以前、リブロース・デブのスガ君のことを書いた。
14歳年下のスガ君は、私のことを「アニキ」と呼んで慕ってくれていた。
そして、彼はこんな嬉しいことを私に言うのだ。
「アニキが今の仕事を辞めたら、俺に面倒を見させてください。俺の会社でノンビリと働いてくださいよ。会社には毎日出る必要はありませんから。気の向いたときに出て、俺にアドバイスしてください。待ってますよ」
よくできた弟分だ。
涙が出る。
長年の友人の尾崎は「年食ったら、俺とジャズバーをやらねえか。資金は俺が出す。客の相手をするのは、おまえだ。俺は裏方をする。ワクワクするじゃねえか」と言ってくれている。
極道コピーライターのススキダは、「何年か後に、白馬か斑尾のペンションを居抜きで買おうと思っている。いま準備しているところだ。おまえ、俺のペンションでシェフをやらねえかい。いま麗子(ススキダの奥さん)は、ホテル実務技能認定試験を取ろうと勉強しているところだ。なんなら、おまえの家族全員を抱え込んでもいいぜ。考えておいてくれねえか。こき使ってやるから」と私を脅していた。
私は、胸を張って言えるが、たいした男ではない。
「記憶にない」を連発する政治家や首相補佐官より、ほんの少しましな程度だ。
それなのに、こんなにもありがたいことを言ってくれる知り合いがいる。
そして、もう一人、ありがたいことを言ってくれる男が私にはいた。
テクニカルイラストの達人、アホのイナバだ。
なぜ、アホなのかというと、正しい日本語が使えないし、一般常識を知らないからだ。
ある日、「マツさん、俺最近、『ボロ雑巾』を買ったんですよ」とイナバ君が言った。
ボロ雑巾を買った? ボロ雑巾とは買うものなのか。あれは、使った末にボロになるからボロ雑巾というのではないだろうか。君には、そんなものを買う趣味があったのか。変わってるな。
「うちの奥さんが、可愛いから買わない? と言うから買ったんですよ。確かに買ってみると可愛くて可愛くて、もう家族揃ってメロメロですよ」
変わった家族だな。ボロ雑巾を可愛いと思うなんて。
「品のいい顔で手足が長いんですよね。頭もいいし、無駄に鳴かないし、飼いやすい犬ですね」
イナバ君、まさか、ボルゾイ犬ことを言っているのかい?
「そうです、ボロ雑巾です」
こんなコントが、毎回味わえるのだ。楽しいアホは、最強だ。
イナバ君は、スガ君と同じく私より14歳下である。
12年前に、精密なイラストが必要なときに、友人の紹介で知り合った。
初対面のときは、年上の私に対してタメグチだった。一般常識を知らないから、話がかみ合わなかった。
そして、最後に、「俺、イラストの他に、ジオラマもやっているんだよね」とイナバ君が言った。
私は、からかうつもりで、それは「ジオラマ」じゃなくて「ジローラモ」と言うんだよ、とイナバ君に言った。
「ああ、間違った、ジローラモだった」
それ以来、アホのイナバは、「ジオラマ」のことを「ジローラモ」と言うようになった。
イナバ君と街を歩いたことがあった。
すると、突然、「あれ菊池藤田って珍しい名前ですね」と言った。
見ると、菊池さんと藤田さんの表札がかかっていた。
イナバ君、これは、二世帯住宅ではないかい? つまり、サザエさんと一緒だよ。サザエさんちは、「磯野家」と「フグ田家」が同居してるだろ。あの方式だ。
「ああ、そうなんですか。俺、一枚の表札では入りきれないから、2枚に分けたと思いました。『イソノさん』見てないから知りませんでしたよ(サザエさんだけどな)」
昔、娘に、水戸黄門の決めゼリフを「この印籠が~」ではなく、下品にも「このコーモンが目に入らぬか」と教えたことがあった。
それを娘は真に受けて、小学校5年のときに、みんなの前で披露した。
すると、お友だちから、「夏帆ちゃん、それ違うよ。この印籠が~だよ」と笑われた。
「おまえ、とんでもない野郎だな」と怒られた。
これと同じことを私はアホのイナバに教えた。
アホのイナバは、いまだに、この決めゼリフを家庭で突然叫ぶことがあった。
しかし、奥さんと子どもたちは、笑って許してくれるというから、とてもピュアな家族ではないか。
5年ほど前のことだが、私はイナバ君に、俺、一度もお小遣いを貰ったことがないんだよね、と言ったことがあった。
これは、実は本当の話だ。
私は、一般の概念で言うお小遣いを人からもらったことがない。家計は握っているが、必要な経費から必要なものだけを買うという方式をとっているので、それは私のためではない。
つまり、お小遣いがない。
それを聞いたイナバは、「じゃあ、好きなものも食べられないじゃないですか。マツさん、俺が奢ります。いま何が食べたいですか。言ってください。いますぐ食べに行きましょう」と言ってくれた。
オイスター・バーに行きたいな。
「わかりました。俺と奥さんの行きつけのオイスター・バーが立川にあるので、すぐに行きましょう」
イナバのベンツで連れて行ってもらった。
しかし、店はまだ開いていなかった。
(その話のあとから、イナバ君は、毎回メシを奢ってくれるようになった)(喜)
このアホのイナバの奥さんは、大金持ちである。
6年前に、父親が死んで莫大な遺産を受け継いだのだ。お母さんはすでに亡くなっていたので、イナバ君の奥さん一人が相続した。相続税は、相当な額だったらしいが、それでも現金、株券、不動産はかなり残ったらしい。
そのとき、聞きもしないのに、イナバ君が、その額を教えてくれた。
それを聞いた私は、瞬時に失神しそうになったが、13回深呼吸をすることで、かろうじて失神を免れた。
その大金持ちの奥さんは、東京日野市で所有する600平米の土地に、将来小ぶりの老人ホームを友人たちと共同で建てる計画を立てていた。
これからも進む高齢化社会に少しでも役に立ちたい、という立派な考えをお持ちのアッパレな奥さんであった。
アホのイナバが言う。
「ねえ、マツさん、出来上がったら、俺と一緒に老人ホームに入りましょうよ」
あのね、イナバ君、俺と君は14歳離れているんだから、一緒に入る、はおかしいだろう。俺が70歳で入ったとして、そのとき君はまだ56歳なんだぞ。
「年なんて関係ないですよ。だって俺たち『似た者夫婦』じゃないですか」
夫婦ではないと思うぞ。
「まあ、とにかく、考えておいてくださいよ。俺、楽しみにしているんだから」
そうまで言うなら、一応、俺も楽しみにしておこうか。
私が、そう言うと、アホのイナバが、「よし、グータッチしましょうよ!」と嬉しそうに言った。
だが、私が、グーを出すと、アホのイナバは、パーでタッチしてきた。
グーパータッチになった。
私は、イナバ君の老後が、とても心配だ。