この間までひらがながやっと書けるようになったと思ったら、もう二桁の掛け算や画数の多い漢字をすらすらとやってこなす。
小学生とはまことに成長が速い。
自分の子どものころ、こんなに真面目に机に向かっていたのかと思うくらい勤勉に宿題をこなしている。
もちろん、隣には母親がついていて、私は下の子の工作を手伝わされているのだが。
どうしても大人は理屈から説明しようとしてしまうが、子どもの学習する姿を見てい . . . 本文を読む
日本人はとてもお節介なのか。
日本人はなぜこうも人に干渉したがるのか。
SNSでは誰かを罰するために私警察が暗躍していて、どんなに些細なことでもすぐに論う(あげつらう)機会を窺っている、ように見える。
それが日本人の特有の発想なのか、海外でも同様なのかは分からない。
少なくとも必死にスマホをもって日夜干渉できる相手を探している、ように見える。
あるいは、世話を焼きたがっているという言い方もできる . . . 本文を読む
私の知人に、何かあるとすぐに「こんなことをしているのは日本だけ」「海外では常識」と話す人がいる。
私はほとんど海外にいく機会もないので、「そうなんや」と驚かされるばかりである。
真偽のほどは確かではない。
そういう言説は、その人に限らず、日本では大好きなようだ。
テレビのコメンテーターも、すぐに海外との比較をしたがる。
エビデンス、コンプライアンス、コンセンサス……やたらとカタカナで説明したがる . . . 本文を読む
料理が私の習慣の一部になって、久しくなった。
「男子たる者厨房に入るべからず」と訴えたのもむなしく、早く帰れた日は台所で簡単な夕飯を作る。
私の方が早く家を出るので、時間があれば弁当も作る。
だが、料理の本質は、「食事」にあるのではないということを、何度もフライパンを振ることで見えてきた。
それは、経験が先であり、意味づけは後から行われるという典型的な〈気づき〉である。
それは、だから行為の前に開 . . . 本文を読む
SNSというメディアは、人々の生き方や生活を大きく変えてきた。
人間関係をネット上に持ち込んだ、という言い方はすでに生ぬるい。
むしろ、SNSは新たなる人間関係を作る場所になり、自分の考えや思いを一方的に吐露し合う、現実とはかけ離れた場所になっている。
私は「いいね!」というボタンは、SNSというコミュニケーションの場を根本的に決定づける流れを作ってしまったと考えている。
人間関係や自分の発言や . . . 本文を読む
東浩紀の「訂正する力」を読んで以来、変化することの難しさを意識するようになった。
私の子どもの頃は、カメラがフィルムによって機能する時代だった。
だから、子どもの頃の写真は、それほど多くない。
フィルムは私の両親にはコストが高かったし、機器にうとかったこともある。
父や母の写真なら、もっと残っていない。
それはとても残念なことだが、今は逆に残りすぎていて、「忘れる」ことができなくなっていることも . . . 本文を読む
最近、急に「授業料無償化」という話がニュースになっている。
始まりは、大阪府内の高校完全無償化だろう。
あるいは、北欧の国々がたびたび引き合いに出されて、日本も子育てに優しい国にするために、医療や教育にかかる経費を無料にするべきだという声が上がっていたことが素地にあったのだろう。
そして、多子世帯には、大学の授業料無償の話まで出てきた。
だが、その一方で、これが少子化対策としての本丸というよりは . . . 本文を読む
子どもが生まれて、教育がここまで「欲望」と隣り合わせであるということを知らなかった。
子育てとは、欲望といかに抗うかということである、ということを思い知った。
生後まもなく、親が戦わなければならないのは、子どもに着せたい服を際限なく買うという欲望と抗うことである。
おもちゃにしても、服にしても、子どもに「これを買ってやりたい」という気持ちが抑えられない。
それは日本が少子化となり、そして高度に成 . . . 本文を読む
私たちはかつてないほどに、近年、渇きを覚えている。
これほどの世界有数の経済大国であるのに、貧困だ、生活が苦しいという渇きの声が絶えない。
人手が足りないと言われながら、それでも賃金は上がらない。
もうまもなく、人口ではるかに少ないドイツに逆転される見通しである。
いつから私たちはこれほど渇きを感じるようになったのだろうか。
だから、私たちは増税に敏感になり、減税に疑いの目を向ける。
当たり前の . . . 本文を読む
断っておくが、私は休日出勤が当たり前の職場にいるので、正直子どもへの教育についてとやかく言うべき立場にいない。
ほとんどは奥さんの方針に従って、唯々諾々と動いているだけである。
もしうちの子どもたちの教育が「成功」したとすれば、それはひとえに奥さんのおかげである。
うちの(母親の)教育方針は「マイナスにならないならどんどんさせる」である。
そして、どちらかというと、「引き算の教育」である。
要す . . . 本文を読む