私たちはかつてないほどに、近年、渇きを覚えている。
これほどの世界有数の経済大国であるのに、貧困だ、生活が苦しいという渇きの声が絶えない。
人手が足りないと言われながら、それでも賃金は上がらない。
もうまもなく、人口ではるかに少ないドイツに逆転される見通しである。
いつから私たちはこれほど渇きを感じるようになったのだろうか。
だから、私たちは増税に敏感になり、減税に疑いの目を向ける。
当たり前の . . . 本文を読む
断っておくが、私は休日出勤が当たり前の職場にいるので、正直子どもへの教育についてとやかく言うべき立場にいない。
ほとんどは奥さんの方針に従って、唯々諾々と動いているだけである。
もしうちの子どもたちの教育が「成功」したとすれば、それはひとえに奥さんのおかげである。
うちの(母親の)教育方針は「マイナスにならないならどんどんさせる」である。
そして、どちらかというと、「引き算の教育」である。
要す . . . 本文を読む
車の中に、童謡が流れている。
「ふるさと」の一節が車内に広がる。
子どもたちは聞くともなく聞いている。
私は運転しながら、その歌詞に注目する。
大正3年(1914年)に発表されたというこの曲は、長らく私たちの心に深く刻まれた楽曲である。
しかし、驚くべきことに、この大正3年の時点で、都会と故郷とが対比されているという点だ。
「忘れがたきふるさと」とあるのは、すでに都会にでて働いている労働者の心を . . . 本文を読む
評価点:70点/2023年/アメリカ/111分
監督:ウィル・メリック/ニック・ジョンソン
語りの重層性とメタ映像。
なんでもないホームムービー。
父親は楽しそうに娘を抱っこし、娘がカメラを回している。
父親は不意に鼻血を出す。
父親はその後、脳出血で倒れ、他界してしまう。
それから10年、母子家庭で育ったジューン(ストリーム・リード)は、18歳になり、母親から自立したい気持ちが真っ盛りだっ . . . 本文を読む
幸運なことに、職場にはかなり多くの「親」がいる。
大学生の親であったり、中学生の親であったり。
子どもが熱を出しても、理解ある職場であると言える。
そういう同僚と話をすると、畢竟、育児や家事、教育の話になる。
「ああ、お子さん、小学生? いいなあ、うちの子なんてもう全く親の言うことなんて聞いてくれないで」
と言うような話になる。
私も、夜泣きに悩む母親と話をしていると、「今が一番おもろいですよ」 . . . 本文を読む
報連相ができない、ということは、うちの職場だけではなく現代の病理だと思う。
いや、私の会社だけかもしれないが。
その奢りともいうべき誤解は、発信した連絡は須く相手に理解されるものだという無理解が原因であるように思う。
自分の言葉は相手にしっかりと、少しの目減りもなく、理解されるものだ、理解されるべきものだと。
しかし、やはり、相手の思いや考えなど容易に理解できない。
理解できるなら、長い小説は必 . . . 本文を読む
うちは子どもが産まれて以来、ずっとプログラミング教育を行っている。
保育園から帰ったら、黙々と作業している。
何も教えたわけではない。
止まらない探究心が、幼児を駆り立てる。
我が家でのプログラミング教育は、情報機器端末を必要としない。
ただひたすらに、ハサミとノリと、テープと、そして廃材である。
まあ、要するに工作をしているのだ。
しかし、これがぷグラミング教育そのものであることを、先日プロ . . . 本文を読む
ゲンロンを立ち上げた東浩紀の新作の新書。
本屋に平積みされていたこともあり、気になっていたので、買った。
彼の本を実はあまり読んでいなくて、奥さんに薦められた記憶はあるが、結局読んでいないような気がする。
語った内容を記録するという形式だったこともあり、かなりライトな語り口だが、話は非常に興味深い。
特にネットにばかり侵食されがちな若い世代に読んでもらいたい。
まあ、薦める相手もいないけれど。
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研究者で、小説家という千葉雅也のデビュー作「デッドライン」を読んだ。
多分に彼の過去を反映していると思われる私小説風の作品。
大学院時代に、フランス思想を研究する中、修士論文の締め切り(=デッドライン)に追われる学生を描いている。
と同時に、同性愛を自認した語り手が、周りにカムアウトしながら、自分の性欲を満たしていくという日々も描かれている。
読んだ後しばらく考えていたが、ネタバレするほどの深 . . . 本文を読む
夢を描け。
好きなことを仕事にしろ。
やる気のないことはできない。
本当に自分のやりたいことなのか、問いかけろ。
こういうポジティヴな言説は時に自己を傷つける。
改めて問い直してみる。
今いる会社は好きなのか。
自分の仕事が好きだから続けているのか。
そんなことを毎日鏡の向こうの自分に問いかけて、イエスと答えられることが、社会人としての条件なのだろうか。
好きであることを、頑張れることに還元 . . . 本文を読む