リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ハゲ増し軍団

2019-04-28 05:06:00 | オヤジの日記

「翔んで埼玉」に同業者が、何人かいる。

 

以前は、2ヶ月に1回埼玉から吉祥寺まで足を運んでいただいて、飲み会を開いていた。

今は、私が時間が取れないこともあって、飲み会は、半年から8ヶ月に1回の間隔に伸びてしまった。

本当なら私の方が足を運ぶべきなのだが、私が埼玉に入るための通行手形を持っていないことを知っている同業者様たちが、わざわざ吉祥寺まで来てくれるのである。

ありがたいことだ。

 

埼玉では、東京ドーム ?個分のメガ団地に住んでいた。

15年間住んだ。最初の14年は楽しかった。2人の子どものお友だちとも仲良くなって、一緒に走ったり、ボーリングに行ったり、バーベキューをしたりした。

しかし、私の環境が15年目に突然変わった。1人のご老人が、我が家に送り込まれたのである。

そのご老人は、軽い認知症だった。そして、私の仕事が理解できない人だった。

自宅にいてパソコンで仕事をする。

 

「普通、仕事をするというのは、毎日同じ時間に起きてネクタイ結んでスーツ着て出かけるのを仕事って言うの。テレビ見ながらゲームばかりしてるのを仕事とは言わない!」

 

その間違った認識は、瞬く間に、ご近所のご老人連合に感染していった。

私が最寄の駅に行こうと自転車をスイスイと転がしていたら、突然見ず知らずのご老人が立ちはだかって、「あんた、自分はゲームばかりして、奥さんに働かせてるんだって」「奥さんが可哀想だから、すぐ別れてあげなさい」などと罵倒するのである。

奥さんが可哀想、というのは当たっているかもしれない。それは認める。しかし、残念ながら、週に4日、朝だけ花屋さんのパートをしているヨメの給料だけでは、公団の家賃も払えないのが現実だ(ヨメには申し訳ない表現になってしまったが)。

 

そんな生活が続いているとき、私が病み始めたのを覚った当時中学2年生だった娘が、ある提案をしてくれた。

「あの人を三鷹に返そう。とは言っても、1人じゃ生活できないだろうから、我々があの人の近くに引っ越して面倒見ようぜ」

しかし、それは君にとって転校を意味することだ。いいのか、親友と別れるんだぞ。

「親友は、遠く離れても親友だ。それに、きっと新しい学校でも親友はできる」

「でもな・・・おまえは1人しかいないんだ。替えはいないんだ。これ以上、やつれた姿を見るのは嫌だ!」

 

その後、娘は同級生や吹奏楽部のお友だち、担任に「うち、引っ越すから」と高らかに宣言して、既成事実を根気よく積み重ね、初めは大反対だったヨメと息子の抵抗を諦めさせた。

ご老人は三鷹の自宅に。我々は武蔵野にアパートを借りて、慌ただしいお引越しをした。

その娘の提案は功を奏し、私に対する中傷がなくなった。傷んだ私のハートは、キレイなハート型を取り戻した。

こんなバカ親父をかばってくれた娘に感謝感謝。

 

「Mさんは、あのときよく、団地を全部爆破してやろうかって言ってましたもんね」と言ったのは、人類史上最も馬に激似の「お馬さん」だ。彼は同業者の1人だ。そして、同じ団地に住んでいた。ただ、悲しいことに、お馬さんは分譲で、私は賃貸だったが。

え? そんなこと、俺言いましたっけ?

 

8ヶ月ぶりに開かれた吉祥寺での飲み会。

参加者は、最年長のオオサワさん。ただ、最年長とは言っても、私はオオサワさんの年齢を知らない。みんなは知っていて敬っているが、私は人の年齢に興味がないので、聞いたことがない(年齢は人の価値を図る尺度ではない)。

他には、写真家兼デザイナーのカマタさん。スーパーなどのポップが専門のヤマダさん。

私は、この3人を「ハゲ増し軍団」と呼んでいた。

なぜなら、埼玉から東京に戻ってきて通行手形を返上した私のために「Mさんをハゲ増しましょうよ」と飲み会を開いてくれたからだ。

 

他はお馬さん。年は、おそらく私より10歳程度下だろう。

最後は、1番若い一流デザイナーのニシダ君。16年前、私がMacを教えた人だ。その3年後に、ニシダ君は独立して、1年後に私の年収を軽く乗り越えた愉快な人だ。彼は今も私のことを「先生」と呼んでバカにしていた。

これに私を足して、「ハゲ無し軍団」が3人。レギュラーは6人だが、たまにゲストが来ることもある。

今回は、ヤマダさんの知り合いのフイギュア作家エンドウさんが来た。

このエンドウさんを含め、ヤマダさんとカマタさんの困るところは、やたら武闘派自慢をしたがることだ。

カマタさん。「俺、若いころはワルでさ。高校を中退してから、色んなところで悪さしたんだよね」

ああ、そうですか。

ヤマダさん。「暴走族には、入っていなかったけど。1人で闘ったよね。ブイブイ言わせてたよ」

ああ、そうですか。

エンドウさん。「俺、何度拳を傷めたかね。ヌンチャクもブルース・リーに負けないぜ」

ああ、そうですか。

 

この日のエンドウさんは、むかし六本木で黒人2人とバトルした武勇伝を身振り手振りで10分程度語った。

それに同調して、カマタさんも埼玉川口市の工事現場で、労働者4人とバトルした過去を語っていた。

鬱陶しい。

実に、鬱陶しい。

その自慢は、誰が得をするの? 褒めて欲しいの? 感心して欲しいの? 拍手して欲しいの?

 

申し訳ないが、酒が不味くなる。

鬱陶しくなった私は、ニシダ君に、時間を測って、とお願いしたあとで立ち上がり、シャドーボクシングをし始めた。

29歳の時に、1年ちょっとボクシングジムに通っていたことがあったのだ。ランニングだけでは、高度な体力が維持できない悲しい現実に気づいたので、当時「マービン・ハグラー」というミドル級のボクサーが好きだった私は、迷わずボクシングを選択した。

練習の中では、シャドーボクシングが得意だった。2ヶ月もすると、時計を見なくても、3分前後で動きを止められることができるようになった。体が1ラウンド3分を覚えたのだ。

それを「ワル自慢」たちの前で、披露しようと思った。

いい感じで、パンチが出せた。

しかし、30秒後くらいに肩を叩かれた。

 

「お客さん、暴れちゃ困りますよ」

 

ああ、すいません。俺、ワル自慢よりも迷惑でしたよね。

 

 

次回は、令和で、お会いしましょう。

 

(ゴールデンウイークなんて、どこの惑星の話でっか、と毒を吐いているリアルガイコツでござる)

 

 


背中にドーン

2019-04-21 06:09:00 | オヤジの日記

国立駅から家に帰ろうと思って、旭通りという道を歩いておりました。

 

旭通りの道は、とても狭いのでございます。横幅1メートルもないかもしれません。

その道を歩いていたら、突然背中にドーン! ですよ。

 

え? 何が起こった?  と普通は思いますよね。

私も思いました。

 

え? え? え?

 

横を見ると50歳くらいのオバハンが必死な形相で、歩道から車道に原付を走らせている姿が見えました。

 

え? どういうこと?

 

足や腰に、原付の前輪が当たることはあるかもしれない。

しかし、背中にドーンですよ。

どうして?

ウイリーしてたの?

 

普通原付の前輪は、背中には当たらないでしょう。

 

まあ、原付の前輪が、背中に当たって倒れなかった私も凄いですけどね。

だって、3週間前に、脛にヒビが入ってた男ですから。

 

本当だったら、今回は「翔んで埼玉」時代の同業者のおもしろ話を書くつもりでしたが、背中にドーン! で吹っ飛んでしまいました。

 

なんだったんですかね、あのオバハン。

 


白プラス字

2019-04-14 05:38:00 | オヤジの日記

土曜日。

レントゲン写真を見ながら、「なるほど」という医師と出会った。

 

「足を見せてください」と言われたので、自慢の美脚を見せた。医師は、やはり「なるほど」と頷いた。

そして、「次回は2週間後の土曜日に見せてください」と言った。

なるほど、と私が言うと、医師が私の顔を見てニヤッと笑った。

「なるほど」が自分の口癖だということが、わかっていたようだ。

 

今回も娘が付いてきた。

「何て言われた?」と聞かれたので、なるほど、と言われたと答えた。次は2週間後に来いってさ。

「なるほど」

 

これから、世界一面白い男に会うのだが、付いてくるかい。

「でも、仕事だろ。邪魔じゃないのか」

邪魔になるような仕事じゃないんだ。相手はアホだから、気にしないと思うよ。

「ああ、イナバさんだね。おばあちゃんの葬儀のときに見かけたことがある。付いていってやろう」

 

アホのイナバは、バーミヤンで待っていた。

午前11時43分までに来てくれ、と言ったのに36分ごろ着いたという。7分差は大きい。フライングしすぎだよ、と叱ってあげた。

娘の顔を見たイナバ君は、「久しぶりで、初めまして」と頭をチョコンと下げた。

久しぶりで、初めまして、というのは変な日本語だと思われる方もいるかもしれない。

しかし、この日本語は、イナバ君にしては、かなり正確だ。

イナバ君と娘は、私の母の葬儀で初めて会った。そのときは、言葉を交わさなかった。しかし、今回初めて言葉を交わした。

だから、「久しぶりで、初めまして」なのである。

 

打ち合わせの前に、昼メシを食うことにした。

イナバ君は、レタスチャーハンとドリンクバイキング、娘は味玉ラーメンとドリンクバイキング、私はダブル餃子と生ビールだ。

2週間ぶりのアルコール。

おそらく酒を飲んでも脛の怪我には、影響はなかったと思う。

5年前、主治医から「重い貧血なので、しばらくはお酒を控えてください」と言われたことがあった。「でも、たまには飲んでもいいと思います」とも言われた。

しかし、1年半断酒した。

初日は「酒が飲みてえなあ」と思ったが、2日目には、思わなくなった。そのとき、俺はアル中じゃなかったんだ、と妙に安心した記憶がある。

だから、今回も簡単に酒を断てた。飲まなくても平気だった。

私にとって、酒は、ただの飲み物だ。その飲み物がなくても困ることはない。

偉そうに言うことではないと思うが。

 

食いながら、イナバ君が、面白いことを言った。

「この間、吉祥寺に行ったら、面白いバスを見つけたんですよ。バスの表示が、『吉祥寺駅から吉祥寺駅』になっていたんです。しかも客が結構乗ってるんですよね。吉祥寺から吉祥寺じゃ、1メートルも進めないじゃないですか。何で乗るんですか」

娘が横で、私の顔を仰ぎ見た。これは、冗談で言っているの? という顔だ。

イナバ君は、いつでもマジですよ。冗談、という概念から一番遠い場所で生きていますから。

イナバ君。それは、巡回バスというものだよ。山手線を思い出してごらん。決まった駅に止まりながら回り続けているだろ。それと同じだ。

「ああ、バスの山手線ってことですね」

そうだね。

 

「ところで」とまたイナバ君。

「うちのボロ雑巾の名前、モネとドガって言うじゃないですか」

娘がまた私を見たので、ボルゾイ犬、と小声で教えた。娘は含み笑いで頷いた。

「ボク知らなかったんですけど、有名な画家の名前だったんですね。でも、モネはわかりますけど、ドガってなんですか。山本ドガですか、高橋ドガですか、加藤ドガですか、おかしすぎるでしょう」

柴咲ドガね。

「ああ、柴咲だったか!」

(本当は、エドガー・ドガね)

 

そんな楽しい会話のあと、打ち合わせをした。

年に3、4回発刊される同人誌の組版である。今回が、記念すべき50号目だ。

だから、記念に14人の執筆陣の文章をすべて載せることになった。普段は、8人から11人だから、いつもよりは手間がかかる。

それに、ここ数年は、1号につき、大抵2人は原稿が書けない、と泣きついてくるご老人がいた。そんなときは、私が取調室で、カツ丼を食いながら、ご老人に事情聴取をして、何を書きたいかを聞いて代筆することになる。

その度に、私は都立図書館や資料館に足を運んで、資料を漁り、文章を組み立てるのだ。大変、面倒くさい。

 

世の中には、インターネットという便利なものがある。しかし、この代筆をし始めてから、私は、インターネットは平気で嘘をつくということに気付かされた。

4年ほど前のことだが、ちょうど本題に合った文献を2つ見つけたので、それを参考にして抜粋という注釈を入れて文章をまとめた。

ご老人に読んでもらったところ、「年代が違うよね」「こんな町名はないよ」「街道は一つじゃなくて二つだから」など九つの間違いを指摘された。

二つの文献で、明らかに間違っていたのが九つ。おそらく抜粋以外のところで、間違いは他にもあったことだろう。気になるのは、二つの文献とも間違っていた箇所が似かよっていたことだ。

つまり、どちらか一方が、私と同じく相手の文献を単純に鵜呑みにしていたから、間違っている箇所も同じだったということだ。

そのことがあってから、私はインターネットに頼るのをやめた。自分で調べることにした。手間を惜しんでいたら、ロクなことにならないことを学習したからだ。

 

前回からは、イナバ君がご老人たちのもとに出向いて、ICレコーダーで話を録音し、それを音声データとして送ってくれたから、私自身がご老人たちに話を聞く手間が省けた。これは有難い。

今回も音声データをもらった。これだけで、能率が違う。時短になる。イナバ君はアホだが、いいアホだ。いいアホはいい。

 

打ち合わせは、20分程度で終わった。

「Mさん、生ビール頼みましょうよ」とアホが気を使ってくれた。ついでにダブル餃子もお願いできるかな。

アホが、頼んでくれた(イナバ君は大金持ちだから、この程度の出費は痛くもかゆくもない)。

そのあと、アホのイナバ君が唐突に言った。

「菜の花」

イナバ君はいつも唐突なのですよ。話がすぐに飛ぶ。しかも、最初のセンテンスが短い。

娘も「ナノハナ〜〜?」というような顔をしていた。

そんな状況を無視して、イナバ君が話を続けた。

「うちの奥さんが、共同菜園で食用の菜の花を育てているんです」「それでヤシロのおばあちゃんが死にました」

ヤシロのおばあちゃん?

「ヤシロのおばあちゃんは、菜の花が好きで、うちの奥さんの菜園で採れる菜の花の半分以上をいつもあげてたんです。でも、今年の1月に82歳で死にました。だから、菜の花が余っちまったんですね。うちは、それほど菜の花が好きではないので、困ってます」

好きでないのに、なぜ菜の花を育てているんだ。

「そうですよね、アハハハハ」

10日前に47歳になった男とは思えないほど、脳が空に浮かんでいた。軽い脳だねえ。

 

「それで」とイナバ君が話を続ける。

「Mさん、菜の花、食べる?」。カタコトの日本語だね。

俺は好きだよ。お浸しにしてもいいし、からし和えもいい。パスタにも合う。舞茸と一緒に醤油バターでソテーしても美味い。塩ラーメンのトッピングやアサリの酒蒸しに添えても美味いんだよな。

「じゃあ、あげる」「今日、持ってきたから、あげる」。またカタコトだね。

「車の助手席に置いてある。帰り、持って帰って」

ワカッタ。モッテカエル。

しかし、菜の花君も超超高級車のベンツの助手席に乗せてもらえるとは思わなかったろうな。幸せな菜の花君だ。

それを聞いたイナバ君が、また唐突に言った。

「菜の花って男ですかね、女ですかね」

バイセクシャルだったりして。

「バイセクシーゾーンですか」

そうだね。

「そのセクシーゾーンは、うちの奥さんが茹でて冷凍したものをクーラーボックスに入れて持ってきましたから、ボックスごと持って帰ってください」

さすが奥さん、気がきくね。

 

そのあと、ダンスの話になった。

イナバ君と娘は、ダンスが得意だ。2人とも運動神経が鈍いくせに、ダンスは上手いのだ。

特にイナバ君は、奥さんと付き合う前に、マイケル・ジャクソン好きの奥さんのために、マイケルのビリー・ジーンのダンスと歌を完全にコピーして披露した。それが決め手になって、イナバ君は、奥さんと付き合ってもらえるようになった。

それ以来、イナバ君は奥さんから「ビリーくん」と呼ばれていた。

娘も子どもの頃からダンスが好きで、中学校のダンスフェスティバルでは、いつもセンターで踊っていた。

イナバくんも娘も有名人のダンスを3回見たら、振りを再現できるというありえない特技を持っていた。

うらやましすぎるぞ。

私など、何を踊っても娘からは「盆踊りか阿波踊りにしか見えないな」と褒められているというのに。

何が違うのだろう。

「才能ですよ」とイナバ。「才能だな」と娘。

何を踊っても盆踊りか阿波踊りに見えるのも一種の才能だと俺は思うのだが。

2人が顔を大きく横に振った。

 

盆踊りと阿波踊りを極めてやろうと、その瞬間、私は誓った。

 

そんな楽しい時間を過ごしたのち、イナバ君とバイバイした。

娘と私は、桜がかろうじて残っている国立の大学通りに並べられたベンチに座って、ブス猫のご飯を買って帰ろうか、などと話していた。

そのとき、娘が気づいた。

「おい! 菜の花」

あーーーーーー、忘れてた。

そのとき、ケツのポケットに入れたiPhoneが震えた。イナバ君からだった。

「ごめんくさ〜い。菜の花忘れまーした。今すぐ戻りますけど、どこにいますか」

場所を教えた。イナバ君は、待つこと12分で我々の横のロータリーに超超超高級車のベンツを停めた。

その12分の間に、我々は、娘が「頂き物をするというのに、手ぶらはいかんよな」と言うので、目の前にあった高級洋菓子店の「白十字」で「櫻サブレ」という訳のわからないものを買った。

お互い納得の上で、物々交換をした。

 

そのとき、イナバ君が店の名前を見て言ったのだ。

「Mさん、この名前変じゃないですか。『白プラス字』って、変でしょ。意味不明です。おかしすぎますよ」

 

イナバ君、おかしすぎるのは、君だよ。

 

 



なるほど わかりました

2019-04-07 05:43:01 | オヤジの日記

人間の自然治癒力。

 

きっかけは、娘の有給だった。

娘の通う会社は、有給を消化することを推奨していた。だから、娘は、計画を立てて平日に有給をとり、金沢へ一泊旅行に行って、有給を消化していた。

娘の大親友のミーちゃんも、それに合わせて有給を取り、2人仲良く金沢で過ごした。

 

しかし、今回は1日だけ。しかも月曜日という中途半端さだ。

疑問に思って聞いてみたら、「おまえは可愛い娘と一緒に、1日を過ごしたいとは思わないのか」と言われた。

ワンワン。

「吉祥寺と立川、どっちがいい?」

近いから、立川だね。

「じゃあ、吉祥寺」

ニャーニャー。

 

娘のお友だちの誕生日が近いので、誕生日プレゼントを買うため、ついてこいということだ。

1人は、大学時代の同級生フキちゃん。

もう1人は、会社の同僚のオドリさん。幼い頃から日本舞踊をしていたことから、まわりがそう呼んでいるらしい。年は娘より2つ上だという。

フキちゃんには、23を過ぎて初めて化粧を覚えたこともあって、口紅を選んだ。私には、娘と店員さんとのやりとりが、すべてハリーポッターの呪文に聞こえた。なぜだろう。

オドリさんには、コウペンちゃんのグッズを3点選んだ。オドリさんが、とても気に入っているキャラクターだ。ぬいぐるみと弁当ボックス、箸。

娘はコウペンちゃんも好きだが、ネコペンちゃんも好きで、よくLINEのスタンプを送ってくる。

ここまで読んだ方の中で、「こいつは何を言っているのだ! 頭にハエが混入したか。大丈夫か!」と思った方が、おられるかもしれない。

しかし、安心してください。これが平常運転です。

 

買い物が終わって、昼メシ。「ラーメン食おうぜ」

娘は、最近ラーメンが気に入っていた。仕事帰りに同僚と一緒に新宿のラーメン屋に行くのが楽しみだという。

娘曰く、「行列のできるラーメン屋は、やはり美味い。行列のできないラーメン屋は、味が残念だ。ラーメンに関しては、『行列』が選ぶポイントの1つだよ」だそうです。

私は、ラーメン店のラーメンに関しては、否定的だ。なんといっても価格が高い。最近は屋台でも千円近くするところもある。ため息しか出ない。

高級ラーメンが好きな娘だが、私と意見が一致するところもある。

結局、日清ラ王のカップラーメンが一番美味い、というところだ。娘が休日前の夜中、仕事中の私のところに、ラ王を2つ持ってやってくることがある。「食べようぜ」

異論はない。

カップ麺に自家製のチャーシューを五枚乗せ、煮卵と大量の刻みねぎを盛って食う。

「やっぱり、これだよな。これに勝るものはないよな!」

私もそう思う。

 

しかし、今回は、吉祥寺駅から徒歩3分程度のご立派なラーメン屋に入った。

1時を過ぎていたが、行列ができていた。「うまいんだぜ、ここ!」と娘が興奮して、指をポキポキと鳴らした。

前に並んだオタクっぽい男の人が、違う生物を見るような目で、娘を凝視した。

しかし、それを無視して、娘は「待ち遠しいぜ!」と言いながら、今度は、首をゴキッと鳴らした。私もついでにゴキッ。前に並んだ男の人は下を向いて首を振った。ホラー映画を見た気分だったのかもしれない。

 

ラーメンは、高いだけあって、美味かった。トンコツ、魚介系の醤油ラーメンと言うのだろうか。私には濃く感じられたのだが、娘は「これぞ、ラーメンの王道! 麺も100点!」と興奮していた。

その興奮のまま、「さあ、次は猫カフェだ!」。

猫カフェ? 我が家にも猫がいるではないか。猫カフェに行く必要なんかあるのか、と一応抵抗してみた。

実は、娘が月に一回は猫カフェに行っているのを私は知っていた。彼氏のアキツ君が猫好きなので、デートのときに行っているというのだ。

一月に一回行っているんだから、いま行かなくてもいいではないか。

「父ちゃんと行きたいの!」と腕を強力に引っ張られた。

ニャー。

 

初めての猫カフェ。

言っておきますが、私は、我が家のブス猫セキトリひとすじでございます。ブス猫愛に満ちております。

どんなに、可愛い猫でも、私の心が動かされることはございません。

 

アッラー! みんな可愛いじゃん!

 

いえいえ、私にはブス猫がいる。浮気などできないぜよ。

しかし、向こうから寄ってくるのだ。しかも膝に頭をスリスリしてくるし。

これ以上書くと、ブス猫愛が揺らいでしまいそうになるので、この先は割愛。

 

終わって、猫カフェの入ったビルの階段を降りていた。

普通に降りていった。しかし、あと3段というところで、突然のめまい。

足を踏み外してしまった。3段だから、まだよかった。私は咄嗟に手で頭をかばい、頭を打つことだけは回避しようとした。しかし、その結果、他がおろそかになった。

脛を階段の角にぶつけてしまったのだ。

痛ったいわ。

立ち上がることはできたが、痛い。横を見ると顔面蒼白の娘が、派手に私の手から離れていった私のバッグを拾っているところだった。

「だ・・・・・だいじょうぶ・・か」

だ、だいじょうぶだあ。

情けないことに、痰が絡んだ声しか出せなかった。

私は、大丈夫なところを見せようと、さあ、次は、どこに連れていってくれるんだい、と強がった。

 

「医者だ」と娘が言った。

 

医者、なんで?

「上着のダウンが裂けている。ジーパンにも血が滲んでいる。救急車、呼ぶぞ」

いや、お父さんは、この程度のことで、救急車を呼ぶような可愛い子に生まれた覚えはない。俺は、King & Princeとは、違うんだ。(覚えたての名前を言ってみた)

「タクシーを呼ぶぞ」

いや、お父さんは、この程度のことでタクシーを呼ぶほど軟弱な子に育った覚えはない。俺は、キング・・・。

「では、吉祥寺駅まで、歩けるか? 医者は家から近い方がいいから、歩けるなら、電車で国立まで行こう」

歩けるとも。

痛かったが、歩けないことはなかった。駅まで150メートル。歩くことはできた。

だが、階段は、つらい。エスカレーターに乗ることにした。

 

それは、私にとって、昭和63年以来のエスカレーターだった。元号の変わり目に、またエスカレーターに乗ることになるなんて。

きっと、次の元号に変わる前には、俺は天国へのエスカレーターに乗っているんだろうな。

 

「おまえ、うまいことを言ったつもりかもしれないが、全然つまらないからな!」

娘の目が殺気立っていた。そこまで、怒らなくても・・・・・。

 

中央線は、空いていたので座れた。車内で娘が検索した国立駅近くの外科も待っている人は、1人だけだった。

問診票を書かされた。熱も測られた。素直に従った。

そのあと、看護師さんが、ひざまずいて質問をしてきた。ここは、メイドカフェ?

「タコとイカのどちらが好きですか?」「山頭火と一風堂は、どちらが美味しいでしょう?」「和牛と霜降り明星は、どちらがビッグになるかしら?」と聞かれたので、丁寧に答えた。

 

レントゲンを撮られてから、15分後に呼ばれた。

男の医師だった。おそらく医学部を出て、医師国家試験に受かった人だと思う。

レントゲン写真を覗いて、「軽くヒビが入っていますね」と言いながら、キリッとした態度でメガネを軽く触った。医師っぽい仕草だった。

私は答えた。

ヒビだけなら、テーピングで固定すれば、日常生活は可能ですよね。

「スポーツをしてました?」

はい。ですので、とりあえず湿布とテーピングでやらせていただけますか。

医師は、「このバカなに言ってるんだ」という冷ややかな顔で、私を一瞥した。

私は、だって俺バカだもん、という顔で医師を見返した。

ため息混じりに、松葉杖のレンタルもあると言われたが、湿布薬と炎症を抑える飲み薬だけを貰って医院から逃げ出した。

娘は「ヒビかよ」と心配そうに私を見上げたが、俺はヒビの経験はあるから、むしろ安心したよ、と普通の顔をして歩いて帰った。

 

しかし、強がりはここまでだった。

家に帰って、さらに腫れた患部を見たら、気持ちが萎えた。脛の表面の血は止まったが、内出血がひどい。

これ以上の詳しい描写は鬱陶しいだろうから、書かない。

次の日から、自分の知識の中にあるテーピング技術を駆使して、患部を固定して生活することにした。

2日目、3日目は、腫れからくる痛みで片足ピョンピョンでしか歩けなかった。この腫れと痛みはひくのかな、と絶望的になりながら、何度か湿布とテーピングを取り替えた。

その様子を見た娘から「さすがに今回は、おまえでもギブアップだろ」と言われた。

 

ネバーギブアーップ!

 

折れたわけじゃないんだから、すぐに治る。いや、治してみせる。

4日目。腫れが目に見えてひいてきた。さらにテーピングを強くして、近所を歩いてみることにした。

心の奥に怖さはあったが、家のドアを出て、覚悟をして痛みと戦うように一歩を踏み出したら、歩けた。

100メートルほど歩いたら、痛みが下半身を支配したので、道路にあった自動販売機にもたれかかって、痛みが引くのを待った。

15分くらいで痛みは消えた。しかし、まだ帰りがある。痛みの恐怖と戦いながら家に帰った。

往きほどの痛みは感じなかった。

 

5日目の金曜日。300メートル歩いてみた。痛かったが、歩けた。帰りの300メートルは、休まずに歩いた。

この300メートルは、医院への距離と同じだ。土曜日は、歩いて医院に行くつもりだ。だから、予行として歩いておきたかったのだ。

帰ると、iPhoneに留守番電話が吹き込まれていることに気づいた。

得意先からだった。急ぎの仕事を頼みたい、という内容だった。しかし、私にしては珍しく仕事を断った。

得意先へは電車で行くことになるが、たとえば、電車に乗っていると、私の顔を見て、「ああ、こいつは脛を怪我しているな。ちょうどいいから蹴ってやろう」と、私の脛をサッカーボールだと勘違いするバカが、ひと車両に4人はいるかもしれないと思ったので、断ったのだ。

得意先の担当者には、my condition is so bad and my heart will go on と説明した。

「オー、タイタニック! では、お大事に」

会話が変? いえ、これも平常運転ですけど。

 

昨日の土曜日、娘は休みだった。

「ゼッタイについていくからな」

わかりました。一生ついてきなさい。

私が、普通に歩いているのを見た娘は、「おまえ、ボクに心配をかけないようにと思って、無理してるだろ。もっと、ゆっくり歩け。ヒビが入っているんだぞ」と私をなだめた。

無理をしているわけではない。痛いことは痛いが、普通に歩ける程度の痛みだ。自分でも驚いているくらいだ。

医院では、問診はなく、いきなりレントゲンを撮られた。

待つこと20分。診察室に呼ばれた。

レントゲン写真を見た医師が、「なるほど」と言って、横目で私を見た。そして、「足を見せてください」と言った。

テーピングを施してあったので、そのぐるぐる巻きを取った。赤紫色に変色した脛がムキ出しになった。

無表情で、触られた。ときどき押してきやがった。ちょっと痛かった。

医師は頷きながら、また「なるほど」と言った。

その「なるほど」を聞き流して、テーピングをし直してもいいですか、と医師に聞いた。医師は無言で頷いた。

医師の前で、グルグルした。それを見た医師はまた「なるほど」と言った。

そのあと、ほとんど興味のない顔で「わかりました。また来週の土曜日に来てください」と言った。

 

まるで、驕り高ぶった自民党の政治家みたいだ。説明責任を果たしていない。

で・・・私の脛の状態はどうなのよ。

まあ、なんとなく想像がついたから、いいんですけどね。

 

さくら咲く日の朝、歩いて医院に行き、レントゲンを撮られた。そして、「なるほど」と「わかりました」しか言わない医師に出会った。

 

春ですねえ。

 

息子が国立駅のホームから撮った国立の春。