8月27日 NHK「おはよう日本」
今から94年前に
アメリカの宣教師から日米友好の証として贈られた「青い目の人形」。
福島県の小学校に残されていたことが分かった。
終戦から75年の今
人形は私たちに何を語りかけるのか。
校長室の片隅に置かれてきた1体の人形。
瞼は欠け
足にはガムテープがぐるぐる巻きにされている。
「昭和2年にアメリカ人形使節として
日本の各小学校に贈られた。」
福島県桑折町の伊達崎小学校に今年赴任してきた大木校長。
この人形が気になり調べたところ
「青い目の人形」だとわかった。
青い目の人形。
昭和2年 アメリカ人宣教師の
シドニー・ルイス・ギューリック(1860~1945)博士から
日本各地の学校に約1万2千体が贈られた。
友好の証だった人形は
太平洋戦争中 “敵国の象徴”と虐げられ
いま残るのは全国にわずか340体余である。
あの人形はどのように残されたのか。
開戦前の昭和16年4月に伊達崎小学校に入学した大槻さん(87)。
「♪青い目をしたお人形は
アメリカ生まれのセルロイド♪
友だちと歌ったりしていた。」
歌を歌い人形に親しんだ日常を
戦争が一変させたという。
Q.アメリカの歌を歌ったりしたら?
(大槻さん)
「連行される。」
戦時中 伊達崎小学校では戦死者の葬儀を行われていた。
その時読まれた弔辞には
“宿敵米英 聖戦に参加”といった言葉が。
教育の場である学校は“戦意高揚”の舞台に変わってしまったのである。
そのとき人形はどうなったのか。
(大槻さん)
「人形は校長室の2階に置いてあったの。」
校長室の上にあったのは昭和天皇の写真や教育勅語などをしまってあった奉安室。
安易に立ち入ることができない部屋だった。
(大槻さん)
「アメリカのものだったのであまり大げさに見れなかったのでは。」
誰が人形をしまったのか。
今も分かっていない。
しかし大木校長は
残そうとした事実が重要だと考えている。
(伊達崎小学校 大木校長)
「なぜこの人形を壊さなければならないのか。
素朴にそういう気持ちを持ったのでは。」
大木校長は7月
子どもたちに特別授業を行なった。
(大木校長)
「“壊せ”
“焼いてしまえ”
“毎日されしていじめろ”
君たちがその時代に生きていたらどうしますか。」
(生徒)
「壊しちゃうかもしれない。」
(大木校長)
「伊達崎小学校の青い目の人形を守った人は
どんな気持ちだったのだろう。
書いてみてください。」
(生徒)
「青い目の人形が歴史になることを願って守っていた。」
「戦争が終わってほしいと願いを込めて残した。」
授業を前にある人物から手紙が届いた。
人形を贈ったギューリック博士の孫 ギューリック3世である。
“日本に贈ったその時の人形があると知り
私たちはとてもうれしい
皆さんとどうか楽しく過ごすことを心から願っています”
(大木校長)
「分からないということを基にしながら
子どもたちとそこを想像しながら
できる限り掘り下げていく。
そういう中で戦争について理解が深まっていくことが大事と思う。」
残された青い目の人形。
戦争を知らない私たちにこれからも語りかける。