子どもが生まれて、この先の世の中がどうなっていくのか、ということに思いをはせることが多くなった。
息子が大きくなって、どうやって生きていくのか。
自己肯定感をもちながら、私を生きることができるのか。
私は、学力を彼に授けることはできないけれど、価値観を育てたいと思うようになった。
私を生きるためには、どんなことを学んできたかというよりも、どんな人間になりたいかを持っているほうが、大切だと考えるよ . . . 本文を読む
カジノを大阪に作るらしい。
そういうことが話題になってから、私はなぜ人はギャンブルにはまるのか、またそれが危険なのか、ということを考えていた。
私自身は、運に任せることが好きではない性格なので、パチンコもしないし、マージャンもルールくらいしか知らない。
なんならドラクエでもカジノに行くこともしない。
どうしても儲けられなかったときのことを考えてしまって、リターンのためのリスクをとれない性格なのだ。 . . . 本文を読む
私たちは愛をもらうことを求める。
「愛がほしい」というとき、たいてい自分を愛してもらいたいという意味で発する。
その発想はおそらく資本主義経済が支えた、アポステリオリなものだ。
むしろもらうことは受動的なことであり、行為としてトクをすることではない。
そのことを私たちは忘れてしまっている。
少し前、又吉が出ている経済の話でプレゼントをもらう方は三割程度その価値を低く受け取るという話が出ていた。 . . . 本文を読む
AIによって作業が人間から奪われようとしている。
私の仕事も結構な作業がいまだに残されている。
もちろん、それに対して前向きな気持ちをもって取り組むことができないような時もある。
もっといい方法、作業から逃げるやり方を探したくなる気持ちがある。
そんなときに思い出すのは、宮崎駿のことばだ。
面倒臭いことが一番大事。
このことばは「風立ちぬ」で特集されていた番組で、溜息のような言い方で彼が吐き出 . . . 本文を読む
私たちは誰のために生きているのだろう。
古くは自分自身のために人類が生きていた時代があっただろう。
やがて家族のために、集落のために生きていく、はたらく時代が訪れる。
その集団が大きくなるつれ、地域の君主のためにはたらく時代が長く続く。
あるいはそれが宗教であったりした。
やがて近代が訪れると、それは国民国家が形成されたことによって、国家というものに対してはたらくのだという理念が示される。
それ . . . 本文を読む
養老孟司の考えでは、人間の歴史は脳の時代と遺伝子の時代があるそうだ。
脳の時代ととは、人間の理性的な判断が先行する時代であり、多くは街や技術が発展する平和な時代のことである。
平安時代や江戸時代などが典型か。
逆に、戦国時代や第一次世界大戦や第二次世界大戦などは、遺伝子の時代がである。
遺伝子が自分の子孫を残そうと切磋琢磨する時代で、生きるか死ぬかが重要になる時代だ。
では、今の世の中はどうい . . . 本文を読む
どこかにも書いたが、物語とは、物が語るものだった。
物とは、物の怪を言い、物の怪が語ることを、
物語と呼んだ。
それは、物語が普通の人々が語るような内容とは違うコードを持っていたからだ。
語り部と呼ばれる人たちが、専門的に物の怪を憑依させて語っていた。
だから、古くから残っている古典作品の多くは、日常的な会話とは全く違う調子で語られていたはずだ。
もちろん、それは書き言葉と話し言葉との相違を生ん . . . 本文を読む
電車に乗って河川敷を眺めると、子どもたちが毎週のように何かの競技に励んでいる。
「ブラック部活 」と言われる割には、やたらと体育会系の存在感は強い。
なぜ人々はこれほどスポーツに熱狂的になるのだろう。
私の周りにはスポーツが大嫌い、というかそういう根性論とか振りかざす人は悪だとさえ思っている人もいる。
だが、スポーツを子供にさせたいと思っている人が多いし、人気も高い。
サッカーが嫌いな人も、アイ . . . 本文を読む
ほんとうにそんなこと存在するのか。
私たちのすべての基本は、因果関係だと思う。
物語を信じているのも、因果関係が支えているからだろう。
こうだから、こうなる。
そうなった、なぜならこうだったからだ。
しかしここには重要な転倒がある。
ほとんどは結果を受けて、逆に原因を探ってそれを因果関係として結ぶ。
柄谷行人が指摘していた例がわかやすい。
神経症と呼ばれる発祥は幼少期のトラウマとして何らかの . . . 本文を読む
現代人はすべてを数値化することで見える化してきた。
逆に見えないことを見る力がなくなってきた気がする。
その最たる部分が、質を量で測ろうとしているという点だ。
これも私が考えたことではない。
確か、森博嗣の親書だったと思う。
質を量で測ることに慣れているので、私たちの感動は容易に数値にされてしまう。
視聴率によって番組の出来不出来を測る。
興行収入によって映画の成否を測る。
良い作品かどうかは、 . . . 本文を読む