最寄り駅のATM出張所でお金を下ろそうとしていたときのことだった。
赤ん坊の声が聞こえたので振り向くと、私の30センチほど後ろに、30歳前後の女性が立っていた。
赤ん坊をおんぶしていた。
少し鳥肌が立った。
普通は、ATMで順番を待つ場合、1メートル以上の間隔を空けて立つものではないだろうか。
それが、わずか30センチ。
彼女の後ろには、順番を待つ人はいなかった。
こんな経験は、初めてだった。
そして、イトーヨーカ堂で買い物をしていたときのことだ。
レジで精算をしていた。
その精算をする私に、肩を接するようにして立っていたのが、30歳前後のサラリーマンだった。
弁当とペットボトルの飲み物を持っていた。
スーパーのレジの場合も、次に精算を待つ客は、たいていは1メートル程度は慣れた位置で待つのが普通である。
そんなに密着して順番を待つ人は、まずいない。
「待て」のできない大人たち。
話は飛ぶが、先日ネットの新聞記事を読んでいたら、怖い記事に出会った。
朝日新聞の投書欄「声」に掲載された読者の投稿が、投稿主の詳しい住所と電話番号が加えられてインターネットの掲示板やブログに無断転載されたというのだ。
新聞の素人投稿欄には、名前は載っているが、住所や電話番号は載っていない。
つまり、ネットの電話帳などを使って調べたらしいのだ。
しかし、電話帳で投稿主を特定する精度は高くないから、投書した読者と同姓同名の別人の住所などが書き込まれたケースもあったという。
間違えて掲載された人こそ、いい迷惑である。
個人情報の侵害だ。
30人の個人情報が掲示板にさらされて、そのうち、14人の家に嫌がらせや無言電話がかかってきた。
怪しげな郵便物も届いた。
投稿主の投稿内容のほとんどが、政権与党の改憲姿勢に疑問を呈する内容だったという。
それを読んだ「誰か」が、電話で「売国奴」と罵り、「お前の家はわかっているぞ」と脅した。
要するに、それは自分の意見と違う意見を持つものを排除するという幼稚な悪意。
人は、それぞれ意見が違うのが当たり前なのに、それを許さないという性情は、社会不適格者に近い。
政権与党、とりわけ総理大臣は、批判されるのが当たり前。
以前、首相が元外務審議官の田中均氏を名指しで非難したことがあった。
田中氏から「国際会議などで、日本が極端な右傾化をしているという声が聞こえる」「中韓に日本を攻撃する口実を与えてしまっている」と安倍政権の外交政策を批判されたかららしい。
それに対して、小泉進次郎氏が「個人の名前を挙げて反論、批判はすべきではない。政治家がいちいち批判に反応していたらきりがない。批判はあって当たり前だ」と苦言を呈したという記事を読んだ。
私は、政界一家の中で、石原一家と小泉一家はあまり好まないのだが、これを読んだとき、私の考えと全く同じなので、小泉進次郎氏に、心の中で百点を差し上げた。
アッパレ!
総理大臣は、何をやっても批判されるのが当たり前。
批判が気に食わないからと言って反論していたら、応酬合戦になって、本業の政治がおろそかになる。
彼の支持者が彼のやることを何でも賞賛することは、ファン心理として容認できるが、反論されたからと言って、他者を攻撃するのは、贔屓の引き倒しに近い。
ファンは、支持だけしていればいい。
愚劣な行為は、彼らの偶像(アイドル)を貶めるだけだ。
多くの大人は、怒りが沸騰点に達しても、自らそれを沈める方法を知っている。
それは、たとえば、気分転換だったり、あるいは、単純に、怒りが収まるのを我慢強く「待つ」という方法だ。
大人は、何よりも「待つ」ことが、重要だというのを知っている。
「時間」が、怒りを抑えてくれる。
その時間を有効に使えるのが、「大人」であるということ。
「待て」のできない人は、人がATMを操作しているすぐ後ろでしか待てない。
レジで精算をする人のすぐ横でしか待てない。
そして、自分の意見と違う意見を持つ人間に憎悪の炎を燃やして悪さをする人は、「待て」の能力が著しく欠如している人だ。
赤ん坊の声が聞こえたので振り向くと、私の30センチほど後ろに、30歳前後の女性が立っていた。
赤ん坊をおんぶしていた。
少し鳥肌が立った。
普通は、ATMで順番を待つ場合、1メートル以上の間隔を空けて立つものではないだろうか。
それが、わずか30センチ。
彼女の後ろには、順番を待つ人はいなかった。
こんな経験は、初めてだった。
そして、イトーヨーカ堂で買い物をしていたときのことだ。
レジで精算をしていた。
その精算をする私に、肩を接するようにして立っていたのが、30歳前後のサラリーマンだった。
弁当とペットボトルの飲み物を持っていた。
スーパーのレジの場合も、次に精算を待つ客は、たいていは1メートル程度は慣れた位置で待つのが普通である。
そんなに密着して順番を待つ人は、まずいない。
「待て」のできない大人たち。
話は飛ぶが、先日ネットの新聞記事を読んでいたら、怖い記事に出会った。
朝日新聞の投書欄「声」に掲載された読者の投稿が、投稿主の詳しい住所と電話番号が加えられてインターネットの掲示板やブログに無断転載されたというのだ。
新聞の素人投稿欄には、名前は載っているが、住所や電話番号は載っていない。
つまり、ネットの電話帳などを使って調べたらしいのだ。
しかし、電話帳で投稿主を特定する精度は高くないから、投書した読者と同姓同名の別人の住所などが書き込まれたケースもあったという。
間違えて掲載された人こそ、いい迷惑である。
個人情報の侵害だ。
30人の個人情報が掲示板にさらされて、そのうち、14人の家に嫌がらせや無言電話がかかってきた。
怪しげな郵便物も届いた。
投稿主の投稿内容のほとんどが、政権与党の改憲姿勢に疑問を呈する内容だったという。
それを読んだ「誰か」が、電話で「売国奴」と罵り、「お前の家はわかっているぞ」と脅した。
要するに、それは自分の意見と違う意見を持つものを排除するという幼稚な悪意。
人は、それぞれ意見が違うのが当たり前なのに、それを許さないという性情は、社会不適格者に近い。
政権与党、とりわけ総理大臣は、批判されるのが当たり前。
以前、首相が元外務審議官の田中均氏を名指しで非難したことがあった。
田中氏から「国際会議などで、日本が極端な右傾化をしているという声が聞こえる」「中韓に日本を攻撃する口実を与えてしまっている」と安倍政権の外交政策を批判されたかららしい。
それに対して、小泉進次郎氏が「個人の名前を挙げて反論、批判はすべきではない。政治家がいちいち批判に反応していたらきりがない。批判はあって当たり前だ」と苦言を呈したという記事を読んだ。
私は、政界一家の中で、石原一家と小泉一家はあまり好まないのだが、これを読んだとき、私の考えと全く同じなので、小泉進次郎氏に、心の中で百点を差し上げた。
アッパレ!
総理大臣は、何をやっても批判されるのが当たり前。
批判が気に食わないからと言って反論していたら、応酬合戦になって、本業の政治がおろそかになる。
彼の支持者が彼のやることを何でも賞賛することは、ファン心理として容認できるが、反論されたからと言って、他者を攻撃するのは、贔屓の引き倒しに近い。
ファンは、支持だけしていればいい。
愚劣な行為は、彼らの偶像(アイドル)を貶めるだけだ。
多くの大人は、怒りが沸騰点に達しても、自らそれを沈める方法を知っている。
それは、たとえば、気分転換だったり、あるいは、単純に、怒りが収まるのを我慢強く「待つ」という方法だ。
大人は、何よりも「待つ」ことが、重要だというのを知っている。
「時間」が、怒りを抑えてくれる。
その時間を有効に使えるのが、「大人」であるということ。
「待て」のできない人は、人がATMを操作しているすぐ後ろでしか待てない。
レジで精算をする人のすぐ横でしか待てない。
そして、自分の意見と違う意見を持つ人間に憎悪の炎を燃やして悪さをする人は、「待て」の能力が著しく欠如している人だ。