先日実家に行ってきた時に、80代の父から「これどうする?」と渡された物。
片付けていたら出てきたそうで、自分も半分忘れかけていた雑誌。
実家の誰も、カメラが趣味の者はいない。
ではどうしてこの雑誌があるのかというと・・・ここに自分がモデルとして写っているのだ
いや、正確にはモデルではなくて、野次馬的な根性で登場したわけだけれど。
もう40年以上も前、小学生だった昭和の平和な下校時間のこと。
小学校のそばで、おじさんが三脚立てて撮影をしておりました。
何を撮っていたのかよくわからないまま、小学生たちはカメラの近くに群がりました。
不審者とか、そういうことにまだ注意を払わない時代でした。
一つ年上のちょっときれいな女の子がカメラの前に立っていました。
彼女のことを撮影に来たのかなぁ~なんて見ているうちに、
おじさんは、「あなたも撮ってみる?」と多分、そんな感じで言ってきたと思うけれど、
お転婆だった自分は調子に乗って、写真を撮ってもらったのでした。
遊びに忙しい小学生時代、そんなカメラおじさんのことは気にせずに過ごしていたある日、
クラスの隣の席の男子が、「おまえ、雑誌に載ってたぞ!」と教えてくれたのですが、
「何の雑誌?」と聞いても、教えてもらえませんでした。
確かその少し後になって、母親から「どうも雑誌にあなたが載っているらしい」と言われ、
どうしてわかったかというと、母の知り合いが歯医者の待合室に置いてある雑誌をめくっていたら、
自分が載っていたので、劇団にでも所属したのかと思って聞いてきたそうです。
母はそれほど行動力がある方ではないけれど、
かかりつけでもないその歯医者さんに出向いて、雑誌を確認して、
その後、書店で取り寄せてもらったという事なのです。
その写真がこれ。
今とはずいぶん顔が違っているので、恥ずかしいけれどこのまま載せてみます。
(わざと暗くして、色もうすく加工しました)
ちなみに、双子ではありません。
テクニックを使って、一人の人間を双子のように一つの写真にする・・ってことです。
カメラマンは矢花一弘さんという方です(日本カメラの雑誌による)。
前述したように、自分はお転婆だったので、
面白がって顔をつぶしたり変なポーズをとったりしたのでしょうね。
このテーマでほかの子供たちが何人か写ってましたが、
みんな普通に写っていて、おかしいのは自分だけでした。
40年以上も前のエピソードをよく覚えているもんだと思いますが、
年を重ねるにつれ、忘れていくことも多いし、覚えることさえさぼりがちなので、
記録のためブログに記しておくことにしました。
ところで、この「日本カメラ」という雑誌は今年休刊になってしまったそうですね。
手元にある1979年11月号しかほとんど見たことはないけれど、
この号のコンテストのコーナーが好きで、当時、何度もページをめくったものでした。
子供ながら、いいと思う写真がたくさんあったのです。
あ、あとヌードの写真も結構載っています。
だから、隣の席の男子(G君)は雑誌の名前を教えてくれなかったんだろうな。
ご家族のどなたかが、カメラが趣味だったのだろうけれど、
自分にとってはカメラが趣味というのは高尚な部類だったから、
「さすが秀才G君の家は違うなぁ」と思ったのを覚えています。
現在だったら、小学校の近くで知らないおじさんが声を掛けてくるなんて、
不審者で通報されてしまうかもしれない。
ましてや、カメラで撮影するなんて。
自分の子供が同じ事されたら、心配になるだろう。
おおらかな時代でした。