昔の歌には、ほとんど興味がない。
現役バリバリの歌手が自分の昔の歌を今の歌い方で歌うのは、その歌手の歴史がわかって興味深いのだが、いわゆる「懐メロ」というものに、私は、まったく興味がわかない。
昔の歌は、よかったね。
本当に、昔の歌は良かったのか?
今の歌を、どれだけ知っていて、そう言っているのだろうか。
ただ、新しい歌を受け付けないから、拒んでいるだけではないのか。
懐かしさだけで言っているのなら、それは、おそらく脳の老化だ。
以前にもブログで書いたことがあるが、歌には「思い出のフィルター」というものが、付加される。
その「思い出のフィルター」は、時の経過が長ければ長いほど、懐古的な情緒を増幅するから、歌が脳内に強い情緒を植え付ける。
そして、良いことも悪いことも、ベクトルの幅の振れが大きいところが強く記憶されて、「自分だけの思い出」を形づくる。
だから、懐かしの歌が好きな人には、そのベクトルの振れの大きさが「いい歌」の判断基準になる。
「思い出のフィルター」が、それを「いい歌」として焼き付けるのだ。
それが、思い出の歌のメカニズムだ。
しかし、今の歌には、その人の浅い歴史しかないから「思い出のフィルター」の効力が弱い。
「思い出のフィルター」によって脳内に焼き付けられた過去の歌に、こだわりすぎる人に、今の歌が心に響いてこないのは当たり前のことだ。
過去を基準に歌の善し悪しを決める人に、今の歌が受け入れられるわけがない。
昔の歌は、よかったよ。
みんなが歌える歌が、いくらでもあった。
今の歌は、駄目だ。
そうだろうか。
昔は、ゴールデンタイムにテレビをつければ、必ずどこかの局で音楽番組を放映していたと思う。
つまり、目に止まる機会、耳を傾ける機会が、今とは比べものにならないくらいあった。
そして、メロディもリズムも歌詞も、単純でわかりやすかった。
それと比べると、音楽番組が減り、音楽も多種多様になり、音楽以外の娯楽が増えた今は、「思い出のフィルター」が、音楽以外に作用するという現実がある。
選択肢の少ない時代の歌と選択肢が広がった時代の歌では、歌の持つ役割さえも違うのではないか、と私は思っている。
その人にとって、昔の歌は良かったのかもしれないが、「思い出」というアドバンテージのおかげで美化され続ける歌に、私は興味がない。
前回も書いたように、私にも思い出の歌がある。
しかし、私は、その歌を「昔は良かった」という理由で聞くことは決してない。
その時の私の感情に、ストレートに入り込んできたから「いい歌だ」と思うだけである。
そして、いま、この時代を反映したと思える歌は「思い出のフィルター」など関係なしに「いい歌」だと思うから、私には懐かしいだけの歌は必要がない。
懐かしさを人と共有したいとも思わない。
魂を込めた新しい歌は、今の時代、自分で探せば、いくらでもある。
その歌を探す楽しみを、私は放棄したくない。
現役バリバリの歌手が自分の昔の歌を今の歌い方で歌うのは、その歌手の歴史がわかって興味深いのだが、いわゆる「懐メロ」というものに、私は、まったく興味がわかない。
昔の歌は、よかったね。
本当に、昔の歌は良かったのか?
今の歌を、どれだけ知っていて、そう言っているのだろうか。
ただ、新しい歌を受け付けないから、拒んでいるだけではないのか。
懐かしさだけで言っているのなら、それは、おそらく脳の老化だ。
以前にもブログで書いたことがあるが、歌には「思い出のフィルター」というものが、付加される。
その「思い出のフィルター」は、時の経過が長ければ長いほど、懐古的な情緒を増幅するから、歌が脳内に強い情緒を植え付ける。
そして、良いことも悪いことも、ベクトルの幅の振れが大きいところが強く記憶されて、「自分だけの思い出」を形づくる。
だから、懐かしの歌が好きな人には、そのベクトルの振れの大きさが「いい歌」の判断基準になる。
「思い出のフィルター」が、それを「いい歌」として焼き付けるのだ。
それが、思い出の歌のメカニズムだ。
しかし、今の歌には、その人の浅い歴史しかないから「思い出のフィルター」の効力が弱い。
「思い出のフィルター」によって脳内に焼き付けられた過去の歌に、こだわりすぎる人に、今の歌が心に響いてこないのは当たり前のことだ。
過去を基準に歌の善し悪しを決める人に、今の歌が受け入れられるわけがない。
昔の歌は、よかったよ。
みんなが歌える歌が、いくらでもあった。
今の歌は、駄目だ。
そうだろうか。
昔は、ゴールデンタイムにテレビをつければ、必ずどこかの局で音楽番組を放映していたと思う。
つまり、目に止まる機会、耳を傾ける機会が、今とは比べものにならないくらいあった。
そして、メロディもリズムも歌詞も、単純でわかりやすかった。
それと比べると、音楽番組が減り、音楽も多種多様になり、音楽以外の娯楽が増えた今は、「思い出のフィルター」が、音楽以外に作用するという現実がある。
選択肢の少ない時代の歌と選択肢が広がった時代の歌では、歌の持つ役割さえも違うのではないか、と私は思っている。
その人にとって、昔の歌は良かったのかもしれないが、「思い出」というアドバンテージのおかげで美化され続ける歌に、私は興味がない。
前回も書いたように、私にも思い出の歌がある。
しかし、私は、その歌を「昔は良かった」という理由で聞くことは決してない。
その時の私の感情に、ストレートに入り込んできたから「いい歌だ」と思うだけである。
そして、いま、この時代を反映したと思える歌は「思い出のフィルター」など関係なしに「いい歌」だと思うから、私には懐かしいだけの歌は必要がない。
懐かしさを人と共有したいとも思わない。
魂を込めた新しい歌は、今の時代、自分で探せば、いくらでもある。
その歌を探す楽しみを、私は放棄したくない。