いま猫ブームが来ているらしい。
だからというわけではないが、我が家には、オンボロアパートの庭の段ボールに住み着いた猫がいる。
頭のテッペンの模様が相撲取りのマゲに似ていたので、私たち家族は彼のことを「セキトリ」と呼んでいた。
(体型もポッチャリなので)
勝手に庭に住み着いたので、彼はペットではない。
野良猫である。
セキトリは野良猫ではあるが、彼にとっては不本意な去勢手術を受けてもらった。
野良猫が住みやすい環境を作るために、人間の勝手な事情で去勢手術をした。
それをしないと、無闇に騒ぐ人たちがいるからだ。
セキトリは野良猫だが、3食を私が作るメシで腹を満たしていた。
猫には、塩分の強い食い物は禁物だ。
猫は腎臓病になる確率が高いので、そこだけは気を使っている。
だから、カツオ節や煮干しのダシを使った塩分の少ない食い物を食ってもらっていた。
白飯を出す場合もダシとかつお節をかけて食ってもらう。
焼き魚やカマボコにもダシをかける。
塩分を極力少なくした自家製手打ちうどんにもダシをかける。
キャットフードを与えれば楽なのだが、セキトリは野良猫なので、そんな贅沢はさせられない。
我々と同じメシを食ってもらっている。
セキトリに使うダシは、我々が料理に使うものと同じである。
同じダシを味噌汁や煮物、炊き込みご飯などに使って、我々はセキトリと基本的な食材を共有していた。
セキトリの年齢はわからない。
6年前に、埼玉から東京に帰ってきたとき、すでにオンボロアパートの近くに居住していたから、この地では、我々よりは彼の方がきっと先輩なのだろう。
だから、我々は敬意を持ってセキトリと接していた。
私には、動物の肛門を見て年を当てるという特技があった。
セキトリの肛門を凝視して観察すると、彼の年は8歳前後であると私は推測した。
人間で言えば、「アラフォー」と言ってもいい年齢だ。
猫として、充実した年齢と言ってもいいかもしれない。
セキトリの住居である段ボール箱は、ミニパラソルで日差しを遮っているから、直射日光は当たらない。
段ボールの中には、冷却マットが敷いてあるので、夏でも寝心地はいいと思う。
さらに、段ボールは防水シートで巻いてあるから、雨にも強い。
他の野良猫より、少しはいい環境で暮らしてもらっているのではないだろうか。
先日、私はセキトリにある事実を告げた。
「このアパートを壊して、分譲地にするらしいんだよ」
手打ちうどんにダシをかけ、カツオ節と湯がいたチクワを乗せた晩メシに夢中で、セキトリは私の言葉など聞こえないかと思っていた。
しかし、食い終わった後に、私の顔を見上げて、「ニャー」と鳴いたのである。
専門家の話によると、猫は人間にしか「ニャー」と言わないのだという。
猫同士では、喧嘩のとき以外「ニャー」はないというのだ。
猫が人間に「ニャー」というのは、ほとんどが「腹へった、食い物くれ」の意味らしいが、今のセキトリは食ったばかりだから、「腹へった」ではないと思う。
なあ、いまの「ニャー」は、俺にはかまうなという意味かい?
セキトリは答えなかった。
おまえらがいなくなったら、また自由気ままに暮らせて清々するぜ、という意味か?
あるいは、俺を放っておいてくれよか?
俺は、人間の都合に振り回されないぞ、という意味か?
それとも・・・・・俺も一緒に引っ越したいという意味かい?
セキトリが、私の方に顔を向けて「ニャー」と鳴いた。
本当に?
本当に、俺たちについてくるのか?
また、セキトリが「ニャー」と鳴いた。
ちょっと感動した。
泣きそうになった。
だが、本当に私の言った意味が通じているかは、わからない。
適当に「ニャー」と鳴いただけかもしれない。
だから、こんなことを聞いてみた。
俺って、いい男だろ?
眠っちまった。
どうやら、意味は通じていたようだ。
しかし、まだ安心できないので、「少しずつ家の中で暮らす習慣をつけとかないとな」と言ったら、眠っていたと思ったセキトリが「わかったよ」というように、面倒くさそうにニャーと鳴いた。
彼は、確実に、私の言葉を理解していると確信した。
(俺って猫バカ?)
だからというわけではないが、我が家には、オンボロアパートの庭の段ボールに住み着いた猫がいる。
頭のテッペンの模様が相撲取りのマゲに似ていたので、私たち家族は彼のことを「セキトリ」と呼んでいた。
(体型もポッチャリなので)
勝手に庭に住み着いたので、彼はペットではない。
野良猫である。
セキトリは野良猫ではあるが、彼にとっては不本意な去勢手術を受けてもらった。
野良猫が住みやすい環境を作るために、人間の勝手な事情で去勢手術をした。
それをしないと、無闇に騒ぐ人たちがいるからだ。
セキトリは野良猫だが、3食を私が作るメシで腹を満たしていた。
猫には、塩分の強い食い物は禁物だ。
猫は腎臓病になる確率が高いので、そこだけは気を使っている。
だから、カツオ節や煮干しのダシを使った塩分の少ない食い物を食ってもらっていた。
白飯を出す場合もダシとかつお節をかけて食ってもらう。
焼き魚やカマボコにもダシをかける。
塩分を極力少なくした自家製手打ちうどんにもダシをかける。
キャットフードを与えれば楽なのだが、セキトリは野良猫なので、そんな贅沢はさせられない。
我々と同じメシを食ってもらっている。
セキトリに使うダシは、我々が料理に使うものと同じである。
同じダシを味噌汁や煮物、炊き込みご飯などに使って、我々はセキトリと基本的な食材を共有していた。
セキトリの年齢はわからない。
6年前に、埼玉から東京に帰ってきたとき、すでにオンボロアパートの近くに居住していたから、この地では、我々よりは彼の方がきっと先輩なのだろう。
だから、我々は敬意を持ってセキトリと接していた。
私には、動物の肛門を見て年を当てるという特技があった。
セキトリの肛門を凝視して観察すると、彼の年は8歳前後であると私は推測した。
人間で言えば、「アラフォー」と言ってもいい年齢だ。
猫として、充実した年齢と言ってもいいかもしれない。
セキトリの住居である段ボール箱は、ミニパラソルで日差しを遮っているから、直射日光は当たらない。
段ボールの中には、冷却マットが敷いてあるので、夏でも寝心地はいいと思う。
さらに、段ボールは防水シートで巻いてあるから、雨にも強い。
他の野良猫より、少しはいい環境で暮らしてもらっているのではないだろうか。
先日、私はセキトリにある事実を告げた。
「このアパートを壊して、分譲地にするらしいんだよ」
手打ちうどんにダシをかけ、カツオ節と湯がいたチクワを乗せた晩メシに夢中で、セキトリは私の言葉など聞こえないかと思っていた。
しかし、食い終わった後に、私の顔を見上げて、「ニャー」と鳴いたのである。
専門家の話によると、猫は人間にしか「ニャー」と言わないのだという。
猫同士では、喧嘩のとき以外「ニャー」はないというのだ。
猫が人間に「ニャー」というのは、ほとんどが「腹へった、食い物くれ」の意味らしいが、今のセキトリは食ったばかりだから、「腹へった」ではないと思う。
なあ、いまの「ニャー」は、俺にはかまうなという意味かい?
セキトリは答えなかった。
おまえらがいなくなったら、また自由気ままに暮らせて清々するぜ、という意味か?
あるいは、俺を放っておいてくれよか?
俺は、人間の都合に振り回されないぞ、という意味か?
それとも・・・・・俺も一緒に引っ越したいという意味かい?
セキトリが、私の方に顔を向けて「ニャー」と鳴いた。
本当に?
本当に、俺たちについてくるのか?
また、セキトリが「ニャー」と鳴いた。
ちょっと感動した。
泣きそうになった。
だが、本当に私の言った意味が通じているかは、わからない。
適当に「ニャー」と鳴いただけかもしれない。
だから、こんなことを聞いてみた。
俺って、いい男だろ?
眠っちまった。
どうやら、意味は通じていたようだ。
しかし、まだ安心できないので、「少しずつ家の中で暮らす習慣をつけとかないとな」と言ったら、眠っていたと思ったセキトリが「わかったよ」というように、面倒くさそうにニャーと鳴いた。
彼は、確実に、私の言葉を理解していると確信した。
(俺って猫バカ?)