杉並の建設会社社長が、デカい顔を近づけて、「先生よお、俺の会社の社員全員が禁煙したぜ、すごいだろ」と言った。
私は、昨年から、この建設会社では、「先生」と呼ばれていた。
「アドバイザーになってくんねえかな」と顔デカ社長に脅迫されて、なってしまったのだ(堕落したもんだ)。
この建設会社とのお付き合いは、7年目になる。
当時、顔デカ社長は、40本近い煙草を毎日吸っていた。
20年以上前、20代後半で会社を立ち上げたときは、業者が若い社長のことを軽んじて、態度が横柄だったという。
それに反発した顔デカ社長は、20以上年上の人でも怒声を浴びせかけ、ときにケツを蹴り上げることもあった。
そのストレスから、煙草の本数が多くなっていったという。
「俺にとっての、精神安定剤になっちまったのさ」
最初の頃、社員を怒鳴り散らし、業者のケツを蹴り上げる社長の姿を見て、私は打ち合わせのたびに、チビリそうになった。
紙オムツを使おうかと迷ったほどだ。
その環境に慣れるまで3年かかった。
「顔デカの上にも3年」ということわざは、本当のようだ。
3年目に、顔デカ社長に問われた。
「あんた、煙草吸わねえんだろ。禁煙するには、どうしたらいい?」
いえ、私はもともと吸わないので、禁煙したことがありません。
だから、禁煙の方法を知らないのです。
「一本も吸ったことがねえのかい?」
2本だけあります。小学校一年のときと中学校一年のときです。つい、出来心で。
中学一年のときは、放課後、職員室で陸上部の顧問を待っていたら、いつの間にか、職員室に誰もいなくなって、顧問の机の上に煙草が置いてあったのを見て、衝動的に吸ってしまったのです。ほんの出来心です。お許しください(良い子は真似をしないでください)。
「随分、悪ガキだったんだな」
いえ、それ以来吸っておりませんので。悪ガキではないかと思いますが。
「まあ、どっちにしてもさあ・・・禁煙のヒントをくんねえかな」
わたくしが思うに、体に害があると知っていて煙草を買うのですから、覚悟を決めて、死ぬまで吸い続けたらいかがでしょうか。
副流煙はまわりの人に害を及ぼすというのが定説ですが、主流煙は未知の部分が多いようです。
間違いなく肺は真っ黒になったとしても、それが人の寿命を縮めるかは、私としては半信半疑です。
まっくろくろすけだったとしても、長生きしている人はいるでしょうから、それに賭けてみてもいいのではないのでしょうか。
「なんか、雑な意見だな」
そんな私の雑な意見に反発したのか、今まで20回以上試みてことごとく失敗してきた顔デカ社長の禁煙が、なぜか簡単に成功してしまったのである。
そして、そのことは、この建設会社にブームをもたらしたのだ。
社員34人のうち、8割以上が喫煙者だった喫煙会社の社員たちが、禁煙にチャレンジするようになった。
4年の歳月がかかったが、先月全員の禁煙が実現した。
顔デカ社長が、デカい顔を近づけて社員を威圧したわけでもなく、自然発生的に禁煙が実行されたのだ。
「先生よお、禁煙手当ってのを出そうと思ってるんだけどな・・・ひと月、5千円の金額は変かい?」
よろしいと思います。
年間6万円。煙草を吸わなくなった分のお金も浮くのだから、かなりお得感があるのでは。
「しかしなあ・・・5年前は考えられなかったよ。俺の会社から灰皿がなくなるなんてな。なんか俺、すごく嬉しいんだよな」
ご満悦な顔デカ社長であった。
顔デカ社長が、歯医者に行くと言って出ていったあと、事務の男性社員二人が私のところにやってきて、クビをかしげた。
「俺は、社員全員の禁煙より、先生が、社長に一度も怒られたことがないというのが、不思議でしょうがないんですけどね」
社員や業者を怒鳴り散らし、ケツを蹴り上げ、ときに客にまで怒鳴る顔デカ社長は、私にはなぜか紳士なのだ。
私の方が、10歳近く上だから気を使っているのではないだろうか。
「いえ、20歳近く年上の業者のケツを蹴り上げるのは日常茶飯事ですよ。なんか俺、納得いかないですよね」
もう一人の事務員もハゲしく頷いていた(若いのに禿げていたので)。
それは、あれでしょう。俺が、聖者だからじゃないですかあ・・・。
おや? 一気に場の空気がしらけて、社員が持ち場に戻ったぞ。
私が聖者じゃないとわかったところで、この話はおしまい。
徹夜で仕事を仕上げたし、近くに住む母に弁当も届けた。
さて、一服することにしましょうか。
勘違いなさらないでください・・・私の一服とは、朝風呂のことですから。
朝風呂のあとは、クリアアサヒを飲みながら、家族の朝メシを作りましょう。
今朝のメニューは、パングラタンとカボチャの冷製スープ。
今日一日が、良い日でありますように・・・・・。
君は天使じゃなく
俺だって 聖者じゃないんだぜ
(私が尊敬する浜田省吾大師匠の歌詞です)