生まれ育った家は奇妙な間取りをしていた。
今読んでいる本(深き心の底より/小川洋子)にこんな一文があって、
読んだ途端、留萌の家のことを思い出しました。
昨日もちらっと書きましたが、生まれも婚後も転勤族で、今の家に落ち着くまで、何度転居したことか。
数えて3軒目の家(岩見沢)が、私が思い出せる一番古い記憶かも。
家というより家の外壁、玄関の扉、物置の中を覚えてる。(あと夢の中のトイレ)
留萌の家というのは、4軒目の函館の次の5軒目となります。
小学4年生の2学期~小学6年生の1学期まで住んでいた。
で、この家をなぜ鮮明に覚えているかというと、変わった家だったから。
進駐軍の住宅だったと聞いています。
留萌の黄金岬の真上の高台、大町2丁目だったでしょか。
家の前には市営住宅(だったと思う)、家の後ろは公務員住宅、
どちらもよく見るタイプの平屋・長屋のこじんまりした団地で、
その住宅群に挟まれる形で私の住んでいた家があった。
これが広かったんです。
部屋数でいうと、居間、食堂、和室二つなんですけど、
うちって裕福?と勘違いしてしまうほど広かった。
運よくそこの家が空いていただけだったんでしょけど。
家の端から端までコの字の動線になっていて、家の中を走れた(笑)。
狭い官舎ばかり住んでましたから、これは驚異でしたわ。
食堂の四人用テーブルで卓球もした。
ラケットを持って、後ろに下がって打っても大丈夫な広さだった。
ただ、不思議なことに玄関は隣家と共有。
大きな外玄関(共有)があって廊下を挟んで内玄関というか、居間の入口に鍵がついていた。
懐かしくて、グーグルマップで観てみたら、やっぱり無い(笑)。
今のハローワーク近辺(裏?)だったんじゃなかな。
で。
黄金岬は遊び場で、高台から海までおりては遊びまくり、幸せな子供時代を過ごした家なのですが。
一つ怖いものがあった。
それは家の裏手奥にそびえ立つ塔?というか灯台でもないけど、海の船の運航の目印となる塔が三本、
ひょっとしたら二本だったかもしれませんが、古いコンクリート製の塔が団地の奥に立ち、
下にはサーチライトが設置してあったと。
この塔の近くに火事で死者が出たという官舎があり、(窓や玄関は板で塞がれてた)
どういうわけかこの塔?とシンクロしてしまい、恐怖の象徴みたいに見えていた。
あの塔はなんだったのか、ざざっと検索してみたけどでてこない。
高橋灯台とは違うし…。
兄に聞けばなにか覚えていると思うけど、そこまで電話かけるのも気が引けるし。
すっごい画伯(笑)。ニョロニョロっぽいか?きのこか?
頭がひし形だったと。いやぁ、書いているうちにどんどん不安になってきた。
晩御飯を食べてからずっと検索してたのですが、
いやぁ、留萌に行きたくなってきた。でもこの季節は行っても凍えるだけだな。
黄金岬もずいぶん変わったみたいだし。
禁止されてたけど、留萌小学校から市役所近くで海岸線におり、
遠回りなのに海のそばの道を歩く。水産加工場のニオイとモーターの音、潮風と光る海と空腹。
黄金岬まで行き、そこから崖を上って家に帰る。このころからわけもなくよじ登るのが好きだったのね(笑)。
お楽しみコース再現したいぞ(笑)。