~つづき~
娘Bについて肥厚性幽門狭窄症の診断がつき、入院させてもらい かなりホッとした。
家で見ていると、新生児だけに生命に関わるのではないかという懸念もあったから。
治療については、開腹手術で、狭く厚くなっている幽門部に切り込みを入れて、
内圧で通り道が広がるという説明だったと思う(簡単に言えば)。
その時は、腹の手術痕など、どうでもよかったような気がする。
出産時に2800gくらいだった娘Bは、生後3週間くらいは体重も増加していて3500gに、
そこからはほとんど増えておらず、入院時も3500gくらいだった。
入院の翌日に病院に行き、改めて説明を聞いたところによると、
嘔吐が続いたことによって体の電解質のバランスが崩れていて脱水症状もあるので、
1週間くらい内科的処置をしてバランスを整えてから手術ということだった。
娘Bよ・・・ごめん・・・脱水症状にさせてしまったね・・・。
手術前までの主治医は小児科の先生だったが、ほとんど覚えていない。
というか、面会時間中に病室に来られなかったのではないか?
たいていのお話は看護師さんとだった。
ちなみに、その頃、フジテレビで「看護婦最前線(だったかな?)」的な番組で、
たまたま、この病院が出てきたのを見ていたので、
「あっ、テレビに出てた看護婦さんだ~感動!」みたいなミーハーな自分もいたりして。
隣のベッドは、偶然にも同じ病気の女の子。
その子のお母さんとお話ししたところによると、幽門狭窄症は男児の方がなぜか比率が多いらしい。
その数日後に、また同じ病気の女の子が入院してきたので、
看護師さんからも、「幽門狭窄で女の子ばかりは珍しい」と言われた。
手術まではただただ点滴・・・絶食なので、多分お腹はすくのだと思う。
赤ちゃんが泣くのは、乳児期は空腹やおむつのサインのようなものなので、
ずっと空腹の娘Bは泣きっぱなし・・・というわけでもなく(さいわいなことに)、
それでも、入院生活中はおしゃぶりで泣くのをおさめられていた。
自分は、娘Aの子育ての時はおしゃぶりを使わなかったので、
娘Bにおしゃぶりをくわえさせるのに少々抵抗を感じたが、
くわえさせると気がまぎれるのか、リラックスするようにも見えた。
その半面、いくらしゃぶっても出てくるものがないのに、懸命にしゃぶる姿が可哀そうでもあった。
小児外科の主治医に会えたのは、数日後だったか・・・。
エコー検査の時に説明をしてくれた男性・・・それがE先生だった。
印象は、なんというか、緊張を解かせてくれる先生。
子どもを診察するときも、自然に溶け込むようにすーっと診察する感じ。
大学病院なのでお忙しいのか、ゆっくりお話しはできなかったが。
さて、いよいよ手術。
当日は、相方(夫)も会社を休みにしていたのだが、なんと、、寝坊した!
自分は、里帰り出産のまま(娘Bが入院したところが近かったので)いたので、相方とは当時一緒に住んでいなかった、
・・・ので、起こせなかったのだが、それにしても大切な娘が手術の日に寝坊するか
今でもこの件は、笑い話と共に、相方をゆするネタにしております。
余談はさておき、手術は順調に終わり、なんやかんやで2時間くらいだったと思う。
そこからは日ごとにミルクの量も増えていき、嘔吐することもなく、手術後1週間で退院した。
ただ、術後数日してから、唇にカビ的なものができて(鵞口瘡)、
手術で体の抵抗力が落ちているのを目の当たりにした。
退院時の体重は3400g。1か月くらい全く増えていないが、これからゆっくり取り戻せばいいと思った。
この時代はまだ乳幼児の医療費は普通に窓口で支払っていたが、
E先生から「育成医療の対象になりますよ」と用紙を書いていただき、無事に医療費を支給していただけた。
娘Bは、それからは大きな病気をせず、
中学1年生まではクラスで背の順が1番前のことが多かったが、
そこから伸びて、現在は162㎝の体育会系女子に成長した。
お腹の傷は、すーっと7㎝くらい残っているが、気にしている様子はない。
話は前後するが、娘Bは術後1年の健診を終えて、小児外科は終了、となったわけだが、
その数か月後に、今度は別件(息子)でお世話になるとは、この時は思いもよらなかった。