中国で生産された鶏肉に、期限切れの肉が混入されていたというニュース。
中国で、とは言うが、会社自体は外資系だから、中国側に落ち度はない、という論理で、これから中国共産党の毎度おなじみの「外資たたき」が始まるかもしれない。
働いているのは中国人だとしても、管理するのは、資本を出した側だから、我が国は悪くない、という中華思想は、千年近く不変のものである。
中華料理は、世界最高の料理の一つだというのは、世界的に認知されている。
私は、本格中華を食ったことがないので、それが本当かどうかは判断できない。
日本製の焼き餃子はおいしいし、日本製の炒飯もおいしい。
日本製の麻婆豆腐や日本製の八宝菜も好きだ。
日本の材料で作ったものは、味付けが中華だとしても、私は中華料理だと思って食ったことがない。
日本料理の中華味付け、だと思って食っている。
食材としては、メンマのすべては中国産だ。
だから食わなくなった。
私はザーサイが好きだったのだが、これも中国産がほとんどなので、もう20年近く食っていない。
たとえば、マルハチニチロなどは、中国に工場を持っていて、中国産の冷凍食品をそこから日本に配送している。
それは、日本で採れたものではなく、中国で採れたものを中国の工場で生産しているから、私は決して買わない。
何か問題が起きたとき、「中華思想の主たち」は、きっと「あれは、我が国のものではない」から、我が国は悪くない、と必ず言い出すと思っているからだ。
中国の方の中には、管理意識が優れた方、責任感の強い方も、多くおられるだろう。
自分を律して、強いリーダーとして、作業システムに絶えず目を配っている方も多いと思う。
だが、現実問題として、共産党幹部でなければ、人にあらず的な支配下の中で働く末端労働者には、よほど徹底した教育を施さなければ、モチベーションが保たれないような気がする。
成果主義、というのは、賛否両論あるようだが、評価する側のバイアスがマイナス側に振れなければ、労働者のモチベーションは、上がると私は思っている。
成果主義で評価されなかった人、あるいは、そもそも成果主義を機能させない国家が、労働者の「やる気」を奪うのだと思う。
真面目に働いても評価されないなら、その時々で、一番楽な作業を選ぶのが、「評価されない人」の行動原理だ。
今回、期限切れの肉を混入した人も「評価されない人」たちなのではないか、と私は思っている。
外資系企業の中で評価されないのか、中国のシステムの中で評価されないのかは、それぞれの人に聞いてみないとわからない。
食品の不備、に関して、ニュースになる割合は、中国が圧倒的に多い。
その報道は意図的なもので、実際は、世界各地で色々な国が、食品の不備を抱えていて、中国だけが突出しているわけではないかもしれない。
おそらく、顕在していないだけで、日本にも頻発しているのかもしれない。
選ばれたニュースしか我々は目にできないので、真実はわからない。
私は、料理の食材として、日本産を優先するのだが、日本産が安心だ、というのは実は幻想なのかもしれないとも思っている。
日本にも「評価されない人」は、たくさんいると思う。
その人たちのモチベーションが下がりきったときには、日本の食材も危ないと思うし、海外の食材も安心できない、と思うのだ。
では、何を信じればいいのか?
私は、とりあえずは、中国産の食材は拒否するというスタンスを貫いている。
それが、正しいかどうかは、わからない。
日本産が安全である、という根拠も、実はないのだ。
安全だとは思うが、バイアスが違う方に振れたら、日本産が安全ではない、という結論に至ることもありうる。
ただ、人間は、日々、メシを食わなければ生きていけない動物である、という現実がある。
だから、自己満足でも何でも、自分が「安全だ」と思える食い物を食い続けるしかない。
「食の安全」は、一番大事だが、すべての安全を掌握するのは、個人では無理だ。
それは、メーカーに委ねるしかない。
だから、どのメーカーを選ぶかによって、その人の健康は左右される。
つまり、これから先、健康を維持できる人は、「食品の安全」を選べる人か選べない人か、ということになる。
私は、選んでいるだろうか?
話は、全く飛ぶのだが、ジブリ映画の「思い出のマーニー」が、全国各地で放映されている。
ただ、ジブリ映画としては、初速が弱い。
それほど、爆発的に、ヒットしているわけではないようだ。
それは、それで現実なのだからいいのだが、結果論で作品の内容を判断する「専門家」がいるのが、私には理解できない。
映画批評家の前田有一氏が、「アナと雪の女王」と比較して、「思い出のマーニー」を「今回は完全に“宮崎カラー”からの脱却を試みているので、よけいに地味な作品になってしまった」と批評している記事を見た。
映画評論家というなら、試写を観ているはずだろう。
その試写を観ていたときには、明確な批評は行わずに、一般公開してから、観客の反応が鈍い現象を前提において批判するのは、プロとして恥ずかしくないか、と私は思ってしまうのである。
もし試写を観ていないなら、それは映画評論家としての怠慢であり、一般公開したあとで初めて観た感想だとしたら、それは、時間差で評価した「一般人の空気を読んだ感想」でしかない。
もちろん、なぜ、観客動員数が上がらなかったのか、という検証は専門家の必要事項かもしれないが、マイナスから評価する検証は、公平なものと言えるだろうか。
私の大学1年の娘は、公開2日目に観に行って、震えるほど感動したという。
もちろん、私の娘の感性がおかしいのかもしれないが、私は彼女の感性を信じたいと思う。
もしこれから、ロングヒットを続けたとしたら、その映画評論家は、どんな風に、自分の中で整合性を調整するのだろうか。
「実は、あれは、深いストーリーだったのですよ」と適当な感想で、逃げることを選ぶのだろうか。
気になる。
(ただ私は決してジブリファンではありません)
中国で、とは言うが、会社自体は外資系だから、中国側に落ち度はない、という論理で、これから中国共産党の毎度おなじみの「外資たたき」が始まるかもしれない。
働いているのは中国人だとしても、管理するのは、資本を出した側だから、我が国は悪くない、という中華思想は、千年近く不変のものである。
中華料理は、世界最高の料理の一つだというのは、世界的に認知されている。
私は、本格中華を食ったことがないので、それが本当かどうかは判断できない。
日本製の焼き餃子はおいしいし、日本製の炒飯もおいしい。
日本製の麻婆豆腐や日本製の八宝菜も好きだ。
日本の材料で作ったものは、味付けが中華だとしても、私は中華料理だと思って食ったことがない。
日本料理の中華味付け、だと思って食っている。
食材としては、メンマのすべては中国産だ。
だから食わなくなった。
私はザーサイが好きだったのだが、これも中国産がほとんどなので、もう20年近く食っていない。
たとえば、マルハチニチロなどは、中国に工場を持っていて、中国産の冷凍食品をそこから日本に配送している。
それは、日本で採れたものではなく、中国で採れたものを中国の工場で生産しているから、私は決して買わない。
何か問題が起きたとき、「中華思想の主たち」は、きっと「あれは、我が国のものではない」から、我が国は悪くない、と必ず言い出すと思っているからだ。
中国の方の中には、管理意識が優れた方、責任感の強い方も、多くおられるだろう。
自分を律して、強いリーダーとして、作業システムに絶えず目を配っている方も多いと思う。
だが、現実問題として、共産党幹部でなければ、人にあらず的な支配下の中で働く末端労働者には、よほど徹底した教育を施さなければ、モチベーションが保たれないような気がする。
成果主義、というのは、賛否両論あるようだが、評価する側のバイアスがマイナス側に振れなければ、労働者のモチベーションは、上がると私は思っている。
成果主義で評価されなかった人、あるいは、そもそも成果主義を機能させない国家が、労働者の「やる気」を奪うのだと思う。
真面目に働いても評価されないなら、その時々で、一番楽な作業を選ぶのが、「評価されない人」の行動原理だ。
今回、期限切れの肉を混入した人も「評価されない人」たちなのではないか、と私は思っている。
外資系企業の中で評価されないのか、中国のシステムの中で評価されないのかは、それぞれの人に聞いてみないとわからない。
食品の不備、に関して、ニュースになる割合は、中国が圧倒的に多い。
その報道は意図的なもので、実際は、世界各地で色々な国が、食品の不備を抱えていて、中国だけが突出しているわけではないかもしれない。
おそらく、顕在していないだけで、日本にも頻発しているのかもしれない。
選ばれたニュースしか我々は目にできないので、真実はわからない。
私は、料理の食材として、日本産を優先するのだが、日本産が安心だ、というのは実は幻想なのかもしれないとも思っている。
日本にも「評価されない人」は、たくさんいると思う。
その人たちのモチベーションが下がりきったときには、日本の食材も危ないと思うし、海外の食材も安心できない、と思うのだ。
では、何を信じればいいのか?
私は、とりあえずは、中国産の食材は拒否するというスタンスを貫いている。
それが、正しいかどうかは、わからない。
日本産が安全である、という根拠も、実はないのだ。
安全だとは思うが、バイアスが違う方に振れたら、日本産が安全ではない、という結論に至ることもありうる。
ただ、人間は、日々、メシを食わなければ生きていけない動物である、という現実がある。
だから、自己満足でも何でも、自分が「安全だ」と思える食い物を食い続けるしかない。
「食の安全」は、一番大事だが、すべての安全を掌握するのは、個人では無理だ。
それは、メーカーに委ねるしかない。
だから、どのメーカーを選ぶかによって、その人の健康は左右される。
つまり、これから先、健康を維持できる人は、「食品の安全」を選べる人か選べない人か、ということになる。
私は、選んでいるだろうか?
話は、全く飛ぶのだが、ジブリ映画の「思い出のマーニー」が、全国各地で放映されている。
ただ、ジブリ映画としては、初速が弱い。
それほど、爆発的に、ヒットしているわけではないようだ。
それは、それで現実なのだからいいのだが、結果論で作品の内容を判断する「専門家」がいるのが、私には理解できない。
映画批評家の前田有一氏が、「アナと雪の女王」と比較して、「思い出のマーニー」を「今回は完全に“宮崎カラー”からの脱却を試みているので、よけいに地味な作品になってしまった」と批評している記事を見た。
映画評論家というなら、試写を観ているはずだろう。
その試写を観ていたときには、明確な批評は行わずに、一般公開してから、観客の反応が鈍い現象を前提において批判するのは、プロとして恥ずかしくないか、と私は思ってしまうのである。
もし試写を観ていないなら、それは映画評論家としての怠慢であり、一般公開したあとで初めて観た感想だとしたら、それは、時間差で評価した「一般人の空気を読んだ感想」でしかない。
もちろん、なぜ、観客動員数が上がらなかったのか、という検証は専門家の必要事項かもしれないが、マイナスから評価する検証は、公平なものと言えるだろうか。
私の大学1年の娘は、公開2日目に観に行って、震えるほど感動したという。
もちろん、私の娘の感性がおかしいのかもしれないが、私は彼女の感性を信じたいと思う。
もしこれから、ロングヒットを続けたとしたら、その映画評論家は、どんな風に、自分の中で整合性を調整するのだろうか。
「実は、あれは、深いストーリーだったのですよ」と適当な感想で、逃げることを選ぶのだろうか。
気になる。
(ただ私は決してジブリファンではありません)