リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

集団ヒステリー

2016-04-24 09:05:00 | オヤジの日記
「不倫」はよくない。
それは当然のこと。

どう言い訳しようが、それはモラルに反することだ。

ベッキーさんは、不倫をしたと騒ぎ立てられて、レギュラー番組、CMを全て降りた。
無理やり降板させられたといってもいいかもしれない。
それは、彼女がモラルに反することをしたのだから仕方のないことだ。
(ただ、彼女が本当に不倫をしたかどうかの『確証』はないが)

だが、桂文枝師匠は、同じように「不倫」の二文字がネットに載っていたが、レギュラー番組にいまだにご出演なさっているということを聞いた。

かつて大ベストラーを書き上げた乙武洋匡氏は、出版社やマスメディアにとっては今も「金づる」だろうから、文枝師匠と同じように、今も仕事をなさっている。

つまり、結論は簡単だ。
男社会を支持する集団ヒステリー人間が、インターネットの世界には数多くいらっしゃる。
その人たちは、女のベッキーさんは許せないが、男の文枝師匠や乙武氏は許せるということだ。

女は、どんな立場の人であっても「みせしめ」という集中砲火を受けるが、それなりのステータスを築いた男には、この種の「飛び道具」は滅多に飛んでこない。

男の不倫は、ときが経てば忘れられるが、女の不倫は集団ヒステリー人間が、ネチネチと粘液質にその人格を否定して、少しでも頭を出すとすぐその頭を殴ることを繰り返す。

ようするに、もぐら叩きと一緒だ。


ただ、男社会のもぐら叩きでは、「叩いてもいい」のは女か、集団ヒステリー人間が地獄に落ちてもいいと認めた少数の男だけである。

そう考えると、不倫というのは、悪いことではないような気がしてくる。

「不公平な色分け」ができる罪は、本当の意味では、罪とは言えないのではないだろうか。
それは、ただの「感情論」による糾弾。
あるいは、「弱いものいじめ」。


この集団ヒステリー人間は、それが弱いものいじめだということを知って叩いている気配が濃厚だ。
ただ叩きたいから叩く。

対象物は、弱い立場で言い訳のできない人なら、誰でもいいのだと思う。
だが、弱い立場ではない文枝師匠や乙武氏を叩く勇気は、彼らにはなかった。

「叩いてもいいひと」をゲットしたときだけ、そのゲームは、未来永劫まで続く。
そして、集団ヒステリー人間のターゲット、「叩いてもいい女」候補はいくらでも作れるだろうから、この現象が終わることはない。


今で言えば、集団ヒステリー人間たちの「叩いてもいい女」ターゲットは、藤原紀香さんかもしれない。

実を言うと、私も藤原紀香さんは苦手な人なのだが、結婚して叩かれ、熊本の方たちを応援しても叩かれるというのは、あまりにも不憫に思える。

「売名行為」とまで言う人がいるのだから、その理不尽なヒステリー熱の熱さには驚かされる。

たとえ売名行為だったとしても、応援くらいさせてあげればいいのに・・・と思う。
それによって、少しでも力を得る人がいたなら、それは「有意義」だということだ。

それに対して、叩きやすい人しか叩かない行為は、「有意義」とは言えない。
つまり、人を叩く行為より売名行為の方が「有意義」であるということ。


集団ヒステリーが「有意義」なものになるのは、本当の悪を叩いたときだろう。
だが、多くの場合、この集団ヒステリーは「小さな悪」しか叩かない。

「大きな悪」には、むしろひれ伏して賞賛を与えることの方が多いように思われる。


集団ヒステリーの行き着く先の一つの例として、イスラミック・ステートがある。
彼らは、強いものに立ち向かっているつもりかもしれないが、実質的には、弱者を抹殺しているだけである。

これは、紛争国の全てに言えることだが、紛争国の扇動者は、弱者を踏み潰すだけで、強い権力にはほとんど歯が立たないのが現実だ。

なぜなら、集団ヒステリーは、本質的なものや実態を避けて、そのエネルギーを弱い者に向けないと、その組織を存続させることができないからだ。


ネットも然り。
強いものに立ち向かったら、簡単に瓦解することが本能的に分かっているから、集団ヒステリーは、弱者にしかそのエネルギーが向かわない。


私は卑怯者なので、無意識のうちに「人と同じ行動を取らないこと」を選んでしまうのだが、それは私が卑怯で弱いために、集団ヒステリーの中に入るのを怖がっているからである。


集団ヒステリーが必要か必要でないかと言われれば、私は必要がないものだと思う。

だが、集団ヒステリーに身を委ねるのが心地よい人、というのも現実世界では数多くいる。

どうせなくならないものなら、距離を置いて楽しめばいいのではないか、と最近の私は思うようになった。


中途半端な結論で、申し訳ないが。



ひとの気力

2016-04-17 08:55:00 | オヤジの日記
九州が大変なことになっている。

おそらく、これほどの大地震が発生するとは、専門家も含めて誰も想像していなかっただろう。

日本に住んでいる限り、どこでも大きな地震は起きる。
だから、人ごとではない。

その場所が今回は九州だった。
しかし、次は・・・と思うと、地震の怖さが心の中で肥大化してくる。
「昨日までの日常」が突然なくなる現実は、想像するだけで怖くなる。

今の専門家は、地震の予知や予測をする能力を持っていない。
後付けでメカニズムを推測することはできるが、彼らの理論が正しいという保証は、残念ながらない。

まず大事なのは、大地震が起きたあとに、行政がどれほど効果的な策を打てるかだろう。

ただ、現場で救助にあたっている方々に、行政がどれほど的確なサポートをしたとしても、大きな余震が長く続いたり、大雨が降ったりしたら、救助隊は疲弊して無力感に襲われるかもしれない。

しかし、現実問題として、現状を救えるのは、前線で救助に当たる人であることは間違いない。

私たちは、彼らの邪魔にならないように、そして、彼らを尊敬する気持ちを持ち続けながら見守ることしかできない。

地震大国日本は、過去に数多くの大地震に翻弄されてきたが、それを乗り越えることができたのは、心身を削って救助する多くの方々と被災者された方たちの強い心があったからだと思う。


精神論だけで、大地震は撃退できないが、結局は「人を救うのは人である」と私は思っている。

けが人を救うのも「人」。
避難された方々の心労を少しでも和らげるのも「人」。
被災地を復旧させるのも「人」。
被災者に平穏な日常を取り戻させるのも「人」。


大きな自然災害に対して、人間は無力だが、そのときは無力だったとしても、先人たちは、それを乗り越えて「美しい国」を作ってきた。

その「美しい国」を守るために、私たち一人ひとりのできることには限りがあるが、先人たちがしてきたことを真似ていけば・・・・・とここまで書いてきて、現に被災された方々にとって、こんなものは無責任すぎる意見だということに、遅ればせながら気づいた。

これからも余震が続き、もしかしたら大雨の被害にも遭うかもしれない事態を前にして、綺麗事を綴っても意味はない。


だから、「頑張ってください」とは言いません。


ただ、立ち上がる気力だけは、少し残しておいてください。


まずは、自分が大事。
そして、少し余裕ができたら、他人を思いやる。

そして、最後に気力を奮い立たせる。


私は「人の気力」を信じています。


丸くてトンガっている

2016-04-10 08:49:00 | オヤジの日記
同業者との飲み会で、私以外の全員が「最近、テレビがつまらない」ということを大真面目に語っていた。

私は、単純な思考方法しかできないので、こんなときはいつも思う。

つまらないのなら、見なければいいのでは。

実際、最近の私は、大事件や事故があったときだけ、「報道ステーション」を見るが、ほかはレンタルしてきた映画しか見ない。
我が家では、10年近く前から、家族でメシを食うときは、テレビをつけないのが習慣になった。

「つまらないテレビ」よりも「家族との会話」の方が、私としては有意義だと思うので、「テレビがつまらない」ことに文句を言うつもりはない。

同業者が、タラタラと言い募っている。
「どの番組も同じ顔ぶればかりで、違いがわからない」
「内容もほとんど同じ」
「ドラマやバラエティに必ずジャニーズが一人か二人は出ている」
「ニュースにも出ている」
「バラエティと言いながら、グルメの話ばかりだ」
「食べたあとでデブがコメントを言っているが、全然美味しさが伝わらない」
「お笑いも吉本ばっかりで、新鮮味がない」
「歌番組も出演者が固定されていて、大人の歌がない」
「時間の無駄だ」

「Mさん、あんた、どう思う?」

時間の無駄だと思うのなら、見なければいいと思います。
それに、酒を飲みながら「時間の無駄だ」と文句を垂れること自体が、時間の無駄だと俺は思いますよ。

そんなことを言ったら、最近熟年離婚をしたばかりの同業者が、「Mさん、前から思っていたんだけど、あんた、昔からトンガリ過ぎなんだよ。なんで俺たちの言うことにいちいち絡むんだよ」と絡んできた。

お言葉を返すようですが、私は、この飲み会の8割は黙って酒を飲みメシを食うことに専念しています。
くだらないジャイアンツの話題には、耳のスイッチをオフにして、絶対に関わらないようにしています。
自分で話題を発信することも遠慮しています。
私が発言するときは、私と180度違う意見が出て、それに対して意見を求められたときだけです。

だから、みなさんの会話のお邪魔はしていないつもりですが。

「いや、だから、その言い方がトンガっているって言うんだよ。
全部、素直にはいはいって聞いていればいいじゃないか。
まったく、空気が読めないんだからよお」


つまり・・・・・この俺に・・・何もしゃべるなと?


私の口調が突然変わったことに敏感に反応した最長老のオオサワさんが、私の左腕を掴んだ。

そして、目配せをしながら小声で、「Mさん、酒の席だから、我慢して・・・カマタさんは色々あったから、わかるでしょ?」とたしなめられた。


カマタさんが色々あったのはわかっていたので、私は全身から力を抜いて、息をするだけの人形に変身した。

そんなとき、ジーパンのケツに入れたiPhoneが震えた。
店の時計を見てみると、午後8時を12分ほど過ぎていた。

私は、自分勝手なルールとして、午後8時以降の電話には反応しないようにしていた。
自分の方からも夜に限らず、なるべく電話はかけないようにしていた。

電話というのは、その性質上あたりまえのことだが、突然かかってくる。
本人がどんな状況にいようが、お構いなしにかかってくる。

その勝手さが嫌なので、私はお得意様であっても友人であっても家族であっても、電話はなるべくかけない。
メールかLINEで済ますようにしている。

いまのところ、それで不都合はない。

ただ、私は自分のこの流儀を人さまに押し付けるつもりはないので、午後8時までの電話だったら「気が向いたら」受ける。

もちろん、今回もルールに則って無視しようとした。
しかし、気まずい空気の中で、息だけをしているのも気詰まりだったので、ケツからiPhoneを取り出してディスプレイを確認した。

大学時代の友人オオクボからだった。

オオクボは、東京南新宿でコンサルタント会社を経営する社長様だ。
要するに、成功者。

年に2、3回会うときもあるし、3年以上会わないこともあった。
会う頻度は、私の都合ではなくて、オオクボの忙しさの度合いによって変わった。

去年は2回会ったが、今年はまだ会っていなかった。

ルール違反だが、出た。

「何をしている?」と聞かれたので、息をしている、と答えた。

「息だけか?」

ビールと焼き鳥が目の前にある。

するとオオクボが、驚くべきことを言った。
「俺の目の前にもビールと焼き鳥があるぞ」

オオクボは、一人で飲んでいるというのだ。
しかも同じ吉祥寺だった。
吉祥寺では、かなり有名な焼き鳥屋だ。

「ひとりか?」と聞かれたので、一人みたいなもんだ、と答えた。

そして、「合流しないか」と言われたので、わかった、と答えた。

電話を切ったあとで私は立ち上がり「友だちが俺を必要としているので」と言って、オオサワさんに5千円札を渡し、振り返らずに居酒屋を後にした。

私がいなくなったあと、「自分勝手なやつ」と罵倒する人が二人いた、と後で聞かされたが、私も自分のことをそう思っているから、そのご意見に反論するつもりはない。
(ただ私が自分勝手になるのは、相手の態度次第である)


焼き鳥屋では、オオクボに盛大に愚痴を聞かされたが、あのまま同業者と飲むよりははるかに気が楽だった。

別れるとき、オオクボに「マツも丸くなったもんだよな」と言われた。
同業者には「トンガっている」と言われたばかりなのに。

どっちにしたって、酔っぱらいの言うことだから、大した意味はない。


大学時代の友人に、焼き鳥をおごってもらって、帰りのタクシー代まで出してもらったのだから、文句を言うのは、バチ当たりというものだ。


ゴチになります。



副会長さんはジャイアンツ教

2016-04-03 08:49:00 | オヤジの日記
東京武蔵野のオンボロアパートの近くに自治会の副会長さんが住んでいた。

年は、68歳だとご本人が言っていたと思う。

北海道生まれ北海道育ちの元刑事。
定年を迎えた後、息子のいる東京へ越してきて、警備会社に勤めた。
そして、今はその警備会社の非常勤をやりながら、地域の民生委員もやっておられるようだ。

元刑事とは思えないほど物腰は柔らかいが、時折見せる敏捷な身のこなしは柔道三段、剣道三段がダテではない証しだろう。
見ているだけで頼もしさを感じさせる人だ。

ただ、一つだけ気に食わないのは、筋金入りのジャイアンツファンだというところだ。

北海道なのに、ジャイアンツファン?
日本ハムではなく?

「僕が住んでいた頃は、まだ日ハムは北海道にいなかったんですよ。その当時の北海道は、圧倒的にジャイアンツファンが多かったですね」

ご本人も地域の野球チームに入るほど野球が好きだったようだ。

野球のどこがいいんですか、と聞くと「だって、歴史があるじゃないですか。プロスポーツとして一番国民に馴染んでいるんじゃないですかね」と副会長さんは答えた。

見解の相違ですね。
確かにプロスポーツとしての歴史は長いかもしれないが、今は衰退しているように思えますが。

「いやいや、いまだに娯楽の王様ですよ」

言い争うつもりはないので、そうしておきましょうか。

「Mさんは、東京生まれ東京育ちなのに、なんでジャイアンツが嫌いなんですか?」と、目の奥に鋭い炎を宿して聞いてきた。

子どもの頃、まわりが、自分の意思を持たない付和雷同型のジャイアンツファンばかりだったからです。
他のチームと比べてメディアの露出度が違いすぎる。
1球団だけが、ほかのチームを差し置いて露骨に優遇されている。
ジャイアンツファンは、それを疑問に感じることなく、ただテレビや新聞の紙面をジャイアンツが占拠しているということだけで、好きになっているような気がしたんですよ。

これは、どこのチームのファンにも言えますが、大抵は洗脳されています。
でもその洗脳の度合いが、ジャイアンツファンは強いような気がする。

球団がどんなに不祥事を起こしても、彼らは盲目的に球団を信じて従属している。
つまり、ジャイアンツ教の信者なんですね。

・・・・・とまで言ったところで、普段は温厚な副会長さんの顔色が変わったので、私は話題をすこし変えた。

それに、プロ野球で我慢できないのは、「評論家」と言われる人たちの質の低さです。

結果論ばかり、精神論ばかり、ボキャブラリー不足、滑舌が悪い、表現力が平均以下、一般常識不足、理論不足などなど。
私の記憶にある30年近く前の野球評論家の皆さんは、現役時代の栄光にアグラをかいている人たちばかりに思えた。

「たとえば?」

金田正一、張本勲、江本孟紀、江川卓、掛布雅之、堀内恒夫、中畑清、山本浩二、東尾修、野村克也氏。

「いや、野村さんは、かなりの理論派ではないですかね。誰もがそう思っているはずですよ」

野球にインポータント・データを持ち込んだことを言っているのなら、まったく的外れですね。
データ野球は、彼が言うよりも前にメジャーリーグで、かなり前から取り入れられています。
目新しいものではありません。

それに、評論とは関係ない部分で私は野村氏を認めないんです。

彼は、プロのレベルに到達していない、ご子息を自分のチームに入れるという公私混同をしました。
それだけで、理論的な頭脳の持ち主でないことがわかります。
実力があるのならいいですが、ない場合は、プロの世界に「歪んだ世襲制」を持ち込んだだけになる。
それは尊敬できませんね。

私が、そう言うと、副会長さんは、「え? そんなことがあったんですか?」と目を丸くして驚いた。

言い方は悪いが、アホなジャイアンツファンの典型である。
ジャイアンツのことにしか興味がない。
知識がない。

だから、他チームのことを知らない。
他のチームのことは、ジャイアンツに隷属する「おまけ」くらいにしか思っていない。

彼らを見ていると、盲目的であることは、幸福なことのように思える。

今年も、思いっきり「ジャイアンツ教」を極めてください、と私は、失礼にも人生の先輩である副会長さんに向かってトゲのある言葉を吐いた。

すると、副会長さんが、異次元の生物を見るような目で、物騒なことを言った。
「よく言うじゃないですか。アンチジャイアンツは実はジャイアンツファンだって。でも、Mさんを見てると悪意と偏見しか感じませんねえ。そういう人は、尋問してもなかなか落ちない厄介な人なんですよね。完全に理論武装しているから、違う弱みを掴まないと落とせません。僕のこれからの楽しみは、Mさんの弱みを掴むことだな」

空気がやや険悪になったと反省した私は、このまま後味の悪いまま別れるのは気が引けたので、最後に当たり障りの無いプロ野球ネタを披露することにした。


私は基本的に、プロ野球中継は見ないのだが、むかし大阪出身の友人で「近鉄バッファローズ」が好きな男がいた。
かなり大昔に、彼のアパートで、すき焼きを食わせてもらったときのことだった。
NHKテレビで、バッファローズ対ホークス(大阪球場)の試合を中継していたのである。

30年近く前は、今とは違って、プロ野球中継はジャイアンツが占めていたから、他チームの試合、ましてやパシフィック・リーグの試合は、NHKしか放映がなかった。
だから、それは貴重な野球中継だと言えた。

その試合でバッファローズのピッチャーは、鈴木啓示氏だった。
彼が大投手だということは知っていた。

そして、その試合の解説をしたのが、川上哲治氏だった。
「打撃の神様」と言われていたような記憶がある。
全盛期のスズキイチロー氏も言わなかった「球が止まって見える」と豪語した達人だ。

その川上氏が、鈴木氏を評して、「彼は親孝行な男ですからね。それがピッチングに現れていますよ」と言った。

ピッチングに「親孝行が現れる」というのは、素人の私には意味不明だったが、大打者の川上氏が言うのだから、大きな意味があったのだろう。
川上氏は、いいピッチングをする鈴木氏をその後も「親孝行が彼を支えているんですね」と評した。

鈴木氏は、親孝行だから大投手になった。
あり得ることだ、と私は素直に思った。
(私は親不孝だったから、いい年をしてオンボロアパート暮らしだ)

そして、今度は、打席に相手チームの4番バッター門田博光氏が立った。

川上氏は、門田氏に対しても、「彼は本当に親孝行な選手でね。親への思いがバットに乗り移ったように感じるんですよ」というようなニュアンスのことを言った。

門田博光氏も、大打者だった。
だから、それもあり得る、と私は思った。

アナウンサーも、「そうですね。一流選手は、王貞治さんもそうでしたが、みんな親孝行ですものね。それは、わかります」などといって同調した。
アナウンサーの言葉にも、「親孝行」という表現が混じるようになった。


試合は、1対1で中盤までいったと思う。
試合が急展開したのは、親孝行の門田氏の3度目の打席の時だった。
門田氏が同じく親孝行の鈴木氏の初球のストレートを打った。
打球は、ライトスタンドを軽々と超えて、ホークスが勝ち越した。

門田氏が悠々とダイアモンドを回る姿と悔しがる鈴木氏の姿がテレビに映し出されたが、川上氏もアナウンサーも、その間ひとことも声を発しなかった。

「門田くんは親孝行だから、ここでホームランが打てたんですよ」「そうですよね」「鈴木投手も親孝行だけど、今回は門田くんの親孝行が勝ちましたね」「そうですね」という川上氏とアナウンサーの言葉を期待したが、二人とも次の打者が打席に立つまで無言だった。

そのとき私は、なぜだろう、と思った。

親孝行の門田氏が、同じく親孝行の鈴木氏の球をホームランしたのは、いけないことだったのだろうか。
そのときの2分近い川上氏の沈黙は何だったんだろう、という疑問は解けないまま、試合はホークスが勝って終わった。

あの沈黙は、いまも謎のままだ。


そんな話を自治会の副会長さんにした。

それは、私にとっては、かなりほのぼのとした話題だったが、副会長さんは、まったく興味を示さなかった。
そればかりか、「その話、何が面白いんですか」とまで言われた。

凹んだ私は、念のため、聞いてみた。
鈴木投手と門田選手のことは、知っていますか?

「知りませんよ」
一刀両断とは、このことである。

プロ野球に詳しくない私でさえ知っている大投手、大打者を「ジャイアンツ教の信者」の副会長さんはご存知ない。


ジャイアンツは、こんな「ジャイアンツ教」の皆さまに支えられているのだと、改めて思った。



盲目的な「ジャイアンツ教」の皆さま、今年も教祖様のために、祈って拝んで、悔いのない一年をお過ごし下さいますように。