リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

最後は娘自慢

2020-08-30 05:29:01 | オヤジの日記

安倍晋三先生、お疲れさまでした。
お辛かったでしょう。これからは、難病の治療に専念してください。


昨日の土曜日は、色々なことがあった。

昨日の敵は今日も敵。
午後4時半、ウォーキングに出かけた。
せいぜい5キロから6キロだから、歩数にして7千歩か8千歩だ。
国立の大学通り。10日ほど前、そこを歩いていたら、フレンチブルドッグ3匹を散歩させている女性がいた。マスクをしているから年齢はわかりづらい。25歳から36歳くらいだろうか。
ブチャイクな顔が可愛いね。フレンチ君は、フガフガ言いながら、私の足にまとわりついてきた。可愛いね、ブッチャイクだね。
ヨシヨシとボディを撫でようとしたら、3匹のうち1匹が、意外な行動に出た。私の足の横で右足を上げると、足に向かってシャー。
そんなことって、アルゼンチン?
愛用のスポーツサンダルが、オシッコまみれですよ。マーキングされちまった。俺は君の縄張りか。
飼い主さんが慌ててタオルで拭いてくれたが、生温かい感触は、右足にずっと残っていた。

その3日後くらいだろうか。同じ時間にウォーキングをした。すると、またフレンチブルドッグ3匹と出くわした。
フガフガ言いながら、嬉しそうに近づいてきた。そして、その中の1匹に即座に、マーキングされた。
そうか、俺は、君の縄張りだったんだな。
飼い主さんに聞いてみた。散歩は、いつもこのコース、この時間ですか。
「そうですね。ほぼ毎日」
そうか、では、私が時間とコースを変えれば、マーキングから逃れられるということだな。
ということで、土曜日はいつもより15分早くウォーキングを始めた。幸いにもフレンチ3人組には遭遇しなかった。
ほっとした私は、大学通りの木のベンチに座って、コンビニで買ったクリアアサヒを飲みはじめた。
至福の時間。暑かったが、体から力が抜けますな。オシッコの匂いもしないし。

というのは甘い考えだった。
クリアアサヒを飲んでいたら、前からフレンチ3人組がフガフガ言いながら、嬉しそうに近づいて来るではないか。俺をロックオンしたな。
飼い主さんは必死に押さえていたが、フレンチ3人組の馬力には勝てない。1匹が私の足めがけてやって来た。
マーキング態勢だ。しかし、私も馬鹿ではない。咄嗟に両足を上げて、攻撃を防いだ。
空振りだね、フレンチ君。君の負けだ。
フレンチ君は、恨めしそうな顔で私を見上げ、腰をフリフリ去っていった。
昨日の敵は、今日も敵。
次はいつこの敵に遭遇するだろうか。


そのあと、ケツに入れたiPhoneが震えた。ディスプレイを見ると、立川の同業者サノさんだった。
普段は、すぐに出ることはしないのだが、少しいい気分だったので出た。
「ああ、Mさん、ちょっと相談したいことがあるんですけど、いいですか。いま用事があって国立まで来てるんですよ。申し訳ないですが、出てこられますか」
いいけど、俺、家族の晩メシを作らないといけないので、6時20分までがリミットですよ。
「いいです、十分です。僕はいまロイヤルホストにいるんですよ」
奇遇ですな。私はいまロイヤルホストの下の街路樹にあるベンチで休んでいるんですよ。
国立のロイヤルホストは、2階にあった。見上げると窓際の席に座っていたサノさんが、手を振っていた。私も手を振った。
恋人同士か。

中に入ると、サノさんがメシを食っていた。
サノさんのはす向かいの席に座った。マスクはつけていた。マスク警察が怖いので。
「お先にいただいてます」サノさんは、すでにロースカツらしきものを食っていた。
「Mさんは食べないんですよね。でも、何か軽くつまんでください。僕が払います」
ありがとうございます。キリンラガーと生ハムを頼んだ。
それで、ご相談というのは・・・。
「実は、山梨で本格的に在宅ワークを始めようと思っているんですよ」
サノさんには、とても美人の彼女がいた。モデルのSHIHOさんに似ているので、私は彼女をSHIHO人形さん、と密かに呼んでいた。
彼女は、ご両親と一緒に山梨で農家をしていた。ご両親は野菜農家、奥さんは、トマトの栽培専門。色々なトマトを作って、数カ所のイタリアンレストランに卸し、道の駅に陳列しているという。
サノさんは、山梨で在宅ワークをするにあたって、すでに取引先の了解を得ていた。いいではないか。順調ではないか。
それのどこに問題が?
「実は僕には、彼女との間に子どもがいるんです。もうすぐ6歳になります。来年小学校に上がるので、ここはケジメをつけるべきだと思いまして、入籍と同居を決意しました」
いいですね。いい決断です。子どもさんがいるのには、ビックリしたけど。
ただ、困ったことに、娘さんがサノさんに懐かないのだという。月に1回、彼女が娘さんを連れて事務所にやって来るのだが、抱っこしようとしても完全拒否。レストランに食事に行って大好きなオムライスが目の前にあっても、まったく手をつけない。
帰り際にバイバイをしても、横をプイッと向く。父親だと認めてくれないのだという。
「どうしたら、いいんでしょう」

それは、子どもとしては仕方ないでしょう。いつも家にいない人間に「お父さんだよ」と言われても子どもの理解を超えています。
一緒に生活して、毎日顔を合わせて、サノさんが奥さんやご両親と仲良くしている姿を見せたら、ああ、この人は特別な人なんだって、徐々にわかってきますよ。
最初は、ママをとられた、と嫉妬するかもしれませんが、それは仲良くなる過程だと思ってください。サノさんが、奥さんを大事にし、ご両親を大事にしている姿を毎日見たら、きっと気持ちがほぐれてきます。
ただ、焦らないことです。僕は君のパパだよ、お父さんだよというのは、やめた方がいです。娘さんの頭に徐々にサノさんの存在が浸透していくのを待ったらどうですか。
サノさんは、奥さん、ご両親と仲良くしている姿を見せるだけでいいんです。
大事なのは、娘さんの気持ち。その気持ちを乱さないようにしてください。

サノさんが、テーブルに手をついて、深く頭を下げた。
キリンラガーを飲むのは、久しぶりだったが、やっぱり美味いね。生ハムも適度に熟成していて美味かった。
サノさんは気分を良くしたのか、粗挽きソーセージのグリルを追加で頼んだ。
私は、そこでバイバイした。

家に帰ると、キッチンからいい匂いが漂ってきた。
覗くと娘が、オムライスを作っている最中だった。
「おお、今日の晩ごはんは、ボクが作る。おまえは、パソコンの前で屁でもしていろ。昨日、あまり寝ていないのをボクは知っているぞ。少し休め」
ブフォッ。

サノさんの娘さんが、こんないい子に育つことを私は祈る。


結局、最後は娘自慢。
 


6年連続パンチを食らう

2020-08-26 05:28:04 | オヤジの日記

まずは、面白くもない昔話から。

夏といえば、私にとって、野沢温泉での陸上部の合宿だ。高校1年から大学3年まで毎年参加した。
大抵は、6泊7日だ。30人以上が参加した。部屋は大部屋2つ。襖を取り払うと40畳くらいあったから、広い部屋の中で、夜はみんなではしゃぎ回った。
高原にあったから、朝昼晩涼しかった。ただ、グラウンドは、照り返しがあって、太陽が元気なときは暑かった。バテるやつもたくさんいた。
私は昔からひねくれていたので、横並びの体育会系体質に馴染めなかった。みんな体力が違うのに、なぜこのクソ暑い中、横並びで同じメニューをやらせるのだろう。怪我の元だろうに。
私は、陸上部に正式に入る前に、顧問と会った。そのとき、僕は別メニューでやりますから、それでもいいですか、と聞いた。
顧問は完全拒否だった。「そんなことできるわけないだろうが。一人だけ特別扱いはできない。チームワークが乱れる」。
そのチームワークが鬱陶しいので、私は中学でも陸上部を選んだんですけどね。
では・・・チームワークのいらない2番目の選択肢ボクシングを見てみますかね、と呟いたら、顧問がやや前のめりになって聞いてきた。
「おまえのベストタイムは、いくつだ」
私がベストタイムを言うと顧問の鼻の穴が広がった。「それは本当か、本当なのか」
疑うのなら、これから目の前で走ってみますけど。
「やってみろ」
誰もいないグラウンドで、入念な準備運動ののち、100メートルを2本走った。
手動のストップウォッチだから正確性は乏しいが、2回とも11秒1以内で走った。
ストップウォッチの数字を見て、顧問は「うちで1番早い3年のヨコミゾといい勝負だな」と唸った。
そして、顧問は「明日まで考えるから、ちょっと待ってくれないか」と言った。

私はその後、1ヶ月間の体験入部を許可された。体験入部だから、別メニューでも許されるだろうという顧問の配慮だった。
体験入部では、私は半分以上をストレッチに費やした(その当時は、ストレッチという言葉はなかったが)。
みんなは、100メートル5本。50メートル10本、30メートル20本、インターバルトレーニングなど、与えられたメニューを黙々とこなしていた。
黙々とメニューをこなすのは、才能の一部だが、俺には無理だな、と諦めていた。だって、練習は俺だけのものであって、人と共有するものではない。
俺の1番の関心事は、怪我をしない体を作ることだ。
可愛げのないガキだった。

体験入部の最終日。レースをすることになった。有望な1年生4人と競ったのだ。
その結果を見て、顧問が部員に聞いた。「彼を正式な部員にする。ただ、彼はみんなと同じメニューは走らないと言っている。それでもいいか」
4、5人の3年生が反対したが、1年生全員が賛成したので、入部が許されることになった。
きっと、3年生には、私が和を乱す異端者に見えたのだろう。3年生の1部とは、彼らが卒業するまで疎遠だった。

大学でも陸上部に所属した。
このときは、高校と大学が繋がっていたというメリットもあって、まわりが私のことを知っていてくれたので、やりやすかった。
マイペースで、やらせてもらった。
とにかく怪我をしない体、疲れにくい体を作ることに専念した。
だから、私は怪我をしなかった。不慮の怪我であっても怪我は怪我、本人が悪い。記録を向上させる練習は大事だろうが、怪我をしない体を作るのも本人の努力だ。
・・・・_と偉そうに言っていた私が初めて怪我をした。大学3年の11月だった。
左膝側側靭帯損傷。
担当の医師からは、「ギプスをして少し良くなったら、テーピングをして膝を固定すれば、2ヶ月もかからないで普通に歩けるようになります」と言われた。
走れますか。
「とりあえず、歩くことを優先しましょう」
つまり、走れるようになるまで、さらに時間がかかるということだ。
4年生になって、走れるようになっても意味はない。なので、退部届を出した。

ギプスが取れて何日かたったあと、キャンパスで同級生の長谷川と出くわした。隣には1学年下の妹邦子がいた。
「マツ、陸上部やめたんだってな。残念だよ」と言ったのは邦子の方だった。
「マツのことだから、諦めないですぐに復活すると思っていたよ」
俺は、地道なリハビリが嫌いなんだよ。次に早く進みたいんだ。
その会話を聞いていた長谷川が言った。
「妹が、こんな言い方をするのは、マツ相手だけだよ。他の先輩には、敬語を使うのにな」
どういう意味だよ。
「そういう意味だよ」
油断していたとき、邦子のパンチが、腹に飛んできた。
痛さに悶えているうちに、2人とも消えていた。

長谷川は、他の会社で10年以上武者修行したのち、親父が経営していた中堅商社に勤めた。
あとを追うようにして、邦子も武者修行を経て、卒業から3年後に親父の会社に入った。
邦子が30歳のとき、仙台支社ができた。邦子は、志願して支社長の座に就いた。
仙台は、流通が中心だった。10年足らずで、邦子は1つだった倉庫を3つに増やした。順調だった。
しかし、東日本大震災が起きた。
倉庫は、壊滅的とは言わないまでも、かなりのダメージをうけた。流通を元の軌道に乗せるため、邦子は不眠不休で働いた。
その結果、震災から3ヶ月後に呆気なく死んだ。心臓発作だった。
人は死ぬときは死ぬ。だが、これはあきらかに防げた死だった。なぜ人は、自分の命より会社を選ぶのだろう。
そんな責任感なんか、いらないよ。

月曜日に、邦子の墓参りに行った。多磨霊園だ。一緒に行ったのは、邦子の養女・七恵だった。
結婚しなかった邦子は、遠い親戚から7人兄妹の末っ子七恵を養女に迎えた。
七恵は、自分の義母が、全身全霊をこめて働く姿を見て育った。揺るぎない尊敬の念を持っていた。だから七恵も志願して、仙台支社に異動することにした。
「ねえ,マッチん」と七恵が私に語りかけた。ふざけたことに、この小娘は、数年前から私のことをマッチんと呼ぶようになった。絶対に俺を尊敬してないよな。
「私も今年30歳になるんだよね。お母さんが支社長になった年齢と同じだよ。私はまだ管理部の課長にすぎないけど、はやくお母さんに追いつきたいと思っているんだ」
焦るなよ。お母さんの死を教訓にしなければ駄目だ。俺は、長谷川と一緒に、生意気な君をずっと見ていたい。

七恵は、先週の金曜日に来て、世田谷羽根木の長谷川の自宅に泊まり、火曜日に仙台へ帰った。いつもは東北新幹線を利用したが、今回は車で来た。安全面を考えてのことだという。
「ねえ、マッチん、帰りに食べるから、またお弁当よろしくね」
それは毎年のことだ。いつも七恵の好きな鳥そぼろ弁当を持たせた。今回はそれに加えて、最近急に好きになったという漬物をつけた。キュウリ、ナス、ミョウガ、セロリだ。
国立の大学通り脇に車を止めた七恵に、お弁当を渡した。
「ありがとう」と言い終わらないうちに、ボディにパンチが飛んできた。
なんでー!!?
「昨日、私のことを『生意気な娘』って言ったよね。そのお仕置きだ」
これで6年連続のボディパンチだ。以前よりは手加減してくれているようだが、痛いは痛い。
「今年の10月には、全体会議があるからまた来るね。そのときまでに鍛えておいてね」

ごめんだね。そのときは、会わないもんね。

「そんなことが許されると思うの。長谷川のおじさんに、無理やり連れてきてもらうから、無駄な抵抗はやめた方がいいよ」

七恵の車が、遠ざかっていった。


年々怖くなってくるな。
この分だと支社長になるのは、意外と早いかもしれない。

 


カップラーメンは永遠に

2020-08-23 05:28:03 | オヤジの日記

前回、娘の専属ドライバー・ワセダ君が我が家に挨拶に来るというのをお伝えした。
しかし、都合のいいことに、日曜日は、私に急ぎの仕事が入った。
娘に、悪いな、延期しよう。ワセダ君に伝えておいておくれ、とお願いした(ヘッヘッヘ、永久に来なくていいぞ)。
娘がLINEすると、すぐに返信が来た。「では、土曜日は、どうですか。僕は、今週の金曜から火曜までお盆休みの代休を取ったんです。土曜日が空いていたら、是非」

運の悪いことに、土曜日の仕事は、ほんの少ししかない。午前中にチャチャチャッとやれば仕事は終わる。
午後はウォーキングをしようと計画を立てていた。だが、ウォーキングするから無理だもんね、とはさすがに言えない。
仕方ない仕方ないシッタカナイ。

私は、ワセダ君に伝えてくれ、と娘に言った。
スーツは絶対に着てくるな。たとえば、上がカラフルなアロハシャツで、下が明るい色の短パンだったら許す。
さあ、どんな格好で来るのかな。
出迎える私の方も、着るものには思い悩んだ。
しかし、自然体が一番いいと思ったので、普段着の甚平を着ることにした。ただ、ひとつだけ変化を加えた。
ジンベイザメの絵を描いて、それをアイロンプリントし、背中に刷りこませたのだ。
気づかないかもしれないが、遊びは大事ですよ。

土曜のお昼前、ワセダ君がやってきた。
顔は、落語家の立川志らく氏から、すべての毒を取ったような暢気な顔だった。
身長は、170に満たないかも。体型は中肉中背という、つまらないものだった。
「あのー、初めてお目にかかります」とありきたりの挨拶をされたので、挨拶は時間の無駄だから、上がって上がって、とダイニングの椅子に案内した。
注目のワセダ君のファッションは・・・・・上はアロハシャツ、下は鮮やかなオレンジの短パンだった。そして、スポーツサンダル。
プラス1点!

席に着く前に、お土産をいただいた。ヨメは大好物のくず餅、息子は手作りソーセージの詰め合わせ、娘はiPhoneのケース、私にはNIKKAの「余市」だった。
悪いですね、全員にお土産なんて。ただ、お土産を貰ったからと言って点数が上がるわけでもないけどね。
そして椅子に座った途端、自己紹介をしようとしたので、娘から全部聞いているから、悪いけど、そこは端折ろうかとストップをかけた。
その代わりに、こちらが自己紹介をした。
私が、変なお父さんです。隣が、変なお母さんです。その隣が変な息子です。そして、君の隣が変な娘です。合わせて、仲よし家族です。
「いいですね。僕なんか、そんな粋なキャッチフレーズはないです。強いて言えば、『変なひとりもの』でしょうか」
変なひとりもの、いいね。プラス1点!

雑談の中で、ワセダ君が資格マニアだということがわかった。運転免許だけでなく、仕事関係の資格、通訳の資格、中国語検定1級など。
なかでも私がうらやましいと思ったのは、一級小型船舶免許だ。
すべての水域をスイスイと操縦できるなんて、ロマンがあるではないか。
「これは遠い夢ですけど、いつかクルーザーを手に入れて、日本一周をしてみたいです。そのためなら、どんなに辛くても頑張れそうな気がします」
熱量の高い言葉だが、おっとりとした話し方をされると熱が伝わらない。でも、夢を持つっていいよね。
プラス1点!

ところで、もうお昼ごはんの時間だね。今から言う3つから選んでもらおうか。2つは、私の手料理だ。
1、回鍋肉、2、ペペロンチーノ、3、カップラーメン。
「カップラーメンをお願いします」即答だった。君、食生活が貧しいんだね。生活習慣を変えた方がいいよ。
全員がカップ麺を食うことにした。ワセダ君と娘は「ラ王」。息子は「凄麺仙台辛味噌」。ヨメは「ペヤング」。私は「まるちゃん赤いきつね」。
さすがに、カップ麺だけでは寂しいので、他の4人には、チャーシュー3枚と煮卵をつけた。私は、お稲荷さん1個をつけた。
アクリルの衝立を着けたので、マスクなしで心おきなく麺がすすれた。
やはり、と言うべきか。食べ終わったのが一番遅かったのは、おっとりのワセダ君だった。しかし、スープの一滴まで飲み干した。
「満足です。大満足です」
満足は、いいんだけどね。俺の回鍋肉はもっと旨いぞ。

食後の雑談は、「あつまれどうぶつの森」だった。
私以外の4人は、実際にゲームをしているから、とても詳しい。
私は、全然知らんので、いただいた余市を飲んで暇をつぶした。うまいよ、余市。本格的なウィスキーを久しぶりに飲んだ気がする。ワセダ君、プラス1点!
そのあと私は、君は娘と食事に行ったことはないんだよね、と聞いた。
「まだ無理ですよ。緊張して、きっと食事が喉を通らないと思います」とワセダ君は生真面目な顔で答えた。
しかし君は、いま娘の隣でカップ麺を美味しそうに食ってたよ。喉を普通に通ってたと思うよ。
「ああ、たしかに」

そんな話をしたあと、ワセダ君が、「少し娘さんをお借りできますか。ドライブしようと思っているんです。河口湖に行ってみようかなって」と頭を掻きながら言った。
いいよいいよ、行ってきなさい。
「5時過ぎには、帰ってまいりますので」

ちょうどよかった。明日の急ぎの仕事のために、休養が欲しかったところだ。早速私は、ダイニングの隅っこにテントを張って寝ることにした。
この状態のときは、誰も話しかけてこないから、天国なのだ。
2時間ぐっすり寝て、テントを畳んでいたとき、二人が帰ってきた。
お土産に、クソ面白くもない河口湖プリンなどというものを買ってきてくれた。俺、食えないけど、ありがとね。
「では、僕はこのへんで失礼します」
晩メシは、食べていかないのかい。今日は、自家製ピザだよ。美味しいよ。
「いえ、初めてお会いして、晩ご飯までいただくなんて、できません」
つまらないやつだな。
では、こちらからもお土産をあげよう。ラ王、正麺、すみれと自家製チャーシューだ。持って帰るかい。
「あ、いただきます。明日ソロキャンプに行くつもりなので、昼夜朝に食べます。ありがたいです」

君ね、本当に食生活を変えた方がいいと思うよ。金は十分あるだろうに。

帰り際に、ワセダ君が言った。
「その甚平の背中にジンベイザメの絵が書いてありますよね。それって、お父さんのアイディアですか」
そうだよ。
「いいなあ、僕には、そんなセンスまったくありませんよ。うらーらやましいです」
今ちょっと噛んだね。
俺には、小平の豪邸とキャンピングカーが、うらやややましいけどね、


でも、ワセダ君。最後にプラス1点!


 


ラブコメディは突然に

2020-08-19 05:27:00 | オヤジの日記

残念なことを書かねばならない。
ただ、後半は希望にあふれている。

今年の5月末、娘が彼氏と別れた。
形としては、煮えきらない彼に嫌気がさしたというところだろうか。
大手電機メーカーに勤める彼は、去年の10月にヴェトナム赴任の辞令を受けた。彼にとって、一番好ましい辞令だった。なぜなら、彼の血には、ヴェトナム人の血が4分の1混じっていたからだ。
父方の祖母が、ヴェトナムだった。祖母にヴエトナムの話を子どもの頃、よく聞かされた。決していい話ばかりではなかったが、祖母から「ヴェトナム人は、誠実で働き者なんだよ」ということを聞かされていた。
「ただ日本人はヴェトナムの子をスケべな目でしか見ないけどね」「日本人は、金を持つと卑しくなるね。あんたは、そうなっちゃダメだよ」

大好きな祖母の国、ヴェトナムで働ける。それは、彼のモチベーションを確実にあげた。
しかし、ここでご存知のように、新型コロナが、世界中で猛威をふるい始めたのだ。
3月の終わり、彼は海外赴任の中止を言い渡された。延期ではなく中止だ。
上がっていたモチベーションが一気に下がった。
愛する祖母の国、ヴェトナムが遠ざかった。
4月から、仕事は在宅ワークに変わった。一時的ではなく、半永久的な在宅ワークだという。
そのことも彼からやる気を奪った。飼い殺しにされている気がした。まさに陰陰滅滅。
娘は、LINEで幾度か励ましたが、時に返事が返ってこないこともあった。既読さえつかない。
電話も2回に1回くらいしか繋がらない。どこかで会って話をしたいが、店は休業中。では、公園で、と提案すると、「自粛警察が怖いから嫌だ」。
駄々っ子である。

娘の決断は早かった。
「支えようと思ってもそれを拒むなら、私がいる意味はないよね」
5月の末に別れた。これをコロナ破局というのか。
その後、娘は私の前では明るく振る舞っていたが、夜になるとときどき部屋から嗚咽が漏れることもあった。
初めての別れ。平気なわけがない。
日曜日になると娘の大好きなハリーポッターを一緒に見た。そのときは、見終わると幼稚園児のときの無邪気な笑顔になった。
ハリーポッターは、やっぱり、魔法が使えるんだな。娘をこんなにも無邪気にしてくれるのだから。

そして、ときは今。
ダンスしながら、私の前を通るとき、屁をぶっ放す恒例行事も戻ってきた。
娘は、自然な笑顔を取り戻した。
その理由ですか、聞きたいですか。でも、聞くと不愉快な思いをされる方も多くいるかもしれない。
世の中には、人の幸せを妬む人が、少なからずいる。
だから、なるべく妬まれない書き方をしたい。

8月初め、原宿のテラス席のあるカフェで、娘は高校時代のお友だちと会っていた。ただ、2人だけではない。お友だちのお兄さんが、一緒だった。
お兄さんは、T大卒。日本最大手の通信会社に勤めていた。エリートだよね。
さらにもう一人いた。お兄さんの同僚のワセダ君だ。ワセダ君と言っても、彼はW大出身ではない。K大卒だ。新宿早稲田に住んでいるので、ワセダ君と呼んでいた。彼もエリートだよね。
娘は「これって合コンなのか」とお友だちに目配せした。
お友だちは、「食事会ズラ」と答えた。お友だちの兄が、咄嗟に髪に手を当てた。
ヅラなのだろうか?

ラインの交換をした。
その2日後、早速ワセダ君からLINEが来た。「僕仕事が終わったので、今からドライブしませんか。8時半までに家まで送りますので」。午後6時過ぎ、娘も帰り支度をするところだった。
いきなり来たのか、と思ったが、ドライブくらいならいいと思った。ワセダ君と娘の会社は近い。車で10分もかからない距離だ。
駅までの道をゆっくり歩いていると、声をかけられた。「夏帆さん、乗ってください」。
車はアウディだった。さすがエリート、外車かよ。
「あ、もし喉が渇いていたら、後ろのクーラーボックスに飲み物が入っていますから、お好きなものを」
とてもおっとりした話し方をする人だった。風貌は素朴そのもの。性格は朴訥。着ているスーツもエリート気取りが着るような外国製ではなく、どこにでもあるようなものだった。青山か青木かな。
運転も慎重だった。おそらく煽り運転はしないタイプだ。ハンドルを握ると性格が豹変するバカでもない。

下り方面の道は空いていた。その道を法定速度を守りながら運転した。
そして、聞きもしないのに、自分のプロフィールを語り始めた。
K大卒。30歳。大学時代はボート部に所属していた。そして、卒業後は、最大手通信会社に勤務。家族構成は、祖母と両親、弟夫婦だという。
実家は、東京小平。ここに二世帯住宅を建てて暮らしていた。だが、昨年の9月、部署が変わったので、彼は東京早稲田のマンションに移った。その方が通勤が楽だからだ。
マンションは高級マンションではなく普通の賃貸マンションだという。1DK。食事は作らない。休日などは、昼はカップラーメン、夜はコンビニ弁当で済ますらしい。ちなみに平日の朝昼は、会社の社員食堂。夜は、カップラーメンかコンビニ弁当。
本当に、エリートか。
趣味は、ドライブとカヌー、1人キャンプ。
「基本的に1人が好きなんです」

その日は、約束通り8時20分ごろ家まで送ってくれた。
早速、夜寝る前にドライブデートのことを娘から聞いた。
で、次のデートは?
「LINEをくれるってさ」
おっとりしたエリートか。出世争いは厳しいかもな。
「でも、人間の価値はそれだけじゃない。何を成し遂げたかだ。それは、いつもおまえが言っているじゃないか」
俺、そんな格好のいいこと言ったかなあ。

事態は、そのあと急転直下で進んだ。
2回目のドライブデートのあと、「今度の日曜日に実家に遊びに来ませんか」と誘われた。
でも、「こここ心の準備が」と断ろうかと思ったが、「僕の弟は、実家の近くでステーキ店を経営しているんですよ。他では食べられない極上のステーキを振る舞いますよ」と言われて、気が変わった。
最近、娘は急速に肉好きになったのだ。サムギョプサルやチーズタッカルビは2人前食うし、しゃぶしゃぶも相当食う。
日曜日、ご訪問した。
想像の2倍くらいでかい家だった。玄関が十畳くらいの広さだった。正面にでかい水槽があって、色とりどりの魚が気持ちよさそうに泳いでいた。それを見て、和んだ。
ご挨拶がわりに有名どころのシフォンケーキを渡した。シフォンケーキは、おばあちゃんの大好物だと教えてくれたからだ。
リビングに案内されると、弟がすでに業務用の鉄板でステーキを焼いていた。「毎度、いらっしゃい」と挨拶された。
面白い家族の予感。

7人で同時にステーキを食べた。テーブルは、アクリル板で仕切られていた。感染症対策は万全だ。さすがプロ。
ステーキが美味すぎて、いつもは食べないクレソンまで食べた。気がついたら、誰よりも早く完食していた。
ワセダ君の弟が、「感激だなあ、こんなにも美味しそうに食べた人は、常連のお客さんにもいませんよ。料理人冥利につきます」と言って、立ち上がって頭を下げた。
娘も立ち上がって、「とても美味しかったです。御招待客冥利につきます」と言って、頭を下げたら、みんな拍手をしてくれた。

つかみはOK。

そのあと、家のまわりを案内してもらった。
家の隣には、車が5台は格納できそうなガレージがあった。
中を見せてもらうと、ベンツとフォルクスワーゲン・ポロ、あとは本格的なキャンピングカーだった。
夢でも見たことのない車がいっぱい。
「息子は、このキャンピングカーを使って、いつも1人キャンプをしているんですよ」とお父さんがおっとりと説明してくれた。
「贅沢過ぎますねえ」と言ったら、おばあちゃんに大受けした。

そのあとは畑。畑は3面あった。どれも野菜を栽培していた。
トマト、ナス、キュウリ、トウモロコシ、ジャガイモ、大根、チンゲンサイ、空芯菜など。
半分自給自足だそうだ。
とれたて野菜をたくさんお土産にもらって、その日はお開きになった。
「また来なさいよ。絶対に来なさいよ。楽しみにしているから」とおばあちゃんが、涙ぐみながら両手を握った。
帰りもワセダ君に送ってもらった。
そのときワセダ君が、予期せぬことを言った。「来週の日曜日、ご家族に会わせてもらいたいんですけど」
「えー! だってうちのお父さん、変だよ。会わないほうがいいよ」
そうです、私が変なお父さんです。ダッフンダ!

次の日曜日、ワセダ君が我が家にやってくる。

少しでもいいお父さんのふりをした方がいいのだろうか。
いつも着ている地味な甚平で出迎えた方がいいのか。

それとも目がチカチカするような色の甚平をヨメに作ってもらった方がいいのか。

あるいは、ジンベイザメの着ぐるみで出迎えるべきか。


悩んでいる。

 


「先輩」と呼びたくなくて

2020-08-16 05:29:00 | オヤジの日記

8月12日夜、テクニカルイラストの達人・アホのイナバ君からLINEが来た。
「Mさん、今日が『ペルシャ症候群』のピークらしいですよ。見ましょうよ」
「ペルセウス座流星群」だけどね。

夜12時過ぎに見えるというので、天体望遠鏡をスタンバイして、ベランダで待った。雲が多かったが、雲が途切れることもあった。
しかし、観ていた方角が悪かったのか、1個しか観測できなかった。それ対して、イナバ君は6個。やはり、アホは「持っている男」だった。
ところで、なぜ私のようなビンボー人が、天体望遠鏡を持っていたのか。それは、もらいものだからだ。
京橋のウチダ氏に、誕生日プレゼントとしていただいたのだ。

京橋のウチダ氏は、5歳下の友人だ。付き合いは20年以上になる。
ウチダ氏が、新橋のイベント会社に勤めていたとき、2ヶ月に一回程度仕事をいただいていた。その窓口が、ウチダ氏だった。
ここの仕事は楽だった。社内のデザイナーがあらかじめヘッドデザインを考えたあとだったから、私の仕事は仕上げをすることだけだ。
社内のパソコンを使って、いつも3時間程度で仕上げた。
仕事が終わると、ウチダ氏が「僕も終わりなんで、一緒に帰りましょう」と誘われることがあった。
行くのは、新橋の立ち飲み屋。
350円で、ビール1缶と缶詰1個とイカの燻製などの乾きものが飲み食いできたのだ。
ウチダ氏と私は、好みが似ていて、缶詰はイカの醤油煮、乾きものはピーナツだった。
ある日、立ち飲み屋でウチダ氏から、衝撃の発言が飛び出した。
「うちの会社、倒産するんですよ」
しょうが焼き、いや、ショウゲキ!
いつなの?
「あと2ヶ月ですかね」と言いながら、ウチダ氏は諦めたように、浅く笑った。

その後、どうなったかは気になったが、詳しく聞くのは気が引けた。聞けないまま4ヶ月が過ぎた。
せいぜい2年くらいの付き合いだから、このまま自然消滅もあり得るかな、と思っていた。
そう思っていたとき、木枯らし一号が吹いたその日の夜、ウチダ氏から電話があった。
「Mさん、ご無沙汰しています」という固い挨拶から話は始まった。
ウチダ氏の話はいつも長いので、これから先は私が要約することにした。

ウチダ氏の奥さんは、株をやっていた。もともと証券会社に勤めていたから、知識の蓄積はあった。
会社を辞めてから、10年で、それなりに利益を上げることができた。
それを原資にして、ウチダ氏は、独立したという。
事務所は都内有数の高級ビジネス街、東京京橋だ。広さは、約21平米。家賃を聞くと「ご想像にお任せします」というつまらない答えが返ってきた。
京橋に土地勘のある私の推測では、24万円と見た。
大丈夫なの? 
「大丈夫です」とウチダ氏は、自信満々に答えた。
倒産した会社には義理がないから、今までの取引先に片っ端から電話して、4つの仕事をゲットしたという。新規開拓も1つ。
「ゼロからのスタートとしては上出来ではないでしょうか」
奥さんの期待を裏切らないでね、などと無神経なことを言うつもりはない。
それも含めての覚悟の船出だ。

ウチダ氏の事業は、その後、順調に流れ、京橋に居座った。
しかし、私にとって、困ったことができた。
ウチダ氏の話し相手を務めることになったのだ。
2週間に1回、京橋に呼ばれて、ウチダ氏の話を聞く。長いときは5時間は拘束される。取り止めのない話を延々と聞かされる。
ウチダ氏はワンカップの日本酒。私は冷蔵庫からクリアアサヒの500缶を盗み、カマンベールチーズをつまみ、時に2万円はするというキャビアの缶詰を大胆にスプーンですくって食うのだ。
キャビアって、じょっぺえな。こんなの世界の珍味と言われない限り、誰も食わんだろう。

ただ、いいこともあった。
私は、ウチダ氏の愛人でもないのに、事務所の合鍵を預かっているのだ。
それを使って私は、ウチダ氏の事務所に潜り込み、冷蔵庫からクリアアサヒを盗み、カマンベールチーズ、モッツァレラチーズ、高級キャビアを盗み食いした。
そして、ソファに寝っ転がって、36インチのテレビで、ブルーレイの映画を見たりした。
最高の息抜きだ。
平和な日々だった。
しかし、その平和な日々は、新型コロナのせいで、分断された。
自粛生活。ステイホーム。緊急事態宣言。
ウチダ氏も3ヶ月間の休業を余儀なくされた。3ヶ月間、無収入。「もちろん、補償は受けましたけど、全然足りないんですよね」
ただ、ウチダ氏は恵まれている方だ。日本の株は、コロナ禍でも堅調だった。
奥さんの持ち株は、ほぼ高値を維持していた。それに奥さんは、投資の勘が鋭いのか、10年以上前に、金を購入していた。
いま金は、有事ということもあって、高騰し続けていた。「だから、気持ち的には、僕たち家族は悠然としていられるんです」。
コロナで瀕死状態の経営者が聞いたら、殴りたくなるだろうが、これは奥さんの努力の結果だし、適正なバランスなのだから仕方がない。

「いま7月あたりからポツポツと仕事は入ってきています。全盛期の半分以下ですけど、コロナが終息していないのに、いきなり元に戻ることはあり得ないでしょう。昔には戻れない。その覚悟で、減った仕事の穴を埋める新しい事業を模索しているんです。これって、経営者の醍醐味ですよね。だから、いま僕はワクワクしているところなんです」
真面目だね、ウチダさん。野心家だね、ウチダさん。ものすごーーーい遠くの影から、応援してますよ。

こんな風に男前のウチダ氏だが、私は一つのわだかまりをウチダ氏に持っていた。
7年前のことだ。
当時、1ヶ月に2回、ウチダ氏に呼ばれて、延々と話を聞くことに疲れた私の脳に、ピカチュウ、と閃いたことがあった。
それは、新宿でいかがわしいコンサルト会社を営むオオクボのでかい顔だった。
話を聞くだけなら、オオクボの方が、この役目に相応わしいのではないか。オオクボに打診すると「いいぜ」と言ってくれたので、ウチダ氏をオオクボに丸投げした。肩が軽くなったたた。
オオクボに相談するとなると、完全にビジネスになる。ウチダ氏にとっても、その方が相談しやすいのではないか。
ウチダ氏とオオクボは、すぐに打ち解けた。打ち解けたのには、理由があった。

丸投げから1年後に、オオクボからLINEが来た。「いまウチダさんが事務所に来ているんだ。昼メシ一緒に食わねえか。もちろん俺の奢りだ」
おまえの奢りは当たり前だ。
事務所に行くと、ウチダ氏が爽やかな顔で応接セットに座っていた。久しぶりではないので、おひさしブリーフ、とは言わなかった。
「弁当屋に、弁当を頼んだ。俺とウチダさんは、ステーキ弁当。おまえには、アジフライ弁当と揚げ出し豆腐を頼んだ。これでよかったか」
オオクボ、ナイスチョイス。俺はアジフライが32番目に好きなんだ。揚げ出し豆腐は、106番目だ。おまえとしては上出来だ。
語り合っているうちに、弁当が到着した。「冷蔵庫に一番搾りが入っている。好きなだけ、飲んでくれ」
自分では、そう言っておきながら、オオクボもウチダ氏も飲まなかった。仕事があるかららしい。俺だって、仕事の途中だぜ。でも、飲むもんね。
食いながら話しているうちに、ウチダ氏が、引っかかることを言った。
オオクボのことを「先輩」と呼んだのだ。

はい? はい? はい?

ウチダさん、いまオオクボのことを「先輩」と呼んだよね。
「知らなかったのか。ウチダさんは、俺たちの後輩なんだ。5学年下だから全く接点はなかったが、OBなんだよ」
知らなかった。聞かされなかった。気づかなかった。
でも、どーしてーーーーーー。
首をかしげながら、一番搾りを飲み、どさくさに紛れて、オオクボのステーキを1枚盗んだ。
「Mさんを『先輩』と呼ぶのには、抵抗があったんです。だから、教えなかったんです」
まあ、納得だけど。
オオクボは、顔も態度もでかい。声もでかい。外車に乗っている。足が短い。
「先輩」と呼ばれるのに、相応わしいかもしれない。

でもね、ウチダさん。俺は、別に先輩と呼ばれたいわけじゃないんだ。
ただ、同じ大学だということは、教えてほしかった。
そうすれば、共有できるものが増えたのではないか。

いや、本当ですって。
俺は、先輩と呼ばれたかったことは一度もないんですって。
むしろ、先輩と呼ばないで、というのが俺のポリシーだ。

だから、本当ですって。
先輩と呼んで、などと一度も思ったことはないんですよ。


じゃあ、どうでもいいじゃないか、という話だ。
まあ・・・・・そうなんですけどね。