは、箱根駅伝で、どれほど脚光を浴びようが、実際の彼らの記録というのは、決して高次元のものではないということだ。
突出しているのは数人で、多くの選手たちの記録は、ほとんどが平均点だ。
テレビ媒体や新聞媒体がもてはやすほど、その記録が優れているわけではない。
見ている側は、懸命に走っている姿に感動できればいいのだから、記録は必要ないのかもしれない。
ショーだと割り切れば、楽しく見られるという人も多いだろう。
「若い子が頑張っている姿を見ると俺も頑張らなきゃって思うんだ」と友人は言う。
おそらく、そのような見方をする人が多いのだろう。
だから、駅伝や高校野球は人気がある。
ただ、私は、そういう見方ができないので、箱根駅伝は20年以上前から見るのをやめていた。
母校が優勝しても、その考えは変わらない。
「おまえ、嬉しくないのか」と友人に聞かれた。
もちろん嬉しい。
選手の活躍は褒め称えたい。
だが、ヒーロー扱いはしたくない。
アマチュアスポーツは、プロよりも、練習の成果が、正直に出ることが多い。
プロは、もっとデリケートな部分をたくさん背負っているので、猛練習イコール結果というわけにはいかない。
駅伝で優勝したということは、彼らの普段の練習も優勝に相応しい密度の濃いものだったのだと思う。
彼らは練習でも王者だったし、その結果レースでも王者になった。
そんな彼らを無理にヒーロー扱いするのが嫌なんだ。
などということを話していたら、「でも、嬉しいんだろ!」と友人に鼻で笑うように言われた。
いや、だから………嬉しいことは嬉しいんだけど………
「めんどくせえやつだな!」
電話を切られた。
確かに、自分でも面倒くさいとは思うが……………。
不定期なブログは、まだまだ続きます。
今年の三が日は、メールと電話が騒がしかった。
母校が優勝したからだ。
私も大昔、その大学の陸上部に籍を置いていたから、OBの知り合いが少々いる。
その少々のものたちの興奮が、半端ではなかった。
「祝杯をあげようぜ」
いや、おれは禁酒中だから、おまえら勝手にやってくれ。
そのあとで、私は相手を白けさせることを言うのだ。
「俺、箱根駅伝には興味がないんだよね」
大学陸上部OBとは思えない無神経な言い草だ。
ただ、友人たちは怒らない。
それは、私が昔から首尾一貫して言っていることだったからだ。
私には、主催新聞社、テレビ局が大げさに扱う箱根駅伝の意義がよくわからない。
たとえ、全国の高校から優秀な選手をかき集めて「駅伝エリート大学」を構成したからといって、所詮は関東圏ローカルの大会でしかない。
それをまるで日本一を決める「頂上決戦」のごとく扱って未熟な選手をスター扱いするシステムが、私は好きではない。
高校野球もそうだ。
主催新聞社(朝日、毎日)が、高校野球を必要以上に高潔な競技扱いして、NHKも含めて、球児や監督をもてはやす様は、綺麗ごと過ぎて興ざめする。
未熟だからこそアマチュアスポーツは面白いのかもしれないが、その未熟さを大人がいいように扱って使い捨てにしているようにしか、私には思えないのである。
要するに、読賣、朝日、毎日、NHKが、自己の都合のいいように、アマチュアスポーツを食い散らかしているような気がするのだ。
スポーツのドラマは、選手たちが作るもので、主催者が無理矢理作るものではない。
アマチュアスポーツにヒーローは必要かもしれないが、利害関係のある主催者が作るものには、本物が感じられない。
一時だけヒーロー扱いして、期限が過ぎれば、次のヒーローをまた作るの繰り返しのなかでは、選手は消耗品でしかない。
報酬を得ているプロなら利害関係が双方一致するだろう。
しかし、アマチュアの世界では、ほとんどの場合、利害関係のある大人たちだけが得をするシステムになっている。
ダルビッシュ有氏や本田圭祐氏などは、アマチュア時代から確固たるスタイルを持っていたから、プロになってからもブレないポジションを確立している。
しかし、誰もが彼らのように自己のスタイルを持ちつつ確実に成長していけるわけではない。
そして、一番重要なのは、箱根駅伝で、どれほど脚光を浴びようが、実際の彼らの記録というのは、決して高次元のものではないということだ。
突出しているのは数人で、多くの選手たちの記録は、ほとんどが平均点だ。
テレビ媒体や新聞媒体がもてはやすほど、その記録が優れているわけではない。
見ている側は、懸命に走っている姿に感動できればいいのだから、記録は必要ないのかもしれない。
ショーだと割り切れば、楽しく見られるという人も多いだろう。
「若い子が頑張っている姿を見ると俺も頑張らなきゃって思うんだ」と友人は言う。
おそらく、そのような見方をする人が多いのだろう。
だから、駅伝や高校野球は人気がある。
ただ、私は、そういう見方ができないので、箱根駅伝は20年以上前から見るのをやめていた。
母校が優勝しても、その考えは変わらない。
「おまえ、嬉しくないのか」と友人に聞かれた。
もちろん嬉しい。
選手の活躍は褒め称えたい。
だが、ヒーロー扱いはしたくない。
アマチュアスポーツは、プロよりも、練習の成果が、正直に出ることが多い。
プロは、もっとデリケートな部分をたくさん背負っているので、猛練習イコール結果というわけにはいかない。
駅伝で優勝したということは、彼らの普段の練習も優勝に相応しい密度の濃いものだったのだと思う。
彼らは練習でも王者だったし、その結果レースでも王者になった。
そんな彼らを無理にヒーロー扱いするのが嫌なんだ。
などということを話していたら、「でも、嬉しいんだろ!」と友人に鼻で笑うように言われた。
いや、だから………嬉しいことは嬉しいんだけど………
「めんどくせえやつだな!」
電話を切られた。
確かに、自分でも面倒くさいとは思うが……………。