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半月ほど前に、乳児の頃の娘Bと末っ子息子を手術してくださった E医師を突然訪ねたけれど、
お忙しくてお目にかかれなかったということがありました。
思えば、末っ子息子がもうすぐ20歳になるので、
お世話になってからもうそんなにたつのだなぁ・・・と感慨深い。
娘Bと末っ子息子は「肥厚性幽門狭窄症」という新生児の病気にかかりました。
胃の出口の幽門部の筋肉がなぜか厚くなって狭くなってしまうのです。
病気自体は診断がついて治療すればほとんど心配のないものですが、
診断がつくまでは結構大変だったように記憶しています。
娘B(現在大学4年)は2800gくらいで安産で生まれてきた。
生後3週間は特に問題はなく、体重の増加も順調だったのだが、
そのうち、少しづつ嘔吐の回数が増え、
「これはちょっと変だな」と思うようになってきた。
その頃は娘Bの2歳上に娘Aもいたので、里帰り出産で実家にお世話になっていた。
新生児の世話は初めてではなかったので神経質になることもなく、
変だなと思っても、もうちょっと様子を見よう・・・という余裕があった。
とはいえ、嘔吐の様子は時には驚かされた。
まるで、胃をぎゅっと掴まれたように、ポンプのように飲んだミルクが噴き出すのだ。
実家の母が、職場の人から「母乳アレルギーで吐くこともあるらしい」と聞いてきて、粉ミルクに替えてみたり、
窒息が怖くてずっと縦抱きを続けてみたり。
洗濯も大変だった。
実家に来ていたので自分の洋服の枚数も限られていたため、
抱っこする時はタオルを肩から羽織って、
娘Bには布おむつ!をよだれかけの要領で首の周りにおいて、
着替えの回数を減らせるようにした。
それでも、タオル、布おむつ(ミルクで汚れた)、の洗濯を少量でもどんどんしないと間に合わなかった。
さすがに、「これはおかしい」と思ったのは、嘔吐の回数が増え、
ピンクの物が混ざったミルクが出てきたときだった。
胃液で食道が荒れてしまったのかもしれないと、勝手な自己判断だったが、
これで病院に行く決心がついた。
最初(1日1回程度)の嘔吐から2週間近くたっていた。
この時、生後33日。
まずは、実家近くの総合病院の小児科で受診。
吐き気止めの座薬を出されたが、症状が治まらなければ、
疑われる病気(幽門狭窄症)が治療できる病院は限られているから、
近辺にあるS大附属病院に行くように指示された。
吐き気止めは効かなかった。
吐いてしまえば娘Bはお腹がすくのであろう、泣いて空腹を訴える。
こちらはなるべく吐かせたくないので、ある程度時間をおいてから飲ませたいと考える。
しかし、生命維持のためには飲ませないといけない。
母乳だとどのくらい飲んだかわからないので、
飲んだミルクの量と、布おむつに吐いたミルクの量を計量したりした。
意味のないことかもしれないが、こうでもしないと、どのくらい体にミルクが入ったか、心配だったのだ。
このころには、便の回数もかなり減っていた。
S大病院には総合病院に行ってから1日おいて受診した。
とりあえず小児科へ・・・かなりの待ち時間だった。
待っている間に嘔吐しないか、気がかりだった。
噴水のように嘔吐すると、周りにかかってしまうかもしれないから。
現在と違って、当時は大きな病院でも紹介状なしでも普通にかかれたから、
大学病院で受診する必要のない人も、念の為・・・という患者も多かった。
ひょっとしたら、我が子も、心配のない吐きやすい体質だけなのかもしれないとも思った。
自分でも、娘Bが病気の確定をされた方がいいのか、吐きやすい体質のほうがいいのか、
わからなくなっていた。
2時間ほど待って、小児科の1室に通された。
先生は、なんだか若くて神経質そうな男の先生で、
症状を話すのにも緊張したが、娘Bの嘔吐の様子はジェスチャー付きで
「ピュ~っと吐くんですよ」と大袈裟に言ってしまった。
先生は、首の座らない娘Bを座らせるように起こして、おもむろにお腹をぐりぐり掴んだ。
娘Bが「わ~」と泣いてもおかまいなしで、ちょっと乱暴に思えた。
診断の結果、「検査入院してみますか」と無表情に言って、電話をかけ始めた。
検査のオーダーの電話だと思われたが、
先生が「こっちを先にさせて!」と言ってるのが聞こえた。
「エコー検査のキャンセルがあったから、入れてもらえました。今から検査室に行ってください。」と言われ、
そのまま検査室の方へ。
ちなみにその先生とはそれ以来会っていない。
ちょっと冷たい先生かなぁという印象だったが、検査を半ば強引に押し込んでくださったようにも思え、
ちょっと感謝している。
エコーの検査では、検査に必要ということで、検査中にミルクを飲ませるようだった。
しばらくして、40代くらいの男の人が検査室から出てきた。
おもむろに「お母さん?残念だったけれど・・・幽門狭窄症だったよ」と。
この時だったか忘れてしまったが、エコーの画像を見せられ、
よく分からないながらも、狭くなっている部分を確認した。
男の人が検査技師的な人なのか医師なのかよく分からず、
「あなたはどちら様?」というのと、病気が確定してホッとした気持ちもあった。
「このあとのことは看護婦が案内するから。そんなに心配しないで。」と言って立ち去られ、
あまりにもさらっとしていたので、自分でもポカ~ンとしていたと思う。
こうして、娘Bが入院することになった。
入院の説明を聞いている間に、娘Bは処置をされていて、
手の甲に点滴が入って包帯で板のようなものに固定され、鼻からは、チューブが入っていた。
鼻のチューブは胃に溜まった胃液を引くためのものだ。
その時、娘Bがまたミルクを吐いた。苦しそうに目をひん剥いている。
看護婦さんが驚いて、「お母さん、ミルクいつ飲ませたんですか?」と言われたけれど、
検査の時だと思いますとしか答えられない。
看護婦さんも、幽門狭窄症の嘔吐の様子はあまり見たことがなかったのかもしれない。
娘Bが入院したころは、まだインターネットで何かを調べるということはなかった。
幽門狭窄症についても、「乳児の病気について」的な本で知ったような気がする。
まさか自分の子が、こういう病気になるとは思ってもみなかった。
~つづく~