私が、よく理解できない現象に、ブログやツイッターが炎上するというものがある。
どのような仕組みで炎上するのか、わからないのだ。
誰かが仕組んでいるのか。
ただ単に文章が不愉快だから、とにかく「やっつけたい」のか。
自分の意見と違う人のことが許せないから、全否定して溜飲を下げたいのか。
あるいは、意味もなく「炎上」の匂いを嗅ぎ付けて、それに便乗したいだけなのか。
よくわからない。
そもそもブログやツイッターは、極めて個人的なものだ。
その個人の意見を外に向かって表現するとき、モラルに欠けた行いや、人を根拠なく誹謗中傷する内容以外なら、自由に書いてもいい、と私は思っている。
少し古い話になるが、広報アドバイザーなどをしている南充浩氏のブログが炎上したらしい。
無印良品の店内で走り回っていた男の子2人に対して、無印良品の名札を首からぶら下げていた店員が、「走るな!」と怒鳴ったというのである。
それに対して南氏は、ブログに、こんなことを書いた。
いくら子供が目に余る様子だったと言っても怒鳴りつけることはおかしい。
個人的には、子供らはそれほど気になる騒ぎっぷりでもなかったと感じた。
この店員がたまたまイラついていただけかもしれないが、これは接客業としては失格である。
もう一度この店員に基礎から研修を受け直させるべきだろう。
日本では販売員は下に見られがちな職種である。
だから、応募する側も「販売員ならだれでもなれる」という軽い気持ちもある。
募集する店側も「まあ、品出しとレジ打ち、おたたみくらいを覚えてくれたらええよ」という軽い気持ちがあるのも事実だ。
そのため、こんな店員にたまにお目にかかる。
これを読んだ読者が、ブログを炎上させたらしい。
その理由としては、後半の文章の「日本では販売員は下に~」以下の文が、販売員を侮辱しているということ。
そして、悪いことをしている子どもを怒鳴るのは、大人として当然のことだ、という2点が主だったらしい。
業界人が、業界の内情に関して、彼が感じたことを述べる。
そして、現実に買い物をしたお客様ではないにしても、来客した人に対して、接客業に従事する人が「怒鳴る」ということが、許されるのかどうかを、彼はブログで問題提議をした。
ただ、それだけのブログなのに、なぜ炎上するのか、私には、わけがわからないのである。
その場にいて、その時の状況を生で体験した彼の感想を、その場にいなかった第三者が感情的に否定するのは、いかがなものか。
彼は、怒鳴った店員の声を聞いて、彼の経験則上の感想を述べた。
そして、それが彼の一方的な意見であるにしても、業界事情の一部を今回のことと照らし合わせて、「こういう店員におめにかかる」こともあると、彼自身の感想を述べただけなのである。
極めて普通の、正直なブログではないか。
それが、炎上する(させられる)。
その後、南氏は、コメントの砲火に屈して、ブログ内容を一部変更して謝罪をするという「大人の対応」をしたので、火は、あっけなく消えたようだ。
世の中に少しでも影響力のある人は、よほど慎重に己の書いた文章を自己検閲しないと、いつ火の粉が降りかかてくるかわからない、という最近の風潮は怖い。
今や、ブログやツイッターは、加点方式ではなく、減点方式で読者から採点されているような状況だ。
最初から、マイナス点を見つけ、もし少しでも気に食わないマイナス記事があったら、集中砲火を浴びせかける気が満々の人が、ネットのごく一部の世界では、少しずつ増えてきているような気がする。
インターネットを、ただ最新情報を収集する手段だと思っている人は、おそらく人のブログやツイッターを炎上させようとは思ってはいないはずだ。
私には、ネットワークの中に、自分の歪んだ欲求を満たすものを絶えず探している人が、それが「人との繋がりだ」という幻想を抱きたいために、炎上させているしか思えない。
人と繋がりたい、とは言っても、目に見えない繋がり。
だから、何でも言えるし、人の庭を荒らすことも平気でできる。
以前、ある人のブログのコメント欄を見ていたら、コメントに反論したブログ主に対して、「反論されるのが嫌なら、ブログなんて書くな」と言うのがあった。
ブログを書くのは自由。
コメントするのも自由。
しかし、反論に対する反論に、まるで殺し文句のようなブログ否定論をぶつけたら、結局は、そのコメントの本質は、非論理的な「言いがかり」「腹いせ」に過ぎないということになる。
それに気づかない人が、おそらくブログやツイッターを炎上させるのではないか、と私は思っている。
ただ、これも私の経験則からくる感想に過ぎないことだけは、最後に書き記しておきます。
どのような仕組みで炎上するのか、わからないのだ。
誰かが仕組んでいるのか。
ただ単に文章が不愉快だから、とにかく「やっつけたい」のか。
自分の意見と違う人のことが許せないから、全否定して溜飲を下げたいのか。
あるいは、意味もなく「炎上」の匂いを嗅ぎ付けて、それに便乗したいだけなのか。
よくわからない。
そもそもブログやツイッターは、極めて個人的なものだ。
その個人の意見を外に向かって表現するとき、モラルに欠けた行いや、人を根拠なく誹謗中傷する内容以外なら、自由に書いてもいい、と私は思っている。
少し古い話になるが、広報アドバイザーなどをしている南充浩氏のブログが炎上したらしい。
無印良品の店内で走り回っていた男の子2人に対して、無印良品の名札を首からぶら下げていた店員が、「走るな!」と怒鳴ったというのである。
それに対して南氏は、ブログに、こんなことを書いた。
いくら子供が目に余る様子だったと言っても怒鳴りつけることはおかしい。
個人的には、子供らはそれほど気になる騒ぎっぷりでもなかったと感じた。
この店員がたまたまイラついていただけかもしれないが、これは接客業としては失格である。
もう一度この店員に基礎から研修を受け直させるべきだろう。
日本では販売員は下に見られがちな職種である。
だから、応募する側も「販売員ならだれでもなれる」という軽い気持ちもある。
募集する店側も「まあ、品出しとレジ打ち、おたたみくらいを覚えてくれたらええよ」という軽い気持ちがあるのも事実だ。
そのため、こんな店員にたまにお目にかかる。
これを読んだ読者が、ブログを炎上させたらしい。
その理由としては、後半の文章の「日本では販売員は下に~」以下の文が、販売員を侮辱しているということ。
そして、悪いことをしている子どもを怒鳴るのは、大人として当然のことだ、という2点が主だったらしい。
業界人が、業界の内情に関して、彼が感じたことを述べる。
そして、現実に買い物をしたお客様ではないにしても、来客した人に対して、接客業に従事する人が「怒鳴る」ということが、許されるのかどうかを、彼はブログで問題提議をした。
ただ、それだけのブログなのに、なぜ炎上するのか、私には、わけがわからないのである。
その場にいて、その時の状況を生で体験した彼の感想を、その場にいなかった第三者が感情的に否定するのは、いかがなものか。
彼は、怒鳴った店員の声を聞いて、彼の経験則上の感想を述べた。
そして、それが彼の一方的な意見であるにしても、業界事情の一部を今回のことと照らし合わせて、「こういう店員におめにかかる」こともあると、彼自身の感想を述べただけなのである。
極めて普通の、正直なブログではないか。
それが、炎上する(させられる)。
その後、南氏は、コメントの砲火に屈して、ブログ内容を一部変更して謝罪をするという「大人の対応」をしたので、火は、あっけなく消えたようだ。
世の中に少しでも影響力のある人は、よほど慎重に己の書いた文章を自己検閲しないと、いつ火の粉が降りかかてくるかわからない、という最近の風潮は怖い。
今や、ブログやツイッターは、加点方式ではなく、減点方式で読者から採点されているような状況だ。
最初から、マイナス点を見つけ、もし少しでも気に食わないマイナス記事があったら、集中砲火を浴びせかける気が満々の人が、ネットのごく一部の世界では、少しずつ増えてきているような気がする。
インターネットを、ただ最新情報を収集する手段だと思っている人は、おそらく人のブログやツイッターを炎上させようとは思ってはいないはずだ。
私には、ネットワークの中に、自分の歪んだ欲求を満たすものを絶えず探している人が、それが「人との繋がりだ」という幻想を抱きたいために、炎上させているしか思えない。
人と繋がりたい、とは言っても、目に見えない繋がり。
だから、何でも言えるし、人の庭を荒らすことも平気でできる。
以前、ある人のブログのコメント欄を見ていたら、コメントに反論したブログ主に対して、「反論されるのが嫌なら、ブログなんて書くな」と言うのがあった。
ブログを書くのは自由。
コメントするのも自由。
しかし、反論に対する反論に、まるで殺し文句のようなブログ否定論をぶつけたら、結局は、そのコメントの本質は、非論理的な「言いがかり」「腹いせ」に過ぎないということになる。
それに気づかない人が、おそらくブログやツイッターを炎上させるのではないか、と私は思っている。
ただ、これも私の経験則からくる感想に過ぎないことだけは、最後に書き記しておきます。