モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

1989夏*北海道*14*サロマのYHで・・・

2010-10-30 23:56:45 | 1989年*夏*北海道

~サロマンブルーの湖とオホーツク海~

サロマ湖畔のYH(ユースホステル)で、

なぜだか数日お手伝いをすることになり、

とはいえ、食事作りなどはほとんど猫の手のほうがましな程度の働きで、

ほかにはお掃除などをしました。

ペアレントさんが交代したばかりで、

ヘルパーさんもいない状態の夏休み、食事の支度だけでも大変で、

自分に出来る事と言えば掃除機を丁寧にかけるとか、

ベッドの布団を干すとか、お風呂場の掃除とか、

そんなことくらいです。

今だから言えますが、掃除機が業務用なのでよく吸い込み、

それが面白くて、生きたままの虫・・・蛾やハエなどを、

ぶんぶん吸い込んだので、

あとで出てきたらどうしようかと思いましたが。

数日後にはヘルパーさんが数人来るというので、

自分はあくまでもそれまでのお手伝いという心の余裕もあって、

お手伝いは純粋に楽しかったです。

食事は、片付けがあって、ほかのホステラーさんと一緒にできなかったので、

あとで、ペアレントさんと一緒に、

北海しまえびを頂いたり(これがおいしかった)、

YHの色んなお話を聞いたりしました。

ペアレントさんが以前にいたYHは、

自分の父の実家のすぐ近くということがわかって、

そんなことで話が盛り上がったり・・・。

お手伝いばかりでは気の毒と思ったのか、

YHから自転車で行ってみれば・・・と勧められたのが、

ジェットコースターの道とハイジの丘。

当時はガイドブックには載っていなかったと思いますが、

ジェットコースターの道は、ただの道路ですが、

とにかく急坂(のぼりくだり)が3連続位であって、

下った勢いで上りの途中まで自転車をこぐ・・・的なのが面白く、

車も全然通らない、北海道ならではの道でした。

ハイジの丘は、ただ花が咲いている原っぱという感じで、

とにかく「あぶ」なのか「ぶよ」なのか巨大な「蚊」なのか、

刺されると痛みのある虫がブンブン寄ってきて、

何故「ハイジ?」と閉口しながら戻ってきました。

今はどうなっているかしら?

こうして、サロマ湖畔YHには4泊し、

ヘルパーさんもそろそろ来るらしいし、

自分も、そろそろ次の目的地へ行こうかなと旅立ちました。

ここでは思い出深い体験をさせてもらいました。

ヘルパーにはまる人たちがいるのもわかるような気がします。

ほんの数日だけだから、楽しい体験だったのでしょうけれど。

このあとも2回ほどサロマ湖畔YHにはホステラーとして行きました。

後日談・・・旅を終えて家に戻ると、

ペアレントさんからお手紙が届いていて、

なんと来る予定だったヘルパーさんがドタキャンになったそうでした

あの食事の量をペアレントさん二人でこなしたのか、

お手伝いしてくれる人が現れたのかどうかは不明。~つづく~

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1989夏*北海道*13*サロマ湖・幌岩山

2010-10-29 23:20:30 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・サロマ湖畔から昇る朝日~

夏の北海道は夜明けが早く、

朝、4:00a.m.頃、東の空が明るくなってきます。

この日は雲のないところから朝日を臨めました。

刻々と太陽が動いているのが実感できます。

YH(ユースホステル)の朝食の準備のお手伝いをすることになりまして、

ハムを切って並べたりするのですが、

ただ並べるのではなく、

野菜を葉っぱにみたててハムを花のように置いたりして、

勉強になりました

午前中は一緒にお手伝いをしたAちゃんと、

幌岩山に登ることにしました。

幌岩山はサロマ湖、オホーツク海を望む376m位の高さです。

Aちゃんがサロマ湖に来た理由は、

どこかのポスターで見た「サロマンブルー」のサロマ湖があまりにきれいで、

その「サロマンブルー」がよく見えそうなのが幌岩山だということで、

自分もそれに便乗したわけです。

YHから自転車で30分くらいの登山口まで行き、

そこからは徒歩で展望台を目指して歩きです。

Aちゃんは体育会らしく、すいすい登って行きます。

一方、自分は歩くのも遅いし、

この夏の北海道は例年より暑かったこともあり、

息を切らしながら登る有様でございました。

この時代はペットボトルはなかったので、

来る途中に缶ジュースを買っておいたけれども、

展望台につくまでは我慢我慢と、喉の渇きもごまかし、

ようやく1時間近くかけて到着

サロマ湖の向こうにオホーツク海も見えます。

サロマ湖とオホーツク海の間には細ーく陸地がありまして、

この日は快晴といってよい天気で、

「サロマンブル~」も見ることができました。

展望台には数人の若い男性もいて、

違う道をバイクや車で来たそうで、なぜか一緒に記念撮影

ひとしきり、北海道の観光情報などを歓談しました。

缶ジュースで喉を潤し、

えっちらおっちら登った登山道を、下りはあっという間に下りてきて、

Aちゃんは午後には次の目的地に行くとかでYHに戻り、

自分はもう少しサロマ湖周辺をサイクリングしてから戻りました。

その日も夕食のお手伝いをして、1日が終わりました。

YHは満室に近く、ペアレントさんも大変そうでしたが、

少しは役に立ったかな ~つづく~

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神奈川・荒崎

2010-10-27 23:49:35 | 旅行

10月のある暖かい休日、

神奈川県の三浦半島、相模湾を望む

「荒崎」にドライブに行ってきました。

相方(夫)を助手席に乗せ・・・。

ここ神奈川で休日にドライブするとなると、

渋滞は覚悟の上でございます。

それでも、1年のうち、本当に心地よい気候というのは、

意外と少ないのではないでしょうか。

この日は、家の中にいるのが絶対にもったいないと思われ、

マリンブルーを見に、出発いたしました。

神奈川にはいわゆる湘南(茅ヶ崎あたり)、江ノ島、三浦など、

海の地名で有名どころはいくつかありますが、

荒崎は三浦半島の中のひとつのポイントというイメージで、

四十数年神奈川県民でありながら、

今まで行ったことがありませんでした。

絶好の行楽日和ながら、横浜横須賀道路(通称横横)は順調に流れ、

荒崎までは迷うことなく到着しまして、に車を止め、散策へ。

小高いところへ続く道をのぼると・・・

そこは雄大な相模湾を臨み、

雲ひとつなく、太陽が海を輝かせ、深い青さに心奪われ・・・。

しばし、ぼーっと海を眺めておりました。

沖には船やヨットが散らばるように浮かんでいて、

大島(東京)も意外と近くに見えました。

右手には相模湾に沿って江ノ島方面、

左手には三浦半島の油壺や三崎方面。

小高い所から、岩場を海辺まで下りると、

荒崎の名のとおり、波が岩場に打ち付け、

水は思いのほかきれいで、ごみなどが全くないことに驚きました。

岩場は昔の地層が隆起したのが斜めになったりして、

自然の力を見ることができるのも、いとおかし。

荒崎の公園内をそぞろあるき、

おなかも空いてきたので、海の幸でも食べようか・・・

と思いましたが、

近くにはお店も見当たらず、

とりあえず、荒崎を出て海沿いをドライブしてお店を見つけよう、と、

しかし相方も自分もお店を探したりするのは不得意で、

結局ファミリーレストランでおなかを満たしました

そうこうしているうちに、

海沿いの道は帰りの車で渋滞が出始め、

ところどころにビューポイントもあるし、

マリーナ(ヨットハーバー)もあるし、

御用邸のある葉山町あたりからは道路も狭くなり、

のろのろ運転

道路事情をあまり知らないもので、

このあたりの渋滞を侮っておりました

このあたりの住民の方、大変だろうなぁ。

ようやく、横横道路につながる道へ入り、

横横も少し渋滞気味でしたが、なんとか流れており、

帰途に着くことができました。

ちなみに、帰り道、カーラジオから交通情報が・・・

「荒崎方面から7㎞の渋滞・・・」って言っていたので、

せめて、そちらの渋滞に引っかからなくてよかったと、

胸を撫で下ろしたのでした

よい景色に出会えて、心が洗われたのはよかったけれど、

神奈川をドライブすると渋滞にはまるのは宿命なのかしら

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1989夏*北海道*12*サロマ湖へ

2010-10-24 18:14:28 | 1989年*夏*北海道

1989年夏・北海道に入って約10日が過ぎ、

友人タケが所用で先に帰り、一人旅も3日目に入りました。

増毛の住民の方には失礼な言い方ですが、

タケと二人の旅ならば、

増毛に行くことは多分なかったと思います。

現に、それまでのYH(ユースホステル)では、

女子学生ペアをよく見かけましたが、

増毛では女子率は低かったのです。

そういう土地でも行ってみたいときに行けるのが、

一人旅のよさですね。

早朝に増毛を出発して、

次の目的地は一路オホーツク海側・・・サロマ湖へ向かいました。

実は、その半年前、冬にサロマ湖へ行ったのですが、

日程の都合でただ宿泊するだけになってしまい、

「次は連泊でいらっしゃい」と言われていたので、

今回はきちんとサロマ湖を見てみたいと思ったわけです。

JRを乗り継ぎ網走駅へ・・・そこからはバスで約1時間。

少し歩いてサロマ湖のYHに着きました。

・・・がペアレントさんが代わっておりまして、

ここのYHは直営なので、転勤のように、代わったばかりだったのでした。

YHでは、ヘルパーさんという、繁忙期を手伝う人たちがいますが、

こちらはヘルパーさんの募集が間に合わず、

大変忙しいご様子で、

今後の予定もほとんど決めていない自分は、

どういうきっかけだかは忘れてしまったのですが、

その日の夕食の準備のお手伝いに借り出されることになりました。

もう一人、四国出身で津田塾大のAちゃんも一緒に、

キャベツの千切りやら、なんやらかんやら・・・、

普段食事を自分で作ることもほとんどなかったので、

できるだけ簡単なことだけでしたが・・・。

こちらのYHは収容人数が多めで、

夏休みということもあり、かなりの食事を用意しなければならないのに、

食事の内容は豪華できれいでした。

たとえば、葉っぱを庭から摘んできてお皿に敷いたり、

名物のホタテも見栄えよく盛り付けたり、

ホステラーを気持ちよく迎えようという意識の高さにちょっと感動。

お手伝いさせていただいて、

こちらも気分のよい1日となりました。

数日後にはヘルパーさんも来る予定だというので、

それまで、できる範囲で手伝ってほしいとの打診を受け、

「数日なら OKです」と快諾しました。

その夜はほかのホステラーさんたちと星を眺め、

台湾から観光に来たおばさんとお話したりして、眠りにつきました。

翌朝はサロマ湖から上る朝日を見るために、

4:00a.m.の起床です ~つづく~

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1989夏*北海道*11*北瑛~増毛

2010-10-23 20:05:36 | 1989年*夏*北海道

美馬牛駅から拓真館を経て、美瑛駅へ・・・という

パッチワークの丘の散歩を堪能した翌日、

午前中はレンタサイクルで「北瑛」のあたりを回ることにしました。

宿泊していた民宿に北瑛の手作りマップがあり、

またちょっと違った丘の風景が見られそうだったので。

北瑛は美瑛駅の西側一帯で、

CMのロケで使われた有名な木があるので、

前日にまわった丘よりもカメラを持った人々は若干多く思われ、

バイクの人たちにもしばしば追い越されて行きました。

その中で一人のバイク青年が声を掛けてきて、

「一人旅をすると、自分が写った写真はなかなか撮れない」

という話題になり・・・、

そう言われたら、「写してあげましょうか?」という流れになり、

バイクにまたがった姿の青年を丘を背景に撮ってあげました。

さて、次は自分も撮ってもらおうかと思っていたら、

・・・青年よ・・・なぜ、すぐに去ってしまったのかい

普通は「次はあなたの番ですよ」的なことを儀礼でも言わないかい

そんなわけで、あまり人通りも少ない丘で、

ほかにシャッターを押してくれそうな人も見当たらず、

とうとう自分が写った丘の写真を撮ることはできませんでした。

北瑛の丘をぐるりとまわり、美瑛駅に戻って、

次の目的地は・・・。

多分、観光的にはあまり有名ではないのですが、

「増毛(ましけ)」です。

日本海側の留萌本線の終点です。

北海道内、JRで移動しているうちに、

道内全線乗ってみようという気持ちがわき、

日本海に沈む夕日を見てみたいという気持ちもあり、

そして、YH(ユースホステル)も幸い空いていたので、

行ってまいりました

増毛の第一印象・・・さ~びしいところだなぁ・・・と。

とはいえ、YHのペアレントさんは面白い方でした。

宿泊者も思いのほか多く、

連れ立って日本海の夕日を見に行きました。

こういう点はYHの楽しいところです。

夕日は残念ながら雲に沈むかたちとなりましたが、

空のオレンジと、海の群青がすばらしい色合いで、

それを見ただけでも価値があり・・・。

日が暮れてからは、海に沿って北の方角に灯りがちらついて、

湾曲した海岸線が幻想的に見えました。

増毛は連泊すれば暑寒別岳などの見所もあったようですが、

残念ながら自分は夕日を見るのと、鉄道に乗るのが目的で、

翌日は次の目的地へ出発しました。さぁ、どこへ ~続く~

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パッチワーク休息

2010-10-22 06:41:31 | 日記

気がついたら1ヶ月以上も、

パッチワークから遠ざかっております。

ゆっくりゆっくりと、サンプラーキルトに仕上げようと、

空いている時間を見つけては針を持っていたのですが、

・・・進まぬ

日常だけがどんどん過ぎてゆき、

仕事は忙しいけれども、そこそこ充実していて、

お子達は成長したとは言え、

放っておくのは心もとないので目を配り、

仕事が休みの日には心も体も解放したくて、

パッチワークに気が回らず・・・針を持つことが好きなはずなのになぁ

パッチワークのサークルも仕事の都合で、

今は行けなくなっているので、

モチベーションが下がっているのは否めません。

来年の今頃はキルトが出来上がって、

作品展に出す予定なのだけれど、

時間に追われて出した作品は、

満足のいくものではないということを、

昨年、いやというほど感じて、懲りているので、

いっそ、潔く中断したほうがいいのかなぁ、と思ったりもします。

義務で仕上げた作品より、

好きで作った作品になって欲しいから。

・・・というわけで、

パッチワーク、やらなくては・・・という状況から、

一度自分を解き放とうと思いました。

いちいち宣言することはないのだけれど、

自分の中で、しばし休息

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ベランダ庭・剪定

2010-10-18 06:44:15 | 素人のベランダ

久々我が家の荒れたベランダ庭。

夏頃、種がどこからか飛んできたのか土に混ざっていたのか、

青じそが生えてきて、

そのまま放っておいたのですが、

結局おおきくならずに、それでも花を咲かせ、実をつけたかな・・・

というときに、

マンションの敷地内剪定作業が業者によって行われ、

・・・仕事から帰ってきてベランダ庭を見てみると、

すっきり・・・なくなっておりました。

もともとマンションの一階の各部屋のベランダ庭は、

マンションの共有地という扱いで、

6年位前に入居した際には芝生が植えられていたのですが、

日当たりがめっぽう悪いせいか芝生は枯れて、

・・・我が家だけではなく全世帯です・・・

規約では芝生を保全することが義務付けられているけれども、

結局どのお宅も石を敷き詰めたりプランターを置いたり、

好き好きにしております。

我が家は昨年芝生に挑戦したのですが、

やはりダメになってしまい、

それ以来気力がうせてベランダ庭は放っている状態。

今年は例年になく様々な雑草が生えてきて、

「雑草も風情があるんじゃない」とばかりに、

気に入った雑草をあえて残しておりました。

・・・が今回の剪定で、あっという間に刈り取られてしまった。

なんだかそれはそれで、

すっきりして、

ちょっと前向きになれるような・・・そんな秋の日です。

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1989夏*北海道*10*美瑛の丘

2010-10-17 13:13:36 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道・拓真館~

いよいよ心待ちにしていた美瑛の丘。

朝、宿泊していた白金温泉から美瑛駅へ移動し、

荷物を預けて、隣の美馬牛駅へ。

そこから、ほぼ1日かけてのんびりと丘を散歩するつもりでした。

このときルートの助けになったのは美瑛駅に置いてあった、

手作り印刷の地図です。

だいたい10数キロの行程でしょうか?

地図のおかげで、丘に続く道はすぐにわかり、

パッチワークの丘を、歩く、歩く・・・。

ジャガイモの葉の色、アスパラガスの葉の色、

オレンジに燃えているのは小麦でしょうか。

丘なので、自分が丘の低い所にいるときは、

目の前にグーッと小麦畑がせまり圧倒され、

丘の上にいるときはパッチワークの畑と木と雲と空と十勝連峰。

その景色をまわりに人もいない中で味わえるのです。

途中、関西の男子学生と少し雑談しながら歩いたりしましたが、

ほとんど人に出会うこともなく、拓真館に到着しました。

拓真館というのは、写真家・故前田真三さんのギャラリーです。

前田さんは美瑛の丘の風景を

ここまで有名にした方と言っても過言ではありません。

このギャラリーは入館無料で、

このころはまだ観光地化も進んでいなかったので、

旅人の休憩所の役割も果たしていたようでした。

何年か後には観光バスが入る駐車場も近くにできたようですが。

自分はこの半年前にYH(ユースホステル)で会った女性に、

拓真館のことを教えてもらい、

いつか絶対行くぞ~、と思っており、

期待に違わない佇まい、写真の素敵さ、敷居の低さに、感動しました。

芳名帳のようなものに名前と感想を残してきたら、

後に拓真館のカレンダーの案内が送られてくるようになり、

以来、カレンダーが我が家の壁を彩っております。

拓真館へはこの後も何度か訪れました。

拓真館を出ると、あとは美瑛駅に向かってひたすら歩きました。

道といってもほとんどはダートの農道だったりするので、

すれ違う人も車もほとんどありません。

昼ごはんは朝売店で買ったお菓子だったかな。

一人旅だとご飯も適当になりまして、

自分がよく食べていたのはかっぱえびせんでございました。

それを片手に歩き食い、

拓真館で見た写真に影響されてにわかカメラマンになり、

鼻歌を歌っても誰に聞かれることもなく、

丘の稜線をてくてく・・・

自分がどのあたりを歩いているのかもよくわからなかったのですが、

次第に市街地に近づいているのがわかり、

なんだか散歩の終わりが物悲しく感じられ・・・。

その夜は民宿「ほおずき」というところに泊まりました。

いわゆる「ユース民宿」と巷で呼ばれるタイプの民宿です。

当時美瑛にYHはなく、ほおずきは人気の宿でした。

夜、宿泊者と外に出て星空を眺めたことは忘れられません。

多分、人工衛星と思われる小さなゆっくりとした光が見えたこと、

もう、見ることはないでしょう・・・。

そして、駅に置いてあった手作り地図は、

ほおずきのスタッフが作っていた模様(確かではありません)。

この日は、文章には表せないくらい充実した一日でした。~つづく~

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1989夏*北海道*その9*美瑛・白金温泉

2010-10-14 09:39:04 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道~

JR道内周遊券の期限は20日間。

その前半は、友人タケと一緒にまわっていましたが、

タケは所用のため帰宅し、

いよいよ後半、一人旅の始まりです。

北海道をJRでまわるのに欠かせないのが時刻表です。

「道内時刻表」という、確かA5判、厚さ1㎝位のものを、

上野駅で買っていきました。

千歳空港の展望デッキでタケを見送りながら、

これから行きたい所をピックアップし、

時刻表とにらめっこし、大まかなプランを立てまして・・・、

この作業は結構好きです。

ただし、混んでいる夏休み、宿泊場所が確保できればよいのですが。

・・・早速、公衆電話から、

その日に行こうと思っている美瑛の民宿に電話してみましたが、

その日は満員で、翌日ならOKとのこと。

とりあえず、翌日の民宿を確保して、

その夜は美瑛からバスで行く、白金温泉のYH(ユースホステル)に

泊まることにしました。

1989年の時点で、美瑛にはYHはありませんでした。

美瑛の丘に行きたいと思っていたきっかけは、

その半年前、初めて北海道に行った時に、

YHで同室だった女の子から薦められていたからです。

写真を見せてもらって(冬景色でしたが)、

とても心惹かれてしまい、自分の目で見たかったのです。

さて、石造りの美瑛駅に着くと、

駅には手作り印刷の「びえいマップ」が置いてありましたので、

ありがたくいただきました。

このころは富良野の景色は有名になっていたけれど、

その近くの美瑛の丘は口コミで人気が出る兆しのあたりで、

駅ものんびりした雰囲気が漂っていました。

宿泊地、白金温泉はそこからバスで40分位だったか・・・?

本数が少ないので、乗りはぐれる前に、さっさと移動することにしました。

乗りはぐれて大変な目にあったことがあるもので、

以来、自分の中で、旅の掟です。

バスの中から印象的だったのは、

白樺の林(かな?)を通り過ぎたとき。

「白樺」ってよく聞くけれど、あらためてこんなに多くの白樺を、

見ることって滅多にないよなぁ・・・って。

一人旅のいいところのひとつに、

景色が写真のように焼きつくことがあります。

友人との旅はもちろん楽しいけれども、

会話に集中したりすると、景色を見ているつもりでも、

あまり思い出せないような気がするのです。

白金温泉に宿泊を決めたのも、友人と一緒だったら、

駅に近いビジネスホテルを探したりするかもしれません。

元来、乗り物は好きなので、

多少不便でも駅から離れたところに泊まるのも、

楽しみと捉えられるのも、一人だからこそです。

さて、白金温泉・・・そういえばこの時北海道に来て、

函館の湯の川温泉、帯広の十勝川温泉(←この名称は不確か)、

そして白金温泉に入ったわけですが、

あまり温泉に詳しくないので、泉質や効能とか気にしないで入ってました。

白金温泉のYHは確か旅館も兼ねていたような・・・、

部屋は和室で、宿泊は自分一人。

ふすまを隔てた和室に4人組くらいの女子学生がいましたが、

全く交流はありませんでした。

談話室のようなところで、男性と話はしましたが、

白金温泉の見所については確か何も話さず・・・、

近年になって、近くにコバルトブルーの川があることを知り、

「そのときに知っていれば見たかった・・・」と思ったしだいです。

YHは今はないようですが、

この時代、トイレのあとに手を洗う水が、

吊り下げられたバケツの底のスイッチのようなものを押して、

水が出てくる仕組みに衝撃を受けたことを覚えています。

こうして、白金温泉で静かに眠りにつきました。~つづく~

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1989夏*北海道*その8*休息日

2010-10-11 09:06:46 | 1989年*夏*北海道

~1989年・夏・北海道~

朝、霧の摩周湖へウォーキングした後、

次の目的地帯広へ。

JR弟子屈(てしかが)駅から釧網本線で釧路へ。

釧網本線は車窓の景色がすばらしいことで有名ですね。

「弟子屈」は「摩周」と駅名も変わってしまいました。

釧網本線は一人旅のときに、

車掌さんから声を掛けてもらったり、

お手製の沿線マップをいただいたりして、

旅の思い出をよいものにしてくれました。

こちらもつられてオレンジカードを買ってしまいましたが

さて帯広での目的は、

有名なお菓子屋さん「六花亭」に行く事です。

マルセイバターサンドやチョコレートが有名で、

大きな駅や飛行場でも買うことができますが、

ぜひ、お店に行ってみたかったのです。

六花亭では喫茶室に入りました。

思っていたより庶民的で、子連れのお客さんも多く、

メニューも価格も敷居が高くない

有名なお店なので、ちょっと心配しておりましたが、

ホッとしながら、おいしく頂いた記憶があります。

噂では喫茶室がお休みの日に、

それを目当てに来た旅行客には、

売店のケーキを、椅子に座って食べてもいいと言って下さったとか。

もしそれが本当なら、旅人の一人として、嬉しく思います。

帯広で、温泉に入り、洗濯をし、

旅の前半で買ったお土産などを家に送る荷造りをしました。

そして、この時荷物を送る旨、家に電話しまして・・・、

この時代携帯電話もなかったので、

用事でもなければ家に電話することもなく、

今思えば親たちも心配だったのではないかしら。

このときも、親の心配など考えもせず、

上富良野で買ったラベンダーが乾いていないので、

干しておくように頼んだりしてました。

その翌日は、友人タケが帰宅する日です。

飛行機で戻るので、千歳空港まで一緒について行くことにしました。

タケは家に戻ってから、今度は家族旅行で、

利尻礼文に行く事になっておりました。

ご家族の意向で一度戻ってきなさいということで、

なんとも忙しいタケであります。

タケにとって、ユースホステルの旅はどうだったのか、

直接聞くことはしませんでしたが・・・

ハードスケジュールの日もあったので、疲れがたまってしまったかなぁ。

タケが乗った飛行機を展望デッキで見送り、

これから旅の後半、一人旅が始まります。

予定はほとんど決まっておらず、

周遊券の残り約10日間、行きたい所を回れるか・・・

しばらく飛行機をボーっと見ながら考えておりました。~つづく~

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1989夏*北海道*その7*摩周湖

2010-10-08 06:53:05 | 1989年*夏*北海道

1989夏・北海道に入って1週間、

摩周湖の近くのYH(ユースホステル)に宿泊し、

同室の、関西からきた学生二人(それぞれ一人旅)と、

友人タケと私の4人で、

摩周湖へ早朝ウォーキングに出かけることとなりました。

・・・が、朝方、タケが「体調がよくない」と訴え、

心配ながらもタケを置き去りにして出発することとなりました。

ここ数日、自分のペースでタケを引っ張りまわしていたのかもしれません。

タケは普段から気を遣う性質で、

旅の始めのほうから「YHだと気疲れするのかな」と危惧しておりまして、

談話室に行かずに部屋で過ごしたりして、

なんとか楽しい旅にしようと思ったのですが。

昼間も強行スケジュールや、肉体労働(牧場体験とか?)で、

疲れがたまってしまったということもあるかも。

友人と旅してみて、

いわゆるツアー的な、連れてってもらう旅が好きなタイプとか、

あまり目的を決めずに旅を楽しむタイプとか、

YHよりビジネスホテルが気が楽だとか、

色々な人がいます。

自分は比較的YHのような、人と触れ合う旅は好きですし、

地元ならではの穴場情報を教えてもらったり、

手作り感がある旅は楽しく感じます。

それでも、旅の合間にあえてビジネスホテルに泊まることもあったし、

・・・さすがに女子学生一人で温泉宿は、費用などの面からも

できませんでしたが。

YHの旅は、タケにとってはあまりいい旅ではなかったのかなぁと。

さて、摩周湖へ早朝ウォーキングです。

関西の女子学生の方たちは、

ふたりともおとなしくて、3人で何を話しながら歩いたか、

まったく覚えておりません。

ただ、YHから片道4~5㎞ほど、黙々と歩いたのだったかしら。

それとも、YHの情報などを話したりしたんだったか。

摩周湖の言い伝えとしては、

「初めて摩周湖を見た時に湖面が見えたら婚期が5年遅れる」

と聞かされていて、

この頃は結婚願望がそれほど強くなかったので、

婚期が5年遅れることなど気にするわけでもなかったのですが・・・。

それでも、見えないほうがいいような気もしました。

歩いている途中から、

こりゃ~もう、絶対に摩周湖は見えないよ~くらいに、

霧が出てきて、

取りあえず歩く・・・みたいに歩いて、

気がつくと着ている服はかなり湿っていて、

でも雨が降っているわけではなく

これはこれで、「霧の摩周湖」なんだなぁと。

そしてようやく、摩周湖の看板の前に到着しました。

一応、看板と共に記念撮影をしておきました。

どちらの方角に湖があるのかはまったく分からず、

ただただ、霧が深くて、

ミルク色の景色の上方に、太陽があるのは分かりました。

3人でYHまで戻ると・・・、

休んでいたタケは体調はまぁまぁ回復したらしくて、一安心。

タケに「摩周湖は霧で全く見えなかったよ」と報告したら、

「それはそれで(婚期が遅れることはなくて)、よかったね」と。

そう、自分も、見えなくて残念だったと、あまり思わなかったのであります。

ちなみに、摩周湖の湖面はこの1年半後に無事見ることができました。

それは、また別の機会に綴ります。 ~つづく~

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1989夏*北海道*その6*牧場体験

2010-10-07 10:17:50 | 1989年*夏*北海道

1989年夏・北海道の旅、

旅のきっかけとなった、ドラマ「北の国から」の富良野を訪れる、

という目的を果たし、

次なる訪問地は「摩周湖」。

今となっては、「なぜ、摩周湖?」との思いもありますが、

若かった頃の何かが、マシュウという響きに引き寄せられたのかもしれません。

富良野からJRで帯広―釧路―弟子屈(当時の駅名・てしかが)、

そこから、摩周湖に近いYH(ユースホステル)へ向かいました。

友人タケとの二人旅、

前もってYHには予約を入れておきました。

着いてみると、YHにログハウスがあり、うろ覚えなのですが、

宿泊は1日おきに男の日、女の日とあったようで、

到着した日は女の日で、ベッドに空きがあったので、

ログハウスに泊まれることになりました。

前日に麓郷で「黒板五郎の丸太小屋」を見てきたので、

「ログハウス・・・木の香りがして、心地よく眠れるんだろうなぁ

などと、高揚感が出てきます。

さて、YHの案内を見ると、

「一日牧場体験」なるものが!・・・これは面白そう。

タケに聞いてみると、「やってもいいよ」・・・とのことで、

翌日のプランが決まりました。

摩周湖へは早朝に歩いて行ってみようということになり、

それは翌々日の朝行くことにしました。

牧場体験。

近隣の一般の牧場をされているお宅で、

午前中は牛舎の掃除などをし、合間に子牛にミルクをあげたり、

乳絞りをさせてもらったり、

ほとんど労働力にはなっていなかったのではないかしら

・・・作業着はつなぎを貸してくれました。

お昼ご飯におにぎりを頂き、

午後は、牧草をロール状にまとめたもの・・・

直径2メートルくらいありそうなゴロゴロしたものの

ひもを括ったりする軽作業で、

なんだかちっともお役にたってないなぁ、という有様でした。

それでも我々にとってはとっても貴重な体験で、

牧草のロールをじかに触ったりすることなど、まずないし、

牛のことを思う牧場の方の気持ちに触れることができたり、

有意義な一日となりました。

ちなみに費用は昼食代のみ300円(当時)。

あとでYHの方に聞いたら、

我々が行った牧場のお宅は、近隣の中でもきれいな牧場で、

牧場主の方が朴訥な方であったので、

より一層よい体験ができたみたいです。

牧場体験が終わり、

その夜はログハウスではなく、通常のお部屋に移りました。

・・・ちなみにログハウスは、

ただっ広い印象で(うろ覚えなのですが)、

衝立などなかったのであまり落ち着かなくて、

寝心地としてはどうだったのかしら

通常のベッド(YHでは2段が多い?)のほうが、

狭いけれどもなんとなく落ち着く・・・のは貧乏性なのでしょうかね。

そして、その夜は同室の、関西から来た学生さん二人、

・・・それぞれ一人旅のかたですが・・・とお話して、

翌日の摩周湖早朝ウォーキングに一緒に行こうということになりました。

YHではしばしばこうして、同室の方と一緒に行動したりするのも

楽しかったりするのですが・・・ ~つづく~ 

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10月上旬の戯言。

2010-10-05 06:43:02 | 布小物

ラベンダーのサシェ

作ったのを部屋に置いておりますが、

あまり香りません。

見た目は可愛いので、香りより視覚で癒されることで良しとします。

下に敷いているのは以前編んだもので、

麻糸の網バッグがはやった時に、

試しに編んでみたくて、高い麻糸の代わりに綿糸で編みました。

・・・が、張りがなくてくたっとしてしまい、

逆さまにすると帽子のようなのです。

かぶってみたら、頭の形が悪いのが強調されて、

(頭の形の悪さはコンプレックスのひとつなのです

帽子としても役に立たず、バッグとしても役に立たず、

結果として、部屋の飾りになっております飾りというほどでもないか。

職場でパートの契約更新があり、

その際、週4日の契約を5日に・・・と契約書にあったので、

それはちょっとご勘弁を・・・と上司に相談に行ったら、

あっさりと、「訂正しておくから」と、OKされました。ホ~ッ

今、人員不足ですが、簡単には人を増やせないので、

1日でも多く働いて欲しいという、状況はわかりますが。

フルタイムはやっぱり自分には厳しいでございます。

9月、10月とバドミントンの試合がいくつかありまして。

いやぁ~先日のはひどい試合だった・・・。

手も足も出ず・・・という状況で笑うしかなかったのですが、

・・・当たったペアがどうやら強すぎたみたい。

そのペア、トーナメントで勝ち進んでました。

あまりに差がありすぎて、ちっとも面白くない試合の1日だった

たまにはこういうこともあるかな。

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1989夏*北海道*その5*上富良野

2010-10-02 18:27:37 | 1989年*夏*北海道

1989年夏・北海道の旅

午前中、富良野市街地から麓郷まで

必死こいて自転車で往復し、

午後はラベンダー畑に行くために、

列車に乗って、上富良野町日の出山公園へ行きました。

日の出山公園は小山一帯にラベンダーが咲き誇っていて、

この年は、運良く、ちょうど見頃だったのでした。

そしてこの日は、お祭りのようなことをやっていて、

人出が多かったようなのですが、

それでも背景に人が入らないように写真を撮ることもできました。

ラベンダー畑は、遠目に見ると紫色の絨毯のようですが、

近くで見ると、株と株の間は離れていて、

香りが想像していたより青臭かったです。

ラベンダーといえば富良野と思いつくほどの名産地。

もとはラベンダーから精油を採るための産業が、

観光も兼ねたお花畑になって、心を和ませてくれる・・・。

中富良野にはファーム富田さんという先駆的お花畑もありますね。

ラベンダーを堪能し、列車の時間もあることだし、

遅くなる前に上富良野から富良野駅に戻りました。

YHに戻ってから、お洗濯タイムです。

この日は結構汗をかいたし、数日分の洗濯物がたまっておりまして。

この北海道記を綴るにあたって、

当時使っていた手帳を引っ張り出してきました。

手帳には使ったお金の額と、YHで知り合った方の住所などを

記録してありますが・・・。

富良野から麓郷の往復、ペットボトルがない時代、

のどの渇きはどうしていたのかしら・・・と思ったら、

多分、缶飲料3本飲んで、喫茶店にも入っておりました。

この頃、お土産としてよく買っていたのが、

地元の景色のオレンジカード(JRで切符が買えるカード)です。

はい、日の出山公園でも買っています。

こうして、富良野の日はあっという間に過ぎてゆきました。

富良野駅ではさだまさしさんの「あーあ~あああああ~あ~」が

流れておりました。「北の国から」のテーマ曲ですね。~つづく~

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1989夏*北海道*その4*富良野

2010-10-01 22:42:46 | 1989年*夏*北海道

~1989夏・北海道の旅~

小樽からは富良野まで、途中乗り換えはあるにしても、

特急列車での移動です。

札幌も素通りです。

余談ですが、何度か北海道に行っていますが、

札幌は列車の乗り継ぎの待ち時間に少し歩いたことがあるだけ。

北大のクラーク博士の像と、時計台は見ました

小樽から富良野も移動に時間を取られてしまい、

富良野に滞在できるのはほぼ1日半です。

富良野はこれまた定番、ドラマ「北の国から」で憧れの地であり、

今回の旅のきっかけになったわけであります。

宿泊は前もってYH(ユースホステル)を予約しておきました。

ここで情報を仕入れ、翌日の行動が決まりましたが・・・、

ちょっと、強行スケジュールの予感

YHのミーティングでペアレントさんのお話を聞いて、

(心に残るお話でしたがここでは割愛)、

早めに部屋に戻って、翌日に備えました。

、レンタサイクルで、一路「北の国から」のロケ地、

麓郷へ

富良野市街地から麓郷までは片道15km以上でしょうか。

ひたすら自転車をこぎ続けました。

この時代、ペットボトルなどなかったのですが、

のどの渇きはどうやっていやしたのだったか。忘れてしまった。

タケはどちらかというとインドアタイプ人間なので、

サイクリング、大丈夫かな~とちょっと心配でしたが、

取り敢えず前進のみ・・・で麓郷に到着

このころ(1989年)はまだ麓郷の森としてそれほど整備されておらず、

この日、観光客は数えるほどでした。

黒板五郎の丸太小屋が(ドラマで)焼けてしまって、

住むことになる小屋がみすぼらしくて、ドラマとはいえ絶句。

蛍ちゃん、頑張りましたね。

さて、大好きなドラマの舞台だからといって、

のんびりするわけにはいきません。

次の目的地は上富良野町のラベンダー畑です。

さすがに自転車ではなく、

富良野まで戻って、列車で行きます。

・・・となると、列車の時刻に間に合わせなければならず、

またまた、ひたすら自転車をこぎました。

多少は起伏があるので、上りはきつかったです。

それでも学生だから自転車での移動もいとわず、

今なら車で行っちゃうだろうし・・・、

これは一種、旅の醍醐味と言えるかもしれません。

こうして、午前中のうちに、往復で30㎞くらいサイクリングし、

無事に富良野駅に戻ることができました。~続く~

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