評価点:85点/1980年/イギリス・アメリカ/143分
監督:スタンリー・キューブリック
トラウマ級のホラーの金字塔。
小説家のジャック(ジャック・ニコルソン)は、静かな環境で新作を書こうと、ホテルの管理人の職を求めた。
このコロラド州のホテルは、冬期になると5ヶ月間外部との交渉ができなくなるほど雪に閉ざされる。
定期的に建物を温めなければ損傷が激しくなるため、孤絶されたホテルに籠もって管理する人が必要だった。
しかし、ホテルの支配人は妙なことを口走った。
以前管理を任せた男が、家族を惨殺して自分も自殺したことがあった、と。
意に介さないジャックは、家族を連れてホテルを訪れた。
原作スティーヴン・キング、監督・脚本がスタンリー・キューブリックの名作。
ただ、原作とかなり違うテイストになったことで、キングはご立腹だったというのも有名な話だ。
だが、世間での評価は非常に高く、ホラーと言えば「シャイニング」と言われるほどの金字塔になった。
さらに様々な形でオマージュも制作されたので、知らなかった人も映画を見ると「なんかこのシーン知ってる!」となることだろう。
私はずいぶん前に原作を読み、その前にはもちろんビデオで鑑賞もしていた。
実に20年ほど前にみたのが最初だったと思う。
なんとなくちょっと見たくなって、アマプラで再生した。
はっきり言って名作なので、原作でも読んでほしい。
上下巻と長いが、どんなに温かいところで読んでも寒々しく感じられる恐怖は、やはり希有なのだ。
▼以下はネタバレあり▼
今更語ることでもないのだが、記事にしていなかったので書いてみようと思う。
原作は「シャイニング」という超能力を持った少年の話であり、映画はどちらかというとホテルに着目した物語になっている。
そんな比較考察をしても、スティーヴン・キングも喜ばないので、映画としてのみ言及しておこう。
冬の閉ざされたホテルで、5ヶ月間家族とだけ過ごし、大きすぎるホテルを管理する。
今ならネット環境が整っているだろうから、それほど隔絶された環境というのはイメージしにくいかもしれない。
電話も通じない、あるのは無線だけ。
閉ざされた環境なので、簡単に人は入ってこられないし、出ることもできない。
映画としては典型的な閉鎖空間のシチュエーションホラーで、その家族、特に父親であるジャックが狂っていく様を描いていく。
日常と非日常の境界が、この物語の決定的な場面設定である。
シチュエーションがすでにホラーだが、このホテルには裏の顔がある。
閉ざされたこのホテルでは、夜な夜な闇の住人たちが生き生きとパーティーを開いている。
彼らはなぜ鬼籍に入った後も、ホテルをさまよっているのか。
その点はわからない。
けれども、死者に引き寄せられるように、ジャックは狂っていく。
ジャックが元々狂っていたのか、それとも死者に感化されていったのかそれもよくわからない。
この「よくわからない」ところが、恐怖の源泉であり、説明しないところがこの作品をいつまでも新しさを感じさせる名作に仕立てたと言える。
異常と正常の、非常に危ういところにこのホテルと物語が成立している。
ジャックを演じるニコルソンも、狂気じみている。
私は再度見ながら、こいつはまるで「ダークナイト」のジョーカーだな、と思った。
これだけ狂っているのに、むしろ本当に狂わなかったジャック・ニコルソンは何者なのだろう。
それくらい、演技なのか現実なのか、見ているものもよくわからなくなっていく。
この映画が観客を引き込んでいく力があるのは、こうした様々な境界を曖昧にしていくからだろう。
息子のシャイニングと言われる能力も、私たちを非日常にいざなっていく。
感覚が研ぎ澄まされていく雪山のホテル、余計な雑音が入らない社会的にも静寂の中にある世界。
私たちは普段見えていないものが見えるようになり、白い世界の中で見えない何かを肌で感じるようになる。
映画を見ることで、私たちも引き込まれていくリアリティは、CGが当たり前になった現代では描ききれない臨場感だ。
こういう映画を見ると、CGを極力避けたいと考えているクリストファー・ノーラン監督らの実現したいものが見えてくるだろう。
一度見ると、この世界をどこかで私たちは意識しながら生きることになる。
もしかしたらその非日常的な世界は、どこかで蓋を開けて私を呑み込むかもしれない。
一度見ると私たちの心を離さない。
こういう映画が名作なのだろう。
監督:スタンリー・キューブリック
トラウマ級のホラーの金字塔。
小説家のジャック(ジャック・ニコルソン)は、静かな環境で新作を書こうと、ホテルの管理人の職を求めた。
このコロラド州のホテルは、冬期になると5ヶ月間外部との交渉ができなくなるほど雪に閉ざされる。
定期的に建物を温めなければ損傷が激しくなるため、孤絶されたホテルに籠もって管理する人が必要だった。
しかし、ホテルの支配人は妙なことを口走った。
以前管理を任せた男が、家族を惨殺して自分も自殺したことがあった、と。
意に介さないジャックは、家族を連れてホテルを訪れた。
原作スティーヴン・キング、監督・脚本がスタンリー・キューブリックの名作。
ただ、原作とかなり違うテイストになったことで、キングはご立腹だったというのも有名な話だ。
だが、世間での評価は非常に高く、ホラーと言えば「シャイニング」と言われるほどの金字塔になった。
さらに様々な形でオマージュも制作されたので、知らなかった人も映画を見ると「なんかこのシーン知ってる!」となることだろう。
私はずいぶん前に原作を読み、その前にはもちろんビデオで鑑賞もしていた。
実に20年ほど前にみたのが最初だったと思う。
なんとなくちょっと見たくなって、アマプラで再生した。
はっきり言って名作なので、原作でも読んでほしい。
上下巻と長いが、どんなに温かいところで読んでも寒々しく感じられる恐怖は、やはり希有なのだ。
▼以下はネタバレあり▼
今更語ることでもないのだが、記事にしていなかったので書いてみようと思う。
原作は「シャイニング」という超能力を持った少年の話であり、映画はどちらかというとホテルに着目した物語になっている。
そんな比較考察をしても、スティーヴン・キングも喜ばないので、映画としてのみ言及しておこう。
冬の閉ざされたホテルで、5ヶ月間家族とだけ過ごし、大きすぎるホテルを管理する。
今ならネット環境が整っているだろうから、それほど隔絶された環境というのはイメージしにくいかもしれない。
電話も通じない、あるのは無線だけ。
閉ざされた環境なので、簡単に人は入ってこられないし、出ることもできない。
映画としては典型的な閉鎖空間のシチュエーションホラーで、その家族、特に父親であるジャックが狂っていく様を描いていく。
日常と非日常の境界が、この物語の決定的な場面設定である。
シチュエーションがすでにホラーだが、このホテルには裏の顔がある。
閉ざされたこのホテルでは、夜な夜な闇の住人たちが生き生きとパーティーを開いている。
彼らはなぜ鬼籍に入った後も、ホテルをさまよっているのか。
その点はわからない。
けれども、死者に引き寄せられるように、ジャックは狂っていく。
ジャックが元々狂っていたのか、それとも死者に感化されていったのかそれもよくわからない。
この「よくわからない」ところが、恐怖の源泉であり、説明しないところがこの作品をいつまでも新しさを感じさせる名作に仕立てたと言える。
異常と正常の、非常に危ういところにこのホテルと物語が成立している。
ジャックを演じるニコルソンも、狂気じみている。
私は再度見ながら、こいつはまるで「ダークナイト」のジョーカーだな、と思った。
これだけ狂っているのに、むしろ本当に狂わなかったジャック・ニコルソンは何者なのだろう。
それくらい、演技なのか現実なのか、見ているものもよくわからなくなっていく。
この映画が観客を引き込んでいく力があるのは、こうした様々な境界を曖昧にしていくからだろう。
息子のシャイニングと言われる能力も、私たちを非日常にいざなっていく。
感覚が研ぎ澄まされていく雪山のホテル、余計な雑音が入らない社会的にも静寂の中にある世界。
私たちは普段見えていないものが見えるようになり、白い世界の中で見えない何かを肌で感じるようになる。
映画を見ることで、私たちも引き込まれていくリアリティは、CGが当たり前になった現代では描ききれない臨場感だ。
こういう映画を見ると、CGを極力避けたいと考えているクリストファー・ノーラン監督らの実現したいものが見えてくるだろう。
一度見ると、この世界をどこかで私たちは意識しながら生きることになる。
もしかしたらその非日常的な世界は、どこかで蓋を開けて私を呑み込むかもしれない。
一度見ると私たちの心を離さない。
こういう映画が名作なのだろう。
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