モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

20年程前の話・息子の幽門狭窄症②

2017-02-27 19:12:41 | 日記

~息子の幽門狭窄症①の続き~

S大病院の小児科に二度受診して、「様子を見て」と言われて業を煮やし、

半ばキレ気味に、地元の診療所に駆け込んで「F病院の紹介状をお願いします」と言ったところ、

担当の女医さんが話をよく聞いてくれる方で、こちらの意を汲んでくださり、

「S大病院の小児外科に紹介状を書きますから、明日、必ず受診してください」とおっしゃってくれて、

自分の気は静まって、翌日S大病院へ。

ところが、小児外科の外来は当時、毎日は開いていなかった。

その日は小児外科は休診だった・・・けれども、紹介状のおかげか、

小児外科の先生が来てくださり、無事にエコー検査も受けることが出来た。

娘Bを担当してくださったE医師もきてくださり、

「兄弟で肥厚性幽門狭窄症という症例もあるんですよ。」ということで、

息子の幽門狭窄症は確定した。

病気がわかってホッとするというのも変だが、

娘Bの経験から、この病気は分かるまでが大変で、

あとは手術をすればほぼ完治というのがわかっていたので、「良かった・・・」というのが本音だった。

手術するまでに一週間くらい内科的処置で脱水を補給したりで様子を見る間は、

小児科の担当医が付くことになる。

息子が入院する時に、ナースステーションの中にいた医師が、

小児科の外来で息子を最初に診た医師だった。

そいつは息子のカルテを見ると、「P・S(幽門狭窄症のこと)だってよ~」とカルテをひらひらさせた。

「おい、患者の名前を見ろ!お前が『異常なし』と言った患者だよ!」・・・と毒づきたかったが、

点滴に変なものを混ぜられても困る(まさかあるわけないけれど)、と思い我慢した。

まさか、その医師も、ナースステーションの外にたまたま母親がいるとは思っていないのだろうが、

カルテをひらひらもないだろうよ。

もしこの医師が担当医になったら、拒否するつもりだったが、

さすがに途中でこの医師も「あの時、俺が診た乳児だ・・・」と気付くであろうから、

担当医になることはないと思ったら、やっぱり担当医にならなかった。

小児外科のE医師には、「小児外科に回してもらえず、小児科で2回受診して、異常なしと言われたんです」と言ったら、

苦笑いしていらっしゃった。大学病院なので、他の科のことはあまり言えないものなのか。

ただ、最初の検査がレントゲンだけだったのは腑に落ちていない様子だった。

E医師は言葉数は少ないが、和ませてくれる何かがある。

さて、息子の手術は無事に終わった。術式は娘Bの時に聞いていたから心配も無く。

ただし、体重が2500gと少ないことから、全身麻酔の影響は言われたが・・・。

入院生活は、こちらの大学病院は大きな病気のお子さんがたくさん入院していて、

他のお子さんのことながら心を痛めることも多かったが、

娘Bの入院時に見かけたお子さんの1年ぶりの成長も見ることがあって、

それは嬉しいことでもあった。

ただ、その間ずっと入院していたのだと思うと、親御さんのご苦労も感じられた。

息子は術後、幽門狭窄症の回復は順調だったが、薬疹らしきものが出たため、抗生剤の投与をやめた。

その影響かわからないが、今度は手術で切ったところが膿んできて、

どうやら、体内の縫った糸(普通は時間がたつと体に吸収される糸)が合わなかったようで、

体表の縫ったところの糸を切って、傷口をわざと開いた状態にした(血は出ていない)。

それ以外の経過は順調だったので、傷口が5センチほど開いたまま退院することになった。

大学病院なので、入院待ちのお子さんが常にいるらしい。

息子の傷口はガーゼで覆ってはいるが、テープの貼り換えで、皮膚も剥がれて可哀そうであった。

E医師から、家庭での対処方法(消毒など)を聞いたが、

このあと、傷口から緑色の結び目のある糸が出てくるかもしれないけれど、

それは本来吸収される糸だが、息子の体の中では異物として感知されているため押し出されたものだから、

心配しないで・・・と言われて、人体の精巧さを知った。

そして、しばらくして、結び目のある糸が浮き上がってきて、

息子の傷口はちょっと盛り上がった状態ではあったけれども自然にふさがった。

息子はその後、小柄なまま成長し、今も小柄だ。そして、言葉をずっと話さなかったので、

ひょっとして全身麻酔の影響か?とちょっと心配になったが、

どうやら性格的なものだったらしく、今でも口数が少ない。

奥歯の永久歯が生えてきたら、ちょっと茶色かったので、歯科医に聞いたら、

乳児の頃の抗生剤が原因でエナメル質が欠損することもあるらしいと言われ、

その時も、人体の精巧さを知った。

茶色っぽかった歯は、その後、ある程度改善したようである。

娘Bと息子、二人の幽門狭窄症を執刀してくださったE医師は、

その後、クリニックを開業して、偶然そのことを昨年知ったのだが、

娘Bが通う大学の近くにそのクリニックはありました。

(昨年突然訪ねてみたけれど、混んでいてお目にかかれませんでした。)

ネットでの情報ですが、優しい医師だというコメントがあり、良かったです。

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20年程前の話・息子の幽門狭窄症①

2017-02-26 18:38:06 | 日記

以前、娘B(現在22歳)が新生児だった頃の幽門狭窄症の話を載せた

今回は、息子(20歳)のことについての覚書。

娘Bと末っ子息子は1歳3か月違いの年子である。

娘Bが生後約1か月で肥厚性幽門狭窄症と診断され、治療し、

それから1年たっての術後経過で完治と言われて一安心。

そして、息子を出産した。

息子の上には、娘A・Bがいるため、産後は実家でお世話になっていた。

というわけで、3人目ともなると比較的余裕をもって育児していたわけだが、

息子は生後2週間くらいから、嘔吐しだすようになってきた。

まさか、二人続けて幽門狭窄症はないだろうし、

生後2週間での発症はちょっと早い気がして、様子を見ること1週間。

息子は2500gくらいで小さめに生まれてきた(我子はみんな小さめ)。

そこへきて、嘔吐があったためか、体重は生後3週間でほとんど増えていなかった。

娘Bの時には、発症時には生まれてから800gくらいは増えていたことを考えると、

ここは躊躇せずに病院に行こう・・・と、勇気を出した。

・・・ここで、なぜ「勇気を出す」という表現になるかというと、

病院では、「母親は神経質すぎる」とか、「これ位のことで病院に来るな」という雰囲気を受けることがある。

ちなみに、自分はあまり積極的に病院に行く方ではないが。

息子の嘔吐に関して、娘Bの経験から、地元の診療所に行くよりも、

娘Bが診てもらった大学病院で診断を受けた方が手間も少ないだろうから(どうせ診療所では検査ができないから)、

・・・そんなわけで、いきなりS大病院に行ってみることにした。

ところがまず受付(案内?)の診療科を振り分けるところで撥ねられた。

症状から小児外科を受診したいと言ったら、

「お母さんの自己判断では受診できないんですよ。まずは小児科ですね。」

ということで、小児科で受診することになった。

待たされてようやく受診できたと思ったら、担当の医師にはなんだか真剣さが感じられなかった。

心配性で神経質な母親が来た・・・と思ったのかもしれない。

「とりあえず、レントゲン検査を受けて・・・」。

ちなみに娘Bの時には、症状を聞いて、触診して、

エコー検査のキャンセルが出たところに急遽入れてくれたのだ。

レントゲンの検査の結果は、「特に異常なし」だった。

1週間後に受診するように言われて、吐き気止めの薬を処方されて、不信感を持ったままS大病院を後にした。

帰宅してからも、ミルクを飲んだ後の嘔吐は続いた。

薬を飲んだって、もし幽門狭窄症だったら却っておかしなことにならないのかと心配になった。

そんなわけで、1週間も待てずに、2日後にまたS大病院に行き、小児科の違う先生に受診してみた。

しかし、その先生にもまるで真剣さが感じられなかった。

2日前に受診したことをあげて、「もう少し様子を見た方が・・・」と弱気がちに言ってきたので、

「あぁ、この先生は人間的にダメだ。患者を見ずに、2日前の医師のメンツをたてている」と思った。

さすがに自分の中で何かが爆発した。

このままではS大病院の小児外科にはたどり着けないような気がした。

同じ日の午後、地元の診療所に行って、

「S大病院の小児科で2回とも様子を見てと言われたけれども、体重も増えてないし、嘔吐も続いている。

すみませんが、F病院にも小児外科があるらしいのでそちらに紹介状を書いてもらえませんか?」と頼んだ。

診療所の先生は若い女医で、こちらの話を真剣に聞いてくれた。

息子の体をさすってくれて、

「すみませんがこちらでは検査が出来ないのですが、お母さんの話を聞く限り、

幽門狭窄症の可能性があるように思われます。

特に新生児なので、脱水などがあると症状が急変することもあるから、

その時は躊躇なく救急車を呼んでください。

紹介状は、S大病院の小児外科の方に書きますね。

上のお子さんの時にかかっているならその方がいいと思います。

必ず、明日、受診してください。」

その言葉で、かなり救われたように感じた。

自分の話をきちんと聞いてくれて、「神経質な母親」を見るという雰囲気は全く感じられなかった。

残念ながらその後、その女医さんとは会っていない。

お礼を言いに一度伺ったのだが、非常勤の医師だったようでお会いできず、お礼の伝言だけ伝えた。

医師は人間力も兼ね備えた方であってほしい。

この女医さんには本当に感謝している。

~つづく~

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2016~2017春のあじさいの様子

2017-02-24 10:42:15 | 素人のベランダ

今シーズン、このまま雪が積もることなく春が来るのかしら?

我が家のベランダ庭のあじさいについて。

昨年(2016年)3月ごろ。

その前の年に剪定せずに放ったらかした様子。

このあと、きちんと花が咲くのか懸念しておりましたが、

 

間延びした雰囲気はぬぐえないながらも、咲いてくれました(6月頃)

我が家のベランダ庭は日当たりが悪くて、

草花も良く育たない中で、

あじさいだけは12年間頑張ってくれていまして・・・。

しかし、この開花の後は、マンションの大規模修繕のため、

ベランダ庭のあじさいも抜かなければならない危機を迎え・・・、

なぜなら、本来、この場所はマンションの共有部分になるようで、

勝手に植えてはいけないであろう場所なわけで。

工事の邪魔になるようであれば、当然抜かなければなりません。

このあじさいは、引越ししてきた時に、母友たちがくれた鉢植えを植え替えたもので、

手入れが行き届かない自分でも、こうやって生き延びてくれた可愛いもの。

抜かなければならないとなると、

根元ギリギリまで伐って、鉢に移しかえるつもりでいた。

それで枯れてしまったら、仕方がないということで。

念の為、挿し芽で生き残らせたらいいなぁと思って、挿し芽をいくつか作ったけれど、

それは、途中でダメになってしまった

そうこうしているうちに、マンションの工事が始まって、

10センチほどの高さに切ったあじさいを鉢植えに移す前に、

グズグズしているうちに工事が終わった

どうやら、邪魔にならずにスルーできたようです。

そして、現在、芽吹いてくれました

右半分は古くなってボソボソなので、もう少ししたら整えてみようと思います。

この夏は花は付かないと思われますが、枯れないように見守ります。

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桃薫(いちご)を食す。

2017-02-20 11:49:40 | グルメ

久しぶりにブログを更新です。

年末年始、バタバタと時が流れてゆき、

本日は、2月に入って、仕事の量が落ち着いてきての年休消化の休日です。

先日、地元のJA直売所で、いちごを買いました。

テレビでは見たことがあったけれど、実物は初めてかも・・・。

桃薫(とうくん)」という、淡いピンク色のいちごです。

その名の通り、桃の香りがする、おいしさだって言ってたかな?

5個入りのが330円だったので、お試しで買ってみました。ワクワク

我が家は5人家族なので、一人一粒。

パクリとかじって、娘Aと目が合ってしまい・・・、

「あれ?」

おいしいかどうか、個々の嗜好によるとは思いますが、

少なくとも我が家では、好感触は得られませんでした。

いちごとして食べると、「なんかちょっと違うぞ?」という感じで、

自分としては、バナナのような風味が感じられました。

当分はリピートはないと思われ・・・

それでも、新しいものを食す、ということに関しては満足したのでありました。

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