モアイのためいき

日々のこと・ハンドメイド・若い頃の旅など

学生時代の旅⑦*四国・まとめ

2010-03-06 09:03:00 | 四国*1991年

’91年2月、学生時代最後の春休みの旅。

友人クミちゃんと、ほとんど計画を立てずに出発した四国一週間。

古典的なつり橋の「かずら橋」を渡ったかと思えば、

当時新しかった「瀬戸大橋」も渡る旅。

後半、駆け足になってしまったことが惜しまれる旅でございました。

JRの周遊券と、路線バスでの旅なので、

待ち時間のタイムロスはありましたが、

そういうところも学生時代ならではの旅の面白さが味わえたと思います。

現代ならレンタカーを利用したり、

道の駅に立ち寄ったり、

もっと、時間が取れるようになれば、

逆にお遍路さんのように徒歩での移動を主体とした体験もしてみたい。

過去の旅を思い起こすにあたって、

インターネットで、泊まったユースホステルを検索してみました。

初日は香川県のお寺のYHで、かなり広い畳のお部屋に、

ぽつ~んと我々二人の布団を敷いたことが思い出されますが、

今はYHをしていないようです。

二日目の高知県のお寺のYHも・・・。

そのYHで教えてもらった大豊町の「福寿草の里」は、

今も人々の目を楽しませてくれているようです。

我々が行った時は雪が覆っていて、

まだ咲き誇っていなかったのが残念ですが、

徒歩で行ったことにも価値ある思い出になっております。

さて、愛媛・松山で、クミちゃんと私は二人旅を終えました。

その後クミちゃんは松山を散策してから翌日帰りました。

私は特急で岡山へ・・・瀬戸大橋を渡って・・・。

・・・このときは瀬戸大橋は二度目でした。

一度目はその一年半前、淡路島でゼミ合宿が行われた折、

当時出来て間もなかった瀬戸大橋を渡りたかったもので、

帰り道は大鳴門橋―徳島―高松―岡山ルートで横浜に戻ったのです。

JRは青春18きっぷを使ったので、二日がかりで帰りましたが

友人たちにも声をかけましたが、

二日がかりで帰ることに皆、難色を示し、

一人で帰ることに・・・。

そして、初めての瀬戸大橋は、とっても気持ちがよい眺めで、

夏の強い日差しで海面がきらめいてるようで・・・。

・・・そのまま うとうと  ・・・

そして、お隣に座っていたサラリーマンに肩を叩かれ、

「瀬戸大橋、渡り終えますよ」って教えてもらってしまいました

前夜合宿打ち上げだったもので、あまり寝ていなかったのです。

サラリーマンの方も、瀬戸大橋をわざわざ渡りに来ていたようで、

出張の合間だって言ってましたが、

窓際の私がうたた寝しているのを見て、歯痒かったのでしょうね~。

そのまま軽く雑談など・・・。

旅好きの方のようで、話が弾みました。

今となってはこれもいい思い出。

二度目の瀬戸大橋・・・まったく覚えておりません。

松山から岡山まで特急で直通だったのかなぁ。

岡山からは普通に新幹線で帰ったと思います。

旅の終わりとしてはなんとも物悲しく・・・

でも、クミちゃんとあれこれ回った四国は、

色々な人とお話したり、体験したりと、

ぜひ、忘れる前に綴っておきたかった。

もうひとつ惜しまれるのが、夜空を見なかったこと。

星がすごくきれいだって、四国出身の先輩が言っていたのに

次に四国を旅するのはいつのことになるのかしら。

~ 終わり ~

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学生時代の旅⑥*四国・予土線

2010-03-04 20:23:30 | 四国*1991年

’91年2月、友人クミちゃんと四国1週間の旅。

六日目、高知県足摺岬から愛媛県松山市へ。

足摺岬から路線バスで中村駅へ・・・1時間45分くらい乗っていました。

途中まで景色を見ておりましたが、

いつのまにかウトウト、揺れが眠りを誘います。

中村からは若井駅へ。

ここで列車の接続が良くなかったので、

駅のホームでまったりと過ごすはめになりまして。

冒頭の写真は線路に降りて撮った写真・・・こんなことしたり、

レールに耳を当ててみたり(列車が近づくと振動で聞こえる的な)、

寝っ転がったり、誰もいないことをいいことに、

幼児的なことをしてました。実はちょっと楽しかったです。

さて、列車に乗り込み、ここからは四万十川の流れを車窓からウォッチ

日本最後の清流と言われているのでしたっけ。

ちょうどお天気も良く、水の色合いや悠々とした流れ・・・

前の晩、関西の学生さんたちに、

「鉄道のない海側のルート(竜串・見残し)、きれかったよ~」と言われて、

時間的に難しいから鉄道での移動にせざるをえないのを

惜しんだりしましたが、

鉄道から見た四万十川のきらめきは、今もって感動しています。

残念なことに、今回の旅・・・いえ、比較的いつもの旅ですけれど、

我々はあまり写真を撮っておらず、

現代ならデジタルカメラがあって、気軽にとれるのでしょうけれど、

フィルムは現像するまできちんと取れているかわからないし、

フィルムを何本も撮影するほどリッチでもないし、

そういうことで、写真が少ない

今回載せた画像は写真をスキャナーで取り込んだものです。

この日は移動で時間を費やしましたが、

四万十川を望む予土線の先、

宇和島から松山への特急列車のことは記憶から飛んでいます。

大抵、初めて乗る路線については少しでも記憶にあるはずなのですけれど。

さて、松山では、宿泊をユースホステルに決めまして・・・

あまり時間もなかったもので、

有名どころということで、「道後温泉本館」へ

せっかくなので、少しゆっくり入れるということで、ちょっと贅沢に

「霊の湯(だったかな?)」を選び、

重厚な雰囲気の温泉につかりました。

軽く松山の街を散策し、定番「一六タルト」をお土産に購入。

YHでは夜イベントが行われており、

スプーン曲げ、「気」の流れなど、体験してきました。

ここのYHの名物なのだそうですね。

イベント参加者はかなり多くて、にぎわっておりました。

肝心のスプーン曲げ・・・曲がりました・・・よくわからないまま。

物事をすぐに信用するタイプではないので、

曲がったという事実は受け止め、

未知なるエネルギーに関しては、深く追求しておりません

ただ今でも、「気」の流れに関して、

手のひらを合わせて、暖気を感じてみたりして、

これが「気」なのかなぁくらいは思ってみたりします。

翌日は四国を旅立つ日です。

私はこの数日後、別の友人ヤスちゃんと北海道へ行く事になっており、

一気に横浜へ帰ることにしました。

友人クミちゃんは、松山をもう少し散策してから帰ろうかな~と

もう1泊するかどうか、気分で決めると言っておりました。

あっという間の旅ですね

~ 続く ~

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学生時代の旅⑤*四国・足摺岬

2010-03-02 23:02:39 | 四国*1991年

1991年2月、友人クミちゃんと1週間で四国を巡る・・・

という旅行・・・やっぱり、1週間は短~い

金比羅さん、大歩危、かずら橋、大豊町、高知駅周辺、

龍河洞、桂浜(坂本龍馬の像)・・・これで約4日間

移動は主にJRと路線バスで、

最終日は横浜に戻らなければならないので、

実質あと2日ではありませんか。

クミちゃんも私も、四国最南端、足摺岬に行ってみたいと、

意見が一致しまして、

高知市から一路、足摺岬へ・・・とはいえ、

岬への道のりはなんだか不便なような

中村駅から足摺岬まで、路線バスで2時間近く揺られるのです。

JRの特急でも、バスでも、

なんだか眠気が強くて、車窓の様子を全然覚えていないのであります。

足摺岬は、少し観光客がいました。観光バスの団体さんのようでしたが。

この日の宿泊は神社兼ユースホステルです。

和室(8畳ほど)に我々2人と、関西の短大生2人組が泊まりました。

お部屋が寒くて、暖房はこたつだけだったので、

布団を敷くときもこたつを中心に風車のように布団を並べて、暖を取りました。

その様子は狭いながらも、自分たちでグッジョブな出来栄えでした。

ここで一気に彼女らと打ち解けて、話が弾みましたが・・・、

彼女らはここに来る前に「竜串・見残し」という名所に寄ってきたそうで、

盛んに「きれかった~(綺麗だったの意)」を連発するもので、

クミちゃんも私もそこに行きたくなってしまったのですが、

日程的に無理・・・ということになり、

今もって、本当に「見残し」になっております。ちょっとくやしい

翌朝は太平洋から昇る朝日を見たくて、

早起きして岬へ向かったのですが、

雲に阻まれて残念ながら海から昇る姿をまたも見損ねました。

今まで水平線から昇る朝日を見たくて色んな所でトライしてみたけれど、

だいたい、雲が出ているのです。行いが悪いのか

岬の公園には、同様に結構多くの方々が見にこられていました。

朝食時、関西の彼女たちは、YHのペアレントさんに、

「水筒にお湯をくださ~い」と頼んでおりました。

今なら水筒を持ち歩いたり、ペットボトルを持つのも当たり前ですが、

当時、関東人の我々にとっては、

水筒を持ち歩き、「お湯をもらう」という行為は衝撃でした。

「さすが、関西人」と関心しつつも、「できないね、我々には」。

・・・今なら普通にできます

四国最南端、足摺岬に到達したことで我々は満足し、

次は日程の関係で、一路、愛媛の松山へGo

~ 続く ~

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学生時代の旅④*四国・福寿草の里

2010-02-28 15:39:54 | 四国*1991年

1991年2月、高知県大豊町・・・

友人クミちゃんと四国を回るにあたって、細かく予定を立てておらず、

今となってはなぜ、大豊に宿泊することになったのか、覚えていないのですが、

面白そうなユースホステル(YH)がある・・・ということで、

行ってみたような気がします。

はたして、たった1泊でしたが、心に残る宿泊でした。

朝、YH(お寺)で、和太鼓で読経をするというので、

我々も参加させていただきました。

今まで聴いたことのないリズム感のあるお経で、

和太鼓が冷たい空気の中、ズンズン体に響いてきます。

その日の予定も特に決まっていなかったのですが、

あまりのんびりできる時間もなかったもので、

夕方には高知駅に着いていたいという制約の元、

午前中に、大豊の「福寿草の里」へ行くことにしました。

YHから約7㎞、山に向かって歩いていくと、

ちょうど、福寿草の祭りがあるというのです。

こういった情報もYHならではで、口コミの面白さは旅のグレードをUPさせます。

というわけで、クミちゃん、フィンランド人のアンナ、私の3人で出発。

YHで、「腰に巻くように」と「修行中」と書かれた布を借りました。

この日は陽が当たっていながら、凍てつくような寒さで、

道もなかば凍っている為、滑らないように黙々と歩きまして・・・。

クミちゃん、アンナの「修行中」の布が腰にゆらめくのを見ると、

なぜだか歩く力が湧くというか

アンナが転んで鼻血が出てしまった時は、ヒヤッとしましたが、

すぐにリカバリーして一安心。

余談ですが、

アンナは顔も可愛いし、プロポーションもナイス(お風呂一緒だった)、

何より、精神的にタフで、心優しく、

日本のことを好きでいてくれて、一緒に歩けてよかった

人気のない道を2時間くらい歩いたか・・・

福寿草の里に到着

雪の間から福寿草が顔を出しています。

ただ、噂では「咲き乱れる」と聞いていたので、それにしては寂しかったかな。

そして、お祭り?の会場には町の方たちが数十人は集っており、

「暖まってね~」と囲炉裏の前へ案内してくれて、お茶を頂きました。

現代と違い、ペットボトルもなく、山道には当然コンビニもなく、

熱いお茶は冷えた体に染み渡りました。ありがたい

行きはよいよい帰りは怖いと逆に、

帰り道は下りで、気温も若干上がってきた為か、

あっという間にYHまで戻ってきてしまい、

アンナやペアレントさんと惜しみつつ別れ、

今度はJRの駅までてくてく

そして高知駅に着きまして、YHに宿泊を決め、

確か日曜市が開かれていたので(曜日がおぼろげですみません)、

暖かい日差しの中、見て回りました。

高知市の「市」については、ゼミの先輩が卒論に取り上げていて、

ぜひ、見てみたかったものです。

高知市で2泊し、その後は一気に足摺岬へ行くことにしました。

JR周遊券で特急に乗って移動できるのはよいのですが、

残念ながら、特急での移動はあまり心に残らず・・・。

車窓の風景も覚えていないのです。Oh,no

~ 続く ~ 

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学生時代の旅③*四国・大豊町

2010-02-27 10:59:25 | 四国*1991年

1991年2月、友人クミちゃんと四国への旅。

大歩危、かずら橋などをまわり、その日の宿泊は

高知県のお寺(笑い地蔵で有名だそうです)のユースホステルでした。

駅からYH(ユ-ス)に向かう途中、

工事現場でおばさんが働いていました。

「どこへ行くの?」という雑談から、少し話が弾み、

聞けば、おばさんの息子さんは当時の我々と同じ年代。

息子さんは春から学校の先生になるのだということでした。

今まで仕送りで大変だったのよと笑顔で話していたおばさん、

我々はのんびり学生の身分で旅行・・・

せつないながらも、おばさんの明るい笑顔に救われました。

忘れられないエピソードです。

YHにつくと、その日は全部で5人の宿泊者で、

オーストラリア人の女の子とフィンランド人のアンナ、

男子学生、我々2人です。

こんな山奥に外国人2人も泊まるのには驚きましたが、

外国版YH案内に、名物YHと掲載されていたようです。

住職さん兼ペアレントサンは外国人にも慣れていらっしゃるようでした。

が、オーストラリアの女の子が、緊張とベジタリアンとかで、

まったく食事に手をつけず、言葉も発せず、

いったいどうやってここまでたどり着いたのか・・・と思うほど。

反面、アンナは日本語を片言ながら一生懸命話し、

すぐに打ち解けてくれまして、

数年前に見た映画「かもめ食堂」のフィンランド人男子を見たとき、

アンナを思い起こしました。どうしているかな~。

ここのYHの女子トイレで、面白いものを発見しました。

扉の飾り物に「寄贈・○○○○」とかいてあったのですが、

そのお名前はその数ヶ月前に北海道のYHで出会った方のお名前。

ペアレントさんに尋ねると、「今は北海道なのか~」と笑ってました。

ちなみに、四国旅行のあと、私は北海道へ旅したのですが、

某YHのヘルパーをしていた○○さんに再会し、

四国の山奥で飾り物を見ましたよ・・・と言ったら、

ちょっと恥ずかしそうにしてました。

出会いは人生の中でごくわずかでも、

心の中で長く占めている方もいらっしゃるものです。

~ 続く ~

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学生時代の旅②*四国・かずら橋

2010-02-24 20:18:55 | 四国*1991年

四国への旅(’91年)・・・それは本当にきまぐれに、

我が友人、クミちゃんとの雑談で決定しました。

大学卒業を控え、もう長期旅行をする機会もないだろうと、

・・・卒業旅行といえば海外へ行く人も多いと思いますが、

確か、この時期、湾岸戦争が勃発しており、

海外渡航は自粛の空気が流れていたので・・・

国内でJRで回ってみたいところとして、

「そうだ四国に行こう」となったわけです。

クミちゃんは3月に小笠原へ旅行、私は北海道へ行くことになっていたので、

四国を回れる時間は約1週間。

あまり行き先をきっちり決めずに、

おおまかにJRでぐるっと回ろうという計画でした。

先日のブログで高知市でのことをさらっと記しましたが、

日にちをさかのぼると、

大阪からジェットラインで高松に入り・・・

改めてアルバムを見直すと、料金が5990円 イクスペンシブ

せこい我々が、なぜこの料金を払ってこのルートを選んだのか、

今となっては不明ですが

ちなみに、東京都区内~四国周遊切符は学割で20390円で、

四国内は特急も乗れるので、かなりお得感があります。

1日目は私は金比羅さんへ、クミちゃんは金比羅さんには行った事があるので、

JRの変わった駅名の写真を撮りに行ってました

こういう、ゆるい感じの旅が、お互い好きなのです。

その日はユースホステルを兼ねたお寺に泊まりました。

翌日は大歩危小歩危とかずら橋がメインの1日。

JRと路線バスでの移動でしたが、

季節的に寒いせいか、観光客はあまり見かけませんでした。

かずら橋に向かう路線バスは、急峻な渓谷の中を走り、

 ちょっとしたスリル感も味わえそうな・・・。

こうして山深く(というように感じた)のかずら橋に着きました。

高いところがそれほど苦手ではないけれど、

クミちゃんも私も、足がすくんでしまった・・・というのも、

橋の歩く部分が隙間が開きすぎで、

落ちることはないはずなのだが、踏み外したら足がはまりそうで。

それでも渡り始めたら進むしかないのですね~。

いやぁ、貴重な体験でした

路線バスの本数は少ないので、

取り敢えず、バス通りをのんびり歩くことにして、

・・・そうでもしないと寒くてじっとしていられないので・・・、

いくつか目のバス停で無事にバスに乗り込み、

阿波池田駅に向かいました。

点から点の観光地めぐりだけではなく、

適度に歩いたりするところが我々流の旅の楽しみです。

~続く~

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学生時代の旅*四国・高知市

2010-02-22 22:45:17 | 四国*1991年

NHKの大河ドラマ、「龍馬伝」は、

今は土佐(高知県)が舞台になっているようですが、

江戸末期、男性の足で、江戸から土佐まで、

普通に歩いたら30日かかるって、ドラマで岩崎弥太郎が言ってました。

学生時代(’91年)、友人クミちゃんと、四国を旅したことがあります。

2月上旬から中旬、プロ野球のキャンプを、

高知県でやっている時期でございました。

クミちゃんと私の拠点、横浜を深夜に出発し、

JR普通列車で朝、大阪に到着。

そこから、高松まで確かジェットホイルに乗ったと思います。

四国ではJRの周遊券で移動しました。

宿泊は学生らしくユースホステルです。

・・・高知でのエピソードと言えば、

その時代、プロ野球「西武ライオンズ」が春野というところでキャンプ中で、

ファンの若い女の子たちが高知駅にちょうど溜まっていました。

我々もその類に間違われ、

女の子二人組から「春野までタクシー相乗りしましょう」と誘われ、

断りきれずに、ついて行くことになりまして。

キャンプ地でちょうど現在球界最年長の

工藤公康投手と、潮崎投手に遭遇

「君たち、あまりついてこないほうがいいよ」と、工藤投手が言ったら、

潮崎ファンが小さく「工藤さんについているんじゃないんだけど」と、

吐き捨てるように言っていたのがツボでした

我々はすぐに興味を失い、ファンの女子軍団にさよならして、

龍馬の像や桂浜など、ひととおり観光地を見て回ってきました。

それにしても、温暖な印象の高知市・・・

この時はとっても寒かったのです。 ヒュルルルル~

その夜は鯖の姿寿司(だったかな?)を

学生のくせに、贅沢にもおいしく頂きました。

高知市ではほかに高知の日曜市を見て回ったり、

ちょっと離れた龍河洞が興味深かったです。

~ 続く ~

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