2021年2月1日 読売新聞「編集手帳」
志賀直哉が小説「流行感冒」に書いた<私>とは自身のことらしい。
スペイン風邪が猛威をふるった大正期、
主人公がウイルスを家に持ち込むまいと細心の注意を払っていたところ、
お手伝いさんの一人がウソをつき、
夜芝居に出かけた。
主人公は彼女を辞めさせようとしたが、
妻がとりなして呼び戻したという展開をたどる。
歴史学者の磯田道史さんの言葉を借りるなら、
今で言う「自粛警察」を描いたとも言えよう。
見えないウイルスを恐れるあまり、
他人の非をとがめ、
罰を与えようとする。
人の心に作用するウイルスとは、
本当に厄介な存在である。
政治にも紛れ込んだに違いない。
入院に応じない感染者に刑事罰を科すという政府の感染症法改正案の評判はあまりに悪く、
自民党と立憲民主党が協議し、
刑事罰を撤回する運びとなった。
修正は当然としても、
入院を拒む人や保健所の調査に応じない人への行政罰は残る。
本当に罰則を使うつもりなのだろうか。
小説に戻る。
主人公は後日、
気の緩みから感染するが、
彼女は無事だった。
家族を懸命に世話する彼女に主人公は感謝する。
罰しなくてよかったと。