年末になると、いつも思う。
今年も私は、何も世の中の役に立たなかった。
私がいなくなって困るのは、きっと我が家のブス猫・セキトリだけだ。
年末は、世間では大掃除。
だが、我が家では、大掃除はしない。それぞれの部屋を小掃除、中掃除すればいいということにしていた。
ダイニングキッチンで暮らす私は、ダイニングの床を掃除機をかけたあとでクイックルワイパーで小さな汚れを取った。天井もクイックルワイパーだ。
そのあとキッチンのレンジフードに被せたフィルターを新しいものに替え、ガスレンジとシンクをスチーマーでキレイにした。次に食器乾燥機を分解して細かい汚れを落とした。
ここまで、2時間弱。そのあと仕事場のまわりの細かいホコリを落として、ハンディクリーナーでキレイにした。
最後に、国立に引っ越してから開けずに置いてあった最後のダンボール箱を開けることにした。
大したものではない。パソコンの雑誌とか本、取扱説明書などだ。しかし、大したものではないと言っても必要になるときが来る。だから空いているカラーボックスのスペースに収納しようとしたのだ。
整理しているうちに、映画のパンフレットが出てきた。
子どもの頃から映画が好きだった。ガキが見るような怪獣映画ではなく、生意気にも外国映画が好きだった。
観たら、必ずパンフレットを買った。
「ベン・ハー」とか「十戒」とか「風と共に去りぬ」とか「レベッカ」とか。それを小学生のときに観ていた(リアルタイムのロードショーではなかったが)。
そんな映画を見るやつは、同級生には一人もいなかった。でも、それでいいのだ。私は、映画は「ひとりで観る派」だ。ライブも一人で行く。その空間を誰かと共有したいとは思わない。一人で余韻に浸りたいくちだ。
その中で、一つのパンフレットを見つけた。
「冒険者たち」
当時、あぶらの乗り切った3人のフランス人俳優、アラン・ドロン、リノ・バンチェラ、ジョアンナ・シムカス共演の冒険劇だ(細かいことを言えば、ジョアンナ・シムカスはフランス生まれではないが)。
その映画は、冒険だけではなかった。人生に失敗した男女の身を切るようなせつなさと男の友情が描かれ、3人が、その傷をお互い癒しあう様が、叙情的に描かれていた。
音楽も印象的だった。
小学6年で初めて観たとき、観終わったあとで立ち上がれないほどの感動が襲ってきた。
同級生の誰もが怪獣映画に夢中になっているときに、「冒険者たち」に感動するなんて、あっちこっちから膝カックンをされても仕方ないほどの可愛げのないガキだった。
ここで、いきなり話は高校一年に飛ぶ。
同じクラスに、映画好きの女の子がいた。とても美人だった。日韓のハーフだった。「ワタシ、母親が韓国人だから」と最初から公言していた。
当時ハーフといえば、少なからずいじめの対象になった。しかし、不公平なことに、美人であるがゆえにいじめの対象にはならなかった。
世の中は不公平だ、というのを目の当たりにした(そんなことで、いじめる方がクズですけどね)。
山形生まれの美人は、父親の仕事の関係で中学2年で東京に出てきた。そして、東京の私立高校に入った。
そこで、私と出会った。
陸上部とバレーボール部、普通は接点がないはずなのに、映画好きということで接点ができた。
俺、「冒険者たち」が一番のお気に入りなんだよ。
それに対して、彼女ハヤシも、「あー、大好き」と同調した。「冒険者たち」の話題で盛り上がった。意見が合うやつが、初めて現れた。
美人というのは、得だ。不公平だ。誰からも注目を浴びた。ハヤシも同級生から上級生にまで注目を浴びていた。今の女優さんでいえば、吉高由里子さんみたいな雰囲気をしていた。
学内の球技大会でハヤシがバレーボールの試合に出るとなると、多くの男が見学に来た。
もちろん、スケベな私も応援しに行きましたけどね。
スケベな私は、体操着姿で躍動するハヤシの姿に興奮したあと、余韻に浸るように校庭にいくつかあった太い木のそばに座っていた。
そのとき、額に汗を浮かべたハヤシがきたのだ。
「応援ありがとう。負けちゃったけど」
これって、俺の嫌いな青春じゃん。
その場の勢いにまかせた私は、今度の日曜日、渋谷に遊びに行かないか、と誘ってみた。
玉砕覚悟だったが、ハヤシは「いいよ」と即座に答えた。
学校は渋谷にあったから、渋谷で遊んでも面白くないのだが、勢いだけは止められない。私は浮かれたまま、ハヤシの肩をパンと叩いた。
まぶしいほどの笑顔が、目の前にあった。
日曜日、渋谷のパンテオン前で待ち合わせをした。
当時、渋谷の待ち合わせ場所は、ハチ公、東急プラザ前、東急文化会館前(今のヒカリエ)が定番だった。
ハチ公が、8割がた待ち合わせポジションの王座に君臨していたが、私は東急文化会館パンテオン前を選んだ。
初めてのデートの待ち合わせは、パンテオンのでかい映画のイラストの前で、したいと思ったからだ。
そのときのパンテオンは、リバイバルの「風と共に去りぬ」を上映していた。ヴィヴィアン・リーがでっかいぞ。
その日、私がパンテオン前に行くと、ハヤシが母親と思わしい人と並んで待っている姿が目に入った。
なんで、母親同伴?
「私の娘に手を出さないで」
そういうことか。
怖じ気付いた私は、回れ右をして、その場を立ち去った。
ようするに、ドタキャン。
母親が目の前にいたら、ビビりますよ、普通。
次の月曜日、ごめんな、腹こわしちまってよ、行けなかったんだ、と言い訳をした。
そのあと、関係がギクシャクしたわけではないが、私はもうハヤシを誘う勇気が出なかった。
その大分あとに、ハヤシはバスケットボール部のキャプテンと交際しているという情報が入ってきた。
しかし、あまりにも「俺様」な態度の彼氏に嫌気がさして1ヶ月で別れたという情報も入ってきた。
そして、何ごともなく卒業の季節になった。
生徒会役員だった私とハヤシは、謝恩会のポスターを頼まれた。2人とも絵が得意だったからだ。
私は写実的なものが得意。ハヤシは女子には珍しく生き生きとした躍動感のある絵が得意だった。
私はハヤシに主役の座を譲って、キャッチコピーなどの構成を担当することにした。
ある程度の方向性が決まったとき、私はハヤシに恐る恐る懺悔した。
あのデートのとき、実は現場に行っていたんだ。でも隣にお母さんらしき人が来ていたんで、怖くなって帰ったんだ、ということを伝えた。
ハヤシは、過去を思い出すような顔をして、「ハハ」と笑いながら、窓の外を見た。そして、憂いを含ませた目を私に向けて言った。
「うちのお母さんは、娘の初デートが気になって付いてきちゃったんだよね。お母さん、韓国人でしょ。韓国では、よくあることみたい。でも、挨拶したら、すぐ帰るつもりだったの。ごめんね、驚かせちゃって」
それを聞いて脱力したオレ。
私は言った。
ということは、俺が冒険者じゃなかったってことか。
ハヤシが言った。
「私も含めて『たち』だね。『冒険者たち』じゃなかったんだよ、私たち。ねえ、マツ」
キレイな瞳が、私の顔を静かにスキャンした。
2人だけの美術室。
ここで、私が冒険者になっていたら、と考えることに今さら意味があるとは思えない。
誰だって、自分が選んだシナリオでしか生きられない。
身の丈に合った、自分が主人公のドラマの中でしか生きられない。
古いシナリオは、時々めくるだけでいい。
私は、そのあと高校から同じ系列の大学に通い、ハヤシは女子短大に通った。キャンパスは同じだ。
だから、キャンパスですれ違うことは頻繁にあった(ちなみに、ハヤシは卒業後、今で言うキャビンアテンダント、その当時では花形のスチュワーデスになった)。
大学1年の秋、キャンパスですれ違ったとき、ハヤシが言った。
「マツ、名画座で『冒険者たち』またやるんだよ。私は観に行くけど、マツは観ないのか」
もちろん、観るさ。
ひとりで観に行った。
なぜなら私は、映画は「ひとりで観る派」だからだ。
いつまでも「冒険者」になれない俺のルーツがここにあった。
明日、大食いのミーちゃんが嫁ぎ先の金沢から帰ってくる。
30、31と元日に我が家に泊まって、2日に帰る。
楽しみでしょうがない。
コメは15キロ用意した。切り餅は100個買った。
いつでも、いらっしゃーい(もう泣いている)。
さらに、どうでもいいことだが、先日娘に言われた。
「おまえ、最近髪の毛が黒くなったな。染めたのか」
染めてません染太郎。
年に数回しか鏡を見ない私だが、娘に言われて、久しぶりに見てみた。
見てみると、確かに真っ白だった両耳のまわりに黒い毛が増えていた。娘に言わせると頭頂部も黒くなっているという。
そんなことって、あるんですね(顔も心なしか若返った気がする。木の精。気のせい)。
ということで、よいお年を。