評価点:78点/2005年/アメリカ
監督:アンドリュー・ニコル
おもしろすぎる。こわすぎる。
ユーリー・オルロフ(ニコラス・ケイジ)一家は、貧しいレストランを経営していた。
ある日、ロシア人どうしが銃撃戦を目撃したユーリーは、自分の手で銃の密売をしようと考える。
その業界では全く相手にされないユーリーだったが、隠れた商才を発揮し、とんとん拍子に銃密売の事業は成功していく。
そして憧れの幼なじみエヴァ(ブリジット・モイナハン)に財力で近づいていく。
アメリカは経済大国であると同時に、世界最大、最強の軍隊を持つ軍事大国である。
そのアメリカの裏側、アメリカの闇を支えているのが、死の商人と称される、武器商人である。
その武器商人の半生を描いたのが、この「ロード・オブ・ウォー」である。
これは、ドキュメンタリーで、実話に基づいて作られた虚構の話である。
世界には数人のこのような武器の密売をしている大富豪がいるらしい。
その大富豪たちのエピソードを一つに作り上げた虚構の物語である。
だから、完全なドキュメンタリーとは違うし、単なるフィクションとも違う。
結論から言って、社会的な映画として見るよりも、単純に映画として楽しめば良いだろう。
ニコラス・ケイジ主演でもあり、それほど重たい内容ではないので、誰にでも見やすい作品になっている。
映画を楽しむことにおいて、実話かどうかはあまり関係ないのだから。
▼以下はネタバレあり▼
この映画は、先にも書いたけれど、実話かどうかを問題にする必要はあまりない。
とにかくおもしろい映画なのだ。
もちろん、社会的な意味あいは、非常に大きい。
だが、それが軸ではない。
この映画のテーマはあくまで武器商人として
生まれ落ちたユーリーという人物についてであり、非常にうまく、おもしろく撮られている映画なのだ。
そこに、お説教臭いことをあえて付け加えることなんてない。
まずは、これほどまで社会的な問題を扱いながら、
なおかつ、それを感じさせないほど「おもしろい」ということが重要なのだ。
世界を股にかける武器商人。
どうしてもこのような設定だと、「個」を描ききれなくて、
全体的に、そして網羅的になってしまうものだ。
話のスケールがでかいため、そのでかさを描くので精一杯になってしまうのだ。
だが、この映画は、ユーリー・オルロフという「一個人」から一切ずれない。
世界的な規模の話、非常に倫理的に問題のある話であるにもかかわらず、
中心は個人であることを忘れていないため、映画全体がぶれない。
そして、お説教臭さから逃れ、問題を僕たちにもわかるような形で提示する。
そのため、途方もない世界でありながら、非常に親近感を持ちながら、
そして主人公と同じ目線で出来事をとらえさえることに成功している。
彼を悩ませる大きな理由は、「才能」という要素だ。
戦争を起こすための道具であり、人を殺すという倫理観ではなく、
儲けることに対して一切妥協せず、商才が備わっているという自分の才能に対して葛藤する。
この悩みが非常に「わかる」のだ。
それは僕が才能にあふれて、同じような境遇にいるからではない。
仕事をするとか、何かに取り組むということ全般に言える共通性をもっているからだ。
確かに武器商人という途方もない世界だが、
それでも、個人の問題としての「才能」に悩むという要素は、非常にわかりやすく、そして重たい問題だ。
人間にとって、「できる」ことを十分に行い、そして能力を試してみたいという欲望には勝てないのだ。
その部分を徹底的に描いているため、やすっぽい倫理観など、足下にも及ばないほど、重厚な人間像ができあがっている。
妻も愛している、家庭も大事だ。
人を殺すことは絶対にすべきでないと思っている。
法律の重要性もよく認識している。
でも、駄目なのだ。
自分の能力を存分に発揮し、そこに自分らしさを求めたいという欲望は、
すべてを置き去りにしてでも、追求したくなるものなのだ。
その部分がきちんと描かれているため、非常に深刻な国際問題であるはずの
死の商人を、個人の差し迫った問題としてとらえることができるのだ。
そこに社会的視点など役に立たない。
もちろん、肯定する気にはなれないが、それでも、「ああ、それなら仕方ないかな」と思わせるだけの説得力がある。
しかし、この映画のすごいところは、世界を股にかける、という視点も失っていない点だ。
ソ連、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパ……。
世界を縦横無尽に飛び回っているという世界観の広さを存分に見せている。
だから、なんだ、やすっぽい世界だな、とか、世界中という割りには狭い世界だな、とかいった印象がない。
「お国柄」の違いや、特徴的な独裁者、ずさんな管理体制などを印象的に、
わかりやすく描くことによって、なんだかすごいことになっている、
というおもしろさと怖さを味わうことができる。
個だけにとどまらず、社会的な疑問が失われていないのは、そのためだ。
そして、話は、「映画」を意識した展開へと進んでいく。
インターポールに捕まってしまうかもしれない、という危機と、
エヴァに見つかり家庭が破局してしまうかもしれない、という危機という
二つの危機が同時に訪れることにより、物語がどんどんエキサイティングになっていく。
この展開は、映画ならではの「脚色」であることは間違いないが、映画としての盛り上がりは最高潮に達していく。
そして、捕まっても罰することができない、
妻を失っても、仕事をやめることができない、という個と社会双方の葛藤が提示されることによって、
大きな疑問符と、この世界が抱える矛盾とを同時に照射するのだ。
この映画が、徹底して個人の物語を描いているにもかかわらず、
非常に大きな波を立たせるのは、そのためだ。
個から社会へという視点の急速な移行により、単なるエンターテイメント作品ではない、社会性をも確保している。
怖い話をしているはずなのに、物語として非常におもしろい。
これこそが「映画」の魅力なのだろう。
監督:アンドリュー・ニコル
おもしろすぎる。こわすぎる。
ユーリー・オルロフ(ニコラス・ケイジ)一家は、貧しいレストランを経営していた。
ある日、ロシア人どうしが銃撃戦を目撃したユーリーは、自分の手で銃の密売をしようと考える。
その業界では全く相手にされないユーリーだったが、隠れた商才を発揮し、とんとん拍子に銃密売の事業は成功していく。
そして憧れの幼なじみエヴァ(ブリジット・モイナハン)に財力で近づいていく。
アメリカは経済大国であると同時に、世界最大、最強の軍隊を持つ軍事大国である。
そのアメリカの裏側、アメリカの闇を支えているのが、死の商人と称される、武器商人である。
その武器商人の半生を描いたのが、この「ロード・オブ・ウォー」である。
これは、ドキュメンタリーで、実話に基づいて作られた虚構の話である。
世界には数人のこのような武器の密売をしている大富豪がいるらしい。
その大富豪たちのエピソードを一つに作り上げた虚構の物語である。
だから、完全なドキュメンタリーとは違うし、単なるフィクションとも違う。
結論から言って、社会的な映画として見るよりも、単純に映画として楽しめば良いだろう。
ニコラス・ケイジ主演でもあり、それほど重たい内容ではないので、誰にでも見やすい作品になっている。
映画を楽しむことにおいて、実話かどうかはあまり関係ないのだから。
▼以下はネタバレあり▼
この映画は、先にも書いたけれど、実話かどうかを問題にする必要はあまりない。
とにかくおもしろい映画なのだ。
もちろん、社会的な意味あいは、非常に大きい。
だが、それが軸ではない。
この映画のテーマはあくまで武器商人として
生まれ落ちたユーリーという人物についてであり、非常にうまく、おもしろく撮られている映画なのだ。
そこに、お説教臭いことをあえて付け加えることなんてない。
まずは、これほどまで社会的な問題を扱いながら、
なおかつ、それを感じさせないほど「おもしろい」ということが重要なのだ。
世界を股にかける武器商人。
どうしてもこのような設定だと、「個」を描ききれなくて、
全体的に、そして網羅的になってしまうものだ。
話のスケールがでかいため、そのでかさを描くので精一杯になってしまうのだ。
だが、この映画は、ユーリー・オルロフという「一個人」から一切ずれない。
世界的な規模の話、非常に倫理的に問題のある話であるにもかかわらず、
中心は個人であることを忘れていないため、映画全体がぶれない。
そして、お説教臭さから逃れ、問題を僕たちにもわかるような形で提示する。
そのため、途方もない世界でありながら、非常に親近感を持ちながら、
そして主人公と同じ目線で出来事をとらえさえることに成功している。
彼を悩ませる大きな理由は、「才能」という要素だ。
戦争を起こすための道具であり、人を殺すという倫理観ではなく、
儲けることに対して一切妥協せず、商才が備わっているという自分の才能に対して葛藤する。
この悩みが非常に「わかる」のだ。
それは僕が才能にあふれて、同じような境遇にいるからではない。
仕事をするとか、何かに取り組むということ全般に言える共通性をもっているからだ。
確かに武器商人という途方もない世界だが、
それでも、個人の問題としての「才能」に悩むという要素は、非常にわかりやすく、そして重たい問題だ。
人間にとって、「できる」ことを十分に行い、そして能力を試してみたいという欲望には勝てないのだ。
その部分を徹底的に描いているため、やすっぽい倫理観など、足下にも及ばないほど、重厚な人間像ができあがっている。
妻も愛している、家庭も大事だ。
人を殺すことは絶対にすべきでないと思っている。
法律の重要性もよく認識している。
でも、駄目なのだ。
自分の能力を存分に発揮し、そこに自分らしさを求めたいという欲望は、
すべてを置き去りにしてでも、追求したくなるものなのだ。
その部分がきちんと描かれているため、非常に深刻な国際問題であるはずの
死の商人を、個人の差し迫った問題としてとらえることができるのだ。
そこに社会的視点など役に立たない。
もちろん、肯定する気にはなれないが、それでも、「ああ、それなら仕方ないかな」と思わせるだけの説得力がある。
しかし、この映画のすごいところは、世界を股にかける、という視点も失っていない点だ。
ソ連、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパ……。
世界を縦横無尽に飛び回っているという世界観の広さを存分に見せている。
だから、なんだ、やすっぽい世界だな、とか、世界中という割りには狭い世界だな、とかいった印象がない。
「お国柄」の違いや、特徴的な独裁者、ずさんな管理体制などを印象的に、
わかりやすく描くことによって、なんだかすごいことになっている、
というおもしろさと怖さを味わうことができる。
個だけにとどまらず、社会的な疑問が失われていないのは、そのためだ。
そして、話は、「映画」を意識した展開へと進んでいく。
インターポールに捕まってしまうかもしれない、という危機と、
エヴァに見つかり家庭が破局してしまうかもしれない、という危機という
二つの危機が同時に訪れることにより、物語がどんどんエキサイティングになっていく。
この展開は、映画ならではの「脚色」であることは間違いないが、映画としての盛り上がりは最高潮に達していく。
そして、捕まっても罰することができない、
妻を失っても、仕事をやめることができない、という個と社会双方の葛藤が提示されることによって、
大きな疑問符と、この世界が抱える矛盾とを同時に照射するのだ。
この映画が、徹底して個人の物語を描いているにもかかわらず、
非常に大きな波を立たせるのは、そのためだ。
個から社会へという視点の急速な移行により、単なるエンターテイメント作品ではない、社会性をも確保している。
怖い話をしているはずなのに、物語として非常におもしろい。
これこそが「映画」の魅力なのだろう。
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