~1990年・イースター島5日目(最終日)~
天気に恵まれた五日間、現在ほど紫外線の恐怖は言われていなかったので、
日焼け止めは軽く塗っていた程度で、この頃、皮がちょっとむけ始めました
イースター島の主な見どころは見ることができましたが、
島内を歩いて、教会以外ではあまり人々を見かけず、
生活感に触れられなかったのは、心残りでした。
最終日、飛行機は夕方の出発なので、それまでは友人クミちゃんと、
ハンガロアをうろついていました。
小学校(中学校かも?)のあたりでは、白いシャツに紺色のジャンパースカートの
制服姿を見かけました。清潔感のある、かわいらしい子が何人か
にこにこ近づいてきて、我々もなんだか嬉しくなり、
「一緒に写真を撮る?」と聞いたら、はにかみながらも写ってくれました
郵便局で、イースター島から絵葉書も送ってみました。
家に帰ったらモアイの消印が押された葉書が届いてました
ハンガロアの小さな食品雑貨屋で、おみやげになるものがないかと
クミちゃんと探していたら・・・そうだ・・・
毎朝民宿で飲んでいた「ネスカフェのインスタントコーヒー」
これが、日本のものよりおいしく感じられたので、買い!
それから日本にもあると思われた「マギースープ(粉)」。
このお店のおばさんは、店頭でカセットに合わせて「ラパヌイへ~」と
歌っていて、クミちゃんも私もそのフレーズが耳について、
つい歌ってしまう有様でした。何の歌かは不明。
クミちゃんがおばさんに写真を撮っていいかと問うと、写ってくれました
我々日本人を見かけて、珍しがって話しかけてくれる人も数人いらっしゃいました。
ある青年は、日本のサーフィン情報について尋ねてきましたが、
残念ながらサーフィンには詳しくないので話しが盛り上がらず・・・
イースター島では、とうとう舗装された道はありませんでした。
車もあまり見かけず、馬に乗った人がいたほど・・・。
世界的な観光地なのに、儲けようという感じがなく、
心が洗われるような時間を過ごさせていただきました。
民宿のおじさん、おばさん、息子くんと記念撮影をして、
折り紙のくす玉をプレゼントし(外国人は折り紙を喜ぶと当時言われていたので)
空港まで、おじさんに車で送ってもらいました。
おじさんは少しおしゃれな格好をして、サンチアゴから来たの
お客さんをお出迎え。チリから来る乗客のほうがかなり多いようです。
我々も空港での客引きの様子を見ていましたが、
ここで、島に来て3人目の日本人男子学生に会いました。
客引きの人々です。
日本人の彼はとある民宿の客引きを手伝いに来たそうです。
彼の情報によれば、民宿によっては、トイレが流れないで逆流するとか、
ひどく不潔・・・、の所もあるとか。
我々は幸い、よい民宿に泊まることができて、快適な旅となりました。
飛行場で時間があったので、みやげ物を見ていました。
うけ狙いで買った、モアイ柄のタンクトップ(7US$)・・・。
写真を載せたいくらいですが、すそにレースがついていて、
モアイとレースの組み合わせがシュールです。いわゆる「いやげもの」。
あと、石のモアイは重いので、木製のモアイを買いました。
いよいよ、イースター島に別れを告げる時がきました。
18:00頃離陸し、タヒチのFAAA空港へ向かいます。
ランチリのおいしい機内食を堪能し、今度は時計の針を4時間戻し、
太陽とともに、西へ西へ。
タヒチ時間の18:00頃、島影が大きく近づき、タヒチに戻ってきました。
こうして、イースター島の旅は終わりました。~おしまい~