K-POP花ざかりの今、極端に飽きっぽい性癖を持つマスメデイアやリスナーから、忘れられてしまった女性歌手がいる。
BoAだ。
AVEXという、お手軽音楽集団は、簡単にCDを作ってバラまき、売れたら有頂天、売れなかったら途端に熱意が醒める、ということを繰り返すアマチュア的な会社である。
そんな会社を選んでしまったBoAの不幸。
私が「BoAは、リスペクトできる歌手だよ」とまわりに言うと、必ず否定的な意見が帰ってくる。
それは、BoAをアイドル歌手としてしか扱わなかったお手軽音楽集団の浅い戦略に、すべて責任がある。
与えられた楽曲が、BoAという歌手の天性の素材を殺してしまっていた。
そして、おそらく日本的な悪弊に染まった歌唱方法をBoAに押し付けたために、それがBoAが持つ天性のリズム感を削ぐ結果になった。
日本語は元々リズムに乗りにくい言語である。
まともに韻を踏めない日本語のラップなどを聴けば、そのことは簡単に理解できるだろう。
ただでさえ、リズムに乗りにくい言語を、間延びしたメロディに乗せて歌うから、モタモタ感が拭えない歌になる。
さらに、なぜか、フレーズの最後の音を無闇に引き伸ばすから、よけいリズムが損なわれる。
例えば、和田アキ子などは、歌がうまい歌手と評価されているが、私には言葉のモタモタしたリズムのなさと、無駄に伸ばす最後の音が耳障りなので、少しも上手に聴こえない。
日本人は、短絡的に、声量があれば歌が上手い、と思う人がなぜか多い。
MISIAと比べると、それがよくわかる。
MISIAは、伸ばす音にもそれぞれ抑揚をつけてリズムに乗せている。
言葉の一つ一つをはっきり表現しているから、モタモタ感がない。
一流の歌手というのは、そういうものだと思う。
BoAは、天性の才能を持った優れた歌手だが、お手軽音楽集団のプロデューサーが、日本語のモタモタが好きな人だったようで、彼女のハスキーながらフラットに伸びる声を活かすことができず、「普通の日本人歌手」に育ててしまったのだ。
BoAの本領。
それは、そのハスキーでフラットに伸びる声と、体に染み込んだリズム感である。
14、5歳の頃のBoAのハングルや英語で歌い踊るMV(日本ではPV)を見て、私は目が釘付けになった。
そこに、紛れもなく優れた音楽の表現者がいたからだ(まだミドル・ティーンなのに)。
リズムに乗って躍動する若いアーティスト。
これが、あのBoAかと目を疑った。
日本語を歌うBoAには、ほとんど感じることがなかった爽快感が、そこにはあった。
全身でリズムを表現するアーティストがいた。
昨年、BoAは、母国で5年ぶりとなるアルバムをリリースした。
それを聴くと、同じバラードでも、魅力的なハスキーな声が一つ一つの音を正確に表現しているのを感じて、やはり爽快になるのだ。
ダンスナンバーは、日本語で感じたモタモタがひとつもなく、一音一音が、気持ちよく切れていた。
つまり、最高のリズムを刻んでいた。
アルバム全編を聴いて、私は思う。
BoAは、日本では、その実力の半分も出していなかったのだ、ということを。
(それが、BoAのやる気の問題なのか、あるいは、お手軽音楽集団の制作力の問題かどうかは、わからないが)
BoAだ。
AVEXという、お手軽音楽集団は、簡単にCDを作ってバラまき、売れたら有頂天、売れなかったら途端に熱意が醒める、ということを繰り返すアマチュア的な会社である。
そんな会社を選んでしまったBoAの不幸。
私が「BoAは、リスペクトできる歌手だよ」とまわりに言うと、必ず否定的な意見が帰ってくる。
それは、BoAをアイドル歌手としてしか扱わなかったお手軽音楽集団の浅い戦略に、すべて責任がある。
与えられた楽曲が、BoAという歌手の天性の素材を殺してしまっていた。
そして、おそらく日本的な悪弊に染まった歌唱方法をBoAに押し付けたために、それがBoAが持つ天性のリズム感を削ぐ結果になった。
日本語は元々リズムに乗りにくい言語である。
まともに韻を踏めない日本語のラップなどを聴けば、そのことは簡単に理解できるだろう。
ただでさえ、リズムに乗りにくい言語を、間延びしたメロディに乗せて歌うから、モタモタ感が拭えない歌になる。
さらに、なぜか、フレーズの最後の音を無闇に引き伸ばすから、よけいリズムが損なわれる。
例えば、和田アキ子などは、歌がうまい歌手と評価されているが、私には言葉のモタモタしたリズムのなさと、無駄に伸ばす最後の音が耳障りなので、少しも上手に聴こえない。
日本人は、短絡的に、声量があれば歌が上手い、と思う人がなぜか多い。
MISIAと比べると、それがよくわかる。
MISIAは、伸ばす音にもそれぞれ抑揚をつけてリズムに乗せている。
言葉の一つ一つをはっきり表現しているから、モタモタ感がない。
一流の歌手というのは、そういうものだと思う。
BoAは、天性の才能を持った優れた歌手だが、お手軽音楽集団のプロデューサーが、日本語のモタモタが好きな人だったようで、彼女のハスキーながらフラットに伸びる声を活かすことができず、「普通の日本人歌手」に育ててしまったのだ。
BoAの本領。
それは、そのハスキーでフラットに伸びる声と、体に染み込んだリズム感である。
14、5歳の頃のBoAのハングルや英語で歌い踊るMV(日本ではPV)を見て、私は目が釘付けになった。
そこに、紛れもなく優れた音楽の表現者がいたからだ(まだミドル・ティーンなのに)。
リズムに乗って躍動する若いアーティスト。
これが、あのBoAかと目を疑った。
日本語を歌うBoAには、ほとんど感じることがなかった爽快感が、そこにはあった。
全身でリズムを表現するアーティストがいた。
昨年、BoAは、母国で5年ぶりとなるアルバムをリリースした。
それを聴くと、同じバラードでも、魅力的なハスキーな声が一つ一つの音を正確に表現しているのを感じて、やはり爽快になるのだ。
ダンスナンバーは、日本語で感じたモタモタがひとつもなく、一音一音が、気持ちよく切れていた。
つまり、最高のリズムを刻んでいた。
アルバム全編を聴いて、私は思う。
BoAは、日本では、その実力の半分も出していなかったのだ、ということを。
(それが、BoAのやる気の問題なのか、あるいは、お手軽音楽集団の制作力の問題かどうかは、わからないが)