大学時代の友人たちとの飲み会で、賛同を得られなかった意見。
カバー曲、あるいはカバーアルバムが流行っているが、一枚当たったからといって、次もまたカバーを出す人がいるが、あれは、どうなんだろうか。
私が、そう言うと、私以外の4人は、「俺は、カバー曲のほうが聴きやすくていいな。オリジナルは、つまらないのが多いしな」という意見が多数を占めた。
よく聴きもしないで、オリジナルはつまらない、というのは、お前らの脳が退化して、新しいものを受け入れられなくなっているからだろ。
私がそう言うと、「しかし、CDが売れていないということは、つまらないってことだろ。いい曲だったら、昔みたいに売れているさ」と反論された。
音楽配信がなかった時代と、CD以外の媒体で、誰もが音楽を持ち歩ける今を比較しても意味はない。
CDが売れる、イコール「いい歌」なら、某大人数女性グループや某大人数ダンスグループ、某大手男性アイドル事務所の歌手の歌は、みんな「いい歌」ということになる。
昔は良かった式のノスタルジーだけで、音楽の善し悪しを判断するのは、結局音楽を貶めていることになる、と俺は思うけどな。
「しかし、カバー曲が売れるってことは、それがいい歌だったからだよな」
確かに、いい歌は多いが、カバー曲は、耳に馴染んでいるから、受け入れられやすいというアドバンテージがある。
最初から聴きこまなければいけないオリジナルは、その点で不利だ。
「しかし、それでも、いい歌ならヒットするだろ」
では、「いい歌」の基準って何だ、と聞こうと思ったが、その定義は、人それぞれ違うだろうから、それはあまり意味のない問いかけのような気がした。
そこで、質問を変えて、音楽を、たとえばApple Storeやネット上でダウンロードしたことがあるか、と聞いてみた。
全員が「ない」と答えた。
「するつもりはない」と答えるやつもいた。
iPodは持っているか。
あるいはMP3プレーヤーを持っているか、と聞いたら、「そこまでして、音楽を聴きたくない」と言われた。
それが、平均的な中年サラリーマンの感覚なのかもしれない。
昔から自分の耳に馴染んでいる歌を聴いて、「ああ、いい曲だったな」「あの頃は良かったな」と思いながら、自分史を振り返る。
きっと、その瞬間だけ、彼らは音楽を感じているのだろう。
耳に馴染んだカバー曲は、そんな彼らにとって「安息を与えてくれるアイテム」の一つなのだと思う。
そんな効能があるのなら、カバー曲も悪くない、と私は考えを新たにした。
カバーだけでアルバムを埋める手法は、安易だとは思うが、受け取る側が、それに違和感を感じなければ、そのプロデュースは有効なものになる。
おそらく、カバー曲にアレルギーを持つ、私の感覚の方が、皆とずれているのだろう。
最後に友人の一人が、ダメを押すように、こう言った。
「お前は、短距離の選手だったから、短いタイムラインで刹那的に物事を受け入れるけど、俺たちは長距離の選手だ。長いタイムラインで物事を見ているんだよ。だから、昔のことも今のことも冷静に判断することができる。つまり、人間としての資質の違いだな」
なんか・・・・・妙に説得力のある分析だったので、つい頷いてしまった。
ところで、飲み会をお開きにしようとしたとき、居酒屋のスピーカーから、陰陽座の「来世邂逅」が流れてきた。
感動して、咄嗟に「おんみょうざ~」と叫んだら、口を塞がれた。
陰陽座を知らないお前らは、絶対に損していると思うぞ・・・・・。
カバー曲、あるいはカバーアルバムが流行っているが、一枚当たったからといって、次もまたカバーを出す人がいるが、あれは、どうなんだろうか。
私が、そう言うと、私以外の4人は、「俺は、カバー曲のほうが聴きやすくていいな。オリジナルは、つまらないのが多いしな」という意見が多数を占めた。
よく聴きもしないで、オリジナルはつまらない、というのは、お前らの脳が退化して、新しいものを受け入れられなくなっているからだろ。
私がそう言うと、「しかし、CDが売れていないということは、つまらないってことだろ。いい曲だったら、昔みたいに売れているさ」と反論された。
音楽配信がなかった時代と、CD以外の媒体で、誰もが音楽を持ち歩ける今を比較しても意味はない。
CDが売れる、イコール「いい歌」なら、某大人数女性グループや某大人数ダンスグループ、某大手男性アイドル事務所の歌手の歌は、みんな「いい歌」ということになる。
昔は良かった式のノスタルジーだけで、音楽の善し悪しを判断するのは、結局音楽を貶めていることになる、と俺は思うけどな。
「しかし、カバー曲が売れるってことは、それがいい歌だったからだよな」
確かに、いい歌は多いが、カバー曲は、耳に馴染んでいるから、受け入れられやすいというアドバンテージがある。
最初から聴きこまなければいけないオリジナルは、その点で不利だ。
「しかし、それでも、いい歌ならヒットするだろ」
では、「いい歌」の基準って何だ、と聞こうと思ったが、その定義は、人それぞれ違うだろうから、それはあまり意味のない問いかけのような気がした。
そこで、質問を変えて、音楽を、たとえばApple Storeやネット上でダウンロードしたことがあるか、と聞いてみた。
全員が「ない」と答えた。
「するつもりはない」と答えるやつもいた。
iPodは持っているか。
あるいはMP3プレーヤーを持っているか、と聞いたら、「そこまでして、音楽を聴きたくない」と言われた。
それが、平均的な中年サラリーマンの感覚なのかもしれない。
昔から自分の耳に馴染んでいる歌を聴いて、「ああ、いい曲だったな」「あの頃は良かったな」と思いながら、自分史を振り返る。
きっと、その瞬間だけ、彼らは音楽を感じているのだろう。
耳に馴染んだカバー曲は、そんな彼らにとって「安息を与えてくれるアイテム」の一つなのだと思う。
そんな効能があるのなら、カバー曲も悪くない、と私は考えを新たにした。
カバーだけでアルバムを埋める手法は、安易だとは思うが、受け取る側が、それに違和感を感じなければ、そのプロデュースは有効なものになる。
おそらく、カバー曲にアレルギーを持つ、私の感覚の方が、皆とずれているのだろう。
最後に友人の一人が、ダメを押すように、こう言った。
「お前は、短距離の選手だったから、短いタイムラインで刹那的に物事を受け入れるけど、俺たちは長距離の選手だ。長いタイムラインで物事を見ているんだよ。だから、昔のことも今のことも冷静に判断することができる。つまり、人間としての資質の違いだな」
なんか・・・・・妙に説得力のある分析だったので、つい頷いてしまった。
ところで、飲み会をお開きにしようとしたとき、居酒屋のスピーカーから、陰陽座の「来世邂逅」が流れてきた。
感動して、咄嗟に「おんみょうざ~」と叫んだら、口を塞がれた。
陰陽座を知らないお前らは、絶対に損していると思うぞ・・・・・。