リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

集中砲火の恐怖

2012-08-30 08:40:13 | オヤジの日記
私が、よく理解できない現象に、ブログやツイッターが炎上するというものがある。

どのような仕組みで炎上するのか、わからないのだ。

誰かが仕組んでいるのか。
ただ単に文章が不愉快だから、とにかく「やっつけたい」のか。
自分の意見と違う人のことが許せないから、全否定して溜飲を下げたいのか。
あるいは、意味もなく「炎上」の匂いを嗅ぎ付けて、それに便乗したいだけなのか。

よくわからない。

そもそもブログやツイッターは、極めて個人的なものだ。
その個人の意見を外に向かって表現するとき、モラルに欠けた行いや、人を根拠なく誹謗中傷する内容以外なら、自由に書いてもいい、と私は思っている。


少し古い話になるが、広報アドバイザーなどをしている南充浩氏のブログが炎上したらしい。

無印良品の店内で走り回っていた男の子2人に対して、無印良品の名札を首からぶら下げていた店員が、「走るな!」と怒鳴ったというのである。

それに対して南氏は、ブログに、こんなことを書いた。


いくら子供が目に余る様子だったと言っても怒鳴りつけることはおかしい。
個人的には、子供らはそれほど気になる騒ぎっぷりでもなかったと感じた。
この店員がたまたまイラついていただけかもしれないが、これは接客業としては失格である。
もう一度この店員に基礎から研修を受け直させるべきだろう。


日本では販売員は下に見られがちな職種である。
だから、応募する側も「販売員ならだれでもなれる」という軽い気持ちもある。
募集する店側も「まあ、品出しとレジ打ち、おたたみくらいを覚えてくれたらええよ」という軽い気持ちがあるのも事実だ。

そのため、こんな店員にたまにお目にかかる。


これを読んだ読者が、ブログを炎上させたらしい。

その理由としては、後半の文章の「日本では販売員は下に~」以下の文が、販売員を侮辱しているということ。
そして、悪いことをしている子どもを怒鳴るのは、大人として当然のことだ、という2点が主だったらしい。


業界人が、業界の内情に関して、彼が感じたことを述べる。
そして、現実に買い物をしたお客様ではないにしても、来客した人に対して、接客業に従事する人が「怒鳴る」ということが、許されるのかどうかを、彼はブログで問題提議をした。

ただ、それだけのブログなのに、なぜ炎上するのか、私には、わけがわからないのである。


その場にいて、その時の状況を生で体験した彼の感想を、その場にいなかった第三者が感情的に否定するのは、いかがなものか。

彼は、怒鳴った店員の声を聞いて、彼の経験則上の感想を述べた。
そして、それが彼の一方的な意見であるにしても、業界事情の一部を今回のことと照らし合わせて、「こういう店員におめにかかる」こともあると、彼自身の感想を述べただけなのである。

極めて普通の、正直なブログではないか。


それが、炎上する(させられる)。


その後、南氏は、コメントの砲火に屈して、ブログ内容を一部変更して謝罪をするという「大人の対応」をしたので、火は、あっけなく消えたようだ。


世の中に少しでも影響力のある人は、よほど慎重に己の書いた文章を自己検閲しないと、いつ火の粉が降りかかてくるかわからない、という最近の風潮は怖い。

今や、ブログやツイッターは、加点方式ではなく、減点方式で読者から採点されているような状況だ。

最初から、マイナス点を見つけ、もし少しでも気に食わないマイナス記事があったら、集中砲火を浴びせかける気が満々の人が、ネットのごく一部の世界では、少しずつ増えてきているような気がする。

インターネットを、ただ最新情報を収集する手段だと思っている人は、おそらく人のブログやツイッターを炎上させようとは思ってはいないはずだ。

私には、ネットワークの中に、自分の歪んだ欲求を満たすものを絶えず探している人が、それが「人との繋がりだ」という幻想を抱きたいために、炎上させているしか思えない。

人と繋がりたい、とは言っても、目に見えない繋がり。
だから、何でも言えるし、人の庭を荒らすことも平気でできる。

以前、ある人のブログのコメント欄を見ていたら、コメントに反論したブログ主に対して、「反論されるのが嫌なら、ブログなんて書くな」と言うのがあった。

ブログを書くのは自由。
コメントするのも自由。

しかし、反論に対する反論に、まるで殺し文句のようなブログ否定論をぶつけたら、結局は、そのコメントの本質は、非論理的な「言いがかり」「腹いせ」に過ぎないということになる。

それに気づかない人が、おそらくブログやツイッターを炎上させるのではないか、と私は思っている。


ただ、これも私の経験則からくる感想に過ぎないことだけは、最後に書き記しておきます。



違和感のある決意

2012-08-27 08:12:45 | オヤジの日記
「尖閣諸島(沖縄県石垣市)の購入に向け、今月末に同諸島の上陸調査を国に申請している東京都の石原慎太郎知事は24日の記者会見で、10月にも現地調査を実施し、その際には、自ら参加する方針を明らかにした」

というのが、WEB上で読んだ、8月24日、読売新聞の記事だった。

そして、都知事は、「10月の再調査には私も行きます。逮捕されるなら、それで結構ですけど」と上陸に意欲を見せ、政府を強く牽制したというのだ。
「民間人と東京都が商業ベースの取引をするための調査を、政府が何の理由で拒むのか。裁判にかけても聞いてみたい」とも言ったらしい。

私は、この記事を読んで、かなりの違和感を持った。

政府は、もともと上陸したら「逮捕する」と言っているのか。

「裁判にかけても聞いてみたい」というのなら、上陸しなくても、政府が「理由もなく拒んでいる」ことを理由に、今すぐ裁判をすれば、いいだけのことではないか。


先日、尖閣諸島に上陸した議員たちは、警察に聴取は受けたが、逮捕はされなかった。

政府の誰かが、「現地調査を実施したら逮捕する」と言ったのだろうか。

Googleで検索してみたが、その情報は、載っていなかった。


すべての過去記事を辿ったわけではないので、真偽は不明だが、今回の発言は、ただ単に、都知事が意気込みをアピールするために「逮捕されるなら、それで結構ですけど」と言っただけ、という風に取ることもできる。

要するに、パフォーマンス。

政治家にパフォーマンスは必要だが、自分の思い込みだけで、まだ喧嘩するとも言っていない相手に喧嘩を売るのは、公人として、理性に欠けると私は思うのだ。

政府が反対の立場を取るなら、政府と対話をする。
しかも、公の場で。

料亭のようなところで、ひっそりと会話をしても世間には伝わらない。

公の場で討論して、その判断を国民や都民に委ねるのが、政治家としての真っ当な姿だと思う。


討論の現場も見せないで、ただ一方的に「俺はやる。やると言ったらやるんだから、勝手に逮捕しろ」という方式では、どこかの組の方々と、思考方法は変わらない。


啖呵を切るのは格好いいかもしれないいが、それでは都知事を好きな愛国者に向けた発言だけで終わってしまう。



討論の過程を、それぞれの独立した会見の場ではなく、同じ場で見せてくれないと、私は総理の言葉も都知事の言葉も、信じない。



嫌なときは見ない

2012-08-25 08:55:19 | オヤジの日記
我が家では、他のご家庭と同じように、NHKの受信料を払っている。

しかし、NHKは、ほとんど見ない。

朝の連続ドラマは見ないし、日曜の大河ドラマも見たことがない。
ニュースもバラエティもドラマも見ない。
紅白歌合戦など、別世界の話だ。

見るのは、年に数度、NHKのBSでやるスペシャル・ドキュメンタリーくらいのものだろうか。


だから、受信料を支払うのをやめたいが、それは簡単にはできないことらしい。

さらに、私にとって一番不可解なのが、高校野球に興味のない人間にとって、夏の昼間の十何日間を高校野球中継に費やすNHKの神経だ。

それが、私が受信料を払うのをやめたい最大の理由だ。

スポーツ専門局でもないのに、なぜ真昼間に、一つのスポーツだけを放映するのだろう。

高校生の未熟な試合を、そんなに長時間見せて、高い受信料を取る根拠は、一体なんなのだろう、といつも私は疑問に思っている。

放映権料の高い、高いレベルのスポーツ競技であるオリンピックを放映するのは、理にかなっていると思う。

高い放映権料の一部を少しでも負担できるのなら、それは有意義だと思う。
支払った甲斐があったものだ、とも思う。
(今回のオリンピックは、仕事が忙しくて、見る暇がなかったが)

もちろん、高校野球ファンが、この国に相当数いらっしゃるということは、高校野球嫌いの私にも想像はつく。
オラが国の高校を応援したいという気持ちもわからないではない。
郷土愛の存在は、美しいものだと思う。

人からは、どうせ高校野球が嫌いなのだから、見ないんだろ。
それなら、昼間に放送していてもお前には関係ないじゃないか、と言われそうだが、そんな問題ではない。

見たくないものを放映して、受信料を取られるのが、私は納得できないのである。

県には、それぞれローカル局というのがあるのだから、自分らの代表だけをローカルで放映すれば事足りるのではないか。
全国放送までする必要は、ないのではないか、と私は思うのである。

高校野球が地域密着型のスポーツとして盛り上がっているのなら、全国放映で、長い時間、電波を占領しないでも、盛り上がりに大差はないのではないだろうか。

全国放映は、決勝戦だけ、という方式でもいい。

あるいは、高校野球に限らず、課金制にして、見た分だけ受信料を払うシステムにしてくれたら、もっといい。

そうすれば、我が家のように、ほとんどNHKを見ない家庭は、家計が助かる。


もちろん、それが、言いがかりだということは、重々承知いたしておりますが。



そして、もう一つ、見ないのが、日本テレビの24時間チャリティ。

ただ、これは、お金を取られるわけではないから、放映することに何の文句もない。

偽善的である、などと批判的なことを言う人がいるようだが、やらないよりはいいだろう、と私は思っている。
一人でも、それで助かった人がいるのなら、やる意義はあると思う。


嫌なら、見なければいいのだし。


24時間テレビに関しては、4、5回は、見たと思う。

だが、タレントさんが、24時間走る方式になってからは、見なくなった。

24時間、走るのは、とてもつらいだろうな、と思う。
(20年以上前からジョギングをしているから、少しはわかる。慣れた人でも、炎天下20キロ走るのは自殺行為に近い。まして、それ以上の距離だなんて)

そして、私は、人が辛そうに走るのを見る趣味はない。
ひねくれた言い方になるが、私は自分が苦しそうに走っているのを、人に見られたいという趣味もない。

だから、見ない。

24時間走る企画がなくなって、大手アイドル事務所のタレントさんが前面に出てこない番組に変わってくれたら、おそらく私は見るだろう。

しかし、人気タレントさんたちや24時間走がなくなったら、視聴率が下がるだろうから、テレビ局は、そんな無謀なことはしないに違いない。


だから、私は、これからも見ないことになると思う。



第三者が勝手に他人の喧嘩に割り込んでくる

2012-08-22 08:42:23 | オヤジの日記
誰かが、領土問題は、その国の数ほど「道理」がある、というようなことを言っていた。

確かに、自分の陣地から、隣接する空いた土地を見たら、強欲な人は「あれは俺のものだ」と思うのが、道理なのかもしれない。
(このとき、おそらく人は、歴史や海洋法などのことは、考えないと思う)

それをオリンピックという極めて公共性の強い場所で強引にアピールするのは、軽率であり愚かではあるが、国の数の倍数ほど軽率で愚かな人間がいるとしたら、納得できなくもない。

ただ、世界にアピールするつもりなら、自国語ではなく英語でプラカードを書くのが普通だ、と私などは思うのだが、彼らには、そこまでの語学能力はなかったのか。

あるいは、最初から自国だけにパフォーマンスするつもりで、その抗議は、世界に向けたものではなかったのかもしれない。

ただ、どちらにしても、オリンピックという場に相応しくない行為であることには、違いない。

そして、それは、場の空気を読む能力がない、子どもじみた行為だから、実は、大人としては、目くじらを立てるほどのことではないのかもしれない。

そのプラカードを作った人も、それを掲げた人も、大人の格好はしていたが、中身は子どもだった。

その程度のことなのではないか、と今の私は思っている。


しかし、その機に乗じて竹島を訪れた、かの国の大統領の、いかにも支持率目当ての行動は、一国の大統領としては、あまりにも露骨すぎて、興醒めだったが・・・・・。


言葉というのは、それだけでは済まされない「凶器」と「狂気」を持っている。

他者の愚かな行為を少し非難しただけで、それ以上に、強い圧力で、言葉が返ってくる場合がある。

インターネットがない時代は、公共的な言葉の喧嘩は、テレビか新聞紙上で行われることがほとんどだった。
そして、その喧嘩は、当事者同士だけの出来事だった。

しかし、今は、そんな過去の時代より言葉の情報量が増えたから、インターネットを利用する人の数だけ、罵詈雑言の量が増えた。
つまり、関係のない第三者が、他人の喧嘩に割って入るようになった。

当事者でなければ、その詳しい経緯はわからないのに、わからないまま、勝手に第三者が割り込んできて、双方を罵倒するという理不尽な状況が生まれるようになった。


人間は、言葉という最大の武器を持っているのに、それを話し合いの道具に使わずに、喧嘩に使って、さらに関係のない他者が入ってくるのは、極めて無駄なことだと思うが、いつの間にか「売り言葉に買い言葉」的な使い方が、デジタル時代の言葉の使い方になって、それが常態化した。

さらに、「火のないところに煙は立たない」というのが死語になるほど、インターネットの世界では、火がなくても立ち上る煙にあふれている。

煙たすぎて、どれが本当の煙か、わからないほどだ。


そして、誰もが自分の言葉で語っていると勘違いしているが、私も含めて、その意見たちは、インターネットで語られていることを復唱しているに過ぎないものだ。

つまり、オリジナリティに乏しい。



今回の私は、そんな何度も復唱された意見に、少しだけ自分の考えを追加して書いてみました。


ただ、コピー&ペーストとは違いますので、少しはオリジナリティがあるのではないか・・・・・・・と。



いつも喧嘩腰の国

2012-08-16 06:35:36 | オヤジの日記
ロンドンオリンピックでの韓国サッカー選手の政治的アピール。

韓国では、日本に対する敵対的行動は、何でもありの状況なのだろうか。

大統領、閣僚、有識者、そして、国民。
表立って、その行動を抑制する人がいない現状は、異常だ。

その一方的な敵対行動は、開戦国に対するのと同じだと思うのだが、それに気づかない国民性というのは、驚異であり、脅威である。

38度線をはさんで緊張関係にある「北」にだって、彼らはもっと気を使っているように思えるのだが。


友人の一人に、韓国人がいる。

大阪で生まれ、ソウルで学び、向こうの大学を卒業し、兵役を終えてから東京に移り住んだ40歳真近の男だ。
(奥さんは、日本人)

彼は、日本暮らしが長いから、日本のいいところや日本人の長所を認めることができる男である。
日本のことを何も知らずに、ただ反日の流れに押されて、日本を否定するだけの男でもない。

日本語の発音、読み書きも完璧だ。

ネットなどでよく取り上げられる「韓国起源説」に関しても、「韓国は、日本ほどクリエイティブな国じゃないですよ。ただ、クリエイティブでなくても、イマジネーションはあるから、そのイマジネーションが色々な話を生み出すんでしょうね」と、冷静に分析している。

しかし、そんな彼でも、竹島の話になると、人格が変わったように、日本を罵るのだ。

「独島は我が国の領土です。これは、韓国三千年の昔から決まっていたことです」

私が生まれていない三千年前のことを持ち出されたら、その飛躍的な理論が、論理的なものでないことが明らかでも、首を振って黙るしかない。

現実的に、何年何月から、韓国の領土です、と言ってくれたら、ネットで調べたり、図書館で歴史を調べれば、議論することは可能だが、三千年という「おとぎ話」に対しては、まともにお付き合いする気にならない。


領土問題は、政治的な問題であり、国際的な問題でもある。
そして、歴史的といってもいいものだ。

竹島は、現実的に今、韓国に実効支配されている状況だ。
竹島に上陸した韓国人は、昨年18万人近くいたらしい。

そして、最近、韓国のタレントたちが、竹島まで泳いで渡るというパフォーマンスもあったようだ。

これは、既成事実を積み上げようという方式だろうが、先程も書いたように、領土問題は、国際的であり、歴史的でもある。

暴走したナショナリズムに対抗するには、同じようにナショナリズムで、というのは短絡的であり白痴的な行為だ。

冷静に、歴史を遡り、文献を精査し、国際的な機関に評決を仰ぐことが、公平な判断である、と私は思う。

ただ、韓国側に、それを了承する気は、今のところないようだが。

同盟国であるアメリカも、彼らは、自分たちのトラブルに他国を容赦なく巻き込むことは平気でするが、自分たちが巻き込まれるのは嫌という、小気味いいほど、自分本位の国である。

だから、アメリカは期待できない存在だとは思うが、かと言って、アメリカ抜きで韓国の暴走気味の圧力を抑えられるとも思えない。

もし利害関係を餌にして、アメリカを釣る方法があるなら、国際司法裁判への道筋は見えてくるのではないか、と思う。

政党内で泥沼のお家騒動を繰り返す暇があったら、一人でもいいから、有効なアイディアを提案して欲しいものである。


そのようなことを私が言うと、「裁判? どうせ、こっちが勝ちますよ! だって、独島は、韓国が支配しているんですから!」

友人の韓国人は、いつもながらの強気な言葉で、うそぶく。

しかし、戦争をしているわけじゃないんだから、そんなに喧嘩腰にならなくても・・・・・と私が言うと、「自分の庭が取られそうになったら、誰だって戦うでしょ!」と、顔を真っ赤にして人を睨むのである。


このエネルギーの源は、何なのだろう。


○○教育、というやつだろうか。

チョット、背筋が寒くなった。


しかし、居酒屋で酒を飲むと、「日本酒は美味しいですよね。料理も旨いしなあ。坂本冬美・・・いいですよねえ。村上春樹は天才ですよ」と言って、日本贔屓のところも見せるのだ。


彼にとって、領土問題は、ナショナリズムという火薬に火をつけるマッチのようなものかもしれない。

だから、発火点の低い国民性と教育が、ほんの僅かなマッチの摩擦でも、火薬を点火させてしまうのだろう。


その簡単に点火した火薬を消すのは、国際世論しかないが、外交下手の外務官僚は、国内政局を日和見することに熱心なため、夏休み状態である。


その間に、さらに実効支配は続き、オリンピックでの選手のマナー違反もいつの間にか風化して、2012年のロンドンオリンピック・サッカーで「韓国が銅を取ったという歴史」だけが残ることもありうる。

そして、消費税の税率を上げたという総理大臣の名も、歴史に残るだろう。


さらに、数十年後、「2012年の日本は、最悪の選択をした」という歴史だけが残ることもありうる。


そんな笑い話のような歴史は、勘弁して欲しい。




ただ、余談だが、清水エスパルスが、韓国のオリンピック代表選手を獲得することにあたり、抗議したり、批判したりするのは、同意できない。

それは、ナショナリズムの無駄使いだ。

韓国と同じようなナショナリズムを振りかざすのは、賢明な方法とは言えない。

ここは、拍手を持って迎えるのが、大人の対応だと思う。

相手が未熟な思考回路を持っているからといって、こちらまで未熟に対応するのは愚かなことだ。

ここは、民度と節度を保つときだ、と私は思う。