罪悪感で落ちていました。
辛すぎて落ちていました。
落ちてる時間があったら何かすれなんですけど。
やっと今朝、「動こう」という気持ちになりまして。
私に出来ることをとにかく一つでもしましょうと。
募金してきました。 それも、ただの募金じゃない。
ヨン様のようにはどう頑張っても無理ですが。
募金してきましたなんて書かずに、
するなら密かにして言いふらすなよと思う方もいらっしゃるかも。
でも書くことによって、これを読んで『あ、私もしよう』って思う人が現れるかも。
それに、ただの募金ではないと書きましたが。
いえ、ただの募金ですし金額は少ないんです。
少ないんですけど、スーパーとかの荷物を詰める台に置いてある募金箱に入れますと、
必ず回りに人がいて見るんですわ。
人目につかずにやれよと思う方もいらっしゃるでしょが、
人目につけばつくほど連鎖をうむこともありうると思いません?
『あ、私も』とか、『あ、そうそう』なんて思ってくれる人がいるかもしれないし。
それを想定して自宅から時間稼ぎの小銭を大量に用意し数回にわたり入れてきましたわ。
どうなんでしょ、意外と小銭だと恥らう人も多いかな?
いろいろな寄付の窓口もありますけど、
こういう小口の募金だって役に立つはずっ。
これを何度も続けるつもりです。
巻き込み募金作戦でしょか… みなさん、私に巻き込まれなくても、募金箱に愛を気持ちを入れましょう。
東北には思い入れがあります。
娘がお世話になった土地です。私の母は秋田出身ですし。
これは宮古の三王閣で写した写真だと。
函館に住んでいた時期ですから小学校2,3年。カラーだと強調したいっ。
そっくりでしょ?ってクマで当たり前なんですけど、母と兄と私。父が写したのか?
いろいろ見て回ったのですが、
はっきりと覚えているのは数えるほどでして。
小学生の記憶というか、さすが私の記憶と嘆くべきなのか。
・どこかの観光地で流し素麺を食べられず、とても悔しい思いをした。
・朝食にでた、白いご飯・生卵・牛乳でリバースした
(以後、絶対この組み合わせは食べないと心に誓う)
・鍾乳洞とミイラはもう嫌だ
・弁慶は、弓矢はさぞかし痛かっただろう
と、親が聞いたら「何のためにみどりを連れて行ったんだ」と泣きたい気持ちにさせちまいそうですが、
ひとつだけシビアに覚えていることがあるんです。
それは海にそびえ立つ崖に、白いペンキで描かれた津波到来の跡。
ここまで(あそこまで)波がきたんだという位置を線を引いて示していた。
あの断崖絶壁の白ペンキの画像が脳にインプットされてます。
あれは子供心に恐怖でして。
絶対嫌だ、怖い、死ぬってね。しっかりあの時の気持ちを覚えているんです。
だからでしょか、
今回の津波には本当心から参るというか、辛いというか。
被害にあってない私がこんなに参ってどうするなんですけど。
それならもっと役に立てなんですけどね。
後方支援というか広報支援応援できればと。
頑張ってください。
被災された方も救助にあたっている方も原発で必死で作業している方も。
他に励まし方も慰め方もわかりません。
頑張ってください。お願いします。頑張ってください。