12月6日 読売新聞「編集手帳」
先日当欄で触れたばかりだが、
夏目漱石「坊っちゃん」の物語は有名な一文に始まる。
<親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている>
この後しばらく、
何をやった、
これをやったとやんちゃ自慢がつづき、
損ばかりしている理由がさりげなく差し挟まれる。
<おれは何が嫌きらいだといって人に隠れて自分だけ得をする程嫌いやな事はない>
そんな気持ちの若者が新任教師として意地悪な教頭とぶつかったりするのだから、
どきどきする。
なおも先の二文は全編に効いていて、
読者は最後まで頭に置いて読み終えることになる。
若者の読解力が低下傾向にある問題で、
テレビのコメンテーターが話していた。
短い文章でも理解の練習になるのだから、
SNSを教材に取り込んだらどうかと。
ちょっと違うのではないかと思った。
長文というものは概して前に書いてあることが後段に響くように作られている。
どんどん理解の深まる構造になっており、
会話に似た短文のやり取りとはかなり異なるものだろう。
もし読解に悩む人に相談されたら、
こう言う。
まず好きな本を見つけよう。
後半になればなるほど面白いから。