モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

20年程前の話・娘の幽門狭窄症②

2016-04-21 11:46:01 | 日記

~つづき~

娘Bについて肥厚性幽門狭窄症の診断がつき、入院させてもらい かなりホッとした。

家で見ていると、新生児だけに生命に関わるのではないかという懸念もあったから。

治療については、開腹手術で、狭く厚くなっている幽門部に切り込みを入れて、

内圧で通り道が広がるという説明だったと思う(簡単に言えば)。

その時は、腹の手術痕など、どうでもよかったような気がする。

出産時に2800gくらいだった娘Bは、生後3週間くらいは体重も増加していて3500gに、

そこからはほとんど増えておらず、入院時も3500gくらいだった。

入院の翌日に病院に行き、改めて説明を聞いたところによると、

嘔吐が続いたことによって体の電解質のバランスが崩れていて脱水症状もあるので、

1週間くらい内科的処置をしてバランスを整えてから手術ということだった。

娘Bよ・・・ごめん・・・脱水症状にさせてしまったね・・・。

手術前までの主治医は小児科の先生だったが、ほとんど覚えていない。

というか、面会時間中に病室に来られなかったのではないか?

たいていのお話は看護師さんとだった。

ちなみに、その頃、フジテレビで「看護婦最前線(だったかな?)」的な番組で、

たまたま、この病院が出てきたのを見ていたので、

「あっ、テレビに出てた看護婦さんだ~感動!」みたいなミーハーな自分もいたりして

隣のベッドは、偶然にも同じ病気の女の子。

その子のお母さんとお話ししたところによると、幽門狭窄症は男児の方がなぜか比率が多いらしい。

その数日後に、また同じ病気の女の子が入院してきたので、

看護師さんからも、「幽門狭窄で女の子ばかりは珍しい」と言われた。

手術まではただただ点滴・・・絶食なので、多分お腹はすくのだと思う。

赤ちゃんが泣くのは、乳児期は空腹やおむつのサインのようなものなので、

ずっと空腹の娘Bは泣きっぱなし・・・というわけでもなく(さいわいなことに)、

それでも、入院生活中はおしゃぶりで泣くのをおさめられていた。

自分は、娘Aの子育ての時はおしゃぶりを使わなかったので、

娘Bにおしゃぶりをくわえさせるのに少々抵抗を感じたが、

くわえさせると気がまぎれるのか、リラックスするようにも見えた。

その半面、いくらしゃぶっても出てくるものがないのに、懸命にしゃぶる姿が可哀そうでもあった。

小児外科の主治医に会えたのは、数日後だったか・・・。

エコー検査の時に説明をしてくれた男性・・・それがE先生だった。

印象は、なんというか、緊張を解かせてくれる先生。

子どもを診察するときも、自然に溶け込むようにすーっと診察する感じ。

大学病院なのでお忙しいのか、ゆっくりお話しはできなかったが。

さて、いよいよ手術。

当日は、相方(夫)も会社を休みにしていたのだが、なんと、、寝坊した!

自分は、里帰り出産のまま(娘Bが入院したところが近かったので)いたので、相方とは当時一緒に住んでいなかった、

・・・ので、起こせなかったのだが、それにしても大切な娘が手術の日に寝坊するか

今でもこの件は、笑い話と共に、相方をゆするネタにしております。

余談はさておき、手術は順調に終わり、なんやかんやで2時間くらいだったと思う。

そこからは日ごとにミルクの量も増えていき、嘔吐することもなく、手術後1週間で退院した。

ただ、術後数日してから、唇にカビ的なものができて(鵞口瘡)、

手術で体の抵抗力が落ちているのを目の当たりにした。

退院時の体重は3400g。1か月くらい全く増えていないが、これからゆっくり取り戻せばいいと思った。

この時代はまだ乳幼児の医療費は普通に窓口で支払っていたが、

E先生から「育成医療の対象になりますよ」と用紙を書いていただき、無事に医療費を支給していただけた。

娘Bは、それからは大きな病気をせず、

中学1年生まではクラスで背の順が1番前のことが多かったが、

そこから伸びて、現在は162㎝の体育会系女子に成長した。

お腹の傷は、すーっと7㎝くらい残っているが、気にしている様子はない。

話は前後するが、娘Bは術後1年の健診を終えて、小児外科は終了、となったわけだが、

その数か月後に、今度は別件(息子)でお世話になるとは、この時は思いもよらなかった。

 

息子の幽門狭窄症 

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20年程前の話・娘の幽門狭窄症①

2016-04-17 11:21:05 | 日記

半月ほど前に、乳児の頃の娘Bと末っ子息子を手術してくださった E医師を突然訪ねたけれど、

お忙しくてお目にかかれなかったということがありました。

思えば、末っ子息子がもうすぐ20歳になるので、

お世話になってからもうそんなにたつのだなぁ・・・と感慨深い。

娘Bと末っ子息子は「肥厚性幽門狭窄症」という新生児の病気にかかりました。

胃の出口の幽門部の筋肉がなぜか厚くなって狭くなってしまうのです。

病気自体は診断がついて治療すればほとんど心配のないものですが、

診断がつくまでは結構大変だったように記憶しています。

娘B(現在大学4年)は2800gくらいで安産で生まれてきた。

生後3週間は特に問題はなく、体重の増加も順調だったのだが、

そのうち、少しづつ嘔吐の回数が増え、

「これはちょっと変だな」と思うようになってきた。

その頃は娘Bの2歳上に娘Aもいたので、里帰り出産で実家にお世話になっていた。

新生児の世話は初めてではなかったので神経質になることもなく、

変だなと思っても、もうちょっと様子を見よう・・・という余裕があった。

とはいえ、嘔吐の様子は時には驚かされた。

まるで、胃をぎゅっと掴まれたように、ポンプのように飲んだミルクが噴き出すのだ。

実家の母が、職場の人から「母乳アレルギーで吐くこともあるらしい」と聞いてきて、粉ミルクに替えてみたり、

窒息が怖くてずっと縦抱きを続けてみたり。

洗濯も大変だった。

実家に来ていたので自分の洋服の枚数も限られていたため、

抱っこする時はタオルを肩から羽織って、

娘Bには布おむつ!をよだれかけの要領で首の周りにおいて、

着替えの回数を減らせるようにした。

それでも、タオル、布おむつ(ミルクで汚れた)、の洗濯を少量でもどんどんしないと間に合わなかった。

さすがに、「これはおかしい」と思ったのは、嘔吐の回数が増え、

ピンクの物が混ざったミルクが出てきたときだった。

胃液で食道が荒れてしまったのかもしれないと、勝手な自己判断だったが、

これで病院に行く決心がついた。

最初(1日1回程度)の嘔吐から2週間近くたっていた。

この時、生後33日。

まずは、実家近くの総合病院の小児科で受診。

吐き気止めの座薬を出されたが、症状が治まらなければ、

疑われる病気(幽門狭窄症)が治療できる病院は限られているから、

近辺にあるS大附属病院に行くように指示された。

吐き気止めは効かなかった。

吐いてしまえば娘Bはお腹がすくのであろう、泣いて空腹を訴える。

こちらはなるべく吐かせたくないので、ある程度時間をおいてから飲ませたいと考える。

しかし、生命維持のためには飲ませないといけない。

母乳だとどのくらい飲んだかわからないので、

飲んだミルクの量と、布おむつに吐いたミルクの量を計量したりした。

意味のないことかもしれないが、こうでもしないと、どのくらい体にミルクが入ったか、心配だったのだ。

このころには、便の回数もかなり減っていた。

S大病院には総合病院に行ってから1日おいて受診した。

とりあえず小児科へ・・・かなりの待ち時間だった。

待っている間に嘔吐しないか、気がかりだった。

噴水のように嘔吐すると、周りにかかってしまうかもしれないから。

現在と違って、当時は大きな病院でも紹介状なしでも普通にかかれたから、

大学病院で受診する必要のない人も、念の為・・・という患者も多かった。

ひょっとしたら、我が子も、心配のない吐きやすい体質だけなのかもしれないとも思った。

自分でも、娘Bが病気の確定をされた方がいいのか、吐きやすい体質のほうがいいのか、

わからなくなっていた。

2時間ほど待って、小児科の1室に通された。

先生は、なんだか若くて神経質そうな男の先生で、

症状を話すのにも緊張したが、娘Bの嘔吐の様子はジェスチャー付きで

「ピュ~っと吐くんですよ」と大袈裟に言ってしまった。

先生は、首の座らない娘Bを座らせるように起こして、おもむろにお腹をぐりぐり掴んだ。

娘Bが「わ~」と泣いてもおかまいなしで、ちょっと乱暴に思えた。

診断の結果、「検査入院してみますか」と無表情に言って、電話をかけ始めた。

検査のオーダーの電話だと思われたが、

先生が「こっちを先にさせて!」と言ってるのが聞こえた。

「エコー検査のキャンセルがあったから、入れてもらえました。今から検査室に行ってください。」と言われ、

そのまま検査室の方へ。

ちなみにその先生とはそれ以来会っていない。

ちょっと冷たい先生かなぁという印象だったが、検査を半ば強引に押し込んでくださったようにも思え、

ちょっと感謝している。

エコーの検査では、検査に必要ということで、検査中にミルクを飲ませるようだった。

しばらくして、40代くらいの男の人が検査室から出てきた。

おもむろに「お母さん?残念だったけれど・・・幽門狭窄症だったよ」と。

この時だったか忘れてしまったが、エコーの画像を見せられ、

よく分からないながらも、狭くなっている部分を確認した。

男の人が検査技師的な人なのか医師なのかよく分からず、

「あなたはどちら様?」というのと、病気が確定してホッとした気持ちもあった。

「このあとのことは看護婦が案内するから。そんなに心配しないで。」と言って立ち去られ、

あまりにもさらっとしていたので、自分でもポカ~ンとしていたと思う。

こうして、娘Bが入院することになった。

入院の説明を聞いている間に、娘Bは処置をされていて、

手の甲に点滴が入って包帯で板のようなものに固定され、鼻からは、チューブが入っていた。

鼻のチューブは胃に溜まった胃液を引くためのものだ。

その時、娘Bがまたミルクを吐いた。苦しそうに目をひん剥いている。

看護婦さんが驚いて、「お母さん、ミルクいつ飲ませたんですか?」と言われたけれど、

検査の時だと思いますとしか答えられない。

看護婦さんも、幽門狭窄症の嘔吐の様子はあまり見たことがなかったのかもしれない。

娘Bが入院したころは、まだインターネットで何かを調べるということはなかった。

幽門狭窄症についても、「乳児の病気について」的な本で知ったような気がする。

まさか自分の子が、こういう病気になるとは思ってもみなかった。

~つづく~

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ヴェルディ VS V・ファーレン長崎

2016-04-14 17:56:16 | スポーツ観戦

4月10日(日)、東京・駒沢競技場へサッカーを見に行ってきました。

J2・東京ヴェルディ VS V・ファーレン長崎戦です。

相方(夫)が長崎出身なので、なんとなく応援しています。

神奈川、東京方面の試合の時に、何度か見に行っております(6回目くらいか?)。

ですので、いつもアウェイでの観戦ということになりますね。

とりあえず、負け戦は見たことがない・・・と思います。

この日も気候は良くて、サッカー観戦日和でした。

V・ファーレンのチームマスコット「ヴィヴィくん」も参戦(?)しに来ていました。

ヴィヴィくんはJリーグのマスコットの中では人気がある方なのです。キュートです。

さて、肝心の試合は・・・結局、スコアレスドロー(引き分け)でした。

惜しい瞬間もあったのですが・・・。

自分はそれほどコアなサポーターではなく、Jリーグは移籍が多くて、

V・ファーレンの選手もよくわかってないのですが

見に行っている時は、長崎の選手はよく動いていて、見ていて気持ちがよいです。

面白いなぁと思うのは、佐藤洸一さん。

ひょろ~とした雰囲気ですが、たまにゴールを決めています。

この日も、後半の後半に出てきたけれど、残念ながら得点はならず。

ハーフタイムの練習の時も率先して走っていたけれど、どことなく飄々としているのがいいね~。

生で見ていていいなぁと思うのは、

ゲーム中の選手同士の声の掛け合いとかが聞こえること。

サポーターの応援がちょっと止んだ瞬間に聞こえるから、たまに、応援お休みタイムがあるといいな。

サポーターの方、すみません

ところで、敵ながらヴェルディは、サポーターの数が少ないのでは?

この日の観客は3000人に満たなかったですよ。

この日、隣のグラウンドでは、多分高校のサッカーの試合が行われていたけれど、

「こっちの方が観客が多いのでは(もちろんジョークですが)」って、

一緒に見に行った相方の会社の人も言ってました

今月、町田ゼルビアと試合があります。

天気が良かったら、また見に行く予定

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E 先生にお目にかかれず・・・。

2016-04-06 11:17:01 | 日記

先日、娘B(大学4年)と小児科に行ってきました。

と言っても、病気になったわけではなく・・・。

ある日、娘Bを、荷物がかなり多かったので大学まで車で送って行くことになって、

その途中で「Eクリニック」という看板を見かけまして・・・。

「E」というお名前はそれほど多くはないお名前で、

「ひょっとしたら、娘Bが昔お世話になった先生かもしれない」ということで・・・。

娘Bは新生児期に「肥厚性幽門狭窄症」という病気になりました。

病気自体は手術で良くなる病気なので重く考えることはなかったのですが、

当時は不安感が強かったりしたもので、

そんな中、E先生の雰囲気がさりげなく緊張を解いてくださって、

感謝の気持ちが大きかったです。

そして、1年3か月後、今度は、末っ子息子が同じ病気でお世話になり、

我が家では二人の子を執刀していただいた恩人ということになります。

その後、E先生は大学病院を退職して個人病院を開業されたというのは分かっていたのですが、

場所は知らなくて、

それが、偶然、娘Bの大学の近くで同じお名前のクリニックを見かけたので、

ひょっとして・・・と思い、突然、訪問してしまいました。

人違いだったら恥ずかしいとか、

患者さんが多くて迷惑かもしれないとか、

色々考えながら、緊張したけれど、

こういう機会はめったにないのでは、という気持ちが心を押しました。

結果から言うと、先生にはお目にかかれませんでした。

クリニックには、そう、患者さんがいらっしゃって、

昔を懐かしんで、お礼を改めて言いたいというノスタルジーを押し通すことはできませんでした。

受付の方に「こういういきさつで伺いました」とメモを残してきましたが・・・。

E先生も数多くの方を執刀してきたと思うので、

20数年前の、我が家のお子達のことなど覚えてはいないと思いますが、

直接お目にかかれなかったのは、やはり残念でした。

娘Bがもし病院にかかることがあればEクリニックに行きなさい、ということで・・・。

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銚子電鉄・ぬれ煎餅を買う

2016-04-03 13:13:49 | 旅行

3月下旬、春めいてきたある日、

神奈川県の我が家から、千葉県の銚子へ電車に乗って行ってきました・・・の続き。

青春18きっぷで銚子まで総武本線で約4時間のあと、

銚子駅で銚子電鉄に乗り遅れたので路線バスなどで犬吠埼へ。

灯台から太平洋の雄大な景色を堪能して、

白いポストから絵はがきを投函して

周辺を散策して、銚子電鉄・犬吠駅へ戻ってみましたが、

ちょっとのんびりしすぎたのでちょうどよい電車がなく、約1時間余ってしまうことになり・・・。

お腹がすいたので何か腹ごしらえをしたくてお店を探しましたが、

コンビニエンスストアの他には、

海鮮のお食事処が1件・・・回転寿司があったけれど、

40代後半のオバサン一人で、入店するにはちょっと勇気がいりまして、

逡巡して ・・・ 結局、入ってみました

平日の昼でしたが、そこそこお客さんがいる感じだったので、

緊張することなくカウンター席の端っこへ。

一人回転寿司って、初めての経験だな

せっかく銚子へ来たので、地元っぽいのを食べたいなぁと思いましたが、よくわからず、

まず、いわし・・・ボリュームがあっておいしかった、新鮮に感じました。200円。

次に「銚子伊達巻(だったかな?)」。テレビで紹介されたとかで、つい取ってしまいまして。

伊達巻の部分がプリンのようで、自分にとってはおいしかった~。ちょうど甘いものも食べたかったのでね。300円。

次に、深海魚「アブラボウズ」だって。おいし~っていう感じはなくて、興味本位だったので、頷きながら食べた。300円。

後で調べたら、食べ過ぎると腹を下すらしいですね、この魚。

そして、「釣りキンメ(キンメダイ?)」を頂きまして・・・身がピンクで新鮮そうです。

キンメダイはやっぱり煮付けの方が好きだなぁ。300円。

ゆっくり、計4皿頂きましたが、意外と満腹になりました(知らずに緊張していたのか?)。

銚子っぽいセレクトだったと思うし、自分の中では大満足でした。ワクワクしました。

さて、犬吠駅へ行くと、お土産物が並んでいます。

そう、銚子電鉄は、「ぬれ煎餅」でも有名なのです。

せっかくここまで来たので、銚子電鉄の売り上げに貢献しなければ

ぬれ煎餅、ぬれ最中(醤油風味のあんこ)、さんまの佃煮などを買いました(詳しくは銚子電鉄のHPに載っています)。

犬吠駅には鉄道写真家の中井精也さんのギャラリーもあります。

犬吠駅でちょっと休んでいると、

駅に電車がついて、30人くらいの団体が降りてきたよ~ガヤガヤ

そして、競うようにぬれ煎餅を皆さん買い求めていました

そして、あっという間に犬吠埼の方面へ行かれた模様で、

・・・なんだか、この光景に似たのを見たことがあるぞ?

わたらせ渓谷鐡道に乗った時だ・・・。

多分バスツアーのコースに「鉄道にちょっと乗ってみる」・・・が組み込まれているのでしょう。

鉄道会社にとってはお得意様なのかしらね

そんな光景を見てぼんやり過ごしているうちに、銚子行の電車がやってきました。

切符は懐かしい硬券です。

ほとんどの乗客はフリー切符的なものを持っていたので、観光客なのでしょう。

車内は程よくすいていて、観光客どうし、話をしているのも聞こえてきます。

銚子電鉄は駅名のネーミングライツ事業とかで、面白い駅名もあるので、その話題が多いみたい。

沿線の景色自体は、自分にとっては平凡な風景でありました。

景色については職場の乗り鉄君に聞いていたので、平凡な風景だからガッカリ・・・ということはなかったです。

犬吠から銚子まで約20分の電車旅でした。

せっかく銚子まで来たので、もっと周辺を観光したいところですが、

帰りも4時間かけて戻らなければならないので、14時頃銚子発のJRに乗りました。

往路と復路ではルートを変えて、復路は成田線経由に乗ってみました。

長い時間座ることを考えセミクロスシートの席で、車窓を眺めることにしました。

こちらの沿線も、ただっぴろいと言っては失礼ですが、田畑が広がる車窓なのですね。

この時期、緑が少なくて土の茶色い風景が目立って、うたた寝タイムでした。

成田に近づくと飛行機が目立ってきます。

それを見ているうちに、成田空港に行きたくなって、急遽、成田空港へ行ってみることにしました。

用もないのに、ただ飛行機を近くで見たくなって行くなんて、

40代後半のオバサンとしてはどうなのだろう?

でも青春18きっぷでどこまで乗ったって金額は変わらないしね。

帰りの電車の時刻だけチェックして、飛行機を見に、展望デッキへレッツゴー

銚子電鉄のぬれ煎餅の紙袋がちょっと恥ずかしかったけれど。

成田は多分26年ぶりだと思います。タヒチの旅行以来だな。

展望デッキにはそこそこの人がいましたが、オバサン一人っていうのは見かけないね。

ましてや、金網に食いついて見ている怪しげな人・・・すみません、自分です

こうして、電車の時間が迫るまで、飛行機の離着陸を見るのを堪能しました。

成田空港駅からは横浜駅まで2時間ちょっと乗り換えなしで座りっぱなし。

さすがに、後半座り疲れたというか、脚が固まったような感じで軽く痛かった。

これぞ、青春18きっぷの旅、若い頃に比べれば乗っている時間は長くないかもしれませんが、

自分の年齢を考えれば、とっても楽しい1日となりました。

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