玉を転がすような・・・、というのがぴったりな鳴き声が、この季節になると聴こえる。ここへ住まいを移して4回目の春。
毎年同じ鶯なのかはわからない。
野生の鳥、それも小鳥の寿命は3・4年だと聞くから。
鶯って、梅が咲くころになくと思われてるでしょう?
梅が咲くころ来るのは「目白」。
鶯はその頃、まだ「ヶキョ、キョ・・、キョン!」なんて、似つかない鳴き声をあげている。つまり、練習中。
「ホー、ホケキョ!ケキョ、ケキョ、キョルルルル・・・」と見事に上手になるのは、桜が咲くころ。
なくのは、もちろんオス。縄張りがあるそうで、メスを呼んでいるというわけ。
え?どこに住んでるかって?
街の中ですよ、駅から10分かからないとこ。
自然が残ってるってことなんでしょうね。
しかし、どこに巣を作るのかなあ?
鶯に起こされる優雅な朝。オヤコ代々来てほしいもの。
春が近くなると、毎年、歌の練習をしないといけない鶯のオスもタイヘンだなあ。
もし下手だったら?メスに見捨てられるのかな?(笑)
ある意味、人間と似てるかもね。
午後から歌三昧。
ボイトレは、なかなか優をもらえない。
どうしても音の幅は一定にならないと繰り返し注意を受けている。
注意されると出来るのだが、長年歌っているので、耳が慣れてしまっているといわれる。自分の声を聞く耳を変えなくてはいけないようだ。
つまり、声には同じ音程を出していても幅がある。
その幅の最も高いところを薄く耳で捉えて、自分の声として慣れる訓練をしているわけ。自分に聴こえるのは頭蓋に響く声だから、深く奥まっているとよい声に聴こえてしまうのだ。
つまり、飛ぶ声ではない。
「長く自己流で歌っているものですから、時間がかかると思います。」と、私。
「気は長いので構いませんよ。諦めないで下されば。」と、先生。
まだ4ヶ月なので、すみません。
アンサンブルの伴奏者からは、
「曲によって声を変えているのがわかります。」といわれた。
成果は上がっていると思う。
今日の演奏曲:
モーツアルト、「コジ・フアン・トウッテ」より、6重唱(デスピーナ)
ロッシーニ、「セヴィリアの理髪師」よりロジーナのアリア
ヘンデルの二重唱曲、
ドリーブ、「ラクメ」より二重唱「花の歌」
ヘンデルとラクメは、初見。私が付き合うかどうかはわからない。
声が出るって、ホントにシアワセだと思う!
毎年同じ鶯なのかはわからない。
野生の鳥、それも小鳥の寿命は3・4年だと聞くから。
鶯って、梅が咲くころになくと思われてるでしょう?
梅が咲くころ来るのは「目白」。
鶯はその頃、まだ「ヶキョ、キョ・・、キョン!」なんて、似つかない鳴き声をあげている。つまり、練習中。
「ホー、ホケキョ!ケキョ、ケキョ、キョルルルル・・・」と見事に上手になるのは、桜が咲くころ。
なくのは、もちろんオス。縄張りがあるそうで、メスを呼んでいるというわけ。
え?どこに住んでるかって?
街の中ですよ、駅から10分かからないとこ。
自然が残ってるってことなんでしょうね。
しかし、どこに巣を作るのかなあ?
鶯に起こされる優雅な朝。オヤコ代々来てほしいもの。
春が近くなると、毎年、歌の練習をしないといけない鶯のオスもタイヘンだなあ。
もし下手だったら?メスに見捨てられるのかな?(笑)
ある意味、人間と似てるかもね。
午後から歌三昧。
ボイトレは、なかなか優をもらえない。
どうしても音の幅は一定にならないと繰り返し注意を受けている。
注意されると出来るのだが、長年歌っているので、耳が慣れてしまっているといわれる。自分の声を聞く耳を変えなくてはいけないようだ。
つまり、声には同じ音程を出していても幅がある。
その幅の最も高いところを薄く耳で捉えて、自分の声として慣れる訓練をしているわけ。自分に聴こえるのは頭蓋に響く声だから、深く奥まっているとよい声に聴こえてしまうのだ。
つまり、飛ぶ声ではない。
「長く自己流で歌っているものですから、時間がかかると思います。」と、私。
「気は長いので構いませんよ。諦めないで下されば。」と、先生。
まだ4ヶ月なので、すみません。
アンサンブルの伴奏者からは、
「曲によって声を変えているのがわかります。」といわれた。
成果は上がっていると思う。
今日の演奏曲:
モーツアルト、「コジ・フアン・トウッテ」より、6重唱(デスピーナ)
ロッシーニ、「セヴィリアの理髪師」よりロジーナのアリア
ヘンデルの二重唱曲、
ドリーブ、「ラクメ」より二重唱「花の歌」
ヘンデルとラクメは、初見。私が付き合うかどうかはわからない。
声が出るって、ホントにシアワセだと思う!