リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

そこじゃない

2016-06-12 08:30:02 | オヤジの日記
少し前のことだが、大和くんの「おきざり事件」に関して、尾木直樹氏のブログが悪意の批判のコメントで溢れかえっていたらしい。

相変わらずのネットの集中砲火は、無駄な労力を費やしているなあ、と感心する。

誰もがブログやツィッターでは、好き勝手なことを述べることができる。

それが、SNSというものだろう、とは思う。

だから、一般人と同じように、尾木氏にも好き勝手なことを言う権利がある。

たとえば、その意見が間違っていたとしても、彼が謝るのは、名誉を毀損した人に対してであって、顔の見えない無責任な不特定多数ではない。


ただ、今回の件で一番ハッキリしていることは、非難されるのは、少年の父親だということだ。

北海道の山の中に置き去りにするのは「しつけ」とは絶対に言えない。
虐待を疑ってもいいと思う。

そのことで、近隣の人や知人たち、警察、自衛隊に多大な迷惑をかけた。
それは、どう考えても許し難い行為だと言える。

その許し難い行為を超えるような非常識なことを尾木氏がしたのか、と言えば、私にはそうは思えないのだ。

父親の名誉を汚したかもしれないが、その父親は相当な迷惑を世間にかけているのである。
それは、尾木氏の迷惑とは比較にならない。


不特定多数の顔の見えない人々は、叩きやすい人を見つけたら集中的に叩くのが正義だと勘違いしている。

だが、それは集団ヒステリー。
あるいは感情論、腹いせ。


繰り返すが、今回の事件の発端は、すべて父親の軽卒な行為が引き金になっている。

それ以上のものはない。

結果オーライで、子どもは無事だったが、父親の行為は常識から考えたら、まったく理解できないことだ。
これは、ハッピーエンドで収めるほど軽い事件ではない。
生きていたから良かった、というのは問題のすり替えだ。


それに対して、尾木氏は、尾木氏を批判する軽卒な外野と同じような意見を述べただけでないか。

それを叩くのは、理屈に合わない。
だから、尾木氏はその他大勢のネット住民の批判は無視していい。


些細なことで人を貶める「差別主義者」は、ことの本質を理解できない。
感情論でしか、人の行いを判断する方法を持たない。


集団ヒステリーに理屈は通用しない、とは言っても叩く相手を間違えている。

そこじゃない。


行方不明だった6日間、どれだけの人が彼を心配し、どれだけの人が彼を捜すために時間を割いたのかを考えれば、そして、その原因を誰が作ったのかを考えれば、批判の流れが違う方向を向いているのがわかるだろう。


自分のことを言うのは気が引けるが、私は子どもを叱ったことがない。
子どもが悪いことをしたら、その理由を聞くだけで、子どもを高圧的に支配しようとしない子育てをしてきた。

それが成功したかどうかは、わからない。

いま25歳と21歳の子。

親の私には見えない側面を持っているかもしれないが、子どものお友だちからの評価などを聞くと、真っ当な道を歩いていることだけは想像がつく。

子どもに関しては、無関心な振りをした方が、上手くいくことがある。
干渉はしない。
困ったときだけ、親の方を向いてくれればいい。

だが、無関心な振りをしても、私は決して彼らの心を「おきざり」にはしない。

人間として至らない父親ではあるが、そのことだけは自信がある。


少なくとも、子は「父親のもの」ではない、と私は思っている。


だから、まるで、子どもを物のように置いていく心理が、私にはわからないのだ。