少しでもジャズに触れた者ならば誰でもその名くらいは聞いたことがあるでしょう。
キース・ジャレット。
自分がジャズを演奏することが多いため、最初は資料としてキース・トリオ(当時は「スタンダーズ」と呼ばれていた)のCDを買ってみただけでした。もちろん、当代きってのピアノ・トリオで、メンバーそれぞれが超一流のミュージシャンであることは知っていました。
初めて買ったキース・トリオのCDは、「スタンダーズVol.1」。
たちまち好きになりました。
とくにこの中の「God Bless The Child」にはすっかり心を奪われてしまいました。きっとぼくが死ぬまで聴き続けるであろうと思われる、大好きな演奏のひとつです。
「キース・ジャレットが2013年5月に来日する」との情報を仕入れたのが去年の冬。
最初はただ漠然と「ああ、そうか」と思っただけでした。
日本はキースが演奏することが最も多い国で、来日情報も珍しくはなかったし、家に帰ればDVDもCDもたくさん持っているしで、その時は行きたいとはそんなにも思えなかったんです。
しかしユニバーサル・ミュージックのHPを見てビックリ!なんと、このメンバーでは最後の来日になるというではないですか。つまり今回を見逃すと、このメンバーでの「キース・ジャレット・トリオ」を、生では二度と見ることはできないということなんです。そう思ったぼくはあわてて電話を手にして、チケットの先行予約を申し込みました。
たぶん同じ思いの人は数多いはず。電話がつながるかどうかも不安でしたが、無事チケットを予約することができました。前から5列目、彼らの表情や雰囲気が手にとるように伝わるであろう位置です。幸運でした。
快晴で迎えた5月12日。
朝から雑事に追われて、気がつけば時計の針は大きく午後を回っていました。途中神戸に寄るという当初の予定を断念して、大阪駅に着いたのが16時頃。
まずは、ぼくがプロデュースを任せて頂いているお店「セカンド・シンプソン」のステージを整備するにあたって、大きく力を貸してくれた島村楽器のスタッフ・河野氏の転勤先である茶屋町の島村楽器ロフト店へ。
再会を喜び合ったのち、スタッフさんたちのご好意で名器Ken Smithを試奏させていただきました。音色、音質、感覚の伝わり方など申し分なく、夜の予定がなければそのまま閉店時刻まで弾き続けかねない勢いでした(^^;)
その後、電話での打ち合わせ、頼まれていた買い物、軽い腹ごしらえなどを気忙しく済ませ、新装なった大阪フェスティバル・ホールへ向かいます。
以前のフェスティバル・ホールは音響がたいへん素晴らしいことで有名で、レトロな雰囲気とも相まって、芸術の世界では名所のひとつに数えられていました。
大阪フェスは、大阪駅からゆったり歩いても10分少々で、交通の便も良い。
のんびり西梅田を歩いてみたかったので、iPodを聴きながらおのぼりさん気分で歩を進めます。すると渡辺橋の手前で、目指す建物が見えてきました。
「『風と共に去りぬ』でこんなのを見たんだっけ」と思いながら、赤じゅうたんを敷いた長い階段を上がります。
人でいっぱいのエスカレーターに乗ってさらに上階へ。おかしいくらいワクワクしてきます。
ぼくがシートに身を沈めたのは、開演30分ほど前の18時30分頃。
何年か前の公演では空席もチラホラだった、というのを聞いたことがありましたが、流石に今回はソールド・アウト。全2700席が人で埋まっています。
あたりを見回したり、ステージのセッティングに目をこらしたり。期待で子供のように落ち着かない30分ほどを過ごしたのち、いよいよ客電が落ちます。
舞台袖から英語での短いやりとりと笑い声が聞こえます。と思う間もなく三人が現れました。
その瞬間ぼくは顔が紅潮して胸がいっぱいになってしまいました。
「All Of You」で待望の演奏がスタート。
ぼくの位置では、楽器の生の音がよく聴こえますが、残響音のせいで細かなフレーズがくっきりとは聴こえない。ただ音のバランスはとても良く、3人の出す音がありのまま自然にブレンドされたようで、とても聴きやすかったです。
最初のステージは5曲演奏して終わりました。
ジャズの歴史に残るであろう三人の演奏を体感して気分はわるかろうはずはありません。しかし、いまひとつピリッとしなかったというのが正直な感想でした。残響音のせいか、それとも年齢のせいなのか。
ちなみに、この夜はなんとベースのゲイリーの77歳の誕生日!(正確にはアメリカ時間での5月12日生まれ) 4日前の8日は、キースが68歳の誕生日を迎えたばかりです。
キース・ジャレット、ピアノ、68歳。
ゲイリー・ピーコック、ベース、77歳。
ジャック・ディジョネット、ドラムス、70歳。
さすがにこの年齢になると演奏活動から受ける負担はやはり並大抵のものではないのだろうか。
年齢の壁は仕方のないものなんだなあ。
などととりとめのないことを休憩中に考えます。
20分ほどの休憩をはさんで2回目のステージが始まりました。
まずは「Last Night When We Were Young」。
何かが違う。演奏も、客席の空気も。
あとで聞くと、この休憩中にピアノを入れ替えたんだそうです。
このライブでは、キースの肉声も聴くことができたのがちょっとしたオマケでした。
ある曲でキースがイントロを弾いている時に拍手が起きました。するとキースは弾くのをやめてしまったんです。ぼくは一瞬ヒヤッとしました。キースが繊細で神経質なことは有名な話だからです。かつては演奏を中断して客席に説教したこともあるらしいし、数年前の東京での携帯電話事件もよく知られた話です。
しかしキースは、拍手の方へ向かって「How do you know what song is ?(この曲が何か知っているのかい?)」と声をかけました。即興で弾くイントロからは何の曲かうかがい知ることはできないからです。でもこれは怒りの声ではなく、それを踏まえたちょっとした茶目っ気のような気がしました。すこし皮肉っぽく感じはしましたけれどね。
もう一度は、2ステージ目。いつもは拍手が鳴りやむのを待ってすぐに次の曲を弾き始めるのだけれど、この時は脇にどけてあった譜面の束を椅子に座ってチェックし始めたんです。おそらく客席の「ええっ?」という雰囲気を察したのでしょう、キースは笑顔(に見えた)を客席に向けて、少しおどけた感じで「Too Many Songs」と答えました。たくさん曲があるからね、いまはどれを演奏するのが一番良いか考えてるんだよ、みたいな意味だったのかな。
「気難しいキース」というイメージが、このやりとりによって頭から消えた気がしました。
そういういろんなこともあってか、2ステージ目は聴衆から一歩ステージへ近寄れたような気がします。みんなの目のキラキラ度が増した、とでも言ったらいいのかな。
中盤のバラード「I Thought About You」から一気に涙腺がゆるみます。
一音一音慈しむように音を奏でる3人。彼らのような、ぼくから見ると雲の上、いやそれどころか大気圏の彼方にいるような素晴らしいミュージシャンの、命と引き換えに出しているかのような音には、ただただ心を揺さぶられるだけでした。
ゲイリーのベースソロで涙がにじみます。温かい拍手は同じ思いの聴衆がたくさんいることを教えてくれる。
彼らでさえ自分を完成されたものとは思っていないのだ。ふとそう思いました。だからこそあんなに心をこめて演奏できるんですね。
「未完成だからこそ美しい」、そう思えました。未完成だからこそ、次へ進もうとするその真摯な姿が心を打つのでしょう。
功成り名遂げた彼らでさえ新しい扉を開けようとするのをやめてはいなかったのです。
単純に「衰えたからツアーを終わりにするんだろう」と思っていましたが、輝くことをやめたわけではなかったんですね。
近年、キース・トリオに対して、一部で「マンネリ」だとか「惰性で音を垂れ流している」などの批判があるのは知っていました。でもこの夜の演奏を聴いたぼくには、どうしてもそういうふうには思えません。
「One For Majid」での、素晴らしい勢いのある演奏は、ほんとうに彼らが老齢にさしかかっているのか疑ったほどでした。ジャックのエキサイティングなドラム・ソロには大歓声が浴びせられます。
そして5曲目の「I Fall In Love Too Easily」。
イントロで胸が締めつけられます。もはやこみあげてくるものを抑えられません。静かなバラードなのに、とても熱い。
思いがあふれてとまらないかのような、感動的なゲイリーのソロ。
エンディングに向かうキースの音は、ひたすら、ただひたすら美しかった。
ぼくは泣けてしかたありませんでした。
そしてこの曲が最後の曲でした。
そっと大阪に別れを告げるかのように。
喝采が鳴りやみません。飛び交う指笛、大歓声。そしてアンコールを願う大きな手拍子。
やがて現れた3人は手を合わせてお辞儀をしたあと、楽器に向かいました。
軽快なイントロから現れたなじみの深いメロディは「Bye Bye Blackbird」。客席は大喜び。でもこれで大阪と本当にお別れするつもりなのかな。
いつもの「スッ」と引いた感じで曲が終わります。お辞儀をして去る3人を送る拍手が、すぐにアンコールを求めるより大きな手拍子へと変わる。
やがて姿を見せた3人はステージ中央でもう一度深々とお辞儀をして、袖に戻って行きます。それでも手拍子は鳴りやまない。それどころかその音は大きくなるばかり。
それに応えてとうとうトリオが出て来ました。
その時の喝采ときたら!
今度はスローの、可愛いワルツです。可愛いだけでなく、メロディはせつない。
熱くアンコールを要求してやまない客席を優しくなだめるかのようです。
一音も聴き逃したくありませんでした。
あまりの美しさに、エンディングでは「おお~」というため息があちこちでもれます。
そしてまたもやアンコール。
正直、3度目のアンコールは無粋だと思いました。ここで終わった方がきれいな思い出になる、そう思いました。
しかし、彼らはまたもや出て来てくれた。
客席は一斉に大きくどよめく。まるで悲鳴のようでした。
最後の最後に聴かせてくれた曲は「Things Ain't What They Used To Be」。「昔はよかったね」の邦題で知られたブルージーなナンバーです。
邦題で見ると意味深ですが、この曲は単なる懐古趣味なのではなくて、「バラ色の未来が今にやってくるよ」という、希望にあふれた歌なのです。
この曲が、彼らなりの、日本へのお別れの曲なのでしょう。
全身をゆすって弾くキースの「Ah~~」という唸り声に客席から合いの手が飛んだり、ジャックのドラムに対する客席からのかけ声が聞こえたりと、とてもフレンドリーな雰囲気で大阪公演は終わりました。
3人の最後のお辞儀、それに対する客席からの途切れることのない拍手、歓声、指笛。
思わず見回すと、人で膨れ上がったアリーナ席、2階席、3階席みんながスタンディング・オベーションで惜しみない賛辞を送っています。
頭の上で拍手する人、ステージに向かって手をふる人、満面の笑顔で3人を見送る人、人、人。。。
音楽って人の心をこんなにも揺り動かせる素晴らしいものなんだ。
そしてたぶん最初で最後の、間近で見るキース・ジャレット・トリオとのあっという間の別れ。
感動した、という月並みな言葉でしか伝えられないのがもどかしいです。
キース・トリオと数時間をともにできたのは忘れられない思い出になるでしょう。
【2013年5月12日 キース・ジャレット・トリオ 大阪公演セット・リスト】
[1st Stage]
1. All Of You
2. Django
3. The Bitter End
4. The Old Country
5. Straight No Chaser
[2nd Stage]
1. Last Night When We Were Young
2. Conception
3. I Thought About You
4. One For Majid
5. I Fall In Love Too Easily
[Encore]
1. Bye Bye Blackbird
2. Anser Me, My Love
3. Things Ain't What They Used To Be
【personnel】
Keith Jarrett(piano)
Gary Peacock(bass)
Jack DeJohnette(drums)
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God Bless the Child、大好きです。
あのCDでは長めの演奏なのですけど、聞くたびにすぐに終わってしまって。
今年の演奏会のようすも書いていただきありがとうございます。すばらしい体験になったようですね。
もともとぼくはロック小僧だったせいか、「God Bless The Child」を聴いた時はシビれました。同時に「Jazzでもこういうのがあるんだなあ」と、目からウロコでした。
繰り返し繰り返し聴いて、いまだに飽きません。名演だと思っています(^^)
大阪フェスは、実はキャンセルしようと思ってたんです。かなり疲れていて…
でも当日、「やっぱり行こう!」と決めました。行ってよかったです。一生の思い出になります。
キーストリオの最後の演奏・・・一緒にそばで見ているような気分になりました。
臨場感というか MINAGIさんの心の中が手に取るように感じられるというか、その熱っぽさに感化されていくものがありました。
キーストリオの演奏がいかに素晴らしかったか・・・そこにいることができなくて残念です。キースの新たな一面(茶目っ気)を知ったことも嬉しいです。
このジャケット 以前ユニクロで発売されたTシャツにありました。即買いで 何度も着てボロボロです(笑)男性用ですが。
MINAGIさん ライブ活動 楽しんでいるようですね♪
後で ゆっくりブログを拝見させてください。
お久しぶりのコメント、嬉しかったです。(^^)/
最近はすっかりスケジュール帳と化してしまったこのブログですが(汗)、感じたことを綴ってみようという気持ちに変わりはありませんので、見守ってやってください(^^;)
キーストリオから感じた興奮、まだ生々しく感じられます。
極端な話、人間の持つ可能性の凄さ素晴らしさというか、そういうものを垣間見せてもらった気もします。
ユニクロのTシャツは、ジャズ関連のものが出ていたみたいですね。最近それを知って歯ぎしりしています(^^;)
まだまだ動き回りますので、これからもよろしくお願いします!