最近の飲食店は、禁煙のところが増えた。分煙だけではなく、完全禁煙もある。
タバコの煙の苦手な人には、住みやすい社会になりつつあると言っていい。
大昔の話だ。いま28歳の息子が1歳を過ぎたころだった。大宮で買い物をした私たちは、駅の近くのドトールに入った。
1階は満席だったので、席を求めて2階に上がった。客は白人が4人と若いサラリーマンが3人の合計7人。
白人は、全員がタバコをすっていた。当時は、禁煙席はポピュラーな存在ではなかった。特にカフェは、タバコを吸うために入る人が多かったから、空気が澱んでいた。
そのとき、店の窓際に座っていた白人グループが、意外なことをした。我が息子の姿を見た白人たちが、一斉にタバコを消したのだ。そして、立ち上がって窓を開けた。さらに、タバコの煙が我々にかからないように、でっかい8本の手で煙を窓の外に、掻き出したのである。
それを見ていたサラリーマンたちも、慌ててタバコを消し、スーツの上着を使って、煙を掻き出してくれた。
恐縮した。
そんな経験は、初めてだった。
申し訳ないと思った。
この場合は、カフェに赤ん坊を連れて入るという馬鹿者夫婦が悪い。非常識極まりない。責められるのは、私たちの方だ。
しかし、彼らは、そんな大バカものに白い目を向けることなく赤ん坊優先の行動を取ってくれたのだ。
センキュー、ありがとうございます、と言ったあとで、我々は一番邪魔にならない階段近くのテーブルに座って、高速で飲み物を飲んだ。
その間中、7人はタバコを吸わなかった。
席を立ったとき、白人さんに「ガンバッテ、ガンバッテ」とウインクされた。
タバコで、いま真っ先に思い出すのは、そのことだった。
他に思い出すのは、小学校1年の時の「ワルさ」である。
家の近所の寺は、我々の遊び場所だった。悪ガキが4人。バカの盛りだ。
そのバカの盛りのうちの1人が、鐘つき場でタバコのケースを拾った。開けてみると4本のタバコが入っていた。さらに、ご丁寧にマッチも落ちていたのだ。
バカの盛りは、全員で顔を見合わせた。そして、頷きあった。近所の燃料屋のバカが、全員のタバコに火をつけた。
そして、「せーの!」。
バカの盛り全員がむせた。タバコを放り投げて悶絶した。
小学校6年のとき、バカ1人は学校の職員室に入った。担任に報告することがあったからだ。しかし、職員室に異変が。
教師が1人もいなかった。無人の職員室。当時は、教師の喫煙率が異常に高かった。タバコを吸わない教師を探す方が難しかった時代だ。
ほとんどの教師の机の上に、タバコや灰皿が置かれていた。私の担任の机の上にもタバコ、灰皿、ライターがあった。
誰もいない職員室。目の前には、タバコ。これって、吸えよ、って誘いだよな、とバカ1人の耳に悪魔の囁きが聞こえた。
ハイライトだった。ハイライトを一口吸ったバカ1人は、悶絶した。
あれ以来、私は禁煙に成功している。我ながら、大したものだと思う。
高校1年のとき、学食で私の顔にタバコの煙を吹きかけた同級生2人に、右ストレートと右フック、頭突き2発をお見舞いして、鼻血タラタラにした黒歴史があった。
大学1年のときも、居酒屋で私の端正な顔に、タバコの煙を吹きかけたやつを、腰の入った右ストレート一発で粉砕した。
良い子のみんな、タバコの煙は、人の顔に吹きかけるものではありませんよ。そんなことをされたら、温厚で人から普段「仏」と呼ばれている人でも、ほとんどの人がライト級のボクサーに変身します。やめてください。
今週の火曜日、WEBデザイナーのタカダくん(通称ダルマ)の荻窪の事務所に行った帰りだった。
ダルマのブサイクな顔を見て疲れてしまったので、国立駅前の大学通りの木のベンチで休んでいた。
すると、そこはかとなくタバコのにおいが漂ってきた。
国立駅前や歩道などは、全面禁煙である。タバコが吸いたい人は、どこかの喫煙所に行くか、タバコの吸えるカフェに行くのが決まりになっていた。
しかし、タバコのにおいは、確実にした。試しに、右隣のベンチを見てみた。
堂々と吸っとるやないか〜〜い!
推定年齢71から78くらいのお爺さんだ。ニューヨークヤンキースの帽子をかぶり、上半身もヤンキースのユニホームを着て、下は灰色のタイツっぽい細いズボンを履いた粋なお爺さんだった。
何を恐れることもなく、当たり前のように全面禁煙のベンチでタバコをふかしていた。
そこまでいくと、むしろ格好いいですな。感心して見ていたら、お爺さんと目があった。
自然な仕草で、タバコを勧められた。「お兄さん、団塊ですか」。
いやあ、団塊からは外れてます、と言いながら、首を振った。
「僕たち団塊は、たいてい吸ってますけどね。だって、吸わないと馬鹿にされたもの。お兄さん、若い頃は吸ってたでしょ?」
いや、全然。
私がそう言うと、「勇気あるなあ」と感心された。「タバコは、団塊では、アイデンティティの重要事項ですよ」。
だから、オレ、団塊じゃないんです。
話が面倒臭い方向に行っているので、私はバッグから銀河高原ビールを取り出した。
ダルマは、私が銀河高原ビールが好きだというのをわかっていた。年に何回か賄賂を贈ってくるのだ。今日は、荻窪の事務所から、4本直接強奪してきた。
それをお爺さんの方に掲げた。乾杯しましょうか。
しかし、いつもダルマにいただくのは、瓶ビールだ。栓抜きがないと飲めない。
残念ですね。栓抜きがあれば乾杯できたんですけどね、と明らかに無理な話をお爺さんに振った。
すると、お爺さんが何の力みもない顔で言ったのだ。
「栓抜き、持ってるよ〜」
団塊って、すげえな。先輩って、すげえな!