リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

反省させられた日

2016-03-27 08:58:00 | オヤジの日記
前回に引き続いて、自転車ネタ。


オンボロアパートから10キロ圏内の得意先だったら自転車で行くから、自転車で移動する距離は誰よりも多いと思う。
そして、その分だけ自転車のトラブルに巻き込まれることも多い。

ただ、私はそんなとき、自分だけが正しい、と主張するつもりはない。
私が悪い場合も多々あると思う。

では、今回のことはどうだったのだろう。

その事件のことを書こうと思う。

東京稲城市の同業者との打ち合わせを終えて、多摩川原橋を渡り調布市に入って少し進んだところの交差点に差し掛かったときのことだった。

信号が点滅していたので、止まった。
そして、体をリラックスさせるために、首をゴキっと左右に鳴らし、両手をハンドルから話した。

そのとき、白いワゴン車が私の前を通り過ぎたところで止まった。
車の横に「○○工務店」と書いてあったのが見えた。

その車の運転席から「危ねえだろうが!」という罵声が聞こえた。

その罵声が私に向いていると思わなかった私は、知らんぷりをした。
だが、運転席の男が車から降り、険しい顔を作って私に向かって歩いてきたのだ。

え? オレ?

そして、男がもう一度「危ねえだろうが!」と怒鳴った。

危ない?
何が?

私は信号が点滅していたので、自転車を普通に止めて、リラックスするためにハンドルから手を離しただけである。
誰にも迷惑をかけていない自信があった。

しかし、目の前の160センチで小太り、怒り肩の男は私を睨んで、仁王立ちをしたのだ。
そして、言った。

「おまえよお、赤信号で無理やり渡ろうとしたろうがよぉ!」

「冤罪」というのは、日常にいくらでも転がっているものだ。

そして、それがたまたまいま私に当たったのだと、私は思った。

私は、自分で言うのも変な話だが、温厚な方だと思っている。
なるべく人様と波風を立てないように生きてきた。

だが、意味もなく私を睨むやからに対しては、睨み返すことを選んできた。
だから、このときも睨み返した。

160センチの男と180センチの私。
下と上で睨み合った。

そして、今度は胸ぐらを掴まれた。

なんで?

「なんで赤信号で渡ろうとしたんだよ。なに考えているんだ! おまえ!」

年齢は60歳を過ぎていると思われた。
だから、私の先輩だ。

しかし、私はその先輩に向かって失礼にも、おまえ、何か勘違いしていないか、と反論したのである。

どう考えたって、どう見たって、私の自転車は車道には、はみ出していない。
冷静に考えれば、わかる話ではないか。

だから、おまえ、俺の自転車は、いまどこに止まっている、と男に聞いた。

その「おまえ」が、相手の怒りに火をつけたのだろう。
私の胸ぐらを掴む手に力が入った。
殴るつもりなのかもしれない。

しかし、むしろ殴られたほうがわかりやすのではないか、と私は冷静に判断した。
そうすれば、この男を200メートル先の下石原の交番まで連れて行って告発することができる。

とは思ったが、他のことも頭に浮かんだ。

おまえの車には、ドライブレコーダー(車載カメラ)はないのか?

私がそう言うと、男が「ある」と素直に答えた。

あるのなら、それを見てみろよ。
それを再生すれば、俺が赤信号を渡ろうとしていないのがわかるだろう。

しかし、私のまっとうな主張に、男は首を振った。

「カメラより、俺の目の方が正しいんだよ!」

理屈になっていない。
こういう場合は、第三者の目こそが有効な判断材料になる。

他に誰も見ている人がいないときは、機械の目に頼るのが一番合理的ではないのか。
だから、私は、なぜレコーダーを見ないのだ。おまえ、本当は自分の目に自信がないんだろう、と問い詰めた。

男が少しひるんで、私の胸ぐらをつかんでいた手を離したとき、近くに若い男が寄ってきた。

「どうしました?」

30歳前後のサラリーマン風の男だった。

私は事情を説明した。
私の説明を聞いた男は、「ああ、それはわかりやすいですね。ドライブレコーダーを見れば全てわかりますもんね」と頷いてくれた。

「なんだよ、面倒くせえなあ、じゃあ、いいよ!」
男は、怒鳴ったあとで素早く身を翻し、自分の車の運転席まで早足で歩いて行って、すぐに車を発進させ我々の目の前からいなくなった。

私と30歳前後のサラリーマン風の男は、間抜けなかたちで交差点に取り残された。

いったい、あれは、なんなんでしょうね、と私は呟いた。

しかし、そのとき、サラリーマン風の男が、私にとって意外なことを言って、私を非難がましい目で見たのである。

「ああいうときは、適当に謝っておけば良かったんじゃないですか。それで相手の気が済むなら、僕ならすぐ謝りますけどね。オタク、大人気ないですね」

そんな捨て台詞を残して、足早に横断歩道を渡っていった。


そうなのか。
自分が悪くなくても、謝っておけば波風が立たないと判断して、誰もがこの場合、謝るのが普通なのか。


そうなのかぁ・・・・・・。


俺は、大人気ないのかぁ。



すこぶる落ち込んで反省させられた日だった。


自転車災難

2016-03-20 09:00:00 | オヤジの日記
これは、今週の金曜日に起きた出来事である。

東京都中央区新川の得意先に行こうと自転車で中央線武蔵境駅に向かっていたときのことだ。
途中に200メートルほどの一方通行の直線道路があった。

武蔵境に行くには、その道を通って、途中T字路を右折し、しばらくしてまた右折すると「独歩通り」という大きな道路に出る。
これが、一番の近道なのだ。

その一車線の道路を10メートル入ったところで、煙を吐きながら自転車を漕ぐご老人の後ろ姿が見えた。
その自転車の走行速度は、かなり遅かった。
おそらく時速2~3キロ程度だろう。

自転車に乗る方はご存知だと思うが、自転車という乗り物は、スピードが早ければ真っ直ぐ進むが、遅いとハンドルの重みに耐えられないせいで、コントロールするのが難しくなる。

要するに、フラフラする。

そのご老人も例外ではなかった。
右に左に大きく蛇行しながら、幅2.5メートルほどの道路を左右いっぱいに使ってフラフラと走っていた。

最初、ご老人が右方向に行ったときに、左から通り抜けようと思った。
しかし、ご老人の自転車は、こちらの予想に反して、バランスを崩し道路に対して垂直の向きになって止まってしまったのである。

道を塞がれた形だ。
老人は、2~3分間ハンドルと格闘したのち、懸命に体勢を立て直し、またフラフラと漕ぎ始めた。

老人がまた右方向に向かったので、左を通り抜けようとしたが、老人がまたバランスを崩した。
通り抜けるとき、もしご老人と接触したら、と考えたら強引に抜くのは危険かもしれないと思った。
だから、抜くのは諦めた。

時機を待とう、と思った。

そんな風に老人がバランスを崩すことが、4回続いた。

「まいったな」と頭を掻きながら後ろを振り向くと、軽のワゴンが後ろにいることに気づいた。
運転席を見ると、ドライバーが両手で×のマークを作って、首を振っていた。

「諦めたほうがいいよ」と言っているのだろう。

仕方ないか、と諦めかけたとき、30メートルほど進んだご老人が、突然自転車を停めて新しいタバコに火をつけたのである。
幸いなことに、道路の端の方で自転車を停めてくれたものだから、私も軽のワゴンもその間に、ご老人の前を通り抜けることができた。

ワゴンのドライバーがガッツポーズ。
釣られて私もガッツポーズ。

30メートル進むのに10分近くかかったご老人は、その200メートルの一方通行をどれくらいの時間で走破したのであろうか。

どうでもいいことだが、気になった。


中央区新川の得意先へは、東京駅から歩くのが一番効率がいい。
15分程度で到着することができる。

昭和通りを抜けて、橋を渡ると狭い歩道があり、そこを20メートルほど行けば、得意先のビルがある。

その狭い歩道の入口の箇所で、30歳前後のママさん方5人が、歩道に自転車を停めて立ち話をしていた。
歩道が完全に塞がっている状態なので、そこを通るのは不可能だった。

しかし、文句を言うのも面倒くさかったので、私は一旦車道に出て、また歩道に入るという方法をとった。
この程度のことで、人様と無用な摩擦を起こしても仕方がない。
身勝手な大人は、どこにでもいるのだから、我慢するしかない。

だが、我慢できないオジさんというのも世間にはいるのである。
大声で、「おい、あんたらさあ、ここは、あんたらの土地かよ! そんなところで立ち話なんかしてたら、通れないだろうが! 迷惑も考えろよ!」と叫んだのだ。

それに対して5人のママさん方は、「ヘン! うるさいから、近くの公園に移りましょう!」と捨て台詞を残して、自転車にまたがった。

最初から公園で立ち話をしていれば、波風は立たなかったのに、と思ったが、人にはそれぞれ事情があるだろうから、第三者がいい加減なことを言うのは良くないと考え直した。


打ち合わせを終えての帰り道。
今度は、逆ルートで家に帰る。

途中でT字路を左に曲がらなければいけない。
だから、5メートル手前で、左に曲がりますよ、という意思表示のため、左手を斜めに向けて進行方向を指し示した。

左にカーブしようと速度を落としたとき、私の左手に自転車がぶつかってきた。
そのあと、人間の肩が、私の左の脇あたりに飛んできた。

バランスを崩しかけた。
何が起こったのかと思った。

見ると、60歳くらいのオバさんが、私の脇を強打した影響で若干バランスを崩しながらも、私を真っ直ぐ追い越していくところだった。

要するに、オバさんは、私の左側から私を追い越して、そのまま直進しようとしていた。

左に曲がるという私の意思表示は、まったく見えなかったようだ。
私がスピードを落としたのをこれ幸いと、全速で抜きにかかったのだろう。

普段は24時間のうち23時間59分間、温厚な私であったが、このときばかりは、残りの1分間だった。

乱暴だなあ!
左に曲がるというサインが見えなかったんですか!
怪我するところでしたよ!

それに対して、オバさんは鬼の顔を作って、叫んだのである。

「見てないわよ!
こっちは、急いでるんだから、喧嘩売らないでよ!
まったく!」

肩を怒らせ、そのまま脇目もふらずに高速でペダルを漕いで、私の視界から消えていったオバさんだった。


素晴らしいですね。

「見てないわよ!」と言い切るところが、「私は絶対に反省なんかしないんだから!」という意思を表明して、実にアッパレだった。


そこで、本日の教訓。

自転車というのは、乗る人によっては、とても迷惑なものになる。



私は、あんなふうなジイさん、ママさん、オバさんにはならないようにしよう、と固く決意した一日だった。



日々是無関心

2016-03-13 08:44:00 | オヤジの日記
前回のブログは、反響が薄かった。
アクセス数も2割以上減った。

だが、めげずにまたヨメのことを書こうと思う。
なぜなら、「ネタの宝庫」だから。

ヨメの耳には、私以外の人の話はすんなり入ってくるようだが、私の言葉は断片的にしか届かないようだ。
そんな状態が、いま大学2年の娘が生まれた頃から続いている。
つまり、20年。

昔、人気俳優の渥美清さんが亡くなったときのことだ。

私の仕事部屋にヨメが来たので、最新ニュースとして、渥美清がなくなったらしいよ。まだ若かったんだけどね、と報告した。

すると、ヨメが言ったのだ。
「あらまた『男はつらいよ』やるの? 今度は何作目になるのかしら」

つまり、私の会話の中でヨメに届いたのは「渥美清」だけで、ヨメの頭の中では「渥美清」イコール「男はつらいよ」だから、渥美清氏の新作をやるという風に理解したのである。

その後、ヨメは幼稚園バスで帰ってくる息子を迎えに出ていった。
そして、10数分後に、「ねえ、知ってた? ママさん方に聞いたんだけど、渥美清が死んだんだって。びっくりよねえ。突然だわよねえ」と言ったのだ。

私以外の人の言葉は、普通に耳に届くらしい。


ヨメは、私の身の回りにある音も聞こえないという楽しい人だ。

たとえば、私は仕事部屋ではFMラジオを流していることが多い。
全国の天気で、日本海側の予報を告げていたとき、ヨメが仕事部屋にやってきた。

「東北の日本海側では吹雪になるところがあるでしょう」

「え? また大雪。私あした仕事なのに、また大雪。今から準備しておかないと」
慌てて、仕事部屋を出ていった。

吹雪=大雪=東京地方雪=私の仕事が大変、というように話が繋がったようだ。
「東北の日本海側」という声はヨメの耳には一切届かない。


昼メシを食っているときに、近くに住む高齢の母のお世話をしてくださっているヘルパーさんから電話がかかってきた。
昨日から、少し食欲が落ち気味だというのだ。

そこで私は、母はアジのたたきが大好きで、食欲のないときでもアジのたたきは大抵は食べます。もしアジのたたきを食べなかったら、具合が悪いということでしょうから、私が病院に連れていきます、と答えた。

その会話を聞いていたヨメが、電話を終わったあとで、「ああ、今日は久しぶりにアジのたたきなの? ちょっと楽しみねえ」と言った。

会話の中の「アジのたたき」だけに反応したのだ。
ほかの箇所の方が重要なのに、見事に飛ばして理解したようである。

だから、私は自転車をすっ飛ばして、近所のスーパーでアジを4尾買い求め、高速でさばいて晩メシの食卓に並べることになった。
その日のメニューはオムライスの予定だったが、全く違うものになった。


娘との会話。
娘のお友だちの飼い犬がうつ病にかかったかもしれないというのだ。

犬がうつ病?
ストレス社会なら、犬にうつ病があってもおかしくないかもしれない、と私は憐れみながら納得した。

きっと繊細な子なんだろうね、と私が言ったとき、ヨメがその会話を聞きつけて私たちの顔を覗き込みながら言った。
「え? とうとう我が家にも、うつ病が出たの? いまはうつ病に効くいい薬があるらしいから、早く医者に行ったほうがいいわよ。武蔵境駅の近くの女医さんは名医らしいわ。絶対に治るわよ。だから、落ち込まないで」

我々の顔を交互に見て、ヨメは大きく頷いた。

それに対して、「そうだね。早く動物病院に行くように勧めてみるよ」と娘。

「え? 動物病院?」


私事だが、私は突発性難聴のため右耳が聞こえない。
そして、いまだに原因はわからないのだが、10年ほど前から右目が極端な弱視になった。
だから、6年前に自家用車を売り、免許の更新もやめた。

だから、いま私はドライバーではない。

そのことは、ヨメに最初に告げた。

しかし、まったく伝わらなかったようである。

4年前のことだが、「ねえ、久しぶりに横浜の三渓園に行ってみない? 友だちが車を貸してくれるって言うからパパの運転で行きましょうよ」と言われた。

いや、俺はもう免許持っていないから。

「あ、そうなの? 知らなかった」


その数ヶ月後、「ねえ、友だちに伊豆に行こうって誘われてるの。車はあるけど、運転する人がいないの。パパできるわよね?」

いや、俺はもう免許持っていないから。

「あ、そうなの? 知らなかった」


そして、今週の木曜日のことである。

「ねえ、今年のお花見は、ちょっと遠出をしてみない? お友だちのサクマさんがワゴン車を貸してくれるって言うの。だから、パパの運転で東京以外のところにお花見に行きましょ」

その場所には、25歳の息子と20歳の娘がいた。
このふたりは、毎回の我々のコントをいつも見ているのだが、さすがに、もう飽きたのかヨメの言葉に何の反応も示さなかった。

私も面倒になったので答えを返さなかった。

そんな風に反応の薄い我々の態度を見たヨメは、「ああ、とうとう25年間続いた我が家のお花見も終わりになったかあ。まあ、仕方ないわよね。子どもたちも大きくなったことだしぃ」と歌うように言って、私の仕事部屋からフェイドアウトした。

そのあとで息子が言った。
「あれは、わかって言ってるんだよね」

「いや、あの人に限って、それはない」と娘。


俺もそう思う。



私に無関心なヨメ

2016-03-06 09:02:00 | オヤジの日記
我がヨメとの関係性を友人に話すと「嘘だろ!」と言われることが多い。

嘘ではない。
本当です。


基本的に、私のヨメは、私に関心がない。
私はほとんどの奥様方は、旦那様の仕事に関心が無いと思っていたのだが、友人たちに「そんなことはない」と否定されてたいへん驚いた。

友人たちの奥さん方は、旦那様の仕事をそれなりに把握しているらしいのだ。

私のヨメは、私がフリーランスだということは知っているが、仕事の内容に関しては、一度も聞いてきたことがない。
パソコンで仕事をしている、くらいの認識しかない。

得意先のことも当然知らない。
さらに、ヨメから得意先からいつ請負代金が振込まれるかも聞かれたことがない。

だから、私の年収も知らないはずだ。

ただ、ヨメは、いま週に4回午前中だけお花屋さんでパートをしているが、私もヨメの稼ぎがいくらかを知らないので、お互いの稼ぎに無関心であるという点では「おあいこ」と言っていい。

しかし、だからといって、ふたりの関係が冷め切っているというわけではない。
お互い時間が空いたときは、東京武蔵野のオンボロアパートから小金井公園まで二人で散歩をすることもある。
武蔵境の大戸屋で昼メシを一緒に食うこともある。

浜田省吾のライブに行ったりもする。
湊かなえのミステリーを読んで、感想を言い合ったりすることもある。

だが、ヨメの私に対する関心が、一貫して薄いことに変わりはない。

私が、人から体の心配をされるのが病的なほど嫌いということもあって、結婚後すぐヨメは私の健康に無関心になった。
私が具合が悪いのを隠して仕事をこなしているということもあるが、ヨメは、私の体の具合を推し量ることを結婚1年目から諦めたようである。

そのことは、私にとっては大変都合がよかった。

「大丈夫?」と体のことを聞かれても、フリーランスは仕事を請け負った以上、熱があろうが吐き気がしようが腰痛で動けなくなろうが、仕事を終えなければ、次の仕事は貰えないのだから、答えようがない。

さらに、「ちょっと休んだら?」という無責任な言葉を聞くと、私は腹が立つという人でなしだ。
では、その休んでいる間、この仕事はどうなるのだ。
納期が遅れるだけではないか。

フリーランスにとって、納期の遅れは致命的だ。
信用がゼロになる。
ゼロになったものを一から組み立てなおすほど、私はもう若くはない。

だから、気軽に「休んだら」などと言って欲しくない。


「大丈夫?」「休んだら?」「からだ壊すよ」と言われるたびに、私は大きなストレスを感じるタイプのクズ人間だ。
それより「働け! 働け!」と言ってもらった方が、私の精神は絶対に安定する。

何を言われたって、休めるわけがないのだから。


結婚1年目で、そのことを理解したヨメは、たぶん賢い人だと思う。


だから、私は今の状態にとても満足している。

ただ、少しだけ、私の思惑とは違う方向にヨメが行ってしまったことに関しては、若干ではあるが後悔している。

それは、仕事と仕事の間に、暇な時間ができたときのことだ。
長いときは、3日程度何も仕事がないときがある。

そんなとき、私が家にいてノンビリしていると、ヨメは不機嫌になる。
1日目は、まだ許してくれるが、2日目になると「仕事ないの? 探してくればいいじゃない!」と尖った声で言うのである。

いや、明後日には新しいのが2つ入ってくるんだけどね。
(そのための休養なんだけど・・・)

「じゃあ、今日も明日も何もしないで過ごすの? 待ってるだけなの?」

何もしないわけではない。
我が家では、メシを作るのは私の役目である。
食材の買出しにも行く。

つまり、何もしていないわけではない。

「でも、それは『日課』であって、『仕事』ではないわよね」

なかなか鋭いことをおっしゃる。

そのようなヨメからの圧力を受けるのが嫌なので、私は5、6年前から仕事のない日は、スーツを着て家を出ることにしていた。
要するに、営業に行くふりをして外で羽を伸ばすことにしたのだ。

横浜の海を見たり、武蔵野から路線バスを乗り継いでお台場まで行ってみたり、神奈川県厚木市の温泉まで日帰りで行ったり、あるいは新橋で昼間から酒を飲んで過ごしたりという、サラリーマンの方には申し訳ない休日を過ごしているのである。

それは、2ヶ月に1度あるかないかのことだが、確実に私の心はリフレッシュしていると思う。
オンボロアパートの外観は、どこから見てもオンボロだが、リフレッシュしたあとは、歴史を感じさせる風雅な佇まいに見えるほど、休息は私の心を安らぎで満たしてくれる。


今年初めてのオフだった先週の月曜日は、朝11時から餃子店巡りをした。
最初にビールを飲んでしまうと腹が膨れてしまうので、ビールは最後の店まで我慢した。
荻窪、吉祥寺、三鷹、国立の餃子専門店を回って、最後に立川の餃子バーで焼き餃子と水餃子をいただいた。

ビールもいただいた。
満足した。

夕方、オンボロアパートの駐輪場で、夜のバイト(イトーヨーカ堂)に行く大学2年の娘と顔を合わせた。
そして、言われた。
「おまえ、酒飲んできたな。餃子も食べたな」

なぜわかった?

「匂いですぐにわかった。おそらく誰が匂いを嗅いでも百発百中だな」
「今日は、営業じゃなかったのか?」
「そんな匂いを振りまきながら帰ったら、言い訳できないぞ。まだ夕方だぞ、ヤバくないか?!」
畳み込むように言われた。
マシンガントークだ。


娘の口調に気圧された私は、結局、口止め料として2千円取られた。
さらに、臭いを消すために、口臭予防のタブレットや消臭スプレーを買ったから、結構な出費だった。

これからは、匂いのきつい食い物はやめようかと思う。
そして、アルコールは最初に飲むことにしよう。
それなら、家に帰るまでに匂いは消えるであろう。

せっかくの休みを有意義に使うためにも、細心の注意を払わなければならない。




とはいっても・・・・・いったい、俺は、何をやっているんだか・・・・・。