今年の5月から打ち合わせを十数回しているクライアントがいる。
11月に東京青山で開く個展の打ち合わせだ。
作品は水彩画と色鉛筆画。
ほとんどが東京の街の夕景を描いたノスタルジックなものだ。
大作はない。
大きくてもA2程度のサイズで、多くは一般の画用紙のサイズかハガキ大のものだ。
作品が溜まったら不定期に開催する個展だから、今回のは7年ぶりになるという。
その7年間に120点くらいの絵を描いたが、その中から今回展示するのは50数点だ。
私がお手伝いするのは、案内状とパンフレット。
案内状は、すでに校了になったが、パンフレットは作品選びが終わっていないので、進捗具合は3分の2といったところだ。
作家のキモツキ氏が何歳かは知らない。
おそらく私と同じ50代後半だと思うが、それを知ることに意味があるとは思えないので聞いたことがない。
プロの作家なのか、趣味でしているだけなのかも知らない。
出身も家族構成も知らない。
本人が話せばいくらでも聞くが、私はゲスな芸能レポーターではないし、ましてやいくら仕事とはいえ白痴的に失礼な質問をする雑誌記者でもないから自分からは聞かない。
そんなことを知らなくても仕事ははかどるものだ。
帰り際にいただく美味しいコーヒーが飲めるだけで、私は満足だ。
キモツキ氏の家は杉並の高井戸にあった。
高級住宅が立ち並ぶ一角に、氏の平屋建ての和風建築の家はあった。
もちろん部屋が何部屋あるとか、敷地面積が何坪などという下世話な話題も我々の間では出たことがない。
ただ、トイレが3畳以上の広さというのが、もったいないなあ、と貧乏性の私は思うだけである。
私ならここにパソコンとテレビ、冷蔵庫を持ち込んで、一生住み続けられる自信がある。
そのキモツキ氏の家にうかがうときは、京王井の頭線高井戸駅を降りて神田川沿いの遊歩道を歩く。
そして、途中で階段を上る。
大抵は、キモツキ邸にうかがうのは午前10時半である。
階段を上るのは、10時10分ころだろうか。
その階段を上ったところに、ベンチが一つ置いてあった。
住民にご老人が多いので、階段を上ったあとに休むためのものだと思われる。
そのベンチに、同じご老人ご夫婦が座っている姿を7月はじめまでに3回見た。
普通に並んで座っているときの他に、一度だけ手をつないで座っている姿を1回見た。
お二人とも80歳は超えているのではないか、と私は勝手に想像した。
それは、心温まる光景だった。
その姿を見るのが、知らないうちに私の楽しみの一つになっていた。
だが、暑い7月半ばから9月半ばまでは、その姿を見ることはなかった。
陽を遮るものが何もないので、暑い夏はそのベンチの利用者は少ないだろう。
ご老人なら尚更だ。
しかし、今週の木曜日に、久しぶりにご夫婦を見た。
過去3回と同じように、ベンチに並んで座っていた。
ああ、また会えた、と心が沸き立った。
そのとき、ご主人が奥さんに話しかけるのを聞いた。
今までは、おふたりが会話する姿を見ていなかったので、小さな驚きがあった。
聞くつもりはなかったが、勝手に会話が耳に入ってきた。
「あのときは済まなかったねえ」
ご老人にしては、よく通る芯のある声だった。
「あのときって、いつでしょうか?」
奥さんの声も明瞭な発音で活き活きとして聞こえた。
「ああ、せがれの小学校の入学式だよ。僕が忙しくて行けなかった。悪かったと思っているよ」
「そうですか。でも心配なさらないでください。タモツにはよく言って聞かせましたから。あの子は賢い子ですから、すぐにわかってくれました」
このご夫婦の息子さんなら、小学校の入学式は40年以上前になるだろう。
しかし、ご主人は「あのときは」と、まるで最近のことのように言ったのである。
それに対して、奥さんはすぐに思い出を息子の入学式まで巻き戻して「大丈夫ですよ」と言ったのだ。
お二人の会話が聞こえたのは、そこまでだった。
「すぐにわかってくれました」の声を聞いたすぐあとに、私が角を曲がってしまったからだ。
40年以上前から引きずっていた後悔を奥さんに謝り、それを何ごともなかったように受け入れて夫を安心させる奥さん。
歩いていて、こみ上げてくるものがあった。
一分に満たないシーンだったが、良質なドラマを見ているような濃厚さがあった。
きっと、このようなドラマは日本中、世界中で数限りなく繰り返されているに違いない。
そう考えたとき、こんな平和で穏やかな情景が、これからも当たり前のように続いていく世の中であってほしい、と強く思った。
強く願った。
11月に東京青山で開く個展の打ち合わせだ。
作品は水彩画と色鉛筆画。
ほとんどが東京の街の夕景を描いたノスタルジックなものだ。
大作はない。
大きくてもA2程度のサイズで、多くは一般の画用紙のサイズかハガキ大のものだ。
作品が溜まったら不定期に開催する個展だから、今回のは7年ぶりになるという。
その7年間に120点くらいの絵を描いたが、その中から今回展示するのは50数点だ。
私がお手伝いするのは、案内状とパンフレット。
案内状は、すでに校了になったが、パンフレットは作品選びが終わっていないので、進捗具合は3分の2といったところだ。
作家のキモツキ氏が何歳かは知らない。
おそらく私と同じ50代後半だと思うが、それを知ることに意味があるとは思えないので聞いたことがない。
プロの作家なのか、趣味でしているだけなのかも知らない。
出身も家族構成も知らない。
本人が話せばいくらでも聞くが、私はゲスな芸能レポーターではないし、ましてやいくら仕事とはいえ白痴的に失礼な質問をする雑誌記者でもないから自分からは聞かない。
そんなことを知らなくても仕事ははかどるものだ。
帰り際にいただく美味しいコーヒーが飲めるだけで、私は満足だ。
キモツキ氏の家は杉並の高井戸にあった。
高級住宅が立ち並ぶ一角に、氏の平屋建ての和風建築の家はあった。
もちろん部屋が何部屋あるとか、敷地面積が何坪などという下世話な話題も我々の間では出たことがない。
ただ、トイレが3畳以上の広さというのが、もったいないなあ、と貧乏性の私は思うだけである。
私ならここにパソコンとテレビ、冷蔵庫を持ち込んで、一生住み続けられる自信がある。
そのキモツキ氏の家にうかがうときは、京王井の頭線高井戸駅を降りて神田川沿いの遊歩道を歩く。
そして、途中で階段を上る。
大抵は、キモツキ邸にうかがうのは午前10時半である。
階段を上るのは、10時10分ころだろうか。
その階段を上ったところに、ベンチが一つ置いてあった。
住民にご老人が多いので、階段を上ったあとに休むためのものだと思われる。
そのベンチに、同じご老人ご夫婦が座っている姿を7月はじめまでに3回見た。
普通に並んで座っているときの他に、一度だけ手をつないで座っている姿を1回見た。
お二人とも80歳は超えているのではないか、と私は勝手に想像した。
それは、心温まる光景だった。
その姿を見るのが、知らないうちに私の楽しみの一つになっていた。
だが、暑い7月半ばから9月半ばまでは、その姿を見ることはなかった。
陽を遮るものが何もないので、暑い夏はそのベンチの利用者は少ないだろう。
ご老人なら尚更だ。
しかし、今週の木曜日に、久しぶりにご夫婦を見た。
過去3回と同じように、ベンチに並んで座っていた。
ああ、また会えた、と心が沸き立った。
そのとき、ご主人が奥さんに話しかけるのを聞いた。
今までは、おふたりが会話する姿を見ていなかったので、小さな驚きがあった。
聞くつもりはなかったが、勝手に会話が耳に入ってきた。
「あのときは済まなかったねえ」
ご老人にしては、よく通る芯のある声だった。
「あのときって、いつでしょうか?」
奥さんの声も明瞭な発音で活き活きとして聞こえた。
「ああ、せがれの小学校の入学式だよ。僕が忙しくて行けなかった。悪かったと思っているよ」
「そうですか。でも心配なさらないでください。タモツにはよく言って聞かせましたから。あの子は賢い子ですから、すぐにわかってくれました」
このご夫婦の息子さんなら、小学校の入学式は40年以上前になるだろう。
しかし、ご主人は「あのときは」と、まるで最近のことのように言ったのである。
それに対して、奥さんはすぐに思い出を息子の入学式まで巻き戻して「大丈夫ですよ」と言ったのだ。
お二人の会話が聞こえたのは、そこまでだった。
「すぐにわかってくれました」の声を聞いたすぐあとに、私が角を曲がってしまったからだ。
40年以上前から引きずっていた後悔を奥さんに謝り、それを何ごともなかったように受け入れて夫を安心させる奥さん。
歩いていて、こみ上げてくるものがあった。
一分に満たないシーンだったが、良質なドラマを見ているような濃厚さがあった。
きっと、このようなドラマは日本中、世界中で数限りなく繰り返されているに違いない。
そう考えたとき、こんな平和で穏やかな情景が、これからも当たり前のように続いていく世の中であってほしい、と強く思った。
強く願った。