誰にだって、気づかないことはたくさんある。
それが、どれほど重要なことでも、その人が気づかないことには理由がある。
私の朝は早い。
ヨメが花屋のパートに行く月火木土は、4時40分頃起きて、家族全員の朝メシを作り、26歳になる息子の弁当を作るのが日課だ。
そして、ヨメは5時20分頃起きて、私が作った朝メシを食って、花屋のパートに行くために朝6時に家を出る(家に帰るのは午後1時過ぎ)。
息子は毎朝7時に起きて、8時10分前に家を出ていく。
就職活動中の大学4年の娘は、朝起きる時間は不定期だ。
ただ、朝メシは8時過ぎには必ず食う(私と一緒に食うことが多い)。
我が家の朝のサイクルは、だいたいそんな感じだ。
木曜日。
そんな私の平凡な一日は、ドタドタという足音で踏みにじられた。
気がついたら、制服を着た男たちに体中を触られた後で、ストレッチャーに乗せられたのだ。
誘拐か? と背筋にお母んが走った(いや、悪寒が走った)。
車の中に拉致された。
酸素吸入の装置を口にはめられた。
え? なに?
人体実験にでもかけられるのか、と思った。
珍しいガイコツを見つけた宇宙人が、生態を研究しようと思ったのか、と。
だが、後でヨメに話を聞くと、いつもなら早く起きて朝ご飯と弁当を作ったあとで、仕事をしているはずの夫が、まだ寝ていた。
それも青白い顔をして、苦しそうにもがきながら寝ていたというのだ。
そこで、すぐに救急車を呼んだ。
救急病院に着いてすぐ、ストレッチャーを転がされ、イチ、ニッ、サンでベッドに移された私は、問診を受け体温を測られた。
そして、レントゲンのあと医師による受診。
「体温39.1度。流行性感冒(なぜインフルエンザと言わん?)と軽い脱水症状です。点滴をしてから精密検査ですね。他にも怪しいところがあるので、入院してもらいましょうか」
アワアワワワワ。
いえ、私には、かかりつけの医師が武蔵野におりますので、検査はそちらの方でしてもらおうかと。
「どちらの病院ですか」
医院名を告げると、「わかりました。必ず受けてください」と強烈な目力で顔を覗き込まれた。
30代の若造のくせに、圧力が強い。
点滴をしてもらって、イナビルをいただき、無罪放免。
家に帰らせていただいた。
点滴と薬、睡眠のおかげで、夕方には37度前半まで下がった。
この日、私には驚いたことがあった。
普段は、私が家で休んでいると不機嫌になるヨメが、いままで一度も休んだことのないパートを休んで、私に付き添ってくれたのだ。
娘も会社説明会を休んで、病院に付き添ってくれた。
息子も病院に行きたがったが、入社して4年間一度も休んだことがないので、ヨメが説得して息子だけは会社に行かせた。
「大丈夫? ちゃんと休もうよ」とヨメに言葉をかけられて、居心地の悪さを感じたのはなぜだろう。寒気がしたのはなぜだろう。
私が立ち上がると、「やめなよ、休んでいなよ」と言われた。
だが、意地になって、私は晩メシを作った。
エプロンをかけ、マスクをし、手にはラテックスグローブをはめて、みんなに伝染らないようにした(まるで手術時の医者の格好)。
作ったのは、ツナとレタス、卵焼きの太巻き寿司だ。
他にアサリの酒蒸し、タケノコの木の芽和えと油揚げ、絹さやの煮浸し。シジミ汁。
美味しくいただきました。
翌日、パートが休みのヨメに、「病院に付いていくからね」と言われた。
いや、大袈裟なことにはしたくないから一人で行く、となるべく角が立たないように断った。
午後、医者に行ってくる、と言って家を出たが、駅前のサイゼリアでピザを食いながビールを飲み、適当に時間をつぶして帰ってきた。
(みなさまのご迷惑にならないように、マスクをし、手には小型のアルコール除菌スプレーを持って、自分が触ったところはシュッシュした。まわりから見ると、超潔癖なガイコツに見えたに違いない)
家に帰って、ヨメに「どうだった?」と聞かれたので、検査と点滴を受けてきた、と嘘をついた。
企業説明会から帰ってきた娘と会社から帰ってきた息子に、「検査してきた?」と聞かれたので、もちろん、と答えた。
(しかし、夜、娘に小声で『おまえ、医者に行ってないだろ』と鋭いことを言われた。さすがだ)
熱が下がったのだから、大袈裟にする必要はない、と思った。
真面目に働いておられる世の多くの方々には、私の行動は賛同していただけるものだと確信しております(この程度のことで、医療関係者の方々のお手を煩わしてはいけない)。
私は、自分に腹を立てていたのだ。
なぜ、流行性感冒ごときで、多額の治療費を支払わなければいけなかったのか、と。
もっと、きちんと自分の体と向き合っていれば、そんなことにはならなかったはずだ。
今週は、大急ぎの仕事が2つあって、自分の体のことを考える余裕がなかった。
仕事中にアドレナリンが大量に出て、熱があることに気づかなかった。
2つの仕事が終わって、やっと人間に戻った。
そして、高熱が出た。ぶっ倒れた。
もし、一人暮らしだったら、と考えたらゾッとする。
それにしても、多額の出費でした。
また真面目に働かなくては。
いや、それよりも、簡単に金を稼げる方法を私は思いついた。
我が家のブス猫の写真集を出して、その印税で元を取るというのは、どうだろうか。
その話を娘にしたら、我が娘は、こう言った。
「バカだな、おまえ。こんなブス猫の写真集なんか出したら、世の中を不穏にする意志があるって思われて、『共謀罪』で捕まるぞ」
おお、何というタイムリーな、時事ネタ的なツッコミ!