日暮しの種 

経済やら芸能やらスポーツやら
お勉強いたします

「大阪で生まれた女」に続編 BOROさん 歌に込めた思い

2015-12-03 07:30:00 | 報道/ニュース

11月17日 おはよう日本


シンガーソングライターのBOROさんは10年ぶりとなる本格的なライブを行った。
BOROさんの代表曲「大阪で生まれた女」
夢を追い
東京を目指す男を追いふるさと大阪を離れるのか
揺れる女の心を大阪弁で歌いあげている。
BOROさんが歌を作ったのは
大阪万博の9年後
人もお金も物も
東京への一極集中が進み
大阪が勢いを失い始めていた時代だった。
若き日のBOROさんは18歳で歌手を目指して上京したものの挫折し
大阪に戻ってくる。
「何が東京やと
 なんぼのもんじゃいと言いながら
 東京の人が来たら“ええな”と思いながら見てる。
 その当時の大阪は東京へのあこがれはすごく大きかった。
 今以上に。」
当時のBOROさんは曲作りのためによく訪れていた店。
「大阪で生まれた女」を作ったきっかけは
店に来ていた若いカップルがboroさんにつぶやいたひと言だった。
「大阪の歌がないなあというひと言。
 ほな作るわ。」
挫折を乗り越え大阪で再起を図る。
歌に込めた思いは自分自身
それに大阪で暮らす人たちへのエールだった。
「大阪を元気にしたい
 そういう思いはありました。
 大阪っていうのはこんなにかっこいいんだよ。」
原曲は1番から18番まで。
大阪で生まれた女の高校時代から結婚するまでが描かれている。
大阪で生まれた女のヒットから36年。
BOROさんはこの10年
たび重なる病に苦しんできた。
持病のC型肝炎に加えて上あごの病気も発症。
歌手の命でもある口にメスを入れ144針も縫うなど
命が危ぶまれた時期も経験した。
去年の秋以降
体調が徐々に回復してくる中でBOROさんの心の中にある思いが強まってきた。
BOROさんの親友で歌手の桑名正博さん。
同じく河島英五さん。
BOROさんの闘病中に次々と亡くなっていった大阪を歌ったミュージシャンたち。
親友たちが逝ってしまった今
大阪の歌と歌い作り続けることが出来るのは自分しかいない。
BOROさんは駆り立てられるように活動再開の準備を始めた。
「本当にみんなもっと長生きすると思っていた。
 いちばん体の弱かった僕が生き残った。
 時代とともに作り続けていく使命がある。」
BOROさんは今回
「大阪で生まれた女」の続編の制作に取り組んだ。
「大阪で生まれた女」の36年後
今の姿を歌詞に加えた。
10月30日 大阪梅田
10年ぶりとなる本格的なライブの日を迎えた。
復帰を心待ちにしていたファン600人が集まった。
先立った友への思いも込めて歌う。
「月のあかり」桑名正博
「酒と泪と男と女」河島英五
そして
「大阪で生まれた女 19」BORO
25歳から61歳になった大阪で生まれた女。
悲しみを乗り越えるのは
笑うことやね
そやから うちらは
よう笑うたね
子どもと孫と足元の幸せを大切にしながら暮らしていた。
大阪で生まれた家族やから
しっかり手をつないで行くんやで
悲しみはいつも 台所の
笑いの鍋で煮込んだね
大阪で生まれた女やさかい
自分は歳とらんと思い込んでる
はしゃぐアンタらと何も変わらへん
それが!大阪で生まれた女
(ファン)
「自分も年を重ねずっと大阪に住んでた
 ぐっとくるものがあった。」
「涙が出た 最高。
 絶対死なない なにわの女 大阪の女。
 頑張ります おばちゃん。」
(BOROさん)
「大阪人もっと胸を張っていこうよ。
 最終的にはみんな元気になってもらいたい。
 このまま最後まで走り続ける。」

 


コメント    この記事についてブログを書く
« ヒット商品を生む!ネットの... | トップ | ロボットが接客するホテル »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

報道/ニュース」カテゴリの最新記事