「大御所」というのを避けている。
それは、私が、ひねくれものだから。
たとえば、歌手でいえば、松任谷由実、小田和正、矢沢永吉、長渕剛、井上陽水、中島みゆき。
ドラマに彼らの歌が挿入歌として使われていたり、CMで流れたりしたら、すぐに「ミュート」にする。
理由はない。
おそらく、性に合わないからだ。
俳優も、高倉健の映画は見たことがない。
亡き渥美清の「男はつらいよ」はテレビで2回見たが、最初の20分くらいで、こちらがつらくなって、観るのをやめた。
作家でいえば、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、松本清張、西村京太郎、内田康夫、山村美沙、横溝正史は読まない。
村上春樹も敬遠している。
芸能人の場合、みのもんた、和田アキ子が画面に出たら、すぐにチャンネルを変える。
お笑い芸人では、ビートたけし、島田紳助は見ない。
子分を引き連れて、身内だけで盛り上がる馴れ合いの芸を私は見たくない。
ダウンタウン、明石家さんまは、子分はいないようだが、仲間内の話題で笑いをとる手法が、性に合わない。
ただ、大御所の中では、タモリだけは別だ。
特別好きではないが、見ていて、嫌ではない。
おそらく徒党を組まない、というところがいいのだと思う。
適度な自己顕示欲と、どれをとっても一流とはいえない芸とのバランスがいい。
芸人にとっての生命線である目の動きを見せず、笑いを取る特異さ。
ほとんどがアドリブと思われる、自己中心的で行き当たりばったりなトーク。
随所に見せるマニアックなこだわり。
相手を立てず、自分をよく見せようともしない、ある意味投げやりな存在感。
彼の芸は、少数派の芸だ。
そして、それは決してナンバーワンではない。
オンリーワンでもない。
ただ、多数派でいることを拒む、流行に左右されない異端の芸である。
その流行に左右されないというところが、彼の武器だろう。
流行の波を受け止めることもせず、乗ることもせず、眺めることもしない。
たとえ眺めていたとしても、興味を持って眺めているわけではない。
無関心に眺めているだけなのだ。
少数派である自分を、決してその枠から、はみ出させることはない。
それが、きっと彼が長いことテレビに出続けている理由だ。
それは、私が、ひねくれものだから。
たとえば、歌手でいえば、松任谷由実、小田和正、矢沢永吉、長渕剛、井上陽水、中島みゆき。
ドラマに彼らの歌が挿入歌として使われていたり、CMで流れたりしたら、すぐに「ミュート」にする。
理由はない。
おそらく、性に合わないからだ。
俳優も、高倉健の映画は見たことがない。
亡き渥美清の「男はつらいよ」はテレビで2回見たが、最初の20分くらいで、こちらがつらくなって、観るのをやめた。
作家でいえば、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、松本清張、西村京太郎、内田康夫、山村美沙、横溝正史は読まない。
村上春樹も敬遠している。
芸能人の場合、みのもんた、和田アキ子が画面に出たら、すぐにチャンネルを変える。
お笑い芸人では、ビートたけし、島田紳助は見ない。
子分を引き連れて、身内だけで盛り上がる馴れ合いの芸を私は見たくない。
ダウンタウン、明石家さんまは、子分はいないようだが、仲間内の話題で笑いをとる手法が、性に合わない。
ただ、大御所の中では、タモリだけは別だ。
特別好きではないが、見ていて、嫌ではない。
おそらく徒党を組まない、というところがいいのだと思う。
適度な自己顕示欲と、どれをとっても一流とはいえない芸とのバランスがいい。
芸人にとっての生命線である目の動きを見せず、笑いを取る特異さ。
ほとんどがアドリブと思われる、自己中心的で行き当たりばったりなトーク。
随所に見せるマニアックなこだわり。
相手を立てず、自分をよく見せようともしない、ある意味投げやりな存在感。
彼の芸は、少数派の芸だ。
そして、それは決してナンバーワンではない。
オンリーワンでもない。
ただ、多数派でいることを拒む、流行に左右されない異端の芸である。
その流行に左右されないというところが、彼の武器だろう。
流行の波を受け止めることもせず、乗ることもせず、眺めることもしない。
たとえ眺めていたとしても、興味を持って眺めているわけではない。
無関心に眺めているだけなのだ。
少数派である自分を、決してその枠から、はみ出させることはない。
それが、きっと彼が長いことテレビに出続けている理由だ。