リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

老後は安泰か?

2017-07-30 06:50:00 | オヤジの日記

以前、リブロース・デブのスガ君のことを書いた。

 

14歳年下のスガ君は、私のことを「アニキ」と呼んで慕ってくれていた。

そして、彼はこんな嬉しいことを私に言うのだ。

「アニキが今の仕事を辞めたら、俺に面倒を見させてください。俺の会社でノンビリと働いてくださいよ。会社には毎日出る必要はありませんから。気の向いたときに出て、俺にアドバイスしてください。待ってますよ」

よくできた弟分だ。

涙が出る。

 

長年の友人の尾崎は「年食ったら、俺とジャズバーをやらねえか。資金は俺が出す。客の相手をするのは、おまえだ。俺は裏方をする。ワクワクするじゃねえか」と言ってくれている。

 

極道コピーライターのススキダは、「何年か後に、白馬か斑尾のペンションを居抜きで買おうと思っている。いま準備しているところだ。おまえ、俺のペンションでシェフをやらねえかい。いま麗子(ススキダの奥さん)は、ホテル実務技能認定試験を取ろうと勉強しているところだ。なんなら、おまえの家族全員を抱え込んでもいいぜ。考えておいてくれねえか。こき使ってやるから」と私を脅していた。

 

私は、胸を張って言えるが、たいした男ではない。

「記憶にない」を連発する政治家や首相補佐官より、ほんの少しましな程度だ。

それなのに、こんなにもありがたいことを言ってくれる知り合いがいる。

 

 

そして、もう一人、ありがたいことを言ってくれる男が私にはいた。

テクニカルイラストの達人、アホのイナバだ。

なぜ、アホなのかというと、正しい日本語が使えないし、一般常識を知らないからだ。

ある日、「マツさん、俺最近、『ボロ雑巾』を買ったんですよ」とイナバ君が言った。

ボロ雑巾を買った? ボロ雑巾とは買うものなのか。あれは、使った末にボロになるからボロ雑巾というのではないだろうか。君には、そんなものを買う趣味があったのか。変わってるな。

「うちの奥さんが、可愛いから買わない? と言うから買ったんですよ。確かに買ってみると可愛くて可愛くて、もう家族揃ってメロメロですよ」

変わった家族だな。ボロ雑巾を可愛いと思うなんて。

「品のいい顔で手足が長いんですよね。頭もいいし、無駄に鳴かないし、飼いやすい犬ですね」

イナバ君、まさか、ボルゾイ犬ことを言っているのかい?

「そうです、ボロ雑巾です」

 

こんなコントが、毎回味わえるのだ。楽しいアホは、最強だ。

イナバ君は、スガ君と同じく私より14歳下である。

12年前に、精密なイラストが必要なときに、友人の紹介で知り合った。

初対面のときは、年上の私に対してタメグチだった。一般常識を知らないから、話がかみ合わなかった。

そして、最後に、「俺、イラストの他に、ジオラマもやっているんだよね」とイナバ君が言った。

私は、からかうつもりで、それは「ジオラマ」じゃなくて「ジローラモ」と言うんだよ、とイナバ君に言った。

「ああ、間違った、ジローラモだった」

それ以来、アホのイナバは、「ジオラマ」のことを「ジローラモ」と言うようになった。

 

イナバ君と街を歩いたことがあった。

すると、突然、「あれ菊池藤田って珍しい名前ですね」と言った。

見ると、菊池さんと藤田さんの表札がかかっていた。

イナバ君、これは、二世帯住宅ではないかい? つまり、サザエさんと一緒だよ。サザエさんちは、「磯野家」と「フグ田家」が同居してるだろ。あの方式だ。

「ああ、そうなんですか。俺、一枚の表札では入りきれないから、2枚に分けたと思いました。『イソノさん』見てないから知りませんでしたよ(サザエさんだけどな)」

 

昔、娘に、水戸黄門の決めゼリフを「この印籠が~」ではなく、下品にも「このコーモンが目に入らぬか」と教えたことがあった。

それを娘は真に受けて、小学校5年のときに、みんなの前で披露した。

すると、お友だちから、「夏帆ちゃん、それ違うよ。この印籠が~だよ」と笑われた。

「おまえ、とんでもない野郎だな」と怒られた。

これと同じことを私はアホのイナバに教えた。

アホのイナバは、いまだに、この決めゼリフを家庭で突然叫ぶことがあった。

しかし、奥さんと子どもたちは、笑って許してくれるというから、とてもピュアな家族ではないか。

 

5年ほど前のことだが、私はイナバ君に、俺、一度もお小遣いを貰ったことがないんだよね、と言ったことがあった。

これは、実は本当の話だ。

私は、一般の概念で言うお小遣いを人からもらったことがない。家計は握っているが、必要な経費から必要なものだけを買うという方式をとっているので、それは私のためではない。

つまり、お小遣いがない。

それを聞いたイナバは、「じゃあ、好きなものも食べられないじゃないですか。マツさん、俺が奢ります。いま何が食べたいですか。言ってください。いますぐ食べに行きましょう」と言ってくれた。

オイスター・バーに行きたいな。

「わかりました。俺と奥さんの行きつけのオイスター・バーが立川にあるので、すぐに行きましょう」

イナバのベンツで連れて行ってもらった。

しかし、店はまだ開いていなかった。

(その話のあとから、イナバ君は、毎回メシを奢ってくれるようになった)(喜)

 

 

このアホのイナバの奥さんは、大金持ちである。

6年前に、父親が死んで莫大な遺産を受け継いだのだ。お母さんはすでに亡くなっていたので、イナバ君の奥さん一人が相続した。相続税は、相当な額だったらしいが、それでも現金、株券、不動産はかなり残ったらしい。

そのとき、聞きもしないのに、イナバ君が、その額を教えてくれた。

それを聞いた私は、瞬時に失神しそうになったが、13回深呼吸をすることで、かろうじて失神を免れた。

 

その大金持ちの奥さんは、東京日野市で所有する600平米の土地に、将来小ぶりの老人ホームを友人たちと共同で建てる計画を立てていた。

これからも進む高齢化社会に少しでも役に立ちたい、という立派な考えをお持ちのアッパレな奥さんであった。

 

アホのイナバが言う。

「ねえ、マツさん、出来上がったら、俺と一緒に老人ホームに入りましょうよ」

あのね、イナバ君、俺と君は14歳離れているんだから、一緒に入る、はおかしいだろう。俺が70歳で入ったとして、そのとき君はまだ56歳なんだぞ。

「年なんて関係ないですよ。だって俺たち『似た者夫婦』じゃないですか」

夫婦ではないと思うぞ。

「まあ、とにかく、考えておいてくださいよ。俺、楽しみにしているんだから」

そうまで言うなら、一応、俺も楽しみにしておこうか。

私が、そう言うと、アホのイナバが、「よし、グータッチしましょうよ!」と嬉しそうに言った。

 

だが、私が、グーを出すと、アホのイナバは、パーでタッチしてきた。

グーパータッチになった。

 

 

私は、イナバ君の老後が、とても心配だ。

 

 


ジェームズの爆弾

2017-07-23 06:56:00 | オヤジの日記

ブラザーができた。

 

交通事故で負った怪我の治療のために行った病院の待合室でのことだった。

右のおでこを腫らした黒人さんと目が合った。

ウヮッツァプンド?(どうしたんでい?)と声をかけた。

黒人は、それなりに流暢な日本語で、「スマホをしながら街を歩いていたら、電柱にぶつかった」と答えた。

そして、「日本は電柱が多すぎるよ」と言った。

 

それは違うな。

スマートフォンをしながら歩いていた君が悪い。

電柱さんは、ちっとも悪くない。

電柱さんは、私たちが生まれる前からそこにいるんだ。

彼はマエストロだ。

電柱さんをもっと尊敬しなければならない。

 

私がそう言うと、「すげえな」と言って、黒人さんは私に頭を下げた。

そして、「終わったら、カフェでお茶しませんか?」と言った。

断る理由がなかったので、国立駅近くのカフェに行った。

名刺を渡された。

「ジェームズ・テイラー」と書いてあった。

(昔、そんな歌手がいたような記憶があった)

 

ジェームズは、生粋の黒人という感じではなく白人の血が少し混じっているようだった。

「祖母がフランス人です」とジェームズは言った。

国籍はイギリス。

3年半ほど前に、日本に来たらしい。

ロンドンでは、旅行会社に勤めていた。

アジア旅行の企画を担当していた。

そして、4年半ほど前に、はじめて日本に来たという。

いま日本でも旅行会社に勤めていると言った。

身長は私と同じくらいだが、筋肉質なので、でかく見えた。

きっとゴスペルが上手いだろうな、と勝手に思った。

 

日本に来たのは、30歳のときだった。

 

そのときジェームズは、衝撃を受けた。

初めて訪問した日本で、パスポートなどが入ったバッグをなくしたとき、そのバッグが無事に帰ってきたのが、とてもマーヴェラスだったと感激した。

「だって、他の国だったらありえないから!」

 

そして、日本の子どもたちの親しみやすい笑顔にも惹かれたという。

「僕は色んなアジアやヨーロッパの国の子どもたちを見てきたけど、あんなに親しみやすい子どもはいないよ。イギリスの子どもなんて、大人を皮肉な顔で見つめるだけだからね。ドント・トラスト・オーヴァー・サーティ(30歳以上を信じちゃいけん)を彼らは、子どものときから実践しているんだよ」

 

「だけどね、なんで、日本の子どもたちは、カメラを向けると必ずピースサインをするんだろうね。あれは特殊すぎて、理解できないよ」とジェームズが言った。

 

ちっともおかしくないだろう。

たとえば、中指だけを出したら、相手に失礼に当たるだろ。

だから、日本人は中指の他に人差し指を出すんだよ。

それが、平和へのアピールだ。

 

私がそう言うと、ジェームスは、最初はキョトンとしていたが、手を叩いて喜んでくれた。

そして、私の両肩を叩いた。

(馴れ馴れしいんだよ)

 

「でもね」とジェームズが言う。

「他にも理解できないことが僕にはあるんだよね」

「路上の喫煙には、すごい規制があるのに、たとえばカフェとかお店とかでの分煙、禁煙は徹底されていないよね。密閉された場所での喫煙は、他の国と比べて日本は甘い気がするんだ」

 

それはきっと、日本の政治家や官僚が、喫煙率が高いから、政策的に後回しにされているんだと思う。

煙草に関しては、外国はエキセントリックに規制するけど、日本では逆の意味のエキセントリックで、「煙草くらいはいいだろう」という反発が国民の間にあるんじゃないだろうか。

 

そもそも煙草産業は、「日本専売公社」という国が主体の会社だった。

日本は、太古から「主上(おかみ)」のすることに盲目的に従う風潮があった。

だから、国が主体の政策に、盲目的に従う風潮がある。

いまは、「日本専売公社」は「日本たばこ産業」になったが、母体は変わらないと国民は思っているのかもしれない。

つまり「主上(おかみ)」がすることだから、目くじら立てるなよ、という空気があるのではないか。

 

煙草を吸う権利は、世界中の人々に等しくある。

それぞれの喫煙事情も国によって違う。

 

ジェームズと私は吸わないが、それぞれが納得して吸っているなら、マナーさえ守れば、いいのではないだろうか。

 

そんな私の意見に、ジェームズは納得がいかないようだったが、そのあと突然ジェームズが爆弾を落としたのだ。

 

「僕、8月に結婚するんです。モモコさんです。結婚式はしないですけど、レストランを借りて、9月にパーティを開きます。パーティにmatsuさん、来てくれますよね」

 

え?

会ったばかりなのに、結婚パーティ?

 

「時間は、関係ないでしょ」とジェームズに言われた。

「だって、僕たち、今日からブラザーだから」

 

え?

ブラザーって、そういう風に使うの?

俺、あんたより、30歳近く年上だけど。

 

それで、ブラザー?

 

「イエス、ブラザー」と言われた。

 

「アニキ」ってこと?

 

「そうだね」と頷かれた。

 

 

このとき、ジェームズとブラザーになった。

 


デブのラーメン愛

2017-07-16 06:49:00 | オヤジの日記

社長様の友人が結構多い。

 

だからと言って、私の顔が広いわけではない。

むしろ、小顔だと言われる(8頭身のガイコツ)。

 

極道コピーライターのススキダは、姑息にも外国人観光客を見込んで、将来ペンション経営を企んでいるから、2年前に下準備用の会社を立ち上げた。つまり、社長様だ。

長年の友人の尾崎も化粧品、薬局、洋酒販売、そしてスタンドバーを経営なさる社長様だ。

新宿でいかがわしいコンサルタント業を営むバッファロー・オオクボも社長様。

東京京橋でイベント会社を経営するイケメン・ウチダ氏も社長様。

 

そして、もうひとり、デブの社長様を私は知っていた。

リブロース・デブのスガ君だ。

身長175センチ、体重110キロのデブ。

2年前までは130キロの大デブだったが、結果にコミットした結果、20キロの減量に成功した。

ただ、これ以上痩せるつもりはないようだ。

「だって、俺が妻よりも体重が軽かったらおかしいでしょう!」

そうだった、あんたの奥さんは、100キロを超えていたのだったな。

ちなみに、スガ君の二人のお子様もおデブちゃんだった。

同じものを食っているのだから、太るのは当たり前だ。

 

私より14歳年下のデブは、静岡でレンタルボックス、カラオケボックス、レストラン、駐車場、倉庫などを多角的に経営する社長様だ。

しかし、よくここまで成長したものだと思う。

知り合った頃のスガ君は、しがないラーメン屋の店主だった。

私がフリーランスになりたての18年前のことだった。

埼玉でランニング仲間だった人が、訳あって静岡の実家に帰り、イベント企画会社に勤めた。

その縁で、仕事をいただくようになった。

年に3~4回、静岡に出張した。

そのとき、たまたま昼メシを食おうと寄ったのが、スガ君の店だった。

 

醤油ラーメンを頼んだ。

ひと口食って感じたのは、懐かしいな、というものだった。

うまい、まずい、濃厚だ、あるいは、物足りない、というのではなく、ただ懐かしいと思った。

厨房を見ると、デブがとても嬉しそうに、ラーメンを作っていた。

その笑顔からは、大きな「ラーメン愛」が伝わってきた。

会計のとき、心にしみる味だね、ありがとう、と言った。

そのときのスガ君の笑顔は、ヒマワリのように鮮やかだった。

 

次に行ったとき、スガ君が私の顔を見て、「あ! また来てくれたんですかぁ!」とヒマワリ顔で出迎えてくれた。

私のことを憶えていてくれたのだ。

スガ君とは、それで友人になった。

 

だが、この店は長く続かなかった。

4年半で店を畳んだ。

そして、離婚。子どもの親権も元妻にとられた。

失意のうちに東京へ逃げたスガ君は、弟のアパートに居候をしたが、働く意欲がまったくわかなかった。

そんなとき、愚痴を言う相手に私が選ばれた。

文京区春日のラーメン屋で、延々と愚痴を聞かされた。

私はポンコツなので、人に的確なアドバイスができない。ただ話を聞くだけの木偶の坊だった。

ラーメン一杯で店に居座ろうとするスガ君を睨む店主に気を使い、私はスガ君の分のラーメンのお代わりを毎回頼んだ。

スガ君は、大抵はラーメンを4杯食った。

失意のまっただ中でもラーメンを4杯も食えるとは、なんてラーメン愛に満ちあふれているのだろう。

 

唐突だが、スガ君は、女優の広末涼子さんのファンだった。

ある日、テレビで広末さん主演の「秘密」という映画の再放送を観たとき、「俺はこのままじゃいけない」と思ったそうだ。

静岡に帰ることにした。

なぜ、そう思ったかは聞いていない。

デブの感情になど興味がない。

 

静岡に帰ったスガ君は、すぐに職を得ることができた。

それが、今の会社だった。

そこで、彼は社長の娘さんと再婚し、4年後に義父が亡くなったため、会社を継いで今に至る。

私に負けないほどのポンコツ野郎のスガ君が、順調に事業をこなすなど予想外だった。

2年前からは、東京神谷町に事務所を構え、介護関係の事業を立ち上げる準備をしていた。

 

立派な社長様だ。

「地位は人を作る」というのは、本当だと思った。

 

一昨年の7月まで、ラーメン愛に溢れたスガ君は年に500食ほどのラーメンを食べ歩いた。

私もたまに付き合わされた。

175センチ110キロのデブと180センチ56キロのヒョロヒョロ。

なかなか、いいコンビだと思う。

吉本の舞台に立ったら、人気者になったかもしれない(コンビ名は『Tボーンステーキ』)

 

一昨年の7月、スガ君にとって悲しい出来事が起きた。

3軒のラーメン屋の店主から、立て続けに「お客さん、水飲み過ぎだよ」「ラーメンを食べにきたのか水を飲みにきたのかわからないね」「そんなに水を飲んだらスープの味がわからないだろうに」と苦情を言われたというのだ。

デブは、とても汗かきだ。

だから、水分を補給しないと死んでしまう。

ラーメン愛に溢れているが、「水分愛」にも満ち溢れている男なのである。

それくらい、なぜ許してくれないのか。

 

それがショックで、スガ君はラーメンの食べ歩きをやめた。

自宅で作るだけにした。

もともとがラーメン屋だから、本格的なものだ。

大量に作って、ご近所にも振る舞うのだという。

「皆さんの喜ぶ顔を見るのが、今の最大の喜びですね」

 

ヒマワリ顔でラーメンを愛するスガ君を見て、「水ばかり飲みやがって」と文句を言う人は、自分が作るラーメンだけを愛して客を愛せない可哀想な人だ。

 

そんなやつに商売をする資格はない。

 

スガ君の頭は今、介護事業のことで一杯だ。

愛に溢れたデブは、「介護愛」も持っている器のでかい男だ。

 

 

ただ、最近、スガ君はあるショックな事実を知って、大きく凹んだという。

スガ君が、東京に出張している間に、奥さんとお子さんが、静岡の有名ラーメン店に行ったというのを人づてに聞いたらしい。

 

「アニキー、俺、こんなにショックなこと、ラーメン屋を辞めて以来ですよぉー。この間、妻と5年ぶりに喧嘩しましたぁ」

スガ君は、数年前から、なぜか私のことを「アニキ」と呼んだ。

デブのハーフサイズしかない、情けないアニキだ。

そして、この情けないアニキは、よそ様のご家庭のことにはノータッチだ。

 

私は、たかがラーメン、されどラーメン、というわけの分からないことを言って逃げた。

アニキは、逃げ足だけは速いのだ。

 

 

あれから、スガ君一家が、どうなったかは怖くて聞いていない。

 


親指クンの日々(ヒビ)

2017-07-09 06:51:00 | オヤジの日記

先週の都議会選挙は、自民党が大敗した。

 

私は、生活者ネットワークの候補者に投票した。

私は自民党候補者に、今まで一度も投票したことがない。

政権党は、批判されて当たり前なのに、彼らは批判されると感情的になり、すぐに権力を振りかざして国民やマスコミを威圧する。

権力の本当の使い方を知らない幼稚な集団だ。

権力には「滅私の心」が必要だと私は思っている。

だが、彼らは「権力は国民から仮に与えられたもの」だとは思っていないようだ。「俺たちが奪い取ったもの」だと思っているから、謙虚さがない。

所詮は「海賊感覚」の政治家の集まりだ。

自民党は、英語ではリベラル・デモクラティック・パーティという(私はむしろ『パイレーツ・オブ・パリピ』と名付けたい)。

リベラルというのは、自由主義的な、という国民目線の意味を持つ言葉だが、自民党は自由主義を「俺たちは(数を持っているから)何をしてもいい」という意味に翻訳し直している民主的ではない集団だ。

だから、気に食わない。

 

・・・という自民党様に対して批判的なことを、いつも思っているから、私は今回の都議会選挙のときに、「自民党の呪い」に囚われた。

 

東地域防災センターでの投票を終えて、コンビニにNTTコミュニケーションズの代金を払いに行こうとした。

途中にT字路があった。

私は、Tの字の横棒の方を自転車で走っていた。

カーブミラーを確認すると、左の縦棒からは、車は来ない。

前から車が来たが、ウインカーを出していないから直進するのだと私は判断した(それが普通だ)。

しかし、車は突然右にハンドルを切ったのだ(相手の完全な前方不注意)。

避けようとしたが、モロにぶつかりそうになった。

 

こちらは、10キロのスピード。相手はおそらく15キロ。

つまり、25キロの衝突だ。

ああ、終わったな、と思った。俺は、死ぬんだな、と諦めた。

だが、心は諦めても、体が諦めていなかった。

私は咄嗟に、自転車を横倒しにして、車の下に押しこんだ。

そして、左足で横に飛んだ。もう一度、飛んだ。

そうすることで、自動車との接触を回避することができた。

轢かれずに済んだ。

 

だが、最愛の自転車クンはペッちゃんこ。カゴちゃんもペッちゃんこ。カゴちゃんに入れたバッグも財布もペッちゃんこ。

自転車クンたち、ごめんな。

(iPhoneクンとカード類は奇跡的に無事だった)

 

左足の膝から下に激痛が走った。

骨が折れたと思った。

車から降りてきた64~67歳くらいの男が、青ざめた顔で唇を震わせながら「119番します」と言った。

そして、事故を目撃した人が、警察を呼んでくれた。

救急車の方が早く来て、私が救急車に乗せられているとき、警察が来た。

警察を置き去りにして、私は救急車で運ばれた(その前に、救急隊と警官がゴニョゴニョと喋っていた)。

救急車に収容されて「お名前を言えますか? 生年月日は?」と聞かれた。そのあと、「好きなラーメンの種類は?」と聞かれるかと思ったが、聞かれなかった。聞かれたら、塩ラーメンと答えようと思ったのに。

 

病院では左足と胸のレントゲンを撮られた。

「左足親指にヒビ。肋骨一本にヒビ。ふくらはぎが筋肉損傷。足首捻挫。肋骨全治1か月、親指3週間。ふくらはぎ2週間。足首1週間」と言われた。

私の親指クンは、2回の跳躍に懸命に耐えたのだな。

私はガイコツだから、体重は軽いが、それでも体重の2倍の負荷を親指クンは受けたはずだ。

ヒビが入って当然だ。

 

よく頑張った!

 

しかし、けなげな親指クンの存在を無視して、医師は私に顔を近づけ「いまベッドは空いていますから、入院しますか? 大袈裟にした方が、相手の保険屋さんに対しては、いいのでは」と言ったのだ。

 

何なんだ、チミは!

 

そのあと、警官が来て、「あの状況で親指と肋骨一本にヒビだけですか! 自転車もバンパーもグシャグシャですよ!」と失礼なことを言った。

もっと重傷だった方が、いいというのか?

 

何なんだ、チミたちは!

 

だが、警官は「左足だけで2回もジャンプするなんて、身軽ですね。まるで牛若丸じゃないですかぁ!」というレトロな表現で褒めてくれた。

俺、牛でもないし、若くもないし、丸くもないんですけどね。

 

3時間後、治療と聞き取りを終え、マンションに帰った。

エレベーターがあるのに、4階まで歩いて上ってやったぜ~。ワイルドだろ~(いつの流行語だ)。

家族には、「車と闘って勝った」とだけ報告した(本当は私ではなく自転車クンと親指クンが勝った)。

 

バカだろ~。

(娘に、『本当に、おまえ、バカの極みだな』と泣かれた)

 

昨日、また病院に行った。

医者が足と肋骨を見て、首を傾げた。

「あれ? ほとんど治っていますね。骨がくっついてますね、なんでだ?」

 

なんだ、チミは?

 

治っちゃいけないのか、6日目で治って、何が悪いのだ!

要するにチミは、私が瀕死のガイコツだと思って、全治の日数を読み違えただけだろう。

ガイコツをなめんなよ!

 

今回の事故は、ガイコツの骨は規格外に強いのだ、と認識を新たにしてくれた。

そして、ガイコツの反射神経は、まだ衰えていないのだ、と自信を持たせてくれた。

(ライザップに行かなくたって、結果にコミットできるのだ)

 

「でも」とヤブ医者が言う。

「車の方のスピードが、あと5キロ早かったら、絶対にダメでしたよ」

 

チミは、そんなに俺を殺したいのか、と右のコブシがグーになったが、冷静に考えると、確かに運命の分かれ道は、そこだったのだ、と強く思った。

 

今回は、ただ運がよかっただけだ。

 

勘違いをしてはいけない。

 

 

 

みなさまも、自転車に乗るときや、車の運転をするときは、お気をつけ下さい・・・・・と親指クンも申しております(陰ながら肋骨クンも)。

 


ほっとかれたマツ

2017-07-02 06:04:00 | オヤジの日記

 前回、2年後輩のカネコが、偉そうに私を「おまえ」と呼ぶという話を書いた。

実は、長年の友人尾崎と極道コピーライターのススキダも2歳下で、同じように私を「おまえ」と呼ぶ。

ついでだが、私の娘も私のことを「おまえ」と呼ぶ。

 

私には、威厳がないのだと思う。

ただ、威厳のあるガイコツなど私は見たことがないが。

 

さらに、東京京橋でイベント会社を経営している友人のウチダ氏は5歳下である。

彼は紳士だから、私を「おまえ」とは呼ばない。

だが、4年前まで、ウチダ氏は大学が私と同じだったことを隠していたのだ。

5歳離れているから、大学時代に接点がないのは当たり前だと思う。

しかし、知っていて言わないのはフェアではない。

16年4か月も隠すことはなかろう。

他人じゃないんだから(他人だった)。

私がそう抗議すると、ウチダ氏は口をとがらせて言ったのだ。

「だって、Mさんのこと『先輩』って呼びたくなかったんだもん!」

まあ、わからなくはない。

私も、こんな貧相なガイコツが先輩だったら、嫌になる。先輩ヅラしてほしくないと思う。

 

新宿で、いかがわしいコンサルタント会社を経営する バッファロー・オオクボは、ウチダ氏から、「オオクボ先輩」と呼ばれている。

私との違いは何か?

体重か? 脂肪の量か? 財布の厚さか? BMWに乗っているからか?

おそらく、そのすべてだろう。

 

新宿の海鮮居酒屋で、オオクボ、ウチダ氏と3人で、ランチを食った(オオクボの奢り)。

二人は海鮮丼。私はサーモンのムニエルとビールだ(私は人と同じものを食うとポンポンがピーピーになる変態体質をしているので、絶対に同じものは食わない)。

二人は仕事の話をしていたが、私は加わらなかった。経営学などわからないから、口を開けば、知ったかぶりがバレる。

ビールを飲んで黙っているのが一番いい。

二人も、それがわかっているから、私に仕事の話を振ることは、あまりない。とても、学習能力に優れた社長様ふたりだ。

 

仕事の話に飽きたオオクボが、「そういえば、大学時代のマツは、後輩たちに人気があったよな」と急に昔話を振ってきた。

まるで、ヘアピンカーブを曲がるような急ハンドルだ。

急に話が飛ぶのは、認知症の前触れかもしれない、と言っていた医者がいた。

オオクボも、とうとう来たか(嬉々)。

 

「陸上部の夏合宿のとき、俺は合宿には参加しなかったが、大広間で寝るときに、後輩がコイツのそばに寝たがってジャンケンで寝る場所を決めてたって話は、いまだに語りぐさだ」

信じられない、という真ん丸目で、ウチダ氏が私の顔を見た。

べつに、信じてくれなくてもいいですよ、ウチダさん。

後輩たちは、なぜか私のバカ話を寝る前に聞きたがったのだ。

その後輩たちの何人かとは、今でもLINEで繋がっていた。

 

不思議なことに、私は後輩にいつも気に入られた。

おそらく、体育会系独特の先輩風を吹かせなかったからだと推測しているが、確かめたことはない。

(年上だから威張ってもいいという感覚が今も私にはわからない。たった1年や2年、3年早く生まれただけで年以外に何が違うのかが私には理解できない。このあたりが私の大きな欠点だという自覚はあるが)

 

中学3年や高校3年のときには、後輩たちのおかげでキャプテンにさせてもらった。

ただ、誰もがわたしのことを「キャプテン」とは呼ばずに、「マツさん」と呼んだ。

 

オオクボが言う。

「コイツは威厳がないし、バカだし非常識だから、後輩たちもほっとけなかったんじゃないかな」

威厳がないバカで非常識・・・当たっている。

 

ほっとけない、で思い出したんだが、ホットク(韓国のスイーツ)って食ったことがあるか、と私は二人に聞いた。

 

あれ? 見事なほどの無視。

 

 

ほっとかれた。