モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

曇天の日曜日は、テンションも・・・

2009-05-31 23:51:29 | 日記

3週続けて雨まじりの日曜日

特にイベントもないので、ハンドメイドタ~イムといきたいところ。

娘Bがサッカーをしていて、今日は試合があるというので、

でグラウンドへ送って行き、「試合は見てくれるな」というので、

一度家に戻ったところ、娘Bが財布を忘れたので、またグラウンドへ。

結局試合を物陰からこっそり見て、財布を渡して、家に戻り、

しばらくして反省会が終わったというので、また迎えに行く・・・バカ親だなぁ。

晴れているなら自転車で行ってもらうのだけれど、

すっきりしない天気も迷惑ね。

時間が細切れでテンションが上がらず、ちょっと横になったら、

午後3時位から7時近くまで、なんと、ぐっすり眠ってしまったようです

時計を動かされてだまされて、ドッキリカメラかと思いました

が、現実。

子供たちが、「夕飯ですよ~」と呼びかけてくれる・・・

というのは、妄想。がくり

さて、気を取り直して

・・・にわとりティッシュカバーの途中経過・・・

こんな感じのが2枚、くっついて、形になる予定です。

今日、完成させたかったのに・・・曇天のせいだね、こりゃ。

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アジサイに・・反省

2009-05-30 23:46:54 | 素人のベランダ

六月を目の前にしてなんだかさびしい我が家のベランダ。

やっぱり昨年のアジサイの剪定が失敗だったようです。

このアジサイは、マンションに引っ越してきた時に、

友人たちが鉢植えでくれたもので、

1階なので、ベランダに土のスペースが少しあるので、

試しに植え替えてみました。

すると、日当たりが悪く、なおかつ、草花をすぐに枯らしてしまうような私でも、

ぐんぐん育ってくれて

20cm位だったものが1mをゆうに越して、

さすがにマンションの狭いスペースでは不釣合いとなり、

剪定とあいなった訳でございます。

花芽のことなどあまりわからず、剪定の時期も悪かったのでしょうね

葉だけが生い茂ったアジサイ・・・光合成がんばってね

そして、ゴメンヨ・・・

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手芸にはBGM♪

2009-05-29 23:54:23 | 日記

パートの出勤が遅い時には、出勤までの時間が

しばしば手芸タイムになるのですが・・・今日も・・・

音楽を流しながらと思っていたら、CDラジカセが壊れてしまったようで。

軽くたたいてみたりしたけれど、CD部分が反応しなくて、

家電が故障したときに叩くのは本当は意味がないらしいのですが、

それでも、なぜ叩いてみちゃったりするのかな?オバサンダカラ?

結局、そんな感じで、手芸もあまり進まず、

今月は出費が多くてCDラジカセ買っても大丈夫かなとか、

修理は高くつくかなとか、でもやっぱり買うことになるのでしょうね~

BGM は、時にカンフル剤のように元気を与えてくれます。

現代の曲よりは、若いころに好きだった曲がやっぱり好きかな。

新しいラジカセを買ったら、取りためたカセットテープを聴きまくる日を

設定しよう・・家族にあきれられそうだな

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白いたい焼きを食す

2009-05-28 23:20:23 | グルメ

布合わせをあーでもない、こーでもない・・ってしているうちに、

タイムアウトになってほとんど縫えず・・・今回は淡い色のにわとりになりそうね

淡い色・・・といえば、白いたい焼きが出回っているようですが、

ようやく食べました。もちもちして、たい焼きっぽくないと思いましたが、

(写真失敗

お味に関しては、きっと賛否両論のことでしょうね。さらに、

←抹茶たい焼き。

カラフルなたい焼きがほかにも色いろあるようですが、

私は昔ながらのたい焼きが好みかなぁ。

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プラネタリウムの星を眺めに

2009-05-27 23:00:29 | 日記

布小物作り・・・次に作ろうと思っているのは、

ティッシュボックスカバーです。

ボックスのカバーは形が様々あるけれど、自分で型紙をひいて

長年作っている、「形」があるのです。

自分で型紙をひく・・・と言うと大げさなのかもしれません。

もとは中学生のときに、止まっていた車の中のガラス越しに見えた

「にわとり型」のティッシュボックスカバー・・・

それを自分で作ってみたくて、工作用紙を使って設計してみました。

それ以来、試行錯誤しながら作り方が少しずつ変わって現在に至ります。

どこかに作り方が掲載されているのなら、見てみたいのだけれど。

今日はパートがお休みで、家のことをするつもりでいたのですが、

またもや外出してしまったプラネタリウムへ。

プラネタリウムのプログラムが、北海道の富良野・美瑛の景色と、

ゴスペラーズの歌声のコラボレーション・・・という、

自分の好きなものがダブルで味わえる、贅沢さ

加えて、七月の皆既日食のシュミレーションも見ることができました。

美瑛はパッチワークの丘で有名で、学生時代に季節を変えて3回ほど

散策した思い出の場所です。夜、民宿の庭に寝転んで、

星空を眺めた時に、人工衛星(だと思う)がゆっくり動くのが見えたくらい、

澄んだ星空でした。

昼間の丘の波打つ畑のグリーンや小麦畑のオレンジ色と、

雲と空と樹の組み合わせは、その瞬間にしか出会えない景色です。

余談ですが、丘を有名にした「前田真三さん」という写真家の

美瑛のカレンダーをもう15年以上毎年買っておりますです。

プラネタリウムの内容は、皆既日食のしくみがわかりやすく、

それだけでも面白かったですが、肝心の美瑛の星空とゴスの歌声は

心地よすぎて、夢の中へと誘われそうになってました 

本物の星空を見に行きたいものよのぉ~

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ティッシュボックスbyハワイアン

2009-05-26 20:17:28 | 布小物

~パッチワークのサークルで作った ティッシュボックスカバー 

ハワイアンキルトをやってみたかった時に、

大物は途中でくじけるから小さいものを・・・と始めたものの、

しばらく放ったらかしになっていたのを、ようやく形にしました。

今布を買うなら、もっと明るい色を選んだのでしょうけれど、

確か、秋に選んだ色・・・ 紅葉っぽい

いえいえ、夏に向けて、「太陽と小麦色の肌の色」とでもしておきましょうか。

今日はそのサークル日。前回まで一緒に習っていたSさんが仕事の都合で

通えなくなったので、今日は先生が違う曜日にやっているクラスに

お邪魔する形で参加させていただきました。

こちらのクラスは、もう、ずっと長くされているベテランのクラスで、

その方々の作品の途中経過などを見せてもらうだけで

大変勉強になりますおべっかなどではなく・・・。

時間調整のためピースが大きくなったり作品を小さめにしたりという

いんちきな自分がお恥ずかしい・・・いやはや。

諸先輩方の、よい作品に仕上げるための意欲がびしびし伝わります。

人間的にもこのように年を重ねていきたいと思わせていただけるような、

素敵な時間でした。 Sさんも カムバック プリ~ズ

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ベッドカバーへ近づく・・・

2009-05-24 23:47:48 | パッチワーク

しばらくパッチワークの強化週間(?)で、布小物作りをお休みしていましたが、

自分なりに、かなり目途がついてきて一安心。

星のパターンをブルー系中心に縫ってきたつもりでしたが、

並べてみるとブルーより、ベージュ系が勝っているみたい。

いつもあまり計算しないで縫い進めているので、

思い描いていたのと違った作品になるのもちょっと楽しいパッチです。

周囲に縁をつけたりすると、また印象が変わってくるでしょう。

    

今日は夕方から「ひとり」でライブに行って来ました。

素敵なハーモニーを聴かせてくれる、グループです。

CDやDVDもよいですが、ライブはまた別物。

以前一番前の席が当たったことがあり、その時に、偶然

マイクを通さない生の声が聞こえたのですが、

感動して倒れそうになった・・・大袈裟か

音楽の趣味は、純粋に「音」やメロディラインで好きになったりするので、

ルックスはあまり関係ないのですが、一番前の席は近すぎて

目が合うのが恥ずかしい感じで、直視できなかったものです。

ちなみに今日はちょっと遠くて、表情などもわからなくて寂しさも感じてしまった。

複雑なファン心理というところでしょうか

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1990年イースター島*その11*最終日

2009-05-23 22:05:52 | イースター島*1990年

~1990年・イースター島5日目(最終日)~

天気に恵まれた五日間、現在ほど紫外線の恐怖は言われていなかったので、

日焼け止めは軽く塗っていた程度で、この頃、皮がちょっとむけ始めました

イースター島の主な見どころは見ることができましたが、

島内を歩いて、教会以外ではあまり人々を見かけず、

生活感に触れられなかったのは、心残りでした。

最終日、飛行機は夕方の出発なので、それまでは友人クミちゃんと、

ハンガロアをうろついていました。

小学校(中学校かも?)のあたりでは、白いシャツに紺色のジャンパースカートの

制服姿を見かけました。清潔感のある、かわいらしい子が何人か

にこにこ近づいてきて、我々もなんだか嬉しくなり、

「一緒に写真を撮る?」と聞いたら、はにかみながらも写ってくれました

郵便局で、イースター島から絵葉書も送ってみました。

家に帰ったらモアイの消印が押された葉書が届いてました

ハンガロアの小さな食品雑貨屋で、おみやげになるものがないかと

クミちゃんと探していたら・・・そうだ・・・

毎朝民宿で飲んでいた「ネスカフェのインスタントコーヒー

これが、日本のものよりおいしく感じられたので、買い!

それから日本にもあると思われた「マギースープ(粉)」。

このお店のおばさんは、店頭でカセットに合わせて「ラパヌイへ~」と

歌っていて、クミちゃんも私もそのフレーズが耳について、

つい歌ってしまう有様でした。何の歌かは不明。

クミちゃんがおばさんに写真を撮っていいかと問うと、写ってくれました

我々日本人を見かけて、珍しがって話しかけてくれる人も数人いらっしゃいました。

ある青年は、日本のサーフィン情報について尋ねてきましたが、

残念ながらサーフィンには詳しくないので話しが盛り上がらず・・・

イースター島では、とうとう舗装された道はありませんでした。

車もあまり見かけず、馬に乗った人がいたほど・・・。

世界的な観光地なのに、儲けようという感じがなく、

心が洗われるような時間を過ごさせていただきました。

民宿のおじさん、おばさん、息子くんと記念撮影をして、

折り紙のくす玉をプレゼントし(外国人は折り紙を喜ぶと当時言われていたので)

空港まで、おじさんに車で送ってもらいました。

おじさんは少しおしゃれな格好をして、サンチアゴから来た

お客さんをお出迎え。チリから来る乗客のほうがかなり多いようです。

我々も空港での客引きの様子を見ていましたが、

ここで、島に来て3人目の日本人男子学生に会いました。

 客引きの人々です。

日本人の彼はとある民宿の客引きを手伝いに来たそうです。

彼の情報によれば、民宿によっては、トイレが流れないで逆流するとか、

ひどく不潔・・・、の所もあるとか。

我々は幸い、よい民宿に泊まることができて、快適な旅となりました。

飛行場で時間があったので、みやげ物を見ていました。

うけ狙いで買った、モアイ柄のタンクトップ(7US$)・・・

写真を載せたいくらいですが、すそにレースがついていて、

モアイとレースの組み合わせがシュールです。いわゆる「いやげもの」。

あと、石のモアイは重いので、木製のモアイを買いました。

いよいよ、イースター島に別れを告げる時がきました。

18:00頃離陸し、タヒチのFAAA空港へ向かいます。

ランチリのおいしい機内食を堪能し、今度は時計の針を4時間戻し、

太陽とともに、西へ西へ。

タヒチ時間の18:00頃、島影が大きく近づき、タヒチに戻ってきました。

こうして、イースター島の旅は終わりました。~おしまい~ 

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1990年イースター島*その10*7人のモアイ

2009-05-22 23:34:07 | イースター島*1990年

~1990年・イースター島4日目・7人のモアイ~

イースター島も4日目の朝を迎え、そろそろタヒチに向かう飛行機の

リコンファームをしなければなりません。

イースター島内に、ランチリのオフィスは、その頃、島に唯一のホテル、

「ホテルハンガロア」の中にあったので、朝から出向きました。

さすがに、ホテルという感じで、1泊100US$位するらしかったので、

我々には高嶺の宿です。でも一泊位しても良かったかしら?

それから、7人のモアイ・・アフ・アキビに出掛けました。

地図では、片道5kmくらいなので、またもやのんびりとウォーキング・・・。

途中で道が合っているのか不安になったときには、

たまたますれ違った地元の人に「セブン?」と指を7本立てれば、

方角を指差してくれるので、比較的順調に行けました。

道の左右は乾いた林のようなところだったりして、

あまり見通しが良くなかったのですが、たまに民家もあるようで、

「ハポネス?」と姿が見えないところから声が聞こえたりして、

多少ミステリアスでもありましたが・・・。

視界が開けてきて、7人のモアイが見えてきました。

ここには観光客の一行がマイクロバスで来ていましたが、

入れ替わるようにいなくなったので、ゆっくり写真撮影しました。 モアイの横顔や・・

 海を見つめる後姿・・

海が近そうに見えますが、多分地図上では3km位あるのではないかな。

ここでもしばらくクミちゃんと二人でモアイを堪能して、帰途につきました。

ハンガロアに戻り、「そうだ、博物館に行ってないね」ということに気づき、

またもや道がはっきりわからず、博物館というスペイン語もわからず、

通りかかった女の子に英語で聞いてみたら、

きれいな英語で教えてくれました。英語教育が行き届いているのかと、

ちょっと羨ましくもあり感心もしました。

博物館は小さな建物で、クミちゃんは「モアイの目」を見るのを

楽しみにしていたのに・・・なんと・・・

「モアイの目」はたまたま日本のどこかに展示されに出掛けていたらしい。

イースター島に来るまでモアイに目があることを知らなかった我々・・・、

入れ替わりで、日本に行ってしまっていたとは

イースター島の夜も最後になりました。

暗くなるのが遅いので、折り紙でお花を折ってためていたのを

糸で固定してくす玉を作っていました。

それから、南半球の空を眺めに通りへ出て、

横になっていた南十字星を見てから、眠りにつきました。~続く~

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1990年イースター島*その9*

2009-05-21 21:16:11 | イースター島*1990年

~1990年・イースター島3日目・夕方~

ラノ・ララクのミニツアーから戻ってきて、少し休み、

ハンガロアへ散策&買出しに出かけました。

ところでイースター島に来る時にはUS$しか持っていなかったけれど、

町での買い物はペソ(P)です。着いた日も翌日も銀行は閉まっていたので、

とあるお店で両替をお願いしたのですが・・・。

使えないコインが混ざっていたよ~

日本人だから文句を言わないと思ってなめられたのか・・・

若い女性の店員さんだったけど、パスクア人ではなかったような。

私たちは大体、1US$=300P=150円で計算していましたが、

売っている食べ物などは、日本の物価とあまり変わらない印象でした。

後に出会ったチリから来た日本人に聞いた話では、

チリより物価が3倍くらいしているようです。島なので、仕方がありませんね。

民宿の朝食は、パン、クッキー、日本のマドレーヌのような物、

ジュース、インスタントコーヒー(ネスカフェ)でした。

パンが2種類あって、そのひとつが私にとってはどうしても口に合わず、

(まるでダンボールを食べている感じ・・作った方すみません)

こっそり持ち帰って、クミちゃんに食べてもらっていました。

クミちゃんに言わせると、「重曹が入ったパン」ではないかと・・・。

好き嫌いはあまりないはずの私ですが、飲み込めなかったです。

こういった食生活で、昼も夜も節約食事の中、この日はハムを買ってきて、

「リッチだね~」と喜んでいました。

民宿に戻ると、おじさんが、お友達となんだか陽気なご様子。

「一緒に軽く飲みましょ~」と持ってきたのは、ピスコというお酒とコーラです。

コークハイのように割ってくれて、乾杯・・・するとおじさんが

「イ~ッキ、イ~ッキ

と踊りだすではありませんか

そのころ、日本では確かに「一気、一気」の一気飲みがはやってはいましたが、

地球の裏側の絶海の孤島まで浸透しているとは!

今のようにインターネットも普及していないしね。

日本人の我々を喜ばせよう(驚かそう?)としてくれたのかな。

おじさんがあまりに陽気すぎて、とまらなくなったらどうしようと恐れて、

クミちゃんと私は軽く調子を合わせるにとどめ、部屋へ退散することにしました。

おじさん、ありがとうね、でもちょっとついていけなかったョ ~続く~

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1990年イースター島*その8*ラノララク

2009-05-20 23:48:00 | イースター島*1990年

~1990年3月・イースター島3日目~

9:40am頃、民宿の4輪駆動車で、ラノ・ララクへ出発

運転手は20代前半と思われる、民宿の息子さん。

同行者は神経質そうで30代と思われるイギリス人男性と

我が友人クミちゃん、そして私です。

イースター島の気候は、我々が島についてからすこぶる良好で、

暑いながらも風がさわやかに感じられました。

さて、車はハンガロアを出てから、道なき道のようなところを

進んで行きます。周りにはなにもなかったように記憶しています。

当初の予定通りクミちゃんと二人、徒歩で出かけていたら、

途中でさまようことになったか、疲れて動けなくなったか・・・

ラノ・ララク・・・モアイの製造地のようなところに到着しました。

なんとも不思議な光景です。モアイが半身で埋まっていたり、

作りかけのモアイが岩場に残っていたり。

息子さんはあまり愛想のある方ではないようですが、簡単にガイドをしてくれて、

とは言っても、私の語学力ではあまり理解できなかったのですけれど

石切り場は小高い丘のようになっていて、

上のほうまで、時間をかけてゆっくり見ました。

息子さんが「ハンガロアに雨が降っている!」と言うのでその方角を見ると、

まるでそこだけ空から薄ぼんやりとした幕が下りているようで、

まわりに遮るものがなく、空気もきれいだから、

こんな幻想的な光景が見られるのだと、感動的でした。

ほどなく、虹もかかりました

さて、現在はトンガリキという所に、日本の企業がモアイを復元したそうですね。

1990年は、残念ながら復元されておらず、

トンガリキはチラッと見てあまり印象に残らず・・・。

そして、島の北部にある、白い砂浜の海岸に着きました。

イースター島の地質とはまるで違う、細かい白砂です

クミちゃんはもと水泳部で泳ぎも得意なので、水着になって泳ぎました。

一方私は、なんせ時差ぼけが残っているのか、水着を後で洗ったり、

砂や塩でべたべたするのがめんどうで、水着を持って行きませんでした。

木陰でゴロゴロしたいと思ったのに・・・あまり木陰がないよ~

文科系イギリス人も所在無く砂浜をうろついてました(全く愛想がない)。

息子さんといえば・・・なんと小さな岬の先端で、

一人黙々とカラテの型に取り組んでいます

彼は、あまり愛想がないのですが、私たちが日本人ということで、

「自分はカラテを習っていて、沖縄に行ったことがある」・・と

自分の事に関して、このことだけ話してくれました。

イースター島から沖縄に行くのは、ものすごく大変な気がするけど、

ひょっとして、「行きたい」って言っていたのかしら(自信のないヒアリング)?

こうして一行は14:00頃、民宿に帰ってきました。

今日の行程でも、ほとんど観光客と会わず・・・。

作りかけのモアイをゆっくり見ることができて、紫外線もたっぷり浴びて

~続く~

 

 

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1990年イースター島*その7*民宿

2009-05-18 23:42:13 | イースター島*1990年

~1990年3月*イースター島2日目~

ラノ・カオからのんびり戻ってきて、ハンガロアの小さなマーケットで、

夕飯を調達。日持ちしそうなラスクと果物とヨーグルトなど。

友人のクミちゃんも私も、学生で、バイトして貯めたお金で来ているので、

どうしても食費を節約することになってしまいます。

夕飯を民宿で用意してもらうと1泊25US$。朝食だけなら15US$。

10US$(約1500円)の差は大きいのです

泊まっている民宿は、おじさん、おばさん、20代前半の息子さん、

そして、10歳くらいの息子さんがいて、

お部屋は新しくはないけど清潔な感じで、

おじさんが優しく接してくれたので、居心地はよかったです。

朝食時に食堂に行くと、我々のほかには欧米人の年配のグループと

個人で何人かが泊まっていたようでした。

おじさんの方から、「明日、車でラノ・ララクへ行きたがっている人がいるけど、

一緒にいかが?半日で3人で50US$だけど」とお誘いがありました。

ラノ・ララクとはモアイが作られた石切り場のような所で、

地図では15km以上ありそうですが、「地球の歩き方」では、

徒歩での行程が書かれています。

当初はクミちゃんと徒歩で行くつもりでいましたが、

ラノ・カオに行く途中で会った日本人学生の情報では、

徒歩ではやめたほうがいいとのことでした。

そんな時、おじさんからの提案は願ってもないことで、ラッキーでした

もう一人の同行者はイギリス人の30代くらいの神経質そうな男性。

「3人で50US$」という割り切れない数字に対して、

何の相談もなく「16US$」出してきました

ちょっと「え~っ?」と思いましたが、言い返す語学力もないしな・・・。

さて、その日の夜、民宿の我々の部屋に意外な訪問者が

イースター島に入国する時荷物検査で念入りに調べられていた、日本人青年です。

我々がここに入って行くのを偶然見かけた様子で、訪ねてきたのです。

彼は個人旅行を何度かしているそうなのですが、それにしては、

バックパッカーには程遠く、出張っぽい雰囲気を醸しだしていました。

この民宿を訪ねる前、一人で島のディスコに行ったらしいのですが、

日本人ということで、ちょっとボラれたらしい・・・

おおよそディスコが似合うとも思えないのに、チャレンジャーなのはあっぱれ

でも、ボラれたことを日本人に慰めてもらいたかったのでしょうか?

年上だけど、「大丈夫ですか~」と心配になりました

我々にとってはイースター島で話した2人目の日本人。

ひとしきり雑談して、「日本の味が恋しくなったらどうぞ」と、

インスタント味噌汁を置いて、帰っていかれました。

青年とこのあと出会うことはありませんでしたが・・・お味噌汁ごちそう様。

旅の途中でとってもおいしくいただきました ~続く~

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1990年イースター島*その6*ラノ・カオ

2009-05-16 23:44:32 | イースター島*1990年

~1990年3月イ-スター島*二日目・ラノ・カオへ~

日曜日の朝、薄暗いと思いましたが、天気はいいようです

8:00am頃から明るくなり始めたので、標準時の関係なのでしょうか?

朝食後、民宿のおじさんが「教会に行く」と言っていたので、

我々も興味本位で(すみません)ついていきました。

おじさんはフリルのついた白いシャツに着替えて、よそいきモード。

友人のクミちゃんは結構ウケていました

教会は「イースター島にこんなに人がいたんだ~」と思うほど人が集まっていて、

賛美歌は力強く、宗教のちから・・・というのかな・・・を感じました。

さて、その後の計画は、「地球の歩き方」というガイドブックを参考に、

島の南西部にある、ラノ・カオという火口湖を見に行くことにしていました。

食料などを買って、さぁ出発

ガイドブックでは、歩いて片道1時間半くらいとあります。

学生だった私たちは比較的歩くのは苦にならないので、

のんびり歩き始めましたが、途中から、お互い、

「思ったより時間かかるかも・・・?」と疑念がわいてきました。

火口湖を見るために登りが続くのですが、先が見えない

そして、ここで、レンタルバイクをひきながら、下りてきた、

日本人学生(男)と出会いました。

彼によると、「地球の歩き方」はかなりの健脚向けに書かれている

ということなので、時間も、多めに見積もったほうがいいとのことでした。

ちなみに彼は借りたバイクが故障してブルーになっていた模様で、

あまり話すことなく、その場を去って行きました。

とはいえ、この先を行けば間違いなくラノ・カオに着くことがわかり、

クミちゃんも私も少し元気復活

そして、彼の情報によって翌日からのスケジュールも見通しが立ち、

そんなことを話しながら、ラノ・カオに到着

暑いながらも、海から吹くような風が心地よく、火口湖も神秘の色合いで、

来た甲斐がありました

周辺のオロンゴの遺跡というのも見ましたが、実はあまり印象に残っていません。

日記を見ると、オロンゴで450P(約225円)払っているのですが、

そういった施設があったかさえ、覚えていないのです。

とりあえず、海の深い青さの美しかったことに感動しました。

そして、ここでもほとんど人間に会うことはありませんでした。

観光客の皆様はいずこへ~  ~続く~

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1990年イースター島*その5

2009-05-15 23:49:19 | イースター島*1990年

~1990年3月・イースター島1日目~

午前9時ごろ飛行機が着き、宿が決まって、荷物を置いて、

散歩に出かけて、あっけなくモアイに出会ってしまった我々・・・。

日本だと、観光地といえば人間がわんさかいて、

近くにお土産物屋があったりするのに、

モアイのまわりはただの荒地のようで、ほかに人もなく・・・。

それでも台座に寄り添って写真など撮ったり、触ったりしていると、

地元の偶然通りかかったおじさんに、

「さわらないように」(スペイン語がよくわからないので、多分・・・)、

と注意を受けたので、

「悪い日本人」と思われないように、軽く謝って、去りました

ところで、1990年頃はデジタルカメラは一般的ではなく、

フィルムでの撮影でしたので、ブログにはスキャナーで取り込んでみました。

便利な時代になったものです。

タハイのモアイを見た後、ハンガロアの町を通って民宿に戻る途中、

クミちゃんと「食事はどうしようか」と思い出し・・・。

機内食で深夜がっつり頂いたため、朝食は食べていなかったので、

さすがに空腹を感じていました。

民宿では朝食のみお願いしていたので、夕飯もなんとかしなければ。

町の様子からすると、レストランのようなものは見かけず、

テイクアウトの食事も売っている様子はなく、

・・もっとも、我々は節約旅行なのでそんなことは覚悟の上でしたが・・

パンと飲み物を小さなお店で買ってすますことにしました。

その頃、日本ではまだペットボトルが普及する前で、

それに比べて、タヒチにもイースター島にも、300ml位の、

日本でもおなじみの清涼飲料水のペットボトルが売られていて、大変重宝しました。

値段はおおむね1US$弱だと記録しています。

(ちなみに1US$は150円の計算でやっていました。)

昼過ぎに民宿に戻ると、嬉しいことに、民宿のおじさんが

「食べなさい~」と青空の下で焼いたお魚をとりわけてくれました。

市場で買ったばかりの大きな白身魚でした。

民宿の男の子(10歳位)が「これをかけるとおいしいよ」と

持ってきてくれた調味料・・・「SOYAだよ」・・・と言われて、

「お醤油かもね」とクミちゃんと私。

こんなところで思いがけず日本の味に出会えるとは

そして、ふかしたサツマイモ、すいか、サラダもごちそうになってしまいました。

素朴ですが、本当においしくいただきました。

おなかが満たされたところで、午後はお洗濯をし、

シャワーを浴びて、クミちゃんと「一眠りしようか」・・・

計算すると、日本でベッドから起きてから、48時間ぶりのベッドです。

数時間後、起きてみたら外は明るい・・・

時計を見たらもう薄暗くなってもよいはずの時間なのに?

いつ暗くなるんだろうと思っていたら、21時頃まで薄明るかったのでした。

長~い1日でした。~続く~

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1990年イースター島*その4*アフ・タハイ

2009-05-14 22:19:35 | イースター島*1990年

~1990年3月*アフ・タハイのモアイ~

イースター島時間の9:00am頃、飛行機が着陸しました。

飛行中、飛行機の窓から景色を見てみましたが、

本当に絶海の孤島という形容がぴったりで、

着陸は「海に突っ込むのでは?」というほどまわりに何も見えなくて、

突然滑走路にランディングしたような印象でした。

飛行機から降りてみると、日本人は我が友クミちゃん私のほかに、

数人いたようです。みんな個人旅行のようでした。

飛行場の建物が驚くほど小さく、入国審査もあっという間。

その後、預けた荷物を受け取って、荷物検査のところで、

私たちの前にいた日本人(推定30歳くらいの男性)は

島には似つかわしくないトランクをお持ちになっていて、

かなり念入りに調べられていました。

「あんなに細かく見られるのかなぁ・・」と一応乙女の下着類を

心配していましたが、いざ我々の番になると、

スポーツバッグだったせいか、確か中も開けずに通してもらえました。

ある意味いい加減ともいえますが・・・

次にすることは、宿を決めること。

前もって、地球の歩き方というガイドブックで見た程度で、

実際は・・・出国ロビー(と言えるのかな)の窓の外に、

鈴なりの客引きたち・・・

選ぶ基準もわからないので、結局ガイドブックの中の民宿にしました。

結果からいうと、この選択は「あたり」だったのでした。

空港から車で宿まですぐに到着し、

体は疲れていたと思うのですが、寝てしまうのももったいない気がして、

荷物を置いて、クミちゃんと散歩に出かけました。

気づいたことは、舗装されている道がまったくないこと。

ハンガロアというイースター島の中心の町を歩いても、

ここが??と思われるほど静かです。

ほどなくすると、タハイのモアイがありました。

~ホントにモアイが存在しているんだ~

感激というよりは、なんだか目的のひとつを達成してしまった感で、

不思議な気持ちだったのです。

周りには人もおらず、モアイの台座に寄り添って写真を撮ったりしました。

観光地なのに、全然それらしくなく・・・。

現在もそうなのでしょうかねぇ? ~続く~

コメント
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